2020/04/12

在宅用の書斎と巣ごもり

「これは凄い...」と思わず声が出る。日東社製のシートポストS84をスピンバイクのパワーマジックに取り付けたところ、今までのポジションの悩みが解消された。


ロードバイクに乗る際のポジションは走り方や骨格、筋力、柔軟性等によって人それぞれで、私の場合にはサドルを後ろに引いた状態を好む。

パワーマジックの場合にはシートチューブの角度が立っているからなのか、普通のシートポストではサドルの後退幅が足りず、前のめりになって重心を手で支えていた。

これがロードバイクならペダルに重心を移すことで少しは何とかなるのだろうけれど、フリーハブではないスピンバイクの場合には特に低負荷の場合に足が回り続けるので、余計に手首に負担がかかる。

両手首はかなり酷い腱鞘炎で、さすがに厳しいなと感じていたら、日本のメーカーによってセットバックが37mmもあるシートポストが販売されていることを知って私は喜んで購入した。

サイクリストでなければ意味不明かもしれないが、ロードバイクであれば、シートチューブから後ろに4cm近く後退したシートポストが必要になるのは、そもそもフレームのサイズが身体に合っていない状況だと思う。

昨今のカーボン製のロードバイクであれば、セットバックが0cmか、あっても1cmくらいだろう。しかし、クラシックなスタイルのクロモリ製のロードバイクの場合には、どうしてもサドルを後ろにずらしたい時がある。

S84のシートポストは、これだけセットバックさせても折れないようにクロモリ製でとても重厚に作られている。質感もあり、機能的にも価格的にも文句の付けどころがない。

ありがとう、日東。

さて、新型コロナウイルス感染症が世界に広がり、国内でも大都市を中心として緊急事態宣言が発令されている。

それは結果論かもしれないが、新型コロナウイルスの恐いところは、病態そのものに加えて、人々の心の中や社会の歪みさえ浮かび上がらせてしまうような露骨さにあると思う。

人々の心の中について言えば、知性や道徳といったポジティブな側面は少なく、ネガティブな側面の方が多い。

平時であれば、まあ仕方がないなと流していたようなことであっても、脅威が迫っている状態では否が応でも受け取らざるをえないこともある。

社会について言えば、国や街のことを本当に大切に考えている否かについて、それぞれの集団がリトマス試験紙のように分かりやすく色づけされた。

今回の新型コロナウイルス感染症において、最も残念だったのはテレビを中心としたマスコミによる情報発信。

とりわけワイドショーによる偏った内容、あるいは自称専門家による事実誤認のコメントは、多くの人たちに間違った先入観を植え付け、不安を増大させていると思う。

今はそんなことをやっている場合ではないのだけれど、実際に深刻な不況が訪れて、スポンサーからの収入が激減した後でしか反省しないのだろう。

また、個人レベルで考えた場合、これほどまで大きな脅威が迫ってきたにも関わらず、自分のことばかり考えて行動する人たちがいかに多いことか。

医師や研究者、行政、一部の民間企業等が必死に日本を守ろうとしているのに、自粛要請に応じずに出歩く人たち。ネットで罵詈雑言を飛ばす人たち。足を引っ張って困るのは自分たちだ。

私が子供の頃、日本は平和に慣れすぎてしまっていると、かつてのシニアたちは若い人たちを眺めて嘆いていたことがあった。

その当時の若い世代が、今、シニアになり、平和とは言えない危機に直面している。

私たちの世代はどのようなシニアになるのだろう。

外出自粛と言っても、小学生の子供を育てていると、どうしても外に出さないと子供たちが自宅で機嫌が悪くなる。妻も不機嫌になって収拾がつかないことはある。

そこで、休日に子供たちを一人ずつ連れて新町エリアを自転車で走ってみた。

シンボルロードこそ人が少なかったけれど、総合公園はむしろ普段よりも人が多く、マスクを付けていない姿が目立った。

ふと海の方を見渡すと、緊急事態宣言が発令されているのに潮干狩りで貝を探す人たちの集まり。

大量の貝をバケツに入れて自転車に乗って走る家族から中国語が聞こえてきた。市外の人たちだろうか。

堤防のすぐ近くを浦安市の消防車が走っていて、「不要不急の外出を控えてください!」とアナウンスしているが、多くの人たちの耳には入っていないことだろう。

私が子供を連れて短時間ではあるが自転車で走っていることは、要でもないし、急でもないと言われればそれまでだが、世帯レベルでは要だな。

無理を続けると長丁場では我慢が続かなくなる。

公園等の人の集まりに入って行くわけではないし、店舗に入るわけでもないし、すれ違い様に他者から感染するようなウイルスでもないという判断だ。

小学校が休校し、小さな子供たちを自宅に閉じ込めたまま過ごすことは難しい。

むしろ、浦安の場合には海沿いの高級ホテルにリスクの高い人たちが滞在して守られた方が効果的なのではないかと思うことさえある。

ただ、ここまで社会が窮しているのにマスクもせずに出歩いてしまう人がいることは事実でもあって、それでもウイルスに感染して倒れたら病院で必死に助けを求めるのだろうなと思うと、何だかやり切れない気持ちになる。

