2020/05/02

ライドの再開と肩プロテクター

久しぶりに世の中の個人ブログ、とりわけロードバイク乗りたちのブログを幅広に拝見した。新型コロナによる外出自粛の影響は大きく、普段から記事のほとんどがライドやレース、機材といったサイクルネタで埋め尽くされているブログでは、室内トレーニングのZwift関連の話が目立つ。


何より驚いたことがある。それは、ライドやレースといったブログネタの柱が封印されているような状況であっても、身の回りのプライベートな話がエントリーでほとんど紹介されないこと。

子育てを続けているサイクリストであれば、幼稚園や保育園、小中学校が閉鎖されて、今、このような生活が続いていて、サイクリングがこうなったとか。

コロナ離婚だ何だと言われているけれど、うちの夫婦は大丈夫だよとか。在宅勤務は集中できないのでローラー台に乗りながら働いているよとか。

そのような話が見当たらなくて、やはり自転車の話ばかりだ。

サイクリストのブログの面白さを自分なりに考えてみると、自転車の話がずっと続く中で、たまに角度を変えて投げ込まれる「自転車関係ねぇ話」がとても楽しく感じるのだが、多くのサイクルブログは自転車一辺倒で、そのような情報を求める人たちが多いのだろう。

しかし、この状況であってさえ、身近なことを紹介せずにZwiftネタであっても話題を自転車に集中することができる人たちはタフだなと思う。自転車以外に紹介するようなことがない人生を送っているわけではないと思うが。

サイクリストに限らず、ブロガーなら大なり小なり感じているはずだが、文章の中には書き手の内面が投影される。その内面には生来の感性だけではなくて、自分の周りの環境が影響する。

感染症というマターが世界全体を覆っている状態では、趣味のブログの中で楽しいことを書こうと思っても、なかなか話が思いつかない。

コロナ関連のことをブログに書きたくないと感じてしまったり、逆にコロナ関連のことばかりブログに書いてしまったり。

人の思考としてこれらの傾向は何ら悩むことではなくて、ごく自然な流れだな。

この社会情勢でも何ら気にせずに生活していて、平時と変わらないブログを続けられたとしたら、そのような人においては教養が足りないか、感性が鈍麻しているか、思想が以下略。

たまに、外出自粛に関係なく、「コロナ感染者との濃厚接触がなければいいじゃないか」とライドに行ってしまうロードバイク乗りたちのブログに出会ったりもする。

そのような人たちは、往々にしてこの趣味を始めてから1~2年の初心者が多い。初心者だから遅いのかというとそうでもなくて、基礎体力が非常に高くて、実際に速いニワカローディがたくさんいる。

他方、経験を積んだベテランのロードバイク乗りたちの多くは、ソロのライドであっても実走に出ていないか、実走に出たとしても近距離で自宅に帰還しているようだ。

欧米のロードバイク乗りたちのサイクルブログを眺めても同じような状態になっているが、都市封鎖が行われていることが多い欧米と比較すると、日本のロードバイク乗りたちの行動制限は自粛レベルで緩い。

ニワカローディはともかく、日本のロードバイク乗りたちがソロであってもライドを自粛する姿を眺めて、私は彼らの思慮深さを感じ、とても感動した。おそらく、事故による医療資源への負荷を考えてくださっているのだと思った。

河川敷沿いではなくて、車通りは多いけれど人通りが少ない車道をロードバイクで走っている分には、新型コロナ感染者との濃厚接触の危険性はほとんどないことだろう。

この状況でもサイクリングに出かけてしまうロードバイク乗りたちの思考回路はその程度だろう。感染するかしないかという単純なことしか頭に入っていない。

しかし、もう少し社会の情勢を知っている人なら分かっているはずだが、医療機関はすでにパンク寸前の状態だ。院内感染が広がっているケースも多々あるし、医師や看護師等のスタッフは疲弊してきている。

その状況で、サイクリングに行って落車して鎖骨を折りましたとか、大腿骨を折りましたというロードバイク乗りが病院にやってきたら、患者本人も手術待ちで苦痛を感じるし、医療スタッフも苦労することだろう。

ロードバイクという趣味は常に事故と隣り合わせで、万一のトラブルを想定し、覚悟した上でライドに出る。経験を積んだサイクリストならば、本人、あるいは目の前で仲間が落車して、実際に入院するというケースに遭遇したことがあるはずだ。

