DECISIVE BATTLE
さて、新型コロナウイルス感染症 COVID-19は世界全体に大きなインパクトを引き起こしている。医療や行政、国民性、生活習慣等が異なる状態で、各国が未知の病原体と戦うことになった。
以下は私感。
各国におけるCOVID-19への対応においては、鋭敏な検査技術であるポリメラーゼ連鎖反応(PCR)が用いられている。
米国の場合には独自に開発した検査系に不具合があり、対応に支障が生じているようだ。
日本の場合には、発生から速やかに開発したメイドインジャパンの検査系が機能し、海外の大手製薬企業の検査キットと同程度の性能を示している。
海外製ではなくて独自の検査系を用いたのは、キットが替わると定量的なPCRの結果が異なるリスクがあること、それに加えてランニングコストの節約、万が一の不具合が生じた場合の修正等が理由だろうか。
ところが、「人類の最大の脅威は、同じ人類だ」という言葉を聞いたことがあるが、日本では疫学や臨床におけるPCRの意義についての議論を通り越して、政治的あるいは思想的な論争にまで発展している感がある。
それで事態が悪化していることが明らかなら批判もありうるが、この状況で議論している余裕があるのか。
同じことで繰り返し指摘している人がいるが、説明や資料を読んでいるのか。レッテルを貼り、事実と異なる情報を広げ、社会を煽っているのではないか。この体制はこんなに駄目なんですよと。
そんなことをしている人たちまで一緒に沈むかもしれないのに、分からないのか。
すでに気づいている人は多いはずだが、今回の感染症への対応においては、とりわけテレビやネットを介したマスメディアの情報と、それらに追随している人たちが社会の混乱を大きくしている感がある。
彼らの主張は分かりやすくて、隣国のようにPCR検査に基づくスクリーニングを行って、感染者を可能な限り特定せよという内容だ。おそらく、疫学的なデータサンプリングと全数調査とを混同していて、とにかく韓国のような対応を望んでいるようだ。
どうしてそこまで韓国にこだわるのだろう。ここは日本だ。
そのような主張においては、分かりやすいアイコンが必要になるようで、自称専門家がテレビに頻繁に登場し、事実を誤認した内容を公共の電波で流している。本物の専門家ならば対応に追われて毎日のようにテレビに出ている余裕はないことだろう。
ツイッターでPCR検査の枠をより拡大せよと主張している人たちのプロフィールを確認すると、政治的および思想的なスタンスが分かりやすい人たち、とりわけ70代付近が極めて多い。
彼ら彼女らのツイートには、日常のエピソードが紹介されることはほとんどない。それが老後の趣味なのだろうか。
政府機関から事実誤認との声明を受けているマスコミによる報道、ならびにシニアを中心としたツイッターでのデマゴーグやアジテーションとも受け取れる投稿の源流を遡ると、戦後の混乱や学生運動にたどり着くのではないかと思う。
また、宗教と思想については個々の自由であり、他者が介入する余地のないエリアだと私は考えていて、日本の社会においてある程度の割合で存在し続けるものだ。
むしろ、大多数の人たちの思考が一方向になっている時の方が社会が危ういと感じる。
それでも、今回は政治や思想を挟んでいる場合ではなく、医療だけでなく経済への影響までを考えると被害はとても大きい。
このようなケースでは、市民一人ひとりが落ち着いて情報を見極め、自分が感染しないよう、自分が感染を広めないように気持ちを一つにすることが大切だと思う。
政治的あるいは思想的な背景ではなくて、単に自分が新型コロナウイルスに感染しているかどうかを知ることができないということに不安や憤りを感じて、この方針に対して攻撃を加えている40~50代の男性たち、もしくは広範囲の世代の主婦の意見も散見される。
前者の場合には、自分を認めない社会への不満や、相手が政府職員であれば辛辣な言葉を投げても構わないような感情がツイートに映っている。
では、新型コロナウイルスに対するPCR検査を積極的に実施したイタリアや韓国はどうなったのか?
