休校対応に悩みながらライドへ
このような意見を言うと元町のママがかんかんに怒って何のかんのとツイッターで攻撃して来るかもしれないが、最近の浦安市の行政はスタイルが大きく変わったな。
地に足の着いた安定感があるのだが、役人っぽさが増したというか。
考え方が堅くて頭の回転が遅いというか、おっとりしているというか。突発的な事象において判断が一歩遅れるというか、気が利かないというか。どうしてなのだろう。
今回のCOVID-19の対応においては浦安市として頑張っているとは思うが、最近では詰めの甘さが目立つ。
小学校を休校にしても、学童保育で子供たちが密集したら意味がない。そうなると、休校中の小学校の施設を使って学童保育を実施して、子供と子供の距離を離すという策がある。
しかし、浦安市のサイトにそのような説明は見当たらない。
気になる説明は見受けられる。
「なお、今後の状況により、開所時間の短縮、臨時休所などが発生する場合があります」
ベクトルが逆だな。学童保育を閉じたら共働きの浦安市民はどうなる?ひとり親の家庭はどうなる?
医療やライフライン等、社会機能の維持のために働いている保護者まで動けなくなったら、大変なことになる。
市役所の文書によくある但し書きを追加して責任を回避しているわけではないと思うが、そんなことを書いたとしても、実際に休所したら保護者から矢のようなクレームを浴びることになる。
しかし、このアナウンスを用意した青少年課は、急な決定で大変なことになっていることだろう。お察し申し上げる。
地方行政として可能な限り策を考えて、市民の生活を守るという気概がほしい。最前線でのガーディアンとしての役目がまわってきた現実を受け止めよう。
以下の文言も記載されている。
「接触機会を減らす観点から、勤務先において、在宅勤務や特別休暇などの制度がある場合は、積極的に活用いただき、児童育成クラブの利用を最小限としてください」
気持ちは分かるが、何かが足りない。多くの塾や習い事が閉じる状態で、浦安市は現状の学童保育のシステムで対応するつもりなのか?
そして保護者に協力をお願いするということか?
子供たちの接触機会を減らすために小学校を休校にするわけで、小学校の施設を閉じること自体が目的ではない。要請の内容をきちんと解釈する必要がある。
学童保育は現状でも狭い空間に子供たちがひしめき合っている。どうして小学校の校舎を学童保育で使わないのか。
このような指摘をすると、市役所的にはそれが不可能という結論ありきで理由を考えるのかもしれないが、接触の機会を減らすにはそれしかない。
気持ちは痛いほど分かるが、保護者に協力を要請する前に、市としてどのように工夫するのかが見えてこない。
まさか、学童保育のオーバーフローへの対策が考えられなくて、思考がフリーズしていないだろうか。
とにかく落ち着こう。
私の職場では在宅勤務をしていたら話にならないし、一斉休校に合わせた特別休暇を取ることも難しい。
私が気になっている最近の浦安行政の判断や機転が、まさにこのような対応だ。
そういえば、大型台風がやってきた時の浦安市のアナウンスは深刻な状態だった。市民の方がリアルタイムでツイートしてくださっていたが、本来なら市の公式ツイッターの出番だったはずだ。
市内のスピーカーで男性職員が何かを伝えていたが、強風とくぐもった声で全く聞き取れなかった。水害マップは色のグラデーションが紛らわしくて冠水深度が分かりづらかった。
このような行政で、街が液状化して崩壊した時に対応することができるのだろうか。
地方行政は往々にして市長の手腕が反映されるが、市長の頭の良し悪しについてはともかく、市役所の職員たちがかつてのトップダウンに慣れてしまっている感が否めない。
以前から突っ込みどころが多い行政ではあるが、突っ込まれることを恐れてガードを上げるよりも、突っ込みをアイデアとして変換すればいい。
液状化を経験した市職員たちは、市庁舎に残っていないのか?全て退職したのか?