それらのアクシデントを経験したことがあるロードバイク乗りにおいては、医療機関に余裕がない状況でソロであってもライドに行くことがどれだけ危険なことなのかは、誰かに言われなくてもすぐに分かるはずだ。

明らかなリスクが分かっているのであれば、室内でZwiftを使ってトレーニングを続け、近い将来にやってくるであろう実走の機会を待つ。

それが経験を積んだロードバイク乗りたちのコンセンサスなのだろう。とても勉強になる。

一方で、経験年数に限らず、でもそんなの関係ねえとロードバイクに乗って走りまわってしまう人たちもいるわけで、それが日本人の国民性や多様性なのだろうなと感じはする。

自らの欲求に素直というか、独自の思考のまま崖に向かって走って行ってしまうというか。実際にピンチになるまで分からないとか、確率論だとか、色々なことを言って正当化するのだろうけれど。

ただし、私なりのロードバイクの実走についての考えとしては、これから1年あるいは数年にわたって自粛しなくてはならないのかというと、そうでもない気がしている。

新型コロナのように強い感染力があるウイルスの場合には、どれだけ防御したとしても、いずれは感染することだろう。

感染が爆発的に生じた場合には医療機関がダウンしてしまうわけで、その状況を回避しながら重篤者を救い、治療方針についてガイドラインを策定し、可能な限りダメージを減らすという形にならざるをえない。

多くの人たちが勘違いしているかもしれないし、お世話になっている小学校の校長先生の学校だよりを見ると小学生たちの命を守ると書かれていてゾッとしたわけだが、30代よりも若い人たちにとっては、新型コロナはごく一部を除いて風邪程度の症状あるいは無症状で経過する。

これからは、PCR検査だけではなくて抗体検査を用いたスクリーニングが行われるはずだが、実はすでに新型コロナに感染していたという人たちがたくさん見受けられることだろう。

海外からは「日本の奇跡」と言われることがあって、実際は何が良かったのか分からないけれど、とにかく何とか耐えている状況を過ぎれば、感染の拡大は小康状態になるはずだ。

そして、緩んだところで次の波がやってくることだろう。そうやって波を乗り越え続けているうちに、多くの人たちが新型コロナに感染し、免疫を付け、普段と変わらない生活に落ち着く。

経済が死んでしまうと、新型コロナよりも多くの人が死ぬことになるという主張も理解することができて、どの程度のバランスを保って先に進むのかという判断になる。

一方で、新型コロナは高齢者を中心として重症化あるいは重篤化することが多い。これまで社会を支えてきた人たちを切り捨てることは正しくない。

加えて、日本の世代層を考えた場合、政治やマスコミに関心を有する人たちの多くが高齢者であることは否めなくて、思想の違いはあったとしても、世論は国のことを考えて主張する人たちの影響を強く受ける。

私たちのような団塊ジュニア世代、あるいはより若い人たちが政治や行政にあまり関心を持っているように感じないのは、子供の頃から社会に対して物申すことが美徳とされないような教育を受けてきたからなのかなと思う。特に学校教育では。

その空気は、平和な社会で育ったことの裏返しかもしれないし、今になって変えようとしてもなかなか変わらないことだろう。

若い人たちにとっては、高齢者を守るためにどうして自分たちが我慢を続けなくてはならないのかと不満が蓄積しているかもしれないし、一部の高齢者の我田引水な言動に憤りを感じることがあるかもしれない。

その矛先がどこに向かうのか。この社会が元通りになることはなくて、新しいステージに入るはずだな。

さて、社会全体について考え続けると憂鬱になるので、ロードバイクについて限定して具体的に考えると、私個人としては、医療機関の混乱や疲弊が解消された段階で、実走に出かけようかと考えている。

緊急事態宣言が5月31日まで延長されたが、我が国の状況を考えた場合には、これが最大限のリミットだと思う。

すでに経済活動には大きなダメージが生じている。これ以上の自粛を続けていた場合には感染症で被害を受ける人たちよりも、不況によって被害を受ける人たちの方が遥かに多くなる。

感染の拡大を抑止したいと考えている専門家たちの意見は必ずしも統一していなくて、経済を停滞させてでも感染を抑止すべきだと主張する感染症の専門家もいれば、経済活動や社会情勢とのバランスを考えながら対処すべきだと主張する感染症の専門家もいる。

