シャーボのフラッグシップモデル
それにしても広くて深い沼だ。沼だと思っていたが湖なのかもしれない。
いつまでもがけば、どこまでもがけば沼を抜けられるのか。しかし、ようやく岸が見えてきたかもしれない。岸があると思って泳ぎ続けた方向は間違っていないようだ。
しかし、世の中には大声を上げて沼に飛び込んだり、前の人が走っているからと深く考えずに追いかけて沼にはまる人までいるようだ。
最も困るのは根拠のない妄信を自信満々に唱えて、関係のない人まで巻き込んで沼に飛び込む人。
本人は自ら分かった上で沼に飛び込むというよりも、そこが沼だと分からずに他者を巻き込んだりもする。
そして、いざ沼にはまると「誰か助けろ!」と反省もせずにさらに大きな声で叫ぶ。
そのような人のモチベーションの根元とは何かと考えれば、強い自己顕示欲と自己愛、ならびに社会が自分を高く評価しないことへの怒りだろうか。
その他の諸々の欲も背景にあることだろうが、批判されてもひるまない。自分は絶対に正しいと思い込んでしまっている。
人の生き様は顔全体に、心の中は目つきと口元に映し出される。
その人たちはどんな顔だろうか。
もう一つ大切なことがある。他者を巻き込んで沼に飛び込もうとする目立つ人が出現した時、その背後には往々にして何らかの意図がある、あるいは利益を狙う集団がいる。
その集団は目立つ人の影に隠れて表に出ず、目立つ人および追随する多くの人たちの思考を操ろうとする。
背後にいる人たちを表に引っ張り出すことは難しいが、冷静に考えれば分かる。
「騒ぎを起こすことで得をするのは誰か?」という道筋を辿るだけのこと。推理小説と同じだな。
それも人類の多様性かもしれないが、多様性があるからこそ逆にリスクを増大させることもある。
繰り返しになるが、大切なことは、立ち止まって自分で考えること。
忙しい毎日でも私が生活録を残そうと思った理由は、五十路が見えてきて残りの人生を大切にせねばと思ったから。通勤中にスマホでポチポチと文章を打ち込み、眠る前の10分間程度でキーボードで仕上げを書き記して眠り、翌朝にその文章を眺める。
感情的になっていた部分は修正し、その後は記した録を読まない。時間は前に向かって進む。とにかく録を残しておこうという習慣になっている。
それにしても、平凡だった昨日と同じ今日が来て、今日と変わらない明日が来るという毎日は、実はとてもありがたいことなのだなと思う。
しかし、その日々で何を感じていたのかを思い出せないくらいに時間は川の水のように流れる。やがて人生の全てが夢だったかのように感じることだろう。
数年前のバーンアウトに苦しんでいた時期の記憶は、私の脳にはほとんど残っていなくて、数行の日記という媒体にその痕跡が残っている。
必死に生きたはずなのに、記憶はたったそれだけの文字列でしか振り返ることができない。
以前もブログを続けていたのだが、どうしても他者を意識してしまい、自分の本心ではない形になることが多くて疲れた。
他者を意識せずに日々を記すだけで私自身にとっては意味があることに気づいたのは最近のことだ。
残りの人生で録を残しておけば、晩年にその答え合わせができるかもしれない。
さて、生きていると様々な沼に落ちるわけだが、昨年の年末から今まで私は「シャーボ沼」という不思議な沼に落ちて泳いでいた。
そのきっかけが何だったのか、日記を見てみる。思い出した。事務仕事を続けている時に、ふと自分の手で持っているペンが気になった時のことだ。
ジェットストリームの3色ペン。プラスチック製の安価なモデルを消耗品として購入したのだが、とても滑らかに文字を書くことができる。
しかし、事務仕事が山積みになってくると、ボールペンで文字を書いている途中でシャープペンや鉛筆に持ち替えることが面倒になった。
それと、私は子供の頃から落ち着きがなくて、とりわけ時間ばかりかかって暇に感じる会議中には、身体のどこかを動かそうとジェットストリームをパチリパチリと動かしていた。
ジェットストリームの安価なペンはとても優れた性能があるのだが、このプラスチックの感触がどうしても気に入らない。クリック音やバネの反発、それと力を入れるとしなる剛性の低さ。
或日のこと、妻が使っていなかったゼブラの2色シャーボが自宅に余っていて、それを偶然使ってみた。
金属製のペンの剛性感や質感、それと滑らかにシャープペンとボールペンが入れ替わる感触がとても心地よくて、少しだけグレードの高いシャーボを使ってみようと思ったわけだ。
そのシャーボ自体は記念品か何かでもらったそうで、あまり高価ではなかったのだが、それでも私にはとても興味深かった。
これだけ楽しい筆記具であれば、もっとグレードを上げればさらに面白いのではないかと、試しにシャーボXのCL5という、2色ボールペンとシャープという組み合わせのモデルを手に入れた。Amazonで数千円だった。
しかし、そこからがシャーボ沼の始まりだった。
今までのプラスチック製のペンは何だったのかというくらいにシャーボXは書きやすい。
ずっしりとした重量感。指で掴んだ時に重心が分かる素直な持ち心地。ダイレクトに力が伝わるけれど、芯が紙面とのタッチを調整してくれる感覚。
手組ホイールを取り付けた鋼鉄製の重いロードバイクを愛用している私だが、どうやらこの路線を好むことを実感する。
しかも、シャープペンの芯の太さや多色のボールペンのカラーやインクの種類まで変えられるシステムが楽しい。さらに、滑らかにペン先が入れ替わるメカニカルな感触がたまらない。
考え事をしている時にクルクルとシャーボの芯を回すとなぜか思考が落ち着く。
油性と水性とエマルジョンという3種類のインクのオプションの中で、黒色はエマルジョン、赤色は油性。
