2020/01/11

元気を分けてくれる人たち

毎年の正月明けのぼんやりした不安を耐えて、職場へ向かう。


胃の痛みは改善傾向。運動不足で身体が重い。通勤で身体に力が入っていたからだろうか、首から腰にかけて酷いコリがある。

通勤地獄は職場とは関係なくて、私の個人的な家庭の都合によるものだ。職場は居心地がいい。

若い頃はベテランと対立して大変なこともあったが、五十路が近づくと、そういったベテランも次々にリタイアして自分がベテランになる。

ベテランには大きく分けて4つのタイプがあると思う。

① 知識や経験を元に職場の要になり、リーダーシップを発揮する人

② 矜持をもって寡黙で謙虚に与えられた使命を果たそうとする人

③ 年齢や地位、経験をひけらかし、威張るだけで何もできない人

④ 残りの人生を諦めて無気力になり、省エネモードで働く人

私の場合には①を目指して④になりかけ、③になってはいけないと②を心掛けている。

職業人生とは、リタイアした瞬間に遠い思い出や夢のようになるらしい。そこで満足感を得ても、後悔しても、結局は淡い記憶になるのだろう。

少し前に「モチベーション3.0」という言葉が流行った。ダニエル・ピンクの本がオリジナルだったろうか。

私なりの理解としては、モチベーション1.0が生存に関係するモチベーション。食べたいとか、眠りたいとか、そういった欲求だな。

性欲が溜まって風俗やキャバクラ、不倫に走ることは1.0なのかどうか分からない。

モチベーション2.0は外発的なもの。インセンティブというと難しく感じるが、つまりは「ご褒美」とか目の前のニンジンだな。仕事で頑張れば出世したり給料が上がったり、スポーツ大会で入賞したり、PTA活動で表彰されるとか。

高度成長期の日本の社会、とりわけ職業人の父親たちはモチベーション2.0が大きかったと思う。

男の目標は年収1千万円とか。いつかはクラウンとか。

しかし、人の心は必ずしもインセンティブだけでは動かなくて、内発的な動機が必要になる。これがモチベーション3.0だと理解している。

自ら成長したいとか、新しいことを経験したいとか、この仕事が好きだからとか、そういった気持ちがあると人は前向きになることができる。

ただ、仕事と報酬が明確な西洋の人たちには新鮮な概念かもしれないが、日本人にとっては大して難しい話でもない。

私たちがモチベーションと呼んでいる言葉の多くが3.0だなと思う。

ところが、これは老いてきた私の印象でしかないのだけれど、ベテランに近付くにつれてモチベーション3.0が減ってくる気がする。

一方で、若い頃には感じることが少なかった職業人としての矜持が蓄積され、それが仕事へのモチベーションとなっている。この気持ちも3.0といえば3.0なのだろうか。

しかしながら、より高い地位に就きたいとイエスマンに徹し、職業人としての矜持を見失う人を見かけるのもこの時期で、イエスマンばかりが上になると組織の舵取りが危うくなったりもする。

出世や退職金、リタイア後の再就職といった個人へのインセンティブが主体となったモチベーション2.0で動く人たちが集団全体を見渡すことができるのだろうか。

さて、体調は芳しくないがやっとのことで職場に到着した。すると気分も胃の調子も楽になっていく。どれだけ通勤が嫌なのだと我ながら驚く。

今日の仕事の役割は私の本来の担当ではなくて、自身の業績にもならない。若い頃に「忙しいから手伝え」と言われて渋々と始めたものだ。

とても単純な仕事ではあるのだが、単純なだけに小細工が利かない。

成功率90%、つまり10回に1回くらい失敗するようでは話にならず、限りなく100%の成功率を求められたりもする。

継続は力とはよく言ったもので、15年以上も続けるとそれが普通になってしまう。しかし、この緊張感は若い頃から変わらない。

その役割の大切さもリアルな生活において感じることが増えてきた。「何、偉そうなことを言ってるんだ」と思っている人たちの生活にも関わってくる。

ただ、私もベテランの域に入って目や手が衰えてきた。これまでの経験でカバーしてはいるが、若い頃はもっと楽だった。いつまでこの役目を担当し続けることができるのだろう。

そろそろ若手にバトンタッチしたいのだが、周りが許してくれない。

簡単だけれど失敗すると大変という仕事はとても厄介で、ベテランに任せて自分は遠慮したいという気持ちなのだろう。

この数年くらいは東京大学出身の若手が私のサポートをしてくれている。私よりも一回りくらい若いのだろうか。

広い意味では同門なので彼のことは学生だった時から知っているが、立派になったものだ。

うちの職場には東大閥という感じの学閥はないのだが、先輩や後輩がたくさんいるので居心地が良い。

とても偉い人から「〇〇君」という感じでメールが届くと嬉しかったりもするし、職場の外の人脈もなかなか頼りになる。

この時期、多くの受験生たちが東京大学を目指して頑張ることだろうし、難関私立中学を受験する子供たちや親御さんも将来的にはこの場所を目標にするかもしれない。

まあ色々と批判されたりもするが、この大学は素晴らしくて、必死に努力するだけの価値はあると思う。

偏差値という話ではなくて、知の宝庫だ。高い山に登らないと見えない景色がある。

その景色を具体的に表現すれば「情報」という形になるのかもしれない。学問に限らず、社会の本質までが見えてきたりもする。

かといって、東京大学の銀杏の紋章を授けられたとしても、その人の生活が薔薇色なのかというとそうでもない。

普通に卒業すれば就職活動は無双だと思うが、苛烈で責任の重い仕事で行き詰まって首を吊ったりもする。

さらに家庭生活、特に結婚においては大学とは関係ないわけで、男性であっても妻から激しいモラルハラスメントやDVを受けて離婚する人がいたりもする。

さて、優秀なサポートのお陰で仕事が捗り、体調不良でも何とか役目を終えることができた。

いつも思うのだが、サポートしてくれている若者は頭の回転が非常に速くて助かる。センター試験の全科目を満点でクリアしたそうだが、彼にとっては他愛もないことなのだろう。

東大卒らしいエリート意識があったりもするが、それを補うくらいに人として面白い。

また、彼は人として強い。どんな苦難であっても顔色を変えず、飄々としている。

私が一通りの仕事を終えて残業を続けていると、先程の若者が声をかけてくれた。

私としては帰宅時の通勤ラッシュが嫌なのでちょうど良かった。

彼は異様に頭が良い。おそらく膨大な笑いのネタのストックを持っていて、さらに相手のレスポンスを観察しながらウィットで切り返して盛り上げてくれる。

人に元気を分けてくれる人は、ネガティブなことに触れないし、触れたとしても楽天的に笑い飛ばしてしまう。

そういえば1ヶ月くらいの間、私は本気で笑ったことがなかった。涙が出るくらい大笑いしたのは久しぶりだな。

彼も三十路に入り家庭を持ったが、共働きの子育ての悲壮感が全く感じられない。本当に強い人だと尊敬する。将来は立派なリーダーになることだろう。

私の内面はとても暗くて、いつも何かの地獄に落ちて苦しんでいるのだが、たまにこうやって蜘蛛の糸のような心遣いが降りてくる。

そしてスルスルと糸を辿って這い上がって、元気を分けてもらっている。

今までにたくさんの人たちから助けてもらって、足を向けずに寝ようとすると立ったまま寝なくてはならない。

恩返しする相手がまた一人増えた。とても有り難いことだ。

感謝によるモチベーションは3.0なのだろうか。4.0かもしれないな。