前者の場合には、①「新型コロナは重篤な疾患を引き起こすが、無症候やただの風邪になることもある」というスタンスに立っていて、後者の場合には、②「新型コロナは多くの場合に無症候やただの風邪だが、重篤な疾患を引き起こすこともある」というスタンスに立っている印象を感じられる。

つまり、①と②では、同じ感染症であっても考え方が違ってくるわけで、当然ながら対応も変わってくる。

医療現場の負荷を考えると①が優勢になってしまうが、経済を考えると②が優勢になると考えられる。

医療現場にどの程度の余裕が生じるかは分からないが、リミット上限で推移することができたとすれば、②が優先される気がしてならない。いや、否が応でも②にならざるをえないことだろう。

5月31日というリミットは、両者において最大限の妥協なのだろうなと思う。経済的に見て明らかにダメージが生じるところまで自粛したのだから、もはや仕方がないと。

最近の浦安市では、海沿いの遊歩道でランナーと歩行者が口論になっている姿が目撃されていたりもする。おそらくマスクをしろとか、距離を取れとか、そういったことがきっかけになったのだろう。

我の強い人たちが多い新浦安では、市民同士の喧嘩があまり珍しくないわけだが、5月31日を越えるとそのようなことで苛立つだけの余裕がなくなる。

ディズニーが再開すれば日本全国から浦安に人が集まり、そして首都圏から地方に向かって人が分散していく。

多くの千葉県民が東西線や京葉線の満員電車に乗って都心に出勤し、そして千葉県に戻ってくる。飲食店が再開すれば、「まあ、一杯」という話にもなるだろう。

自らが新型コロナに感染することを防ぐのは難しくなるし、ある程度は開き直って現実を受け止めることになる。

社会全体の戦略としては、多くの人たちが感染することを防ぐという当初の目的から、多くの人たちが感染することを前提として重篤者を救うというスタイルになるわけだ。

しかし、日本の場合には最初からその戦略に近かったとも言えるわけで、一部の人たちがどれだけデマやアジを飛ばしたところで、限られたリソースに基づいて導き出した最適解がそれしかなかったのだから仕方がないという話だったのだろう。

それでは、多くの人たちの考え方が大きく変わるきっかけが何かというと、おそらくそれはマスコミの姿勢が変わることではないかなと思う。

あまりに平時に向かって姿勢を変えると、若い人たちを中心として行動変容が崩れ去ってしまうだろうし、マスコミを支える高齢者を中心としたコアゾーンから批判を受けることだろう。

一方で、新型コロナ一色になっている報道を続けて経済が傾けば、当然だがマスコミを含めてダメージが生じる。

非常に個人的な話に戻ってサイクリングについて考えてみると、5月31日を境として社会は大きな舵を切ることになり、ソロライドどころかグループライドで次々に外に出る人たちが増えてくるはずだ。

新型コロナという懸念を頭の中から取り去って、外を眺めれば分かる。今年の初夏は天気が良くて、爽やかで実に快適だ。

サイクリストにとって、このような素晴らしき季節に走らないというのは精神衛生上良くないことだろう。

私を含めて、リスクを承知で車道を走るようなロードバイク乗りたちは、分かっていても走り出してしまう。理性を超えたところにある欲求、いや本能に近い。

けれど、ライドについての考え方は人それぞれだが、私なりには落車して入院することになっても対応してもらえるくらいになるまで、実走を控えようかなと思う。

整形外科のドクターが暇なのかというとそうでもないし、入院病棟のナースはすでに感染症対応で動員されていることだろう。そもそも医療機関のベッド数は平時であっても余裕がない。

鎖骨を折って日帰り手術といった状況は勘弁したいな...

今、気づいた。

常に使い続けて存在感が逆になくなってしまっていたが、私はサイクル用の肩プロテクターを自作して使っている。医療機関に余裕がない時には、このような工夫も大切かもしれない。

自作といってもオートバイ用の肩パッドに少し手を加えただけのものだが、パールイズミやシマノが本気で製品化すれば、落車して鎖骨を折るロードバイク乗りが激減すると私は信じている。

私は以前から、ロードバイクで落車して鎖骨を折ることが珍しくないにも関わらず、どうして肩を保護するためのサイクル用品が販売されないのかと不思議に思っていた。

たまにサイクル用、とりわけマウンテンバイク用として銘打ってある肩パッドが販売されていて、実際に買って試したこともあるのだが、ロードバイク用としてはあまりに重厚で、しかも使い勝手が悪かった。

