2020/04/19

手作りの布マスクがほしい

あまり悲観的な録ばかり記すと自分自身の気持ちが落ちる。少しでも前向きになることができるような録を綴ってみる。


地震や台風といった自然災害の場合には、一過性の大きなダメージがやってきて、そこからの復旧を目指すわけだが、感染症の大規模流行の場合には、一過性で済まずに対応が長引くことが多い。

ウイルス感染症に限っていえば、病原体と人類との戦いにおいて人類が完全に勝利した経験の方が少ない。常に防戦を強いられている。

ウイルスに対する最終的な勝利とは、そのウイルスを世界中から駆逐することだ。では、人類はどれだけの数のウイルスを根絶することができたのだろう。

ワクチンや抗ウイルス薬を開発して人々を守っているわけだが、それらは防御に他ならないし、本当の意味で人類が勝利した病原体という意味では天然痘やポリオ等、数えるくらいしかない。

古くからワクチンが開発された狂犬病でさえ、犬や野生動物に感染した形で存在し続けている。

私のようなオッサンの場合には、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)やエボラウイルスが世界に出現した時のことをよく覚えているが、それらのウイルスとの戦いはまだ続いている。

それらのウイルスも人類に対して大きなダメージをもたらしたが、新型コロナウイルスのように全世界の経済にまで打撃を加えるタイプのウイルスは珍しい。不思議なウイルスだ。本当に野生生物から人に感染する形で広まったのだろうか。

それと同時に、毎日のように報道される新型コロナウイルス感染症は、行動制限も加わって人々の心を疲弊させている。

人の心は誰でも長期的なストレスに耐えることができるほどに強くはないし、情報が不足している状況では、頭の中で不安や恐怖がループして、さらに疲れてしまうことだろう。

新型コロナウイルス感染症の感染爆発、いわゆるオーバーシュートの危険性が高まっている状況で市民が行う最強の方法とは、家から出ないことだ。

このウイルスは自らの力で家の中まで入ってくることはできない。もしもウイルスが家の中に入ってくるとすれば、それは宿主である人間に感染した状態で家の中に入ってくる。

とはいえ、都市封鎖や外出制限の期間が長引くほど経済活動が停滞し、生活に苦しむ人々が増える。もちろんだが社会全体に被害が広がる。

どうしてこのようなウイルスが世の中に出現したのだろう。半年前は平凡な日々だったのに。泣き言を言っても始まらないな。

新型コロナウイルスによる打撃が世界中を襲い、ウイルスと人類との戦争が始まった。これを第三次世界大戦と例える国家のリーダーは珍しくない。

各国では多数の犠牲者が出ており、何とかして感染症を食い止めようと必死になっている。

また、このウイルスは個々の体内で病態を生じるだけでなく、時に無症候あるいは風邪程度の症状というステルス状態で感染を広め、さらには医療を崩壊させ、社会や経済にもダメージを与えるという厄介な病原体だ。

人類の英知が生み出したポリメラーゼ連鎖反応(PCR)という鋭敏な検査技術を用いて、ウイルスを捕まえて感染症を封じ込めるという戦略が執られたわけだが、新型コロナウイルスはPCRであっても検出が難しい場合があるという絶望的な性質を有していた。

私たち人類は、様々な科学技術、ネットによる情報、および世界レベルの交通網といった利便性や豊かさに慣れてしまっていて、古くから脅威となっていたウイルス感染症の恐さを真正面から受け止めていなかったのかもしれない。

以前から呼吸器感染症に対してのマスクの是非が議論されてきて、欧米では否定的な意見が優勢だった。WHOでさえ健常人がマスクを着用することに意味がないと堂々とアナウンスしていた。

しかし、新型コロナウイルス感染症の場合には誰が感染者なのか分からない時がある。

自らが感染しないようにという手段だけではなく、周りに感染を拡大させないようにという手段としてのマスクの意義が見直された。

すでに戦時下のような状況で、様々な批判を浴びているWHOのアナウンスに各国が耳を傾けている余裕はなく、とにかく効果があると思われる取り組みを積極的に行うという判断だろう。

