サドルの相性とコロナ離婚
かといって喧嘩すれば引き返せないところにいるわけで、このようにストレスを減らすしかあるまい。在宅勤務に備えて高機能なマウス。2台のノートPCを繋げて、とりあえずデュアルモニター化するためのコネクター。
それとスピンバイクトレーニング用の飲料やプロテイン等。
私が自宅で仕事をすると、子供たちの自宅学習用の端末が明らかに足りないので、iPadを注文。
ああ、金がかかる。新型コロナウイルスに感染した人に罪はないが、このウイルスは一体どこから来たのだろう。
国家間の軋轢がエスカレートして軍事案件にならないことを願うばかり。
さて、夫婦の相性についての一般論を説くことは容易ではないが、私なりには男女がデートの最中に大きなデパートに入って、「1時間後にお互いがイメージする場所で落ち合おう」と別行動になっても、ある程度の予想がついて実際に同じ場所にたどり着くような関係が良き相性なのかなと思う。
例えが簡単なようで複雑だが、お互いのことを意識的に理解して気遣うとかそういった話ではなくて、自然に感性が合う男女が夫婦になると、そこからの生活は新婚だけではなくて子育てに入っても楽なのだろう。
とはいえ、確率論的に考えればそのようなカップルが成立すること自体が希で、男女ともに様々な不満や葛藤を抱えながら夫婦生活を送ることになるはずだ。
むしろ、遺伝子の多様性を考えればタイプが異なる男女が魅かれ合うという仮説が提唱されていたりもして、自分と異なる感じ方や考え方を持った異性を気に入り、生殖というステージを越えて夫婦喧嘩が絶えなかったりもするわけだ。
新型コロナウイルス感染症が世界中に広がり、国内では嘘か本当か「コロナ離婚」というキーワードがネット上で浮上している。
この場合、新型コロナウイルスは離婚の引き金というだけの意味合いで、実際にはすでに夫婦関係が破綻する状態が続いていたという話ではないだろうか。
もしくは、感染症による不況で収入が減って、経済面での夫婦喧嘩が勃発している、あるいは在宅勤務で夫婦の時間が増えて逆にストレスが蓄積されるという話だろうか。
新型コロナウイルスはとても不思議なウイルスだな。器質的な疾患としては肺炎を中心としたダメージを生じる。
一方で、人々の精神において機能的なダメージを生じるタイプの病原体でもあるように感じる。
かつて流行したSARSというコロナウイルス感染症は、感染した個体に対して大きな打撃を加える性質があった。ただし、病原性が非常に強いからこそ対応が分かりやすかった。
一方、新型コロナウイルスの場合には、人によっては軽症あるいは無症候の状態でウイルスが感染し、人によっては死に至らしめるという非常に厄介な性質がある。
だからこそ感染が広がるわけだし、この不気味な感染や病態が人々の精神を削り、人々の本性を引きずり出す。
すでにリアルな状況として多くの人たちが感じているように、新型コロナウイルス感染症が広がることで、平時には意識していなかった様々な問題が、まさにパンドラの箱を開けるように飛び出している。
感染症を国防と考えずに予算や人員を削ってきた我が国の現状だけでなく、政治や行政、医療の在り方、それぞれの人たちの国民や市民としての帰属意識。
団塊世代の存在の大きさ、マスメディアの本質と課題、そしてツイッター等に映し出される人々の頭の中。
それは日本に限ったことではないが、新型コロナウイルスという脅威が、それまで社会を覆っていた霧を吹き飛ばして、社会や人々の正体を晒してしまったかのようだ。
その一つが、コロナ離婚と言われるような夫婦間の不和でもあるように感じる。
私と妻の感じ方や考え方が全く違うことは以前から気付いていて、新婚時代と異なるのは、その違いを理解したり思いやることができなくなっているということだろう。
政府が緊急事態宣言を発動し、在宅勤務を要請したところまでは分かったが、案の定、妻は全ての勤務日に在宅を続けるつもりはないようで、私に相談もなく在宅勤務をする曜日を決めてしまっていた。
職業人として仕方のないことではあるけれど。
そして、いつものことだが、私に相談するよりも先に、妻は浦安市内に住む実家の両親に相談し、話を決めてしまっていた。
このスタイルは、夫である私にとって計り知れないストレスになっている。妻に対しては、私に話さずに家庭のことを義実家と決めるのは止めてくれと言っているのに理解されない。
妻にとってのホームは義実家なのか。
私は緊急事態宣言が発動されても在宅が難しい仕事に就いているわけだが、さすがに組織の全滅は避けたいということで、出勤日を間引く形で在宅勤務の準備を始めている。
欧米ではすでに戦時下のようなシステムが組まれ、実際の戦争のように死者が増え続けている。
これはウイルスと全人類との戦争だな。武力ではなくて知力で戦うことになろうとは。
しかし、新型コロナウイルスとの戦いの中で、日本の場合には勝利への光が見えてきた。
基本再生産数、つまり、一人の人間が何人に感染を広げるかという指標があって、これが1の場合には、一人が一人に感染を広げるという計算になる。
新型コロナウイルスについて研究者たちが解析した結果、基本再生産数が1を下回る状況が続いた場合には、感染の拡大は収束するというシミュレーションがなされている。