シャープペンは0.5mmだと筆圧が強くてよく折れるので、0.7mmを選択した。削りたての鉛筆の気持ち良さをずっと感じられるなんて素晴らしい。
黒と赤のボールペンとシャープペンの機能を使っているうちに、青や緑といった他のボールペンも欲しくなった。
シャーボXのCL5ではボールペンが2色のみなので、3色までの増設が可能なシャーボが欲しくなった。ということで、今度はシャーボXのフラッグシップモデルのTS10を手に入れた。定価で1万円もするペンだが、Amazonではモデルチェンジに伴って半額に近くなることが多い。
同じ品名のTS10でも多くのラインナップがあったので、1本のシルバーのモデルを選択したわけだが、これが実に使いやすい。
さすがフラッグシップモデルのTS10だ。CL5と比べると質感も書きやすさも格段に違う。ロードバイクのコンポーネントで例えると、DURA-ACEとTiagraくらいの違いがある。
ペンが気に入ると面倒な事務仕事が楽しくなる。
そういえば、私のボスはずっと前から筆記具マニアで、多数の万年筆やボールペンを使っている。私はボスの趣味をあまり感じ入れない目で眺めていた。文字を書く物に数万円とは信じられないと。
しかし、ボスの趣味の価値が分かった。会議や事務仕事が退屈で、真面目にメモを取ると気が晴れて、しかも仕事のパフォーマンスも上がるという話なのか。
本当に気に入った愛筆であれば、1~2時間は眺めたり文字を書くだけで時間を過ごせるということは分かる。
TS10の場合、1本のシャープペンと3色のボールペンを、たった一つのペンで使い分けができるだけでも感動したが、このヌルヌルとした切り替えの感触がとても気持ちがよい。
気が付くと、すぐに2本目のTS10が手元にあった。カラーが代わって紺色のペンを買った。これではゼブラ社の策略に乗ってしまったではないかと思ったが、シャーボが1本だけだと壊れたりなくしたら大変だと思った。
何のための多機能シャーボだと突っ込みたくなるが。適度な重量と質感。暇な会議も楽しくなって、黙々とメモを取るようになった。その他の事務仕事も捗る。シャーボで文字を書くことが楽しくてメモを取っているだけでも、周りから見ると真面目に学んでいるという形になる。
これはいいぞと思ったのだが、なんとTS10は、同じ品名であっても、それぞれの表面加工が異なることが多い。シルバーのシャーボは私が好きなマット加工だったが、追加で買った紺色のシャーボはマット加工に加えて滑り止めの縦の溝が本体に彫られている。
2本体制でシャーボを使おうと考えていたのにそれぞれの触感が全く異なると、ただでさえ感覚が過敏な私は違和感を覚える。ということで、赤色のTS10を追加で手に入れた。シルバーと紺色のどちらかの表面加工と同じなのだろうと推測したわけだ。
すると、赤色のTS10は表面を凹凸のない光沢加工が施されていて、それはそれで2本並べて使うと違和感がある。つまり、手に入れた3本のシャーボの触り心地が全く異なるわけだ。
これはいかんぞと、赤色のTS10のカラーリングに合わせて青色のTS10を追加で手に入れてみた。すると、青色のシャーボは光沢加工ではなくてマット加工だった。シャーボのカタログには詳しく書かれていない。私は混乱した。
「そんなことくらい、店舗で実際にシャーボを触ってみればいいじゃないか」という指摘が来るかもしれないが、定価で1万円を超える筆記具の場合には、かなり豪華な化粧箱に入っている。試しに肌触りを確認することが店舗では難しい。
つまり、シャーボXのTS10のモデルには、マット加工とグリップ加工と光沢加工という3種類があるということが分かった。2本ずつのセットとして使うという計算であれば、合計で6本のTS10が必要になる。
そして、気が付くと6本のTS10が手元にならんでいた。
シャーボXのTS10は定価が1万円くらいするのだが、Amazonでは40%の値引きがあって、これで利益が出るのかと心配になる。
しかし、そのようなディスカウントに私は弱い。1本が5千円程度であれば、6本買っても3万円程度。これで仕事の効率が上がるのであれば良しとしようと思ったが、やはりハイスペックなペンなので机の引き出しやペン立てに放り込むことに気が引ける。
ということで、牛革のペンケースを買って、それぞれのTS10の2本組を大切に保管することにした。2本組が3セットもあるので牛革のペンケースも複数が必要になった。
短い期間に筆記用具で散財することには気が引けたが、ロードバイクの趣味ならばもっと出費がかさむし、今の私はロードバイクに金を使っていない。これで良しとしよう。
シャーボXのTS10よりもグレードが下がるが、試しに買ったCL5についても1本だけだと寂しそうに見えた。
ということで、他のカラーのCL5を買って一緒に保管したり使用することにした。
そして、私は合計で8本ものシャーボXを持つシャーボマニアになってしまった。勢いとは恐ろしい。仕事が忙しくてストレスが溜まって噴出したというよりも、ロードバイクのパーツを買って楽しむような感覚でこの状態になってしまった。
机の上に並ぶシャーボを呆然と眺めながら思った。
これ以上、シャーボを買うのはやめよう。
数年後、シャーボに慣れてしまって万年筆に移行したくなった時が正念場だな。
万年筆の沼はシャーボの沼よりもずっと深淵で、メンテナンスという楽しみまで加わるようだ。
クロスバイク乗りが気が付くとロードバイクに乗っていたということがあるように、シャーボを使っている私が気が付くと万年筆を使っていたという展開だけは避けねばならない。