2020/04/15

1万5千円の公園遊び

上からの指示とはいえ、夫婦共働きと複数の子供の子育て、さらには感覚過敏を抱えた私の在宅勤務は全く捗らない。できれば前線で燃え尽きるまで働きたい。なぜにこのような状態でバックアップとして待機せざるをえないのか。


自室をネットカフェのように変えてみたものの、家から出られない子供たちの声がうるさくて仕方がない。

とはいえ、子供たちとしてはとても辛いだろうし、義実家には子供たちを預けたくない。それは私の意地でもある。

団塊世代の義父は心臓に疾患を有している。一時は病態が悪化して死ぬところだった。人は自分や家族が助かるためには言葉通り必死になるものだ。

せっかく助かるように私の財産を使ったのに、元気になった後はこの調子。新型コロナウイルスに感染するリスクを避けるために高齢者は外出を自粛してくれと再三アナウンスが流れているのに、義父は我慢することができずに出歩いている。

家の中でじっとしていられなくて、外に出てしまうという性質はきちんと妻にも遺伝していて、我が子たちに遺伝している。この落ち着きのなさは大したものだとインドアな私は思う。

この状態で義父が新型コロナウイルスに感染して重篤化し、人工心肺等が取り付けられて血栓が生じたら命取りだ。子供たちに新型コロナウイルスが無症候性に感染していて義実家で広めたら大変なことになる。

関係の善し悪しに関わらず、家族や親戚のリスクを減らさねばならない。

妻はどうしても在宅が難しいということで都内に出勤し、私が子供たちの面倒を見ながら自宅で仕事をすることになった。共働きであれば、この状況は想定内ではあるが、無理だろ、どう考えても。

妻が不在の状態で、夫がワンオペで複数の子供たちの面倒を見ること自体が大変なのに、それに加えて通常と同じレベルの仕事をテレワークでこなすなんて、そもそも不可能だろ、どう考えても。

いざ仕事を始めても全く集中することができない。

しかも、マンションの上の階の世帯の未就学児がいつも通り走り回って騒音と振動を発生している。

この子供の親は、階下に人が住んでいるのに迷惑を考えないのだろうか、どうして子供を躾けないのかと最初は思っていたのだが、実際にその子供を見てみるとおそらく躾けること自体が困難だと私は諦めた。

むしろ、現実を受け止めきれているとは思えないその夫婦の気持ちが気の毒になった。

これは厳しいと思ったので、職場であれば昼休みに相当する時間帯に子供たちを連れ出して、新町を軽く回るサイクリングに出かけることにした。とにかく子供たちのストレスを発散させるよりほかはあるまいと。

新町エリアは相変わらず市民が街に出ていて、外出自粛の取り組みがどこまで浸透しているのか分からない。

私だって他者のことを言えるほどには立派ではないな。子供がいれば仕方のない話ではあるが、ずっと自宅に子供が待機して我慢することができるはずもない。

目の前をサッカーの練習姿の若者たちがマスクもせずに集団で歩いている。近くの私立大学の学生たちだろうか。だとすれば、サッカーよりも勉強を優先した方がいいと思う。

これから確実にやってくる不況の中では、就職すら難しい大氷河期の到来が予想される。その中で少しでも終活で優位に立ち、生計を立てるために取り組むべきは、サッカーではなくて資格や技能だ。

Sランクだとか、Fランクだとか、卒業した大学をもって人間にレッテルを貼ることは間違っている。

官庁や企業等の採用試験において、あるいはその後の人事において分かりやすく若者たちを選別するような手段として使われていることは否めないし、高度成長期から続くくだらない価値観だ。人の幸せがそんなことで決まるはずはない。

銀杏の紋章を持っていても苦悩して死にかけているオッサンだっている。

ただし、この社会は必ずしも中身で判断されるように作られてはいない。客観的に見て評価されうる生きるための武器を手に入れる必要がある。私は良い歳をこいたオッサンだが、これから始まる荒波は想像することができないくらいに激しいものだと思う。

若者たちは、その状況で生き抜いていかなければならないと思うと、とても心が痛む。今はただ、サッカーを楽しんで良き時間を過ごせばいい。

それにしても、団塊世代、あるいはその子供に該当する団塊ジュニア世代の中高年男性たちは、どうしてマスクを付けない人が多いのだろうか。

ウイルス感染症に対する勝利の道筋は見えてきて、その大きな切り札は市民の行動変容だ。大して難しいことではない。家から出ない、出たとしても集団に入らない、マスクを付ける、手洗いをする。

しかし、会社の都合だとか個人の欲だとか、そういった人間的な要素が足を引っ張ってしまう。

実際に脅威に呑み込まれて苦しまないと、この人たちは学ぶことができないのだろうか。

そういった暗い思考を続けながら、新町の街沿いから海沿いに向かう。子供たちは外に出られて楽しそうだが、私は遅れに遅れている仕事が気になる。

切羽詰まった状況下で、一体、私は何をやっているのだと。妻は当然のように出社してしまったが、私の仕事のことはどのように考えているのだろう。

高洲地区にある高洲海浜公園の近くに差し掛かった時、私は目を疑う光景を目にした。

公園の前の道路に数十台の自家用車が並んで駐停車している。しかも習志野ナンバーだけでなく足立ナンバーが多い。

どうして足立ナンバーなのか?