多数の患者が病院に押し寄せて、十分な治療を実施することができず、重篤な患者を救うことに限界が生じたという報道がなされている。
それらの報道がどこまで事実に近いのか分からないが、医療現場が崩壊したと表現されることもあるようだから厳しい状況なのだろう。
ここまで性状や病態に不明な点が多いウイルスの場合には、短時間での舵取りが結果を大きく左右する。
明確な解があれば別だが、それがない状態だ。イタリアや韓国の戦略が疎かだったとは言い難いし、他国はその情報から学ぶ必要がある。
ただ、マスコミや一部の人たちが日本におけるPCR検査の実施を体制批判の標的にしていることは否めず、それによって感染症への対応の足を引っ張っている。
このような非常時に体制批判に勤しんでいる場合ではない。多くの人たちからの冷たい視線が分からないか。
日本は「和」を重んじ、察することと思いやることを大切にするはずだ。日本人なら分かるはずだが、さらに混乱を大きくして傷を広げるのか。
説明を聞こうとせずに同じフレーズを連呼して声の大きさで主張を通そうとしても、多くのサイレントマジョリティは理解してくれない。
とりわけマスメディアの人たちは、3.11において何を学んだのだろうか。多くの人たちに正しい情報を伝えて導くという大切な役目があるはずだ。
そもそも、診断とは医師が決めることだ。検査の結果や研究者の意見は参考に過ぎない。
臨床が必要だと望めば検査体制を増やすことが重要だが、検体を採取する工程で医療関係者が感染したり、病院で感染が広まったらダメージもある。
世界トップクラスの医療制度を有し、画像診断においてもコンピュータ断層撮影(CT)等が普及している日本の臨床において、専門医どころかレジデントであっても、この状況での肺炎患者でCOVID-19を疑わないはずがない。
臨床的に見ると、PCR検査という手段は、医師が診断を行う上でのツールの一つでしかない。
感染していないことを完全に証明することは不可能だし、実際に感染していても病原体を検出することができない場合もある。
経過や所見、鑑別疾患の除外等によって、PCRが陰性でも診断を確定して治療を開始することはよくある。
それらを踏まえた上での初動が、なぜに政府の陰謀だとまで言われるのか。
他方、この検査は他と比べると鋭敏な検出感度を有しているため、感染症の専門家による調査や研究にも用いられる。
この違いを理解せずにPCR検査による全数調査を主張している人が目立つ。
また、今回のCOVID-19への対応において、PCR検査をどのように使うのかについては、国によってスタイルが異なる。
イタリアや韓国では、重症か否かを問わず広範囲にPCR検査を実施するという手段を選択した。
全数調査に近いスクリーニングによって感染状況を把握し、コロナウイルス陽性者を早期に隔離あるいは入院させることで感染を封じ込めるという戦略を執ったと私なりには理解している。ドイツも同じようなスタイルだろうか。
しかし、新型コロナウイルスは感染力が高い上に、人によって軽症で済む場合と重症化する場合があるという厄介な病原体だった。
風邪程度の軽症者まで病院に集まってくる状況は、医療現場のリソースの消耗および枯渇を引き起こし、重症あるいは重篤な患者の治療に支障を生じる。
しかしながら、比較的重い症状あるいは渡航歴等のガイドラインを設定してPCR検査を実施し、医療現場の機能を維持しながら患者の命を守るという戦略を選択した国がある。
その国が日本だ。
PCR検査は、診断もしくは感染者のスクリーニングに使うことができるが、感染症のデータを解析する上でも有用な手段となりうる。
どこかの自称専門家が勘違いしていたが、それらのデータというものは、研究業績のために囲い込むという意味ではなくて、根拠に基づいて対応する上で必要になる。
項目が整っていなかったり、欠けた部分が多いデータで解析することは困難だ。
