2020/03/28

BCGワクチンと和牛の商品券

新型コロナウイルス感染症の影響で、この土日は浦安から都内への移動を自粛するようにとのアナウンスが浦安市からなされた。


橋を越えたら都内なのに、これでは仕事にならない。だから、義実家がある浦安に引っ越すべきではなかったと、どのような角度からでも同じ後悔に至る。

ところで、最近では新型コロナウイルス感染症の地域的な拡大の差が指摘され始めている。

中国からの第一波が直撃したはずの我が国において、どうして死亡者数が少ないのかついては「ジャパン・パラドックス」と呼ばれることさえあるようだ。

このような国ごとの相違は日本に限った話ではないし、マスクや手洗いの習慣があるかどうかとか、感染症の封じ込めの戦略の違いとか、医療の体制や機器の充実の可否とか、様々な要因が考えられるわけで、文化や遺伝学的な背景が絡んだりするとさらに推論は難しい。

ただし、例えばイランとイラク、同じドイツでも東と西で新型コロナウイルスのダメージが違うのはどうしてだろうといった疑問が研究者の目にとまり、実際に3月後半からアクションが始まっている。

どのような機序なのか分からないが、新型コロナウイルス感染症が深刻になっている国々では、BCGワクチンの接種自体が行われていなかったり、国民全体への制度として接種されていないことが多いそうだ。

また、BCGワクチンが接種されている地域であっても、日本型やロシア型のワクチンが使用されている国では、新型コロナウイルス感染症の被害が比較的少ない傾向にあるようだ。

この状況において、一目で分かるパターンの重複性が噂で終わるはずもなく、BCGワクチンの接種が行われていないオーストラリアでは、すでにBCGワクチンの臨床試験が開始されつつある。

では、日本はどうなのかというと、現時点で70歳未満くらいの国民はBCGワクチンが接種されたはずだ。

団塊世代のコアゾーンは現時点で70〜73歳。

世間から団塊扱いされている高齢者の中にも60代後半の人たちがいるだろうし、ちょうどBCGワクチンが接種されたか、接種されていないかという微妙なラインだな。

また、先の「日本型」という表現がなにをもって日本型なのかという話だが、WHOから国際参照品に指定されている「Tokyo172株」という菌株で作ったBCGワクチンを使った国で新型コロナウイルス感染症の拡大がそれほど大きくないという意味だろうか。

そのように考えると、BCGワクチンの接種が実施されていないヨーロッパの多くの国々、ならびに接種が普遍化されていない米国やイタリアでのダメージと重なる。

確か旧西ドイツと旧東ドイツではBCGワクチンの株が違ったはずだし、イランと比べてダメージが穏やかなイラクは、日本と似たタイプのワクチンが使われていたはずだ。

なるほど。日本の場合にも、免疫が未熟な子供において、どうして新型コロナウイルスの重症化が少なく、どうして高齢者の死者が多いのかという疑問の解釈にも繋がる。

また、BCGワクチンは結核に対してとても有効だが、たまに効き目が弱くて追加接種が必要になる時がある。若い人たちの中でも新型コロナウイルスで重症化する場合があるというパターンと重なって見えるというわけか。

そういえば、ヨーロッパにもたくさんの日本人が生活しているのに、海外で新型コロナウイルス感染症による日本人の死者が極端に少ない印象がある。

BCGワクチンは牛型の結核菌を弱毒化したもので、人の結核の予防を目的として使われている。

つまり、人に対して結核を起こさない牛の菌を人に接種して、人の結核菌に対する免疫をつけるというアイデアだな。天然痘ワクチンもこれとよく似た原理だ。

しかしながら、ここで疑問が生じる。

新型コロナウイルスは当然ながら結核菌ではない。BCGワクチンを接種したことで新型コロナウイルスに対する特異的な免疫が生じるというのはおかしな話だ。

百歩譲って、BCGワクチンの成分の中に、新型コロナウイルスの蛋白質とよく似たものが入っていて、結果として新型コロナウイルスと反応するような免疫が誘導されていたとする。

しかし、BCGワクチンの接種による免疫の有効期間は約15年くらいだ。子供の頃にBCGワクチンを接種した今の30代は、すでにその有効期間が終わっているし、私のような40代以降は自分が接種されたのかさえ記憶がおぼろげだ。多くは追加接種を受けていない。

では、海外の真面目な医学者たちが新型コロナウイルスに対するBCGワクチンの効果を試そうとしているのはどうしてなのか。

BCGワクチンには不思議な性質があって、結核菌に対する免疫を誘導するだけではなくて、免疫系そのものにも作用することが知られている。

他の病原体の成分だけをワクチンとして接種するよりも、BCGと一緒に接種すると効果が高まったりもする。

子供の頃にBCGワクチンを接種した国では、菌の種類(株)にもよるが、体内の免疫系が変化していて、これによって新型コロナウイルスに対しても比較的強くなっているのではないだろうかという仮説だろうか。

日本の場合、子供といっても免疫系が未熟な1歳未満でBCGワクチンが接種されるはずだから、そこで何らかの免疫機能が高まると考え...いや、日本においてそれを実証することは不可能だ。比較としてBCGワクチンを接種しない子供のデータがほとんどない。

