2020/02/28

小学校の一斉休校と自治体の判断

仕事は一段落したのかどうか、まあとにかく次の段落に入ったようだ。私のような老いたスペシャリストは、落ち着いてジェネラリストの方針に従うのみ。若い頃は熱くなって上に突っかかったものだ。懐かしく感じる。


さて、COVID-19と名付けられたコロナウイルス感染症への対策として日本全国の学校が休校するというニュースを知った妻から私にメールが届いていたのだが、私は仕事が忙しすぎて深夜に帰宅してそのまま知らずに眠ってしまった。

政府から自治体に一斉休校を要請したのが木曜日で、小学校や中学校、高校の休校の開始の目安が翌週の月曜日。

霞ヶ関なら「ショートですみませんが...」という休日返上のよくある話かもしれないが、さすがに急な話だな。

共働き世帯は7割くらいになっていると理解しているが、小さな子供たちだけで留守番をさせるわけにはいかない。これに乗じて悪いことを考える輩も出かねない。

うちの子供たちは小学生だ。浦安市内に住む妻の実家が助けてくれるだろうか。普段は子育てにおいて義父母からのサポートがあまりないので、私としては不満を通り越して諦めの域に入っている。祖父母が孫たちよりも我が身を優先するようだ。

なるほど、義父母の介護の時の参考になる。

超プライベートな確執はともかく、私個人の経験としては、年末に子供がインフルにかかって私にうつった。ようやく復帰したと思ったら、今度は妻が別の亜型のインフルにかかって私にうつった。

私としても、家族からインフルエンザウイルスがうつらないように、家庭のレベルで可能な限り準備した上で、この結果だ。

妻や子供の前で防護衣やグローブ、N95をつけて看病するわけにもいかないし、咳き込むと飛沫を丸かぶりする。

私が先に風邪を引いた時に家族にうつしたことがないのは、体調が悪くなれば自室に自らを隔離して、飲食を含めて家族との接触を断つからだろう。妻や子供において同じことをやると恨まれる。

新型コロナウイルスの場合には、インフルエンザウイルスのような簡易検査キットが間に合っていない。

このようなキットは長年の研究開発に基づいて実用化されるもので、命に関わるだけに十分な承認審査も行われる。

インフルのような抗体ベースの簡易検査キットを実用化するためには、このコロナウイルスに対する特異的な抗体が必要となり、時間を要する。

一方、ウイルス粒子の中に入っているDNAやRNAといったゲノムを検出する検査の場合には、そのための試薬を人工合成で準備することができる。ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)を用いた検査もその一つ。

しかしながら、新規の病原体に対して1ヶ月にも充たない期間で臨床診断に耐えうるPCR検査系を開発することは大変なことだ。

しかも今回の敵はRNAウイルス。感染のリスクがある状態で検体から不安定なRNAを抽出し、PCRはDNAしか増幅できないので、逆転写反応を追加してRNAからDNAを合成し、そこから標的DNAを増幅して検出する必要がある。

多くの人たちが本当に理解しているのか分からないが、PCR検査