そのためには、人と人との接触を可能な限り抑制する必要がある。
接触を8割減らせば、感染の拡大はなくなる。接触が十分に減らないと、感染の拡大は長引く。これは人類が勝利するための数少ないチャンスだ。絶対に逃すわけにはいかない。
ところが、新型コロナウイルスとしては意図しているわけではないはずだが、このウイルスの感染は人々の「心」、とりわけ「欲」や「先入観」というウィークポイントを介して広がっている気がしてならない。
マスクについて考えればすぐに分かるが、マスクは自らの感染を防止するという役目よりも、自分から他者にウイルスに感染を広げないための策として有用だ。
しかし、自分が助かりたいという気持ちが強くてマスクを買い占めてしまう人が出てきて、多くの人たちにマスクが行き渡らず、結果として自らのリスクを高めてしまっている。
また、マスクを付けずに電車や人混みにやってくる人が絶えないが、サージカルマスクが手に入りづらいという理由ではなくて、そもそもマスクを付ける気がない人がいたりする。
外出して人が集まる場所に行きたいという欲求に負けて、若者だけでなく高齢者でも花見やイベントに出てしまったりもする。感染が広がっている外国に旅行に行く人たちまでいる。もちろんだがこれらの世代に限った話ではない。
さらには、クラスター分析が難しい「夜の繁華街」で新型コロナウイルスの感染が広がっているという話を聞いて、人の欲とは凄まじいものだなと唖然とする。
欲の中でも、性欲や金銭欲を抑えることは難しい。新型コロナウイルスが引き金となって、そのような人間の内面まで表に引きずりだされてしまった感が否めない。
加えて、新型コロナウイルス感染症の場合には、若年層と高齢層でダメージが異なる。
若い人たちが高齢者のことを気遣ってくれれば対策の効果は高まるはずだが、他者のためにどうして自分が我慢をせねばならんのだという気持ちが若い世代の心の根底にあるかもしれないし、高齢者としても若い人たちに協力を求めようという雰囲気が薄いように感じる。
ウイルスとの戦争において勝つための道筋が見えているのに、必ずしも社会がそれを実践することが難しいという現状はとても残念ではあるが、これも社会の姿なのだろう。
大上段から振りかぶって我が家に戻るのだが、妻は完全に在宅勤務にシフトする気がなくて、新型コロナウイルス感染症によるダメージよりも職業人としてのこだわりを優先するらしい。
妻が職場に通う時間は、子供たちを義実家に預けるという話を私に相談なく決めてしまっていた。嫌なんだ。夫に相談せずに我が家のことを義実家と決められることが。
妻も義実家も、新型コロナウイルス感染症のパターンが週毎に変化していることに気付いているように思えない。もしも子供たちが無症候性に感染していて義父母にウイルスが感染したら、どちらかあるいは両方が重症化もしくは重篤化するリスクがある。
政府としても、専門家としても、可能な限り人と人との接触を減らしてくれと要請しているのに、義父母としても子供たちとしても接触の人数が増えてしまっているではないか。
日本でも高齢者が多々亡くなり始めている。これが団塊世代の恐さでもあるのだが、自分だけは感染しないとか、自分だけは重症化しないといった根拠のない自信があったりする。
今回のウイルスは高齢者にダメージを引き起こすタイプだ。義父母は自宅に引きこもって外出するなと言いたい。どうしてこのようなタイミングで我が家に干渉しようとするのだろうか。
子供たちを義実家に預けないためには、妻が在宅勤務を行わない日に私が在宅勤務をする必要がある。
自宅において私が在宅で仕事をするためには相応の準備が必要になる。職場と同じくらいの環境を整えることは困難だが、週に数回でも仕事をこなすことができる態勢を整える必要がある。
そこまで大切なことを、どうして妻は夫よりも先に義実家との間で話をつけてしまうのだろう。
ああ、家庭を持つということはとても大変だな。
ということで、新型コロナウイルスがきっかけとなって、我が夫婦の感じ方や考え方の違いが浮き彫りとなってきた。
私がいくら夫婦喧嘩を繰り返しても家を出ないことには理由があって、それは妻への配慮というよりも子供たちへの影響を考えている。
上の子供は家族に対して気を遣わないタイプだが、下の子供は家庭愛がとても強くて気を遣ってくれている。まだ小学校の低学年なのに。
この子が生まれてこなかったなら、夫婦関係を維持することができたかどうか分からない。今頃は養育費を払い続ける状態になっていたことだろう。
ただでさえ仕事が忙しく、状況が刻一刻と変化する中で、家庭だけは落ち着いてほしいものだが、このタイミングで妻と義実家との結束という私にとってとても不愉快な事象がやってきた。
そういえば、東日本大震災で原子力発電所がメルトダウンを起こした時には、夕食後に酒を呑んだ義母が、妻と我が子だけを車に乗せて、飲酒運転で地方に走って逃げようとしたことがあった。
その時、私はこれまでなかったくらいに憤り、義母とバトルを演じた。義父は仲裁にも入らなかった。
無理なんだ。この義父母と上手くやっていくのは...