なるほど、新型コロナウイルスへの対策として、都内の公園の多くが閉鎖されたという話は知っていた。そして、浦安市の公園は未だ利用が可能になっている。

東京都と比べて千葉県の対応は一歩遅れた感があって、県の対応は浦安市を含めた基礎自治体にも影響を与えている。むしろ、浦安市は千葉県よりも先に対策を考えて矢継ぎ早にアクションを起こしてくれた。

しかし、浦安市が市民のためを思って配慮した部分に乗じて、自らの欲求を充たそうとする他の自治体の人たちが千葉県にやってきたということか。

クチコミかSNSかは分からないが、人は自らのメリットのためには知恵を働かせるものだな。

浦安市内の海沿いの公園に人が密集していて、これでは新型コロナウイルスの感染拡大のリスクがあるということで、公園の駐車場が閉鎖された。

浦安市としては玉虫色な対応だと言われるかもしれないが、外出を自粛している市民にとって、外気や日光と触れたり、運動する場として公園を閉鎖しないという方針なのだろう。それは分かる。

ただ、そういった市民に対する浦安行政の心遣いを上手く利用して、他の自治体から市民が自動車に乗って新町の公園にやってくるということだな。

公園の状況を観察する限り、その人たちは子育て世代ばかりだ。子供が自宅にいると不機嫌になるが、近くの公園は閉鎖されている、もしくは狭いということで、浦安の新町の大きな公園で遊ばせようと考えたのだろう。

ただ、自動車に乗って新町の公園にやってくるのは他の自治体に住む人たちだけではなくて、浦安を南北に縦断する陸橋から向こうの人たち、つまり三社祭で盛り上がる元町近辺の市民もいることだろう。

浦安の北部と南部はバスのアクセスがあまり良くないわけで、マイカーで新町に行って路駐すればよいではないかという考えなのだろうか。

そういった人たちにおいては、あまり物事を深く考えていないかもしれないが、決して忘れてはいけないことがある。

新町の人たちは、一見すると理知的で啓蒙されているように感じるかもしれないが、気性があまり穏やかではない。頭の回転が速い人がキレると大変に手強い。

公園の駐車場が閉鎖されているのであれば、公共交通機関で公園を訪れることが大人としての常識だ。面倒だからといって車道に自動車を路上駐車して、自分たちの「我」と「欲」を充たすということは適切ではない。

自分の子供たちの前で親が法律違反を犯しておきながら、その子供はルールを守らない親の背中を見て育つ。これはいけないな。

予定調和ではあるが、我が町の秩序を乱す人たちが新町にやってきたことに怒りを感じた市民がいたらしい。

確かに、この状況で警察を呼ばれたら、違反切符を貼られる前にマイカーまで戻ることは不可能だ。

110番通報等がなされて警官が出動したのだろう。一陣の疾風のように千葉県警の白バイが公園の前に走ってきた。

「おやおや、始まったな」と思いながら、子供たちと一緒に高洲海浜公園を抜けて総合公園に差し掛かった。

そして、総合公園の前にもおびただしい数の自動車が路上に停まっていた。

やはり、このような欲を発露した子育て世代の姿を気に入らない市民がいて、浦安警察署に通報したのだろう。

今度は白バイではなくて、何人もの警官が乗ったパトカーがやってきた。

私は休憩がてら、総合公園の自販機でピーチネクターを購入して子供たちに与え、一緒にベンチに座って取り締まりの光景を眺めていた。

「いいか、どの社会にもルールというものがある。それを守るから社会が成り立つんだ。しかし、親であってもそれを守れない人たちがいて、こうやって社会から罰を受けるんだ」と子供たちに説明した。

新町エリアの公園の前に集まっていた自動車は、警察がやってきて蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。タチが悪いのは両親で子供を連れてやってきて、一方の親が車内で待機しながら子供たちを遊ばせている人たちだな。

これでは警察が路駐として仕留めることができない。新町エリアの市民としては車道の一車線を塞がれるのでとても迷惑だ。

しかし、油断していた人たちの自動車には次々に違反シールが貼られていた。高洲海浜公園と総合公園だけで、10台以上の自動車が切符を切られたことだろう。

中には、「今、荷物の降ろしているところなんです」と誤魔化すつもりだろうか、ミニバンの後部ドアを全開にして路駐している人がいて、その車にも容赦なく違反シールが貼られていたことには失笑した。