ただし、仮にこの説が正しかったとすれば、日本の団塊世代よりもさらに上の世代に感謝したい。

彼ら彼女らのほとんどは100歳近い計算になり、多くの人たちが世を去っているが、次の世代のために脅威と戦う武器を残してくれたという胸が熱くなる推論が生まれる。

よくよく考えてみると、日本の場合には、毎日風呂に入るとか、箸を使って食事をとるとか、家から帰ってきたら手を洗うとか、習慣や伝統の形で残されたことが多い。

神社には手を清める場所があるし、公共施設の多くも水場がある。

日本においても昔から何度も疫病が流行し、その度に脅威と戦い、工夫し、教訓として学び、それらを次の世代に引き継いだことが多いはずだ。

昔の地獄絵図の中にも、疫病が蔓延した際の風景と思われる絵が珍しくない。惨劇を繰り返すまいと、次の世代に情報を残そうとしたのだろうか。

現在の医療を考えると、日本は人口あたりのコンピューター断層撮影装置、つまりCTの台数が世界で最も多い。

新型コロナウイルス感染症が疑われた場合には、CTによる肺炎の検査が可能になっている。

この現状についても、すでにリタイアした人が多いであろう医療関係者が残してくれた大切な流れであることに他ならないが、私たちは感謝することもなくそれが普通だと受け入れている。

とはいえ、新型コロナウイルス感染症に対するBCGワクチンの効果が本当だとしたら、これはこれで大変だ。

私たちの世代はBCGワクチンの接種を受けているが、朝からドラッグストアやスーパーの前に並んでマスクや日用品を狙っている70代以上は接種を受けていないことだろう。

子供ではなくて大人になってからでもBCGワクチンを接種すると新型コロナウイルス感染症に対して効果があるという医学的知見、あるいは根拠のないデマが飛び交ったら、元気な高齢者たちがドラッグストアやスーパーではなくて、クリニックや病院に押し寄せて行列を作ることだろう。

まさに芥川龍之介の作品「蜘蛛の糸」のシーンのように、自分が助かることだけを考えて以下略。

とりわけテレビのワイドショーが心配だ。自称専門家たちが科学的根拠に乏しいBCGワクチンの話を広めたら、テレビが大好きな高齢者がそれを信じてアクションに乗り出すかもしれない。

BCGワクチンはただでさえ免疫系を刺激する性質がある。この辺の情報を混ぜてテレビなどで発信されると、冷静さを失った人たちが信じてしまうかもしれない。

買い占め騒動でも分かる通り、この世代は、二次情報をすぐに信じたり、唯我独尊で我先にと進む人が多い。

それと、このパターンに突き進む層はもう一つあって、それは世代に関わらずテレビを付けっぱなしにしている以下略。

新浦安だってそうだ。震災後、行政が「絆」という言葉を使うことが多かったが、この街に絆があるのか。

さらに、日本国内に流通しているBCGワクチンの品質を確かめているのは、国立感染症研究所だ。

すでに予算や人員が限界まで削られた状態で必死に働いているのに、マスコミやネットユーザーから、わざとPCR検査を絞っているだとか、研究のためにデータを優先しているだとか、さらには第731部隊の末裔だとか、事実誤認のデマやアジを浴びている可哀想な研究所だが、長きにわたって多数のワクチンの品質を守り抜いてきた。

この機関も、かつての日本が次世代に残してくれた力の一つだが、次の世代がその力を削ってしまっていた。その世代が現に新型コロナウイルス感染症の脅威に苦しんでいる。

その根本的な背景は何かと考えれば、平和で不自由の少ない社会において、多くの人たちが政治や行政への関心を失ってしまったり、マスコミが流す情報を信じてしまったからなのだろう。

しかし、この状況でBCGワクチンが品薄になるとさらにハードルが上がる。クラスター対策やPCR検査に続いて再び自称専門家がデマを流し、テレビの情報を真に受けたシニアたちから国家の陰謀だなんだと叩かれると気の毒だ。

ここまで引っ張っておいてアレだが、各国のBCGワクチンの接種率と新型コロナウイルス感染症の深刻度について調べている海外の研究者たちは、各国のBCGワクチンの接種率とマスクの装着率の相関を調べたら、さらに驚くかもしれない。

新浦安でも、マスクを付けない欧米系の人たちが多すぎる。これでは無症候性の感染が起きていたら周りに広がりかねない。

ところで、これは農水省や経産省のマターかもしれないが、和牛の商品券を配ることを検討しているという話が広がり、空気が読めないと嘲笑を受けている。

農林水産業を守るという大切な取り組みの一環だと思うのだが、現金が足りなくて生活に苦しむ人たちが生じる状況で「和牛の商品券」という言葉の響きは痛い。

牛肉を配ることよりも先にやるべきことがあるだろうという突っ込みや不安を招かないような配慮が必要だった。

厚労省が必死に働いているのに、何をやっているのだか。

海外での臨床試験の結果がどうなるか分からないが、WHOの国際参照品にもなっている牛の結核菌に由来するBCGワクチンを使っている日本において、「ジャパンはこの状況で国民に牛肉を配り、笑いを取り入れてパニックを鎮めるつもりなのか!? 」と海外から勘違いされるのは困る。

国家に対する脅威が襲ってきた時に牛肉の商品券を配る国なんて、現実どころか小説でも読んだことがない。

効率性を考えると商品券ではなくて、Amazon等に受付サイトを開設して市民に牛肉を直送したり、市役所で牛肉を配布するという手もありそうだが、そこまでしてコロナ対策で牛肉を配るという緊急性を感じない。

確かに重要な産業であるけれど、生活に窮している世帯が必要としているのは経済的な支援だと思う。その辛さを行政が察していることが伝わらないから、嘲笑や批判が飛んでくるのではないか。

医療の維持を絶対防衛線としてクラスター理論で新型コロナウイルスと戦っているのに、このタイミングでの和牛の商品券は本当に痛い。ジャパン・パラドックスがさらに深みを増してしまう。