ただ、私なりにWHOを眺めてみると、この機関が全世界をリードする最先端の存在、あるいは最後の砦というイメージがない。

WHOに対する批判は以前からあって、この状況で不満が一気に噴き出したというだけの話だろう。この機関は、医療機関でもなく、研究機関でもなく、一言で表現すれば役所だな。

各国の専門機関に要請して助けてもらわないと、WHOだけでは満足な調査研究さえ難しい。実際には助けてもらっているはずなのに、それがシステムだと言わんばかりの態度では、緊急時には各国からの支援が難しくなる。

しかも、WHOからのアナウンスの多くが周回遅れの斜め上の意見とまでは言わないが、それらに従うよりも逆に向かった方が結果的に正しかったという事例が結構ある。

WHOのトップが緊急事態ではないと主張していた時期は、すでに緊急事態だったわけだし、健常人にマスクは必要ないと言っていたが、欧米はアジアと同じようにマスクの着用を推奨している。

日本のマスコミはそのような状況を理解していないのか、もしくは市民に知らせたくないのか、「WHOがこう言っている、日本は駄目だ」とか、「WHOはこう言っている、日本は遅い」とか、そのようなニュアンスが多い。

次から次にマスコミの意見を代弁してくれそうな知識人らしき人たちが登場するが、そもそも彼らは感染症に詳しいわけでもないし、普段から日本に対して以下略。

WHOに限った話ではなく、権威主義で多くの人たちを納得させようとするのではなくて、現実を直視して自分たちで考えた方がいい。WHOの職員はもちろん優秀な人が多いだろうけれど、よく考えてみれば分かる。

臨床面で非常に高い能力を有していれば、WHOではなくて医療機関で患者を助けているだろうし、研究面で非常に高い能力を有していれば、WHOではなくて研究機関で研究に専念していることだろう。

PCR検査について様々なことを言っている人たちがいるが、WHOにおいて実際にPCRを臨床検査レベルで使いこなしていた人がどれくらいいるのだろう。

国際的な舞台で自らの能力を活かしたいという人材がWHOの職員として頑張るというベクトルは間違っていないと私は思うわけだが、WHOだからといって最先端の技術を持っていたり、間違いのない的確な判断を行ったり、ブレークスルーをもたらす革新的な戦略を思いつくというイメージは虚像だと思う。

翻って、我が国では各世帯に対して2枚の布マスクを配布するという戦略が展開されて、正直なところ私も驚いた。

このアイデアは、厚生労働省によるものではなくて、他の省庁の関係者によるアイデアなのだろうか。

今回の新型コロナウイルスへの対応において、厚生労働省は感染症の専門家からの情報に基づいて戦略を立てているはずだ。各世帯に布マスクを配布すべきだと主張した専門家がいたようには思えない。

各世帯にマスクを配布するための費用は466億円程度と報じられており、額としてかなり大きい。すでに配布が始まっているので軌道修正は困難だ。

その現実を鑑みてポジティブに考えれば、二つの意味があったと思う。

その一つは、国民に対する直接的な感染症対策への呼びかけ。

「この布マスクでも効果があるのなら、サージカルマスクを買うために並ばなくても、自分でマスクを作ればいいじゃないか」という気持ちになる人が増えたかもしれない。

ネット上には様々な情報が乱れ飛んでいて、実際に手作りの布マスクを使っている人たちは多い。けれど、本当に自作のマスクで大丈夫なのか、工業製品の方が安心ではないかと不安になる人が多いことだろう。

実は、布マスクの裏側、あるいは布と布の間に不織布を切って挟むだけで、サージカルマスクと同じ程度のマスクを用意することができたりもする。

不織布はバラ売りで安く売られている。手作り用のマスクの素材や型紙も、最近では市場に出回っている。

鼻の部分の隙間が気になるようであれば、針金を買ってきて自作マスクの鼻の部分に縫い込めばいい。

WHOが理解しているのかどうか分からないが、新型コロナウイルス感染症に対するマスクの意義について、本質的な利点を考えれば分かる。

目の前から新型コロナウイルスを多く含んだ飛沫やエアロゾルが飛んできて、マスクを通過して呼吸器に入るという状況は、患者を診たり検査を実施している医療関係者ならばありうることだろう。