色々と考えることが多すぎて、頭の中が混乱する。
この家の中で落ち着く場所といえば、スピンバイクの上だな。
負荷は強めでケイデンスは低め。ゆっくりと同じ動作を続けながら気持ちを落ち着ける。
妻が私よりも先に義実家と話をまとめてしまったのはなぜだろうか。私の仕事が在宅勤務で対応することが難しいことは分かっていたはずだが、義実家に頼り過ぎてしまっているのではないか。
義実家からの子育てのサポートがないと私が不満をためていたからだろうか。状況を考えれば、義父母が出てくる場面ではない。自宅から出ないことが先決なのに、どうしてこのベクトルに話が進んでしまうのだろうか。
義父母が発症して病院に担ぎ込まれても、浦安市内で命を救うことができる状況なのかどうかも分からないのに。
では、私から妻に事細かく説明する時間や余裕があるのかどうか。私が自宅に帰ってきても夫婦の会話はあまりない。
家庭内別居という形にまでは至っていないが、妻は仕事と中学受験で頭が一杯だ。夫のことを構っている余裕はない。
結婚前は時が経つことを忘れるくらいに長電話をしたものだが。
夫婦の相性というものは、籍を入れてしまえば文句を言っても始まらないところがあって、それでも子を持つ親として生き抜く責任がある。
お互いに譲れないラインを察して、付かず離れずの何とやら。
いきなり自転車に例えるのは強引ではあるけれど、サドルとの相性に似ているなとペダルを漕ぎながら思う。
サイクリストの間では「サドル沼」と表現されることが多いテーマではあるけれど、柔らかいサドルが必ずしも良いとは限らなくて、人によってはカチカチのカーボンサドルの方が痛みが小さかったりもする。
一方で、硬いサドルならばフィットするのかと色々と試しても、今ひとつしっくりこない時があったりもする。人の骨格は人それぞれだ。
フィットするサドルに巡り合える人の方が少なくて、少しずつ角度や位置を調整したり、力の抜き方が分かってきたり、痛みに耐え続けているうちに何とかなってきて、やはり違うなと思いながらも他を探す気持ちにもなれず、気が付くと何年も同じサドルと一緒だったりする。
このフィーリングは、夫婦関係にも似ている気がするな。
どこかのサッカー選手が、コロナ離婚を防ぐためには妻への感謝が重要だと言って、メディアやネットユーザーが称賛しているようだ。とても大切なことだと思う。
私をサドルに例えると、妻としては何を考えているのか分からなくて、神経質で扱い辛くて仕方がないという感じなのだろう。そもそもサドルに座らずにスタンディングのまま走っている感がある。
それでも夫婦を続けてくれているわけで、私としては感謝する必要があるのだろうな。私としての意見や主張もあるわけだし、義実家が干渉してくることが嫌で嫌で仕方がないけれど、ある程度は我慢せねばと。
人は老いてくるとなかなか自分を変えることが難しくなってくる。高齢者の義父母のやり方を変えることはとても難しい。義父母だけの話に収まってくれれば何とかなるが、妻は義実家との結束から離脱する気持ちがないようだ。
数年前は、怒りや不満を溜めて夫婦で大喧嘩していたが、次に大喧嘩した後は、私がこの家を出るという空気を妻も察していることだろう。私としてもそれは本意ではないし、子供たちのためには我慢せねば。
気が付いたら、深夜に1時間近くペダルを漕いでしまっていた。スピンバイクを自宅に備え付けていて本当に良かった。これがなかったらアルコールで酩酊するくらいしか手段がなかったかもしれない。
仕事は忙しく、家庭でも悩みごとがあり、社会情勢はこの通り。心穏やかに生活することは難しいが、私の頭の中で考えていることを出力せずに、ペダルに出力していれば、周りはそのことに気が付かない。
そういえば、やっと気が付いた。
VELOのサドルに交換してから座骨の痛みは減ったけれど、どうしても体勢が前屈みになって両手の負担が増えていることに悩んでいた。
これはサドル自体の問題ではなくて、シートポストのオフセットが短くて、パワーマジックのジオメトリーではポジションが出ていなかったからだな。
深夜にワイヤーとメジャーを使って計測してみる。やはり、膝蓋骨から下の位置がペダル軸と合っていない。どうして気が付かなかったのだろう。
ということで、オフセットが30mm以上もセットバックしたNITTOのS84というシートポストをポチることにした。
やっと前向きな気持ちになってきた。
苛烈な仕事であるけれど、私としては父親でもあるわけだから、週に何回かは在宅勤務で溜まった事務仕事でもするか。
たぶん呼び出しがあって職場に向かうことになるけれど、その状況になったからこそ気づくこともあるはずだ。