他方、感染者のクラスター解析の結果、新型コロナウイルスがナイトクラブや風俗等の夜の街で広がっている可能性があり、調査自体が困難になっているという情報も発信されている。

それらの職業にも都合があることだろうけれど、本来ならば行政が介入するような話だと思う。けれど、そのような夜の街を楽しんでいる人たちの中にも以下略。

ただ、一つだけ言えることは、新型コロナウイルス感染症との戦争では、必ずしも最新鋭の機器や高度な医療技術が必要というだけの話ではなくて、市民の行動変容が重要になってくる。

私が居を構えている浦安市の場合、最近の行政は可能な限りの対策を用意して街を守ろうとしていると感じ、感謝している。

他方、千葉県の行政は心許ない感じではあるのだが、その行政を選択したのは千葉県民だ。今さら県のトップを批判したところで始まらない。

同じ千葉県民として言わせてもらえば、この県に住む人たちは政治や行政についてもっと真剣に考える必要があった。

では、浦安市が消防車まで使ってアナウンスしているわけだが、実際の浦安市民の行動変容はどうなのかというと、まあこれが限界なのかなと感じはする。

いつになったら収束するのか分からない感染症が世界全体に広がり、多くの人たちがストレスを抱えたまま生活し続けている。

最近では浦安市のツイッターに噛みつくような市民が現れているが、ストレスに耐えきれなくなってきたのだろう。

浦安市内でも新型コロナウイルス陽性が確認された市民が一人、また一人と増え、感染経路が分からない、あるいは公表されない患者が増えてきた。

それでも、浦安市の南北を通る柳通りやシンボルロードは多数の人たちを見かける。浦安市としては市民が家から出ないことをお願いしてはいるが、人の心にも限界がある。

1ヵ月くらいの間、人と人との接触を8割減らせば感染症が収束するというシミュレーションがなされているにも関わらず、その1ヵ月が異様に長い感覚がある。

このままの状況が何をもたらすのかと考えてみれば、浦安市内における感染者の集団、つまりクラスターの発生だな。

ただし、新型コロナウイルスの感染が確認された市民が自宅で完全に待機することができるのかどうか。法的な拘束力があれば話は別だが、その家族にとってはかなりの負荷がかかる。

それ以上に私が懸念しているのは、休園しているディズニーの再開。

ディズニーとしても経営を考える必要があるわけで、ずっと休園し続けるわけにもいかない。日本中にストレスがかかっていて、とりわけ若い人たちにフラストレーションが蓄積している状態でディズニーが再開したら、国内から浦安に向かって人が押し寄せてくるかもしれない。

その中には、新型コロナウイルスに感染していても無症候になっている人が含まれていることだろう。

市内に滞在している観光客の具合が急変して市内の病院に入院し続けると、浦安市民の医療資源が削り取られる。

観光客が地元の病院に転院することは容易ではない。その分のベッドが埋まってしまう。

そのような状況下で、浦安市は街や市民を守ることができるのか。春節で多数の中国人観光客が浦安市を訪れたが、市としての十分な防御は見られなかった。

「それは新浦安の話だよ」と思っている元町、あるいは本町と呼んだ方が適切かもしれない地域の人たちだって対岸の火事ではない。

新型コロナウイルスは人に乗って357号線の陸橋なんて軽く突破してくることだろう。

ディズニーも心配だが、現状として考えると浦安市民の行動変容はこれでは足りない。

隣接する市川市や江戸川区と比べると陽性者が少ないと感じている人がいるかもしれないが、このウイルス感染症は1~2週間という非常に短い期間でも感染を拡大して様相を変えてくる。

隣は東京都だ。のんびり構えている浦安市民が珍しくないようだが、クラスターが多数発生した時に慌てても遅い。

行政や医療のレベルで考えた場合、感染者が確認されて浦安市民が怖がる段階はすでに終わったと思う。

これからは浦安市民が実際にウイルスと戦うステージに入った。行政としても、いかに市民を自宅に留まらせるのか、併せて、重症化あるは重篤化した患者をどのように救うのかという段階にいる。