病院から民間検査会社に直接的に検体が提出された場合には、迅速なデータの収集そのものが困難になることも考えられる。個人情報の観点から企業から行政にデータを転送することは難しい。
感染症あるいは症例の検討がなされていない状態で情報が錯綜すると、その後の戦略を立てることができるのかどうか。
逆に、整ったデータが構築されれば、全数ではなくても特徴や傾向を掴むことができる。
マスコミ等から様々な批判を浴びながらも、日本の専門家たちは当初からの方針を変えず、データの分析を続けた結果、新型コロナウイルスはクラスター(感染者の局所的な集まり)を形成しながら感染を広めることが分かってきた。
そのクラスターをコントロールすることで、感染の拡大を抑止するという作戦に出たわけだ。
クラスターの解析においては、感染症疫学の専門家だけでなく、数理学者までが参加し、高度なシミュレーションが行われている。
まさに理系的な頭脳戦を展開することで、医療のリソースを可能な限り温存しつつ、死者を増やさないために持ちこたえている。
なぜに持ちこたえる必要があるのかと考えてみる。
日本の感染症の専門家たちは、新型コロナウイルスへの対応において、国家の絶対防衛線となるのは「医療現場の機能の維持」だということに早い段階で気づいたのだと思う。
病院は平時でも多数の患者を抱えている。コロナウイルス感染症だけでなく、守るべき命はたくさんある。医療が機能しなくなると命を守ることが難しい。
しかし、よくよく考えてみると、8割程度の人たちは新型コロナウイルスに感染しても風邪程度で治るわけで、その人にとってはまさしく風邪だ。
一度感染すれば免疫が賦与されるので、その後に感染することもないことだろう。
一方で、高齢者や基礎疾患のある人の場合には新型コロナウイルスに感染して発症すると重篤化する場合がある。
新型コロナウイルスの感染を水際で止めることが難しいと判断した時点で、日本政府はPCR検査を基軸とした全数調査ではなく、重症化した患者の診断の確定、標本調査、およびクラスターの追跡においてPCR検査を実施し、医療現場と患者の命を守るという戦略が執られたわけだ。
そんな馬鹿な論理があるか、検査を積極的に実施して病院でトリアージをすればよいではないかという突っ込みがあるかもしれない。
確かに今後の展開において落ち着いてくればそうなるかもしれないが、社会がパニックに陥っている状況下では、全ての市民が落ち着いて行動するかどうか分からない。
デマに騙されてトイレットペーパーを買い占める騒動が起きたり、自称専門家の虚言を信じてしまったように、人は危機的状況において冷静さを失う。
たった数人の軽症患者が病院で入院させろとゴネただけでも大変なことだ。そのような人たちのタイプは概ね予想しうるだろう。
全数調査から標本調査へのトランジションには前例があって、かなり前に新型インフルエンザが日本に入って来た時も、全く同じではないが検査体制を切り替えた。
つまり、COVID-19でのPCR検査においても、日本政府としては最初から想定されたオプションを状況に応じて選択した形になる。
今回、行政によくある想定外という言葉があまり出てこないのは、政府の事務官だけでなく研究者たちが様々なシミュレーションを続けてサポートしているという背景があるのだろう。
新型インフルエンザと呼ばれていた疾患は、現在では普通のインフルエンザと同じ扱いだ。
当時に若手だった専門家たちは、時を経て中堅やベテランになっても、その頃の経験を忘れていないことだろう。
クルーズ船での集団感染は想定外だったはずだが、そのインシデント以降は、政府の事務方からのトップダウンではなく、現場からのボトムアップにシステムの重点を変更したこともよく分かる。
しかしながら、そのような戦略について理解を示さずに、一つ覚えのようにPCR検査を要求したり、公的な試験研究機関の陰謀だと罵る人たちまで出現している。
ある程度の指標となりそうなユーザーのリツイートの回数を調べて見積もった限りでは、PCR検査を標的として体制批判をしているユーザーの人数は1万人に充たないようだ。