街が崩壊した時、彼らはどうした?この街の窮地に対して一歩も引かず、最後の砦として必死に市民を守り抜いたではないか。可能な限り工夫して、迅速に対応し、多くの市民からの感謝と信頼を集めた。
あの当時の浦安行政の矜持と馬力は、どこに行ってしまったのだろう。
市内でトイレットペーパーが売り切れており、市のツイッターで買いだめをやめるように広報しているが、もっと具体的な策はなかったのか。
浦安市が、市内の販売店に対して日用品の購入数の制限を要請しておけば、このような騒動になっていなかったのではないか。街の出来事を傍観しているだけだったのか。
買物さえ不自由な高齢者は苦しんでいるかもしれないし、元気な高齢者は朝から並んで買い占めに勤しんでいる。
私の親の世代、つまり両親や義父母といった団塊世代について思うことがある。最近のシニア世代は「皆で力を合わせましょう」と言いながら、自分のことを優先して行動するような印象がある。
シニア世代と子育て世代が地域で漸次的に繋がっていることが少ないという特徴は浦安の新町では特に顕著だ。
親でも親戚でも知人でもないシニア世代を助けようという雰囲気はあまり感じられない。身近に助けてくれる人がほとんどいないシニアが、テレビ番組に煽られて買いだめに向かうことは納得しうる。
日用品はともかく、マスク不足は深刻だな。
今になって思い出したのだが、市区町村レベルでは非常時に備えてマスクを備蓄していることがある。
浦安市のように液状化が生じて砂泥が舞う可能性のある自治体ならば、当然ながら医療機関や保育園等に配布するくらいの数のマスクを備蓄しているはずだ。ネットで検索してみよう。
どこにもヒットしない。
浦安市はここまで財政力が高いのに、マスクを買う金を用意することができなかったのだろうか。数々の指摘がある或施設の維持費だけで、浦安市民がマスクを買わなくても生活することができるくらいの予算があるはずなのだが。
現在の浦安行政は「国や県の動向を踏まえて」という比重が大きいように感じる。平時なら角が立たない方法かもしれないが、非常時には対応が遅れる。
そして、ひとたび決定事項だと言い出すと、そこからは市民がどれだけ反対しても聞かずに押し通す。ディフェンスの能力は非常に強く、柔軟な対応は望めない。あくまで私感だが、これがこの街の行政のスタイルだと私は考えている。
差し支えない範囲で、自分たちで考え、自分たちで判断することの比重を増やした方がいい。それだけの実力がこの街の行政にはある。自信を持てばいいと思う。
今回の一斉休校や学童保育の件では、国や県からの細かな指示を待っている余裕はなく、地方自治体の知性と機動力が試される。
...と、浦安行政を熱く語っていても仕方がない。近い将来、私はこの街から引っ越すことをすでに決めている。この街のこれからについては、あまり考えないことにしている。
本日は休暇が取れたのに、子供たちが生活する街の対応がこれでは何とも気が休まらない。
最近では休日出勤が多すぎて、妻や子供たちが家庭での私の存在を意識していないようだ。私はまさに空気になった気がする。
朝が来て、妻と子供たちはさっさと外出してしまった。
一人でポツンと自宅にいても寝るだけなので、久しぶりにロードバイクに乗って実走へ。次回のライドはゴールデンウイークか、それとも夏休みか。
休める時に休んでおかないと、長丁場では心身がもたなくなる。首や肩の凝りが激しい。
両手首の腱鞘炎も厳しい。右手首は刺すような痛みだけではなくて可動域も狭まってきた。老後まで手術をせずに耐えることができるだろうか。
いざ実走に出てみると、筋力と心肺機能の衰えを実感した。情けないことに手賀沼から浦安に戻ってくる時のアップダウンで力が尽きるところだった。
以前なら重いクロモリロードバイクに乗ってもある程度は走れていたのだが、ここまで衰えたのか、単に消耗しているだけなのか。
登り坂で必死にペダルを漕ぎながら思ったことあある。
