2023/02/19

パワーウォーキング:新習志野駅ー千葉みなと駅で温泉探し

サイクリングに飽きて急にウォーキングに目覚めたというわけではなくて、仕事のスケジュールがタイトな時期のリフレッシュという枠にウォーキングがぴたりと当てはまったという構図。落車して骨折しましたとか、そんなことを言っていられない繁忙期にはサイクリングを我慢して自宅でスピンバイクを漕いでいた。

しかし、陽の光を浴びないことはメンタルに悪影響があるらしく、年末年始は家庭の不和も相まって精神の深い井戸に落ちていた。もはやスピンバイクに乗るモチベーションさえ湧かなかった時に上司や同僚の真似をしてパワーウォーキングを始めてみた。すると、これまでの不調が分かりやすく改善された。

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2023/02/16

浦安市は小学生の塾代を補助しないのか?

とある名の知れたお笑い芸人が、子供たちの経済状況に関わらず勉強する場を用意してあげたいと考え、大阪市内に寺子屋のような形で子供たちが学ぶ低料金設定の塾を立ち上げて維持しているというネット記事を見かけた。

大阪市では、塾に通う子供に月額1万円の補助が出るので、塾の料金を低く抑えることで子供たちが無料で塾に通うこともできるという内容だった。なるほど、それは素晴らしいアイデアだと敬服した。

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2023/02/12

パワーウォーキングを開始する

幾重にも連なった数々の仕事のタスクを前に「いやこれは無理だろ」と呆然としていたが、予想通りに年末年始から1月末まで持ち越し、青色吐息のまま2月に入った。これらの比較的大きなタスクとは別に、私のような疲れたオッサンに助けを求める人たちからの依頼が毎日のようにやってくる。

最近になって気になることがある。それは、職場のエース級の人たちが次々に離職して別の生き方を選んでいることだ。疲れているのは私だけではなかったらしい。大活躍した人たちがいなくなって一時的にパワーダウンしても、すぐに人員が補充され、全体としては恒常性が保たれる。彼らのようなエースでさえ、組織においては歯車でしかなかったということか。

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2023/01/29

大きめの重力感で床に伏せながら

年末年始の繁忙期を年の功で何とかやり過ごして週末がやってきた。土曜に入って荒れた自宅の中を片付け、自分の衣類などを自分で洗濯し、愛用している小径自転車のブルーノスキッパーのチェーンを外してクリーナーで洗浄し、見ようと思っていたNetflixの映画やアニメを深夜まで鑑賞し、久しぶりに有意義な休日だと満足して眠りに就いた。明日は千葉市から外房にサイクリングに出かけようと。

しかし、目を覚ました時点で日曜のサイクリングを諦めた。全身が重く感じて床に押し下げられているような感覚がある。GANTZのZガンあるいは転生系のアニメでたまに見かける垂直重力の魔法を受けたかのように立ち上がれない。創作世界であれば楽しめるが、リアルでは洒落にならない。手足どころか指先さえも重く感じる。

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2023/01/23

全身バキバキの筋肉痛

浦安市から江戸川の左岸を自転車で走り、流山市にある「魔王の塔」と勝手に名付けた焼却施設をランドマークにして戻ってくる往復60kmのサイクリング。ロードバイクであれば大した苦労はなく、ミニベロであっても無理なく楽しめるコースだ。

...と思っていたのだが、2ヶ月近いブランクは五十路近い身体に大きく響いたらしく、眠って起きたら全身の筋肉がバキバキに硬直して動けない。関節痛がないことは、すなわち自転車のポジションがうまく出ていたという証左なのだろう。やはり、インドアと違って実走は満足感がある。

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2023/01/22

江戸川でサイクリング+チェアリングを試みたのだが

最近、「チェアリング」というアクティビティが流行っている。アウトドア用の折り畳みチェアを携行して好きな場所に行き、デイキャンプの要領で座ってコーヒーを煎れたり、読書したり、風景を眺めたり、連れがいれば会話を楽しむ。ただそれだけのことが楽しいらしい。

また、チェアリングと自転車はとても相性が良く、とりわけ小回りが利く小径自転車であるミニベロとチェアリングの相性はさらに良いらしい。年末年始に家庭が荒れてどん底の精神状態だった私は、なるほどそうかと思って、チェアリングでは定番のHelinox(ヘリノックス)の「チェアゼロ」と「タクティカルチェア」という二種類の折り畳み椅子を購入した。

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2023/01/19

高嶺の花は枯れないらしい

昔の話になるが、大学に合格した私は、寂れた田舎町の実家で大きなボストンバッグに身の回りの物を詰め、新幹線の駅に接続する在来線の列車に乗った。そこから新幹線に乗り、首都を目指した。当時の私の前には自らの選択や成り行きによって進むことができる無数の並行世界が広がっていた。

オッサンになった今では日常になった東京の街が、当時はとても大きく見えた。乱立するビルや人の雑踏の中で自分が砂粒のように小さな存在であることを実感し、それでも安定した職に就き、伴侶と共に家庭を築き、この都会で生き抜こうとした。

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