インナーと一体化しているようなサイクル用の肩プロテクターは蒸れたりかさばって、今、肩に何か乗っています感が半端なく、さらに高価でリピート買いする気にもなれない。

かといって、他のスポーツでは真横から肩に衝撃を受けるような状況が想定されていないからなのか、鎖骨の直上を保護する、あるいは胸や背中までを守るようなプロテクターしか見当たらなかった。

ロードバイク乗りが必要としているのは、掌に乗るくらいのサイズで、軽くて、水で簡単に洗うことができて、サイクルジャージに数十秒で装着できるような、それでいて数千円で手に入るような肩プロテクターだと思った。

例えば、安全なサイクリングロードを走っている時はバックポケットに入れておいて、途中から自動車が多い幹線道路を走る時に肩に取り付けたり。

ヒルクライムで登り切った後、落車することが多い下りを走る時だけ肩に取り付けたり。

エンデューロレースやブルべといったイベントで、偶発的な落車に備えてサイクルジャージの下に取り付けたり。

そのような肩プロテクターが市場に出ていなかったので、自分で作ることにしたわけだ。

もしかして、安価で作ることができるサイクリング用の肩プロテクターの作り方を、このサイトで紹介したら、サイトのアクセス数が飛躍的に伸びるのだろうか。

最近のHYPSENTの録は新型コロナについての話ばかりで、1日のアクセス数は数人という悲惨な状況だ。たぶん義理でアクセスしてくれる家族か友人くらいなのだろう。

人生の録としては大切だと思って記しているのだが、あまりに思考がマニアックすぎて書いている本人でさえ読む気がなくなっている。

そういえば、ネットで検索しても、サイクル用の肩プロテクターが見当たらない。

自転車で通勤せざるをえない人たちや、どうしてもソロで走りたい人たちがいるけれど、いざ落車で鎖骨を折ってしまったらと気にしている人たちは多いはずだな。

既製品に手を加えて作ったサイクル用の肩プロテクターは、別のブログを運営していた時にネタにしようと思って冗談半分に取り組み始めたものだが、途中から真剣になってしまい、プロテクター作りが趣味になってしまった。

そして、汗だくになる炎天下においても、インナーを着込むような冬季においても、1年くらいかけて肩プロテクターの評価を続けてきた。

実際に空き地でわざと転んで耐衝撃性を試したりもしたわけだが、これはなかなか使える。

最近では、この肩プロテクターがないと実走が気持ち悪くなるくらいに安心感がある。

自作とはいえ、この肩プロテクターは1セットあれば数年でも耐えうるはずだし、多数のサイクルジャージがあってもマジックテープを増やすだけ。ライドの前にワンタッチで取り付けることができる。

この肩プロテクターは、オートバイ用として販売されている既製の肩パッド、接着用のグルーガン、幅広のマジックテープ、脱脂用の溶剤、一部を剥離するためのマイクロファイバー雑巾があれば誰でも作ることができる。

しかし、工作が苦手、あるいは面倒なことをやりたくないというロードバイク乗りが多いかもしれないな。

オートバイ用の肩パッドにも様々な種類があって、地肌に取り付けても違和感がない肩パッドは限られている。

また、サイクルジャージに貼り付けるマジックテープは、一般的なものだと洗濯後に剥がれてしまう。洗濯しても剥がれない業務用のものがあったりする。

かといって、それらについて予備的な試験を繰り返して、様々な状況でテストするような奇特なロードバイク乗りはいないことだろう。

そうか、サイクルジャージにマジックテープを貼るだけで使えるような状態にまで肩プロテクターをキット化して、原価に1000円くらいの手間賃を追加した状態でヤフオクやメルカリに出品したら、たぶん結構売れるな。

100セットくらい肩プロテクターを売れば、10万円の利益が出る計算だ。1日で20セットくらいは簡単に作ることができるわけだから、5日もあれば在庫が揃う。

今のうちに原材料を買い占め...いや、この窮状に乗じて金を稼ぐという気持ちになれないな。

暇があれば肩プロテクターの作り方を写真入りで録で説明してもいいのだが、おそらく何だかんだと突っ込んでくるブロガーやツイッター民が出てくるだろうし、サイトのアクセス数が増えても友達が増えるわけでもない。

ああ、快晴の日に実走で思いっきり走り回って、この後ろ向きな思考を天日干しにしたい。