そのためにN95といった規格のマスクが使用されているわけだ。フェイスシールドやPPEという防護服も必要になる。

しかしながら、一般の人たちが適度な距離を保って生活している場合には、飛沫やエアロゾルを浴びるリスクは下がる。おそらく、このような点を考えて、WHOは健常人がマスクをすることに意味はないと堂々とアナウンスしたのだろう。

そのアナウンスは結果として正しくなかったと思う。新型コロナウイルスは固体に付着しても、かなり長い時間にわたって感染性を維持することができるタイプの病原体だった。

すなわち、新型コロナウイルスが付着した場所を手で触って、そのまま鼻や口を触らないという防御においては、マスクを装着することが役に立っているはずだ。

人は無意識のうちに顔を触る性質があるし、手を洗うことが感染予防に重要だという知見もその機序によるものだろう。

さらに、このウイルスの場合には、無症候で感染した人から他者に感染を広げないことも重要であり、自分からウイルスを含む飛沫を周りに広げないという目的であれば、布マスクあるいは自作のマスクで用が足りる。

政府から各世帯に配布された布マスクが気に入らない、あるいは使い勝手が悪いということで、手作りの布マスクを手に入れるか自作して、そこに不織布を挟めば、マスク不足のことを全く気にしなくてよい生活が待っていると思うと、少し気分が上向く。

各世帯に2枚の布マスクが配布されるという取り組みは、それ単体では何だそれはという話になってしまうかもしれないが、全国民に対してマスクの大切さを強烈に伝える上では、意味があったと思う。

加えて、各世帯への布マスクの配布において意味があったと思うことが、もう一つある。

それは、政治や行政について関心を持つこと。

政治活動をすべきだとか、役所に突撃すべきだと言っているわけではない。感染症に限らず、また布マスクの配布に限らず、市民一人ひとりが国のことや街のことについて真正面から考えていれば、政府や自治体の取り組みが違ったかもしれないなと感じはする。

政治が良くない、行政が良くない、そのように指摘をすることは容易だ。

しかし、国のことどころか、自分たちが生活する街のことでさえ関心がない市民がとても多い。

政府からメーカーにマスクの増産を要請しなかったのか。もちろんだが要請したことだろう。しかし、需要があまりに大きい。医療機関のためにサージカルマスクを確保する必要もある。

行政に頼り過ぎず、市民一人ひとりがマスクを備蓄していればもう少し余裕があったのかもしれないし、今になって言っても仕方がない気もする。

また、マスクだけではなくて日本の企業が販売する多くの工業製品は、中国等の外国で生産されている。

私たちは同じ機能であればより安い製品を望むし、企業としてもコストカットを図り利益を追求する。日本の社会はそれが普通のことになっていた。

その構図を政府からの要請だけで短期間で変えることは難しい。企業と政府との関係を詳しく学べばすぐに分かることだ。

何とかしてマスクを国民に届けようとして万策尽きて、金がかかっても布マスクを届けるんだという状況になったのだろう。

そして、我が国のリーダーが布マスクを付けて人の前に出た。

彼の姿を見て、私は滑稽だとは感じなかった。

欧米のメディアから揶揄されたこともあったようだが、そもそもマスクを付ける習慣がなくて、今になって慌ててマスクを付け始めた欧米の人たちにとやかく言われる筋合いはないと私は感じた。

ただし、現状について深刻な気持ちになった。

このような舵取りをしなくてはならない状況にまで発展したのは、誰の責任なのだろうか。

国家のリーダーや政治に携わる人たちだけの責任だろうか。あるいは行政に携わる人たちだけの責任なのだろうか。

もしも、マスコミが市民たちから大きな信頼を受け取っていたり、市民からの意見がネットを介して政府や自治体に双方向に送られるようなシステムがあったなら、もっと別の選択肢があったのだろうか。

もはや余裕がないかもしれないが、病原体の研究者たちが、新型コロナウイルスに対するマスクの機能性を早い段階で調査して、サージカルマスクの代替になるような手作りのマスクについて科学的な根拠を得たとする。

自治体やマスコミを介して、その手作りのマスクの作り方をより多くの市民に伝えたとする。そのような流れが生じていたとすれば、各世帯に布マスク2枚を配布するという必要はあったのだろうか。