いつも思うのだが、浦安市長と市民とのインターフェイスが足りない。YouTubeや浦安のご当地テレビで、毎日、市長が市民に向けてメッセージを投げかけた方がいいと思う。

それと、消防車からやんわりと外出自粛を要請するよりも、市内に備え付けられた防災用のスピーカーから大音量でアナウンスを飛ばした方がいいと思う。

暢気に構えている市民ばかりではないと思うが、例えば、市内の新町エリアで大規模なクラスターが発生し、ヤオコーとOKストアが閉鎖したと仮定する。

これだけで、多くの浦安市民の生活が打撃を受ける。新町エリアの住民は食料や日用品を求めて新浦安駅付近にやってきてスーパーのレジに並ぶわけだ。元町で大規模クラスターが生じた場合も然り。

液状化によってライフラインを寸断されても街に残ったタフな市民が多いとはいえ、さすがに厳しい。

陸橋の向こう側の場合には人口密度がさらに高く、非常事態を経験したことがない人が多いことだろう。

市内に保健所もないような浦安行政は、感染が拡大した後でどのような一手を打つことができるのか。おそらく詰みだ。市民に気を遣っている場合ではないと思うが。

そのような状況にならないことを祈っていても始まらない。感染の拡大を可能な限り抑えながらも、医療機関の限界を考えておく必要がある。

市内にある大きな病院は、順天堂大学附属浦安病院と東京ベイ・浦安市川医療センターの2か所。両者だけで重症あるいは重篤な患者を守り切ることができるかどうか。

浦安市内の病院がパンクして、都内あるいは千葉県内の医療機関に助けを求めようとしても、おそらく余裕がなくなっていることだろう。

どこまで考えても悲観的になってしまうわけだが、市民としては、とにかく感染のリスクがある外出を止めることの方が重要だと思う。

この脅威は浦安市の行政が何とかしうるレベルをはるかに超えているかもしれないが、浦安市民があまり現実を受け止めきれていないように感じる。

買物でもないのに、マスクを付けずに出歩いている高齢者を見かける時は、特に。

まあ、私が様々なことを考えていても、他者の行動にまでとやかく言える立場にはないわけだ。とにかく、私を含めた家族が可能な限り負荷を溜めずに自宅に居られるような環境づくりが大切だな。

普段は自転車やスピンバイクを置いている物置部屋に小さなテーブルとパソコンを置いて、自宅でもある程度の私の仕事ができるように工夫してみた。

この在宅勤務の環境は、機能的には以前から希望していた私の書斎に近い。ここにベッドまで持ち込んでマイルームを作りたいところだ。

朝に覚まして、スピンバイクに乗ってペダルを回してリラックスした後、数分で仕事を開始することができる。サイクリストにとっては職場よりも働きやすいかもしれない。

そもそも私は職場でも朝に玄関を通ったら夜まで建物から出ないような生活を続けているわけで、部屋から出なくてもあまりストレスが溜まらない。スーパー等のレベルであっても人混みに入った方がストレスが溜まる。

在宅だけで全ての仕事をこなせるわけではないし、かといって全員が出勤して誰かが陽性になって職場が全滅する危険性を避けたいという方針もあったりで色々と悩ましいところがあるが、とにかくこの書斎は快適だな。

階上の世帯の未就学児が天井の上で相も変わらず走り回っているが、最近では子供ではなくて、大人が暴れているような音や振動が響いてくるようになった。おそらく夫婦喧嘩が勃発していることだろう。

これは私感だが、夫婦ともに自宅に居る時間が増えた場合、お互いが顔を合わせる機会を減らした方がいいと思う。

我が家の場合には、私がリビングにいるよりも書斎に引きこもっていた方が妻の苛立ちが少なくて安定する。

外出を自粛して夫婦喧嘩が増えるという状況は、夫婦が接触する時間が増えるという背景もあることだろう。我が家でも夫婦がずっと同じ空間にいると、交際時や新婚時代とは違って話が噛み合わずにお互いにストレスが溜まる。

私が自室に籠って気配を消せば、妻としてはストレスが減る気がする。

妻としては食事を作ることが面倒だと言っていたので、私の朝食はカロリーメイトで構わないし、夕食はファミチキとハイボールで十分なのだけれど、それを言っても妻がなかなか理解してくれない。

それと、子供たちを長期間にわたって家の中に閉じ込めておくことは、現実問題として不可能だ。ストレス耐性が非常に強くて、インドアが大好きな子供なら別かもしれないが、外に出てストレスを発散させる必要がある。

街中に子供たちが出ているからといって目くじらを立ててクレームを入れる高齢者が新浦安にはいるようだが、むしろそのような場所を高齢者がどうして出歩いているのかを私は知りたい。

