2020/04/02

良き日の回想とin living.

深夜に仕事から帰ってきても、ラジオを聞いたり、スピンバイクを漕ぐ余裕がない時には、YouTubeで適当に動画を流しながら一人で夕食をとっていたりする。


YouTubeの動画といっても、よくあるハイテンションなユーチューバーのチャンネルは観ない。

彼らを否定するわけではなくて、私のような団塊ジュニアのオッサンには若者たちの勢いに付いていくことが難しいこと、それと個人的に大きな音が苦手というだけの理由。

YouTubeに限らず、ネット上の動画は種類が豊富で面白い。オールドメディアのテレビ番組と比べて本当に自由で選択の幅も広い。

テレビ局側の意図に従った情報とCMを見つめる必要もなく、嫌なら見なければよいだけの話だ。

我が家では私がテレビを破壊したので、子供たちはテレビ禁止の状態で育っている。生活において何ら不具合はない。

まあだからといって、ネット上の媒体の方が安心で快適かというとそうでもないが。

ニュースサイトはさらに情報が偏り切り取られているし、SNSやコメント欄などでは罵詈雑言が飛び交う。

結局のところ、人の脳が処理しきれる情報には限りがあって、便利ではあるが昔と変わらないくらいの入力の中で生きるくらいが私には過不足がない。

YouTubeが勧めてくる動画を適当に眺めていたら、よくある雰囲気と違ったチャンネルがリストに表示された。以前に見かけた女性が普段の生活を自然体で紹介している。

「in living.」という名前のチャンネルで、「りりか」さんという女性が動画に出ている。

そういえば、以前、宮崎県高原​町のプロモーション動画の完成度があまりに高いことに感動して何度も閲覧した。その動画で出演していた女性だ。

Google側のプログラムが、私の思考パターンを分析してくれたのだろうか。

in living.というのはチャンネル名であり、ユニット名でもある。りりかさんの他に裏方で男性もいるわけだが、細かなことは気にしない。

むしろ、男性が見ても女性が見ても落ち着くことができるように動画がデザインされているように感じる。

高原町のプロモーション動画を視聴した時にはあまり感じなかったが、in living.で普段の生活を紹介しているりりかさんは、とある人と似ていて懐かしい気持ちになる。

