今度は妻が風邪でダウン
正月2日からの休日出勤で仕事の遅れを取り戻す。寝込む前から山のように仕事が溜まっていたが、コツコツと前に進んでいればどこかにたどり着くことだろう。
まあそれも五十路が見えてきた職業人の経験によるもので、真面目に何かに取り組んでいれば、その時は小さな点であったとしても、いつか点と点が繋がって線になる。
それは明日かもしれないし、5年後や10年後かもしれない。
線と線はやがて繋がって面になり、ようやく仕事が形になる。若い頃は点の大切さを重んじることなく、最初から面を描こうとして焦ったり悩んだりしたものだ。
仕事始めの喧噪を何とかやり過ごして、年末年始の数々のデッドラインのハードルを跳んで、というか這いつくばってハードルをくぐる。
いくつかの忙しさのピークを越えて、ようやく年初の最後のハードルが見えてきた。
金曜日に終わらなかった仕事を休日に仕上げればなんとかなるはずだ。
今度の三連休は家庭での時間を調整して、久しぶりにロードバイクのライドに行こう。楽しみだ。
しかし、休日の朝、妻の様子がおかしい。子供たちが驚いて大騒ぎしている。
この高熱、たぶんインフルだ。
私の風邪は1週間近く前に治まっていた。潜伏から発症までを考えると、妻は通勤電車あるいは職場でウイルスに感染したらしい。
妻もフルタイムの職業人なので別に不思議な話でもない。
休日出勤で妻に無理をかけてしまったか。週末も子供たちの塾や習い事がある。
現時点をもってロードバイクのライドどころではなくなった。
これから結婚、将来的には共働きの子育てを考えている男性がいたとする。
複数の子供たちを育てていて、核家族状態。そこで妻が風邪でダウンしたとする。その場合、夫はどうすればいいのかという話になる。
私なりの経験としては、仕事よりも家庭を優先し、何とかして乗り切るのみ。
よく子育てのヒントやチップをネットで検索するパパさんたちがいるが、ブログやツイッターに答えはほとんどない。
慌てたり悩んでも仕方がないし、慣れない家事や子育てのパートがあったりもするが、振り返ると懐かしいエピソードになる。
また、ここで頑張っておくことで、しばらくの間だが妻がキレる頻度が減る。頑張っておかないとずっと根に持ちかねない。
一人目の子供が産まれて大変だと嘆いているパパさんが珍しくないが、二人目が産まれるとさらに厳しくなる。妻からの当たりも強くなる。
昨年末に私が寝込んだ時、妻から私への扱いは手厳しいものだった。
妻としては、こんなに忙しい時期に風邪なんかで寝込みやがって的な感情を持っていただろうし、子供たちの情報では確かにそう言っていたらしい。
私が寝込んでいても看病してもらえなかったわけで、本当に辛かった。
巌窟王や魔太郎の展開だと、恨み晴らさでおきべきかと妻を放置するのだが、そんなことは滅相もない。
まずは妻にクリニックを受診してもらい、帰ってきたらとにかく別室で静養。
妻に氷枕を用意し、お粥を用意し、子供たちに食事を用意し、掃除、洗濯、買物と真面目に家庭で働く。
妻は抗ウイルス薬を飲んで寝込んでいる。
これは大変だ。私の趣味の自転車どころではない。
こういった突発的な事象では、肝が座って勝ち気な下の子供の方が頼りになる。
上の子供の方が穏和で真面目なのだが、母が寝込んで激しく動揺している。
おそらくだが、料理ができない父親だけで、この数日をどうやって乗り切るのかということが上の子供の大きな懸念だと思われる。
我が家では、子供の前で妻が夫をリスペクトすることが少なくて、ディスリスペクトすることが多いようだ。
多感な時期の子供に対して「父親は料理ができない」と妻が何度も口に出したら、それが本当だと刷り込まれてしまう。
それは家庭だけの話ではなくて、社会や国家観といったスケールにも繋がると思う。
大人たちが子供たちに対して、特定の人たちや特定の国についての意見を伝えると、子供たちはそれが本当だと受け取り、大人になっても思考に影響することが多い。
私の実家は借金を抱えた自営だったので、地方の役所の職員から横柄な態度をとられたり、理不尽な入札で利益が出ずに苦しんだ。
あの当時の街の職員の態度は子供だった私の目から見ても横柄で、実父は毎日のようにディスリスペクトを繰り返していた。
結果、私は五十路に近くなっても、また住む街が違っても、浦安市役所の職員を信用していない。
ミスがあれば指摘するし、接遇がなっていない職員を見かけたら上から行く。本音と建前を使い分けても無駄だ。
横柄に接してやろうといった気持ちはなくて、もちろん感謝しているのだが、子供の頃に刷り込まれた感情は消そうとしてもなかなか消せない。
このような子供の頃の刷り込みは、とりわけ社会や国家のレベルになると重大で、団塊世代と団塊ジュニア世代でも考え方が違うように感じる。
私なりに考えると、このような過程において強く影響する存在は三つあって、一つはもちろんだが教育現場。偏った教育がなされないように保護者が指摘する必要がある。
もう一つは行政。団塊世代と団塊ジュニア世代の大きな違いは、行政に対する関心の高低だと思う。
それがどうして生じたのかについてまで説明する必要はないことだろう。
最後の一つはマスメディアの存在。ネット上で批判されることが多いが、多くの大人たちに情報を伝え、次世代を担う子供たちにも影響を与える。実際にはとても大切な存在だ。うちではテレビを全く見ないが。
無心で家庭のことに取り組んでいると、ついつい思考が飛躍する。
もとい、子供たちは父親である私が食事を作ることができないと信じてしまっている。
あまり難しい料理は無理だが、ネットで食材の種類や量、調味料の成分比、加熱時間といったプロトコールさえ手に入れば問題ない。
ということで、メトラーとタイマーを用意して料理を作る。
不安げに料理を食べた子供たちに笑顔が戻った。
料理のプロトコールは種類が限られているので、妻に教わってストックを増やしておこうと思った。
大変な休日だが、良いこともあった。
いつもは長時間の仕事や通勤があって、子供たちと過ごす時間が限られている。
小学生になった子供たちは随分と成長したものだ。自分で一通りのことをこなしてくれるし、普段は子供たちが妻を頼ってしまうが、頼らずに頑張っている。
子供たちとの会話はとても楽しい。別室で子供たちと雑魚寝。寝姿が可愛らしい。
子供たちが傍にいると毛布が要らないくらい温かい。この子たちが大人になるまで父親として生きねば。
妻の大変さも再確認した。これならキレても仕方がない。いつも本当にありがとう。
夫婦生活が長くなるとお互いに気遣いがなくなるので、反省が大切だな。
料理をして気付いたが、包丁の切れ味が今一つだ。早速、研ごう。
あと、鍋やフライパンのコーティングが劣化している。早速、アマゾンでポチろう。
このような連休も父親として大切だな。平日はどうなることやら。