高齢者のために若い人たちは我慢すべきだという考えを一方的に否定はしないが、テレビではなくてきちんとした一次情報を取り入れた上で主張する必要があると思う。

自分たちにリスクがあることが分かっていながら、マスクも付けずに人混みに入って行くことがいかに危険なことか。若い人たちがほとんどいない早朝ではなくて、わざわざ日中の混み合った時間帯に散歩を目的として外出する必要はあるのだろうか。

平時ならともかく、今は緊急事態だ。

子供たちについては、さすがに勉強だけをしていなさいと躾けるわけにもいかない。そうなると、オンラインの教材が必要になってくるので、端末としてiPadを用意してみた。

私はパフォーマやパワーブックの頃からアップル社の製品が苦手で、リンゴのマークを見ただけで、突然のフリーズによってデータを吹き飛ばしたトラウマがやってくる。なので、iPadがいかに優れた端末であっても、リンゴマークが嫌いだ。

「これだからマッキントッシュは....」とブツブツとしかめっ面をしながらiPadのネット環境を整えて上の子供に手渡した。

さすがデジタルネイティブな我が子だ。とても器用にタブレットを操作して、教育用の動画を見始めて大人しくなった。

そういえば、浦安市内には中学受験のための塾がたくさんあるが、浦安市内に限らず、新型コロナウイルスの関係で塾の閉鎖が相次いでいる。

難関中学への合格数で王者として君臨しているとある塾は、教材のほとんどが印刷物であり、実際の授業によって学習を進めるスタイルだ。

裏を返すと、そのようなタイプの塾はオンライン化が整っていなかったわけで、今回の閉鎖によって子供たちや保護者が困っていることが多いそうだ。ツイッター上でも指摘が投稿されていると妻が言っていた。

一方、平時からオンライン化を進めていた学習塾の場合には、実際の教室を閉鎖したとしても子供たちにネットを使って授業を行ったり、質問に答えることができたりもするわけだ。

中学受験に限った話ではないが、夏は受験の天王山と呼ばれている。しかしながら、今年から年明けに続く受験シーズンでは、夏ではなくて休校中の現在が天王山になっている気がしてならない。

受験生にとって、春の時期に出遅れてしまうと夏に学習内容や補習がずれ込み、結果として年明けの受験にまで影響するかもしれない。

このような場合には、学習塾もビジネスなので、保護者としてはさっさと子供を転塾させるという選択肢もありなのかなと思う。

子供たちについて言えば、何とか時間を工面してウイルス感染のリスクがない場所でのサイクリングに連れて行ってストレス発散だな。

幸いにも自転車が好きな父親の子供たちだけあって、自転車もサイクリングも好きなので助かった。

それと、私が自宅で仕事をしている時に子供たちが遊ぶことができる娯楽が必要だな。

任天堂のとあるゲーム機が好評だという話を耳にして、通販で買おうと思ったら転売屋が買い占めて高額で取引しているらしい。私はいつも思うのだけれど、転売については法的な規制が必要だ。

彼らとしても言い分があるだろうが、マスクにしても、ティッシュにしても、正常な売買の妨げになって社会を混乱させているだけだ。

社会に対する転売屋の貢献を感じられないし、法の穴を狙って利益を貪っている。

そういった人たちを一人ひとり捕まえることは難しいので、彼らが転売のツールとして利用しているネット上のオークションサイトや通販サイトに対して行政が介入すれば話は早い。

これらの企業としては、取引のマージンで儲けているわけだから、転売に対する規制が甘い。法的に禁止しない限り転売屋は生き残る。

このような転売も、新型コロナウイルスによる脅威によって表に出た社会の歪みであり、欲に支配された人の心の醜悪さだな。

新型コロナウイルスが広がって社会や人の正体が発露し、とても疲れる毎日ではあるけれど、市民が全力で取り組めば1ヵ月程度、全力が難しくても真面目に取り組めば3ヵ月程度で収束するという計算結果が出ている。

これからの経済が傾き、人によっては命に係わる事態ではあるけれど、この苦しみが人生を通じて続くと絶望的になる必要はない。

今はただ、自宅に籠って脅威が過ぎ去る時を待つことも大切だ。相手が病原体の場合には、この対応は決して守りではなくて、むしろ攻めの対応なのだと思う。

私がテレワークのために自宅にいる時間が増えると、おそらく妻は苛立つことが予想されるが、子供たちとしては普段から自宅にいることが少ない父親が家にいるので、少し嬉しいそうだ。

以前よりも子供たちが構ってくれる機会が増えた。子育てとは不思議なものだな。