そうか、使い捨てのサージカルマスクを大量生産するというスタイルには限界があるわけだから、「日本企業が開発した特殊素材を用いて縫製され、サージカルマスクよりもフィルター機能が高く、さらに何度も洗濯が可能なマスクを配布します。足りなければ有料で手に入れることや、自分で手作りすることも可能です」という体制が整っていたら、社会の混乱は少なかったかもしれない。

国民の多くがあまり喜んでいるとは思えない布マスクではあるけれど、この配布の背景に多数の人たちの努力が見える。

可能な限り低コストで、可能な限り迅速に全世帯に配布しようと頑張ってみたけれど、結果としてこのような受け取られ方になってしまったわけで、どうしてこうなったのかと気の毒になる。

だが、この非常事態を考えると、それぞれの反省点については収束してきた時に再検討し、まずは感染の拡大を抑えることを優先する必要があると思う。

サージカルマスクが不足している状況で、「実際には手作りのマスクでも構わないのではないか?」と市民が気付いたのであれば、布マスクの配布に意味があったと信じたい。

実は、私自身、マスクといえばサージカルマスク、あるいはN95マスクであって、布マスクにはあまり有用性を感じていなかった。

一方、子供たちのための使い捨てマスクが尽きてしまい、店頭や通販でも手に入らないということで、妻が布マスクを手に入れて子供たちが使っている。

今回の布マスクの配布の報道を知り、改めて子供たちの布マスクを確かめてみた。

布マスクのフィルター機能はウイルスが楽に通過すると言っている医師がいたりするが、何層にも重なった分厚い布なので飛沫やエアロゾルをトラップするには十分なのではないかと感じた。

また、布の間に不織布を挟み込むスペースは十分にある。不織布だけなら楽に手に入る。

同じことを考えている人がたくさんいるだろうなと思っていたら、ネット上では、そのような工夫をしている人たちがたくさんいた。

都道府県レベルでは、実際に手作りのマスクを付けて記者会見に臨んでいる知事の姿を見かけた。

とある県の知事は、奥さんが手作りで縫ってくれたマスクを付けていて、とても羨ましく思った。このマスクは格好がいい。

ウイルスが広がって苦しんでいるという悲壮感がなくて、むしろ、「マスクなんて足りなくても、ウイルスとの戦いに負けるわけにはいかない」という強い意志を感じる。

サージカルマスクが足りなくて医療機関や県民が困っている時に、リーダーがサージカルマスクを使っている場合ではないという男気を感じるし、奥さんがリーダーのことを思いやって支えているという夫婦愛も感じる。

この非常時では、強いリーダーの言動は市民の心に深く刻まれる。夫婦の結束も美しく映る。

妻にそれとなく手作りマスクについて話してみたところ、「ミシンを使えないから無理」という短い言葉が返ってきた。ならば仕方がないとヤブヘビにならないように私はあっさりと引き下がった。

ここまで来ると、妻が縫ってくれたマスクか否かは関係なくて、職人がオーダーメイドで作ってくれたような布製のマスクが欲しくて仕方がない。

これは一品物を欲しがる私の嗜好によるものだ。量産されたカーボン製ではなくて、独特のカラーリングを施した鉄製のロードバイクに乗ったり、職人が私のために素材から選んで手で組んでくれたホイールを好んだり、まあそういったタイプの人間なので、手作りのマスクが欲しい。

マスク前面のデザインは或県知事の布マスクで十分に完成されているな。たぶん、装着している本人が男前ということもあるのだろうけれど。

できれば洗っても縮まない水着あるいは剣道の胴着のような生地で作られていて、ガーゼマスクのように二重構造になっていて、その部分に不織布や活性炭フィルターを取り付けることができるマスクならば、さらに素晴らしい。

そうか、別にサージカルマスクのようにゴム紐で固定する必要もないわけか。実際の武士や漫画のナルトが付けていた額当のように、後頭部に紐を回して縛るスタイルの方が格好がいい。

それも、外科のオペで使うマスクのような二点縛りではなくて、マスクから後頭部の紐まで一枚の布で作られているような。

外出自粛でも出勤せざるをえない時に、鏡の前で両手を頭の後ろに回して、気合を入れながら紐を縛ってマスクを固定する感じが、武士や忍者のようで素敵だな。

私の思考がどこに向かって進んでいるのか分からなくなった。

たぶん疲れているのだと思う。