悪夢でも見ているかのようだ。一体、何が悪くて社会がこのような状態になったのか。数ヶ月前は平和だったはずなのに。
感染症の脅威と共にこの社会の問題が噴出したようだ。
我が国や多くの人たちを守ろうと必死に努力している大人がいる。
一方で、この期に及んで居丈高に辛辣な批判を投げつける大人たちがいる。
子供たちの目にはどのように映っているのだろう。
どちらの大人たちも、同世代であれば幼稚園児や保育園児の頃は同じところからスタートしたわけだ。そして、教育を受け、社会に出て、その人生の道程で様々な枝分かれがあり、現在がある。
とりわけツイッターは人々の心の中を映し出す鏡だと私は思っていて、その膨大なツイートを眺める度に、この社会の現状を知ることになる。
どこまで行っても自分、自分、自分。
深く考えることに注力しないで、他者が言ったことの中で自分なりに都合の良い内容を鵜呑みにし、信じてしまう。そして、対象を見つけると批判を続ける。
自分のことに関わる内容については敏感で、何か困ったことがあると「誰か動けよ」と。
それどころか、日本で生活しているのに日本の批判ばかり続け、国難が迫った時でさえ、その対応の足を引っ張ろうとする人たちが目立つ。一体、どのような価値観なのだろう。
日本に住む以上は、この国のことを考えることが大切だと思う。住む街が嫌なら街を引っ越せば住むが、国を引っ越すことは難しい。
我が国がこのような状態で、私たちは次の世代を担う子供たちに何を残すことができるというのか。
色々と考えながら走っている中でライドの勝手がつかめず、情けないことに途中でハンガーノックを起こし、鎌ヶ谷市内のコンビニのイートインコーナーで軽食を取る。
店内で買った物をイートインコーナーで飲食する場合には、あらかじめレジで申告しないと消費税率が異なるそうだ。何とも言えない気持ちになる。
昼過ぎに出発したので、浦安への帰還の時には暗くなっていた。ナイトライドも可能なくらいの道具を常備しているので困りはしなかったが、暗い道を走るのは久しぶりだな。心が落ち着く。
玄関のドアを開けると、先に帰宅していた妻や子供たちから一斉に「おかえり!」という声が聞こえた。我が家では珍しいことだ。
私が最初に挨拶をしないと、この家族は挨拶をしないのに。
どうやら、妻や子供たちが帰宅した時に私がいなかったので心配していたらしい。気が付かなかったが、携帯電話にも妻から着信があった。
ああ、それで気を遣って妻と子供たちが朝から外出したのか。
家族としては、まさか私にロードバイクで走るだけの元気が残っているとはと驚いていたが、私としてはむしろ元気を充電するために走ってきた。
ところで、上の子供は何とかなりそうだが、下の子供は学童保育に預けざるをえない。
妻が時差出勤で大変だということで、私が子供を学童に送って行くことになった。義父母はやはり助けてくれないようだ。
浦安市としては、児童育成クラブ、いわゆる学童での子供たちの過ごし方について、もう少し検討することを願いたい。この計画のままだと逆効果になるリスクがある。
後悔したところで後の祭りだ。本当の祭りどころの話ではなく、浦安行政への保護者たちの信頼が損なわれるかもしれない。
しかし、保護者が指摘したり、児童が集まり過ぎてオーバーフローを起こすと、浦安市が突然「学童保育を閉所する」などということを言い出すのではないかと心配している。
浦安市のサイトには、「なお、今後の状況により、開所時間の短縮、臨時休所などが発生する場合があります」と記載されているわけだから。
但し書きを記載するのなら、「今後の状況」についてある程度は具体例を記載した方がいい。市民に無用の心配をかけることになりかねない。
現在はCOVID-19の脅威だけでなく、社会全体がパニックを起こしているように感じる。このような状況下では、市民とのインターフェイスとなる地方行政の役割がとても大きい。
中央が迅速かつ細やかに対応してくれればと思うのだが、通常の業務でさえ残業続きで精一杯なのだろう。人員削減の影響も関係しているのかもしれないな。