盛り上がらない情報媒体の良さ
COVID-19と名付けられた新型コロナウイルス感染症が全世界で問題になっている。
その脅威自体に加えて、メディアやネットで様々な情報が乱れ飛び、パンデミックならぬインフォデミックという造語まで登場した。
結果、行政からは「COVID-19については信頼しうる一次情報にアクセスしてください」というアナウンスまで広がっている。
特に、テレビやツイッターにおけるデマが深刻だ。
それと、様々なメディアからの情報をまとめた形で発信するサイト。言わなくても分かることだろう。
週刊誌系のメディアの場合には最初からそのようなものだと構えることができるが、ニュースまとめサイトの場合には、週刊誌ネタと新聞社の記事、さらには個人ブロガーの意見までが並べられていたりする。
そして、気になるのは正しくない情報や偏った情報が、さも事実かのように配信されていること。それらの情報の中には、まさにデマの語源であるデマゴーグ、つまり政治的な意図を含む嘘が多い。
ツイッターの場合には、シニアを中心としたユーザーからのアジテーションが目立つ。昔の学生運動のような勢いだ。
誰かが貼ったレッテルを信じ込んで、自分自身の思考が操られていないか確認した方がいい。その罵詈雑言ばかりのツイッターアカウントを、自身の孫たちに読んでもらえばいい。
デマやアジを飛ばしているシニア世代に尋ねたい。
今、感染症に対応している行政や専門家たちが必死に守ろうとしている存在はどのような人たちだ?
重症化しやすい高齢者や基礎疾患がある人たちだ。その中にはデマやアジを飛ばしている人たちも含まれる。そのことが分からないのか?守られて当然か?
日本にも悪いところはたくさんある。
しかし、若き日のシニア世代が望んだように、良いところもたくさん生まれた。
その良さがあなたたちを守っている。
認めようじゃないか。
この状況では、政治的あるいは思想的なことで攻撃している場合ではない。
デマやアジの中には、結果として医療現場を崩壊させるような内容が流れている。一緒になって社会を煽って、最終的に影響を受けるのは自分たちだ。
その背景には明らかな意図が感じられ、我が国の未来を考えているとは思えない。
社会が荒れても責任を取らない人たちの言うことが、そんなに信用できるのか?
正しくない情報や社会を煽るような情報をテレビで堂々と発信することは、視聴率と引き替えに、将来的には視聴者からの信頼を失うことになる。
ここで真価を発揮する存在は、あえて政治色や思想色を抜いたマスコミによるフラットな情報発信だと思う。
フィルターをかけずに事実のみを市民に伝えれば、社会の混乱を抑えることができるはずだ。
とはいえ、そのようなことは難しいかもしれない。マスコミの歴史を振り返れば分かることだ。
テレビやツイッターにデマやアジが流れる理由としては、その即時性とユーザーの多さなのだろう。
影響力があるからこそ盛り上がるが、盛り上がるからこそ意図ある人たちからの嘘や曲解が流れる。
一方、多くの人が見向きもしない古いメディアでは、デマを流す必要がそもそもないことだろう。
私が期待しているのは、情報を紙に印刷して配る新聞というメディア。コンテンツをネット配信していたりもするが、明らかに古い形だとは思う。
しかしながら、毎日の新聞を提供するために、彼らがどれだけの苦労を重ねているかを多くの人たちは知らない。
深夜の新聞社の前を通れば分かる。煌々と灯りが付いていて、本当に大変だろうなと感じる。
では、どうして新聞が若い世代から受け入れられなくなってきたのか。その新聞社の政治的および思想的な背景が出過ぎてしまって、ユーザーが引いてしまっているからではないか。
団塊世代がいなくなり、団塊ジュニア世代以降が完全にネットに移行したら、このメディアはさらに衰退する気がする。
新聞のコンテンツをネットに移しても、各社のカラーが前面に出るようならば同じ状況になるかもしれない。必要とされているのは透き通ったシンプルな情報だと思う。
そういえば、我が家では通常の新聞を購読していないが、子供たち向けの新聞を定期購読している。
冗談ではなくて、子供用の新聞の内容が秀逸で、私も熱心に読んでいる。
マスコミ特有の癖や諄さがなくて、伝えたい事実を分かりやすく説明している。まさに透き通ったシンプルな情報だ。
子供用の新聞の形のまま大人向けの高度な新聞が刊行されたら、きっと素晴らしいコンテンツになると思いはするが、やはり難しいのだろうか。
逆に考えると、あえて政治色を抜いたメディアが登場した時には、これからのユーザーから大きな支持を受ける気がしてならない。シニア世代からは何だそれはと言われそうだが。
ということで話が戻るが、昨今の私はネットやテレビを見ずに、ラジオを聞いていたりする。
若い人たちからすれば終わったコンテンツなのかもしれないが、昔は大変に盛り上がった。忌野清志郎がラジオ局と派手な喧嘩を繰り広げたことがあるなんて信じられないことだろう。
しかし、あまり盛り上がっていないコンテンツだからこそ、妙なデマを流す人が少ないし、明らかに政治的あるいは思想的に偏った番組については聞かなければ済む話だ。そのような番組はほとんどないが。
話し言葉以外の情報がないからだろうか、ラジオからの情報はロジックが綺麗に繋がっていて分かりやすい。
テレビやツイッターのようなしつこさもストレスも少ない。
これだけ社会が混乱している時期なので、人の頭の中が情報でオーバーフローしてしまっているように感じる。
より落ち着いて情報を得るには、信頼しうる一次情報とラジオなのではないかと思ったりもする。
便利なのか鬱陶しいのか分かりかねる情報化社会になってきたが、ラジオという媒体は私が出会ってから数十年以上の時間が流れ、むしろ穏やかになってきた。
情報の海という喧噪から離れ、落ち着いて物事を考えることができる。