私はただの通行人でしかないが、それにしても気の毒だな。

それが本当に在宅勤務なのかと感じてしまうが、父親が子供たちを連れて浦安の新町の公園に自動車でやってきて、そこで路駐したとする。

そして、今回のように違反切符を切られたとする。その罰金は1万5千円くらいだろうか。

凄いな。たった一回の公園遊びで、ディズニー程ではないが多額の出費がやってきて、しかも免許は減点だ。

そのような公園遊びを提案したのが父親本人だったなら、まあそれも仕方がないと諦めもつくことだろう。しかし、母親がリードする形で公園遊びにやってきて、切符を切られたとすれば、夫婦喧嘩の引き金になるな。

1万5千円もあれば、テイクアウトやスーパーの食材購入であっても腹一杯のご馳走を食べることができたはずだ。公園に行って子供たちを走らせたり、ボールで遊ぶという内容でこれだけの出費は痛い。

さらに、路駐シールを貼られた自動車の中には、一台の車に複数のママさんと子供たちが連れ立って公園にやってきたケースも見受けられた。ああ、車を出て海沿いの公園に入った瞬間に路駐切符を貼られたのかもしれない。

この状況は厳しい。ママさんたちが子供と一緒に自動車に戻ってきて、違反シールを見かけた時の凍り付く空気と、ママさんたちの間で交わされる奇妙な会話のテンションを容易に想像できてしまう。

罰金を折半するとか、まあそのような話し合いになるのかもしれないが、それまでゴールド免許で保険の特約があったなら、それもなくなって罰金どころの話ではないし、路駐してでも公園で遊ぼうと言い出した人が自動車の所有者なのかどうかでも話が違ってくることだろう。

切符を切られたママさんは、自宅に帰って夫からの叱責を浴びるかもしれないな。「毎日、発泡酒やストロングゼロで我慢しているのに、公園遊びで1万5千円だと!?」と。

浦安の新町の恐さを知らなかったのだろう。今後も徹底的に路駐の通報がなされて、たくさんの家族が取り締まりを受けるだろうな。

ああ、気の毒だ。

それにしても、新型コロナウイルス感染症の脅威によって各国が戦時下の対応を執っているにも関わらず、我が街の近辺は暢気なものだ。

社会情勢を気にしているのか分からないくらいに個人が「我」と「欲」を発している。これは社会における教育水準の低下によるものか、あるいは道徳の減衰によるものか。

今回の脅威は、個人的な健康だけの話ではなくて、経済的な打撃が凄まじく大きい。経済について言えば東日本大震災やリーマンショックどころではないダメージがやってくる。

それでも世の中は路駐して公園遊びなのか。

市民のためを思って公園を閉鎖せずに耐えている浦安の行政の気持ちを考えると、なんともやり切れない気持ちになる。

ところで、市内で迷惑な路上駐車を見かけた時、切符を切ってもらうことはあまり難しくない。これは保育園で問題となっている保護者の路駐にも通ずる。

通報から警官の到着までにドライバーが戻ってくることが明らかに困難だと考えられる自動車にターゲットを絞る。必要に応じてカーナンバーを記録しておくと警官が自動車を見つけやすい。

それと、所轄の警察署が路駐に対して110番を受け付けてくれるのかを事前に尋ねておく。

千葉県警の浦安警察署はとても良心的で、路駐であっても110番通報を受け付けてくれる。

電話をかけると、オペレーターから「事件ですか?事故ですか?」と尋ねられるので、「事件です。路上駐車を見かけました」と答えて、大まかな場所を伝える。

すると、オペレーターがさらに具体的な場所を聞いてくれるので、それに答える。電柱の番号とか、看板とか。市内の施設であれば住所を説明する必要はない。この時点ですでに警官が現場に急行してくれる。

浦安はコンパクトな街なので、警察署等から警官が現場に到着するまでの時間はとても短い。路駐だけではなくて、自動車の中にドライバーが乗っていても、道路上で迷惑だという通報が入ればクリアしてくれる。

110番通報については、その対応について浦安警察署の幹部も目を通してくださるはずなので、現場の警官としても適当な対応は許されない。そもそも浦安警察署の人たちはとても真面目で努力家だ。

110番で通報することに気兼ねがあるのなら、浦安警察署の代表電話に通報するという方法がある。

この場合には、路駐に対して地域課もしくは交通課が対応すると思うのだが、できれば地域課ではなくて交通課を希望した方が事が進む。なぜなら、地域課の場合には以下略。

しかし、交通課ではなくて地域課が対応することになって、現場までの到着に時間がかかり過ぎたり思ったように対応してくれなかったら警務課というところに以下略。

これは三番瀬辺りの迷惑駐車でも適用しうる。

自らの我や欲のために、その地域の人たちに迷惑をかけても構わないという道理は通用しないし、法に従って罰を受けることになる。それが社会のルールだ。

さらに、私たちは新町の住民だ。この街の秩序を壊す人たちがやってきたら、新町の住民が守る必要がある。

....といったことを書くとネット上で中傷を受けるかもしれないが、私は警察について詳しい。弁護士の同級生もいる。

いけないな、在宅勤務が捗らなくて気が立っているようだ。