彼女の目鼻立ちや表情は、交際していた頃や新婚時代の妻と重なって見える。

りりかさんは元女優であって、うちの妻は一般人なわけで、似ていると言うことは恐れ多いわけだが、口の形や笑い方まで似ている。

妻が起きている時に、実際にin living.を見てもらった。妻曰く「骨格が似てるんだろうね」という一言だけで、それ以上の会話の広がりはなかった。

共働きの子育てで忙しいのに、YouTubeなんて見てんじゃねぇ的な罵倒は飛んで来なかったが、冷たい視線の中で妻としても明らかに否定することはなかった。

in living.を眺めながら、10年以上前の妻の姿を回想する。

骨格が似ると声質なども似るのだろう。無印良品が似合う雰囲気も若き日の妻とよく似ているし、歩き方や冷蔵庫を開け閉めする動作さえ似ている。

一方、妻との結婚を考え始めた当時の私は、冗談ではなく本当に死が近づいて、心身ともに崩れかけていた。

職場だって現在のように感覚過敏に理解があったわけではなかったし、人間関係や環境面での苦労が絶えなかった。

家庭を持つことに意欲もなく、かといって一人で生き続けることに侘びしさがあって、早い話がよくある独身男性の以下略。

その状態で、目の前にりりかさんのように穏やかで純朴な女性がいてくれたら、まさに砂漠でオアシスにたどり着いたような気持ちになる。

ということで、妻にお願いして結婚してもらったわけだ。実際には弱った私が野生動物のように保護された形に近い。

毎日の習慣と食事を改善してもらって、私は随分と健康になった。

新婚時代の私は、脳内変換が多分に含まれているだろうけれど、in living.のような感じで妻の姿を見ていた。

都内の自宅はとても穏やかで、週末だけでなく、毎日が幸せだった。

それと、浦安に住む義実家から毎晩の電話がかかってきて、変な義父母だなと気になったが、妻はタイプが違うから大丈夫だと気楽に考えていた。

思い出した。妻が上の子供を授かって、どうして私が浦安に引っ越す気になったのかを。

子供が生まれても妻はこの調子だろうと思っていたし、私自身が父親になるということでパパスイッチが入って気持ちが高まっていたのかもしれない。

子育てが本格化すると、妻の見た目はあまり変わらないが、表情は険しくなり、性格は荒くなった。

いや、むしろ今までが気を遣ってくれていて、現在がベースラインの状態なのだろう。

新婚時代の妻が子供を産んで母親になり、夫への遠慮や気遣いがなくなるというのは、結婚するとよくあることだな。子育てが大変でそれどころではない。

併せて、夫から妻への感謝の言葉がなくなるので、男たちが反省する必要がある。

今から振り返ると、新婚時代の妻との生活を、私はもっと大切に有り難く感じながら生きるべきだったなと思う。

休日にわが子たちを一人ずつ呼んで、in living.を見てもらった。「この動画は、若い頃のママなんだけどさ...」と私はわざとらしく嘘をついてみた。

「髪質が違う。ホクロの位置と眉毛の太さが違う」と、細かなことばかり指摘する上の子。

確かにうちの妻は子供を産んだ後で眉毛が細くなった。毛抜きで眉毛を整えようとして抜きすぎてしまったらしい。

右を整えると左が合わず、左を合わせると以下略。母親あるあるだ。この辺に眉を描くというグリッド線のような役目として本物の眉毛が...いや、私が子供たちに尋ねたかったのは両者の相違性ではなく相同性だ。

上の子は将来、国税の職員とか警察の鑑識が向いているな。

ということで下の子に尋ねてみる。

「あ、ほんとだ! ママに似てる!」と、しばらくの微妙な間を置いてから話を合わせてくれる下の子。

我が家にやってきてくれて、本当にありがとう。

そして、しばらくしてから10年くらい前の妻を撮ったビデオを子供たちに見せてみる。

赤ん坊だった子供たちには記憶が残っていないが、自分たちがどれだけ大切に育ててもらったのかを理解したらしい。

その夜、子供たちは子犬のように妻に抱きついて眠っていた。

新婚時代の思い出と同じように、この瞬間だって時間が過ぎれば懐かしく思うことだろうし、平凡な日常だと受け流さず、もっと大切に有り難く過ごすべきだったと私は感じるはずだな。

最近のin living.では、りりかさんがゲームの実況をするというYouTubeチャンネルがあるらしい。

一人で深夜に夕食をとりながらその動画を眺めていたのだが、既視感がとても強い。笑った顔と話し方が若い頃の妻に似ている。

ようやく食べ終えた頃、風呂上がりの妻が我が家のリビングにやってきた。「YouTubeでりりかさんを見てるんだけどさ、本当に君と似てるよね」と妻に伝えたところ...

「なに!? 私が歳をとったって言いたいわけ!?」と、私のコメントを妻が曲解して、斜め上の恨み節が飛んできた。

私が若い女性のYouTubeの動画を見ていて、自分が比べられたと勘違いしたらしい。

風呂上がりの妻の顔面は白パックで覆われているので分からないが、たぶん拗ねつつも笑っているのだろう。

ここまで妻が落ち着いて、余裕が出てきたのは最近のことだ。私がバーンアウトしかけた数年前は、妻に話しかけることさえためらわれるくらいに苛立っていた。

気が付くと、この数年の私は随分と老いていた。髪の毛も皮膚の張りも五十路が近づくにつれて老化の速度が高まっている。

しかし、これが生きるということなのだろう。我が家のリビングには子供たちの勉強ノートや遊び道具が転がっていて、実に趣がある。

妻の言動は、出会った頃や新婚時代とは別人のようになり、家族に対して怒鳴ったり、心を刻む言葉を口にするようになった。

私がバーンアウトしかける前は、この変化を受け止められず、自宅にいると心拍数が上がって苦しくなることが多かった。

何をもって自然かどうかは分からないが、妻が母になった時の自然な変化なのだろう。もう元には戻らない。時間は流れ続ける。

たまに昔の妻を思い出したくなったら、in living.を訪れよう。自分の姿が情けなくもあり、健気でもあって笑える。何だこの五十路前。

けれど、この時のエピソードだって、振り返ると懐かしく感じ、年老いれば人生全てが懐かしく感じることだろう。

気が付くと流れていく毎日だけれど、もっと大切に、もっと味わって、もっと有り難く感じながら過ごそう。