そのコアゾーンにいる人たちは、現時点で多くても5千人くらいか。デマを積極的にリツイートしているのでよく分かる。
このタイプの人たちは声が大きく、自分たちが多数の人たちの代弁者だと信じ込んでしまっている感があるが、実際の人数はあまり多くない。
ただ、その強烈な主張を多くの人たちが信じてしまうことを心配している。
体制批判を続けたい人たちにおいては、日本が上手く対応すると気分がよくないのだろうか。
同じ日本人だとすれば不思議だな。
さらには、感染症対策の砦となっている国立感染症研究所を731部隊の名残りだとテレビで堂々と主張する人まで現れた。
この研究所は様々な病原体の検査や基礎研究だけでなく、様々なワクチンの有効性や安全性を確認するという業務も担っている。
子育てをしていれば分かることだが、予防接種で日本全国の子供たちにワクチンが使われているが、それらの品質を守っているのも彼らだ。
米国CDCは1万4千名の職員がいるが、日本の国立感染症研究所の職員数は300名程度だという報道がなされているが、米国ではワクチンの品質管理はFDAが担当しているはずだ。
ここまでの仕事を浦安市役所の職員の半分にも充たない人員でこなしながら、さらに新型コロナウイルスと戦っている人たちに向かって、何が731部隊だ。
テレビ等でこのような虚言を放つことは、我が国の安全保障に関わることだと思う。
そもそも、PCR検査の云々で揉めている国は、世界でも日本だけかもしれない。国立感染症研究所の職員が過労で倒れたり、陽性者が出て機能が停止したらどうなるか、予想できるだろうか。
もとい、現時点ではCOVID-19のコントロールが維持できていると思われる我が国だが、楽観視するのはまだ早いことだろう。マスコミの人たちはいつまでに感染が終息するのかといった文系的な指摘をするわけだが、それが分かれば苦労はしない。
ただし、日本の体制を批判している人たちが理解しているかどうか分からないが、クラスター対策を含めた対応が上手く機能している背景には、国だけではなくて地方自治体との連携があると思う。
地方自治体というと何だか弱いイメージがあるが、今回の事態では国からの情報を地方自治体が速やかに受け取り、地方自治体が国にフィードバックすることで縦のラインを繋いでいる。
これは今回に限った話ではなくて、かなり以前から構築してきたネットワークなのだろう。そうでないと、短期間で地方自治体での検査体制を立ち上げたり、1週間もない状況で全国で一斉に学校を休校するという離れ業は困難だったと思う。
この先の展開がどうなるのかは分からない。新型コロナウイルスが重篤化することがあるけれど多くの人たちには風邪という話になって毎年のように流行するのか、あるいは少しずつ感染のスケールが減って社会から消えていなくなるのか。
ただし、最前線の専門家や行政が中心となって持ちこたえている間に、日本の臨床医たちが診断や治療のガイドラインを立ち上げ、よりシステマティックに対応することだろう。
日本の臨床医の馬力をなめてはいけない。
我が国で生活しているとそれが当たり前のように感じるかもしれないが、これだけ低い医療費で、これだけ高い質の医療を受けられる国は珍しい。
だからこそ、感染症の専門家たちは、日本の医療という絶対防衛線を死守しようと耐えている。
このラインを突破されたら、より多くの人たちが苦しむことが分かっているのに、体制批判を含めてその取り組みの足を引っ張ろうとする人たちがいる。
その報いを自分たちだけで受け取るのなら文句はないが、他の多くの人たちを巻き込むことになる。
多くの人たちはそのことをずっと覚えることだろう。
また、今回の場合には、病原体の脅威だけでなく、各国への経済的なダメージが大きい。
その段階で大切な役割を担うのは医療の専門家だけではなくて、経済や行政等、様々な専門家の力が必要になる。
まさに総力戦だ。
子育てをしている世代だからこそ言うが、子供たちの世代に大きな負担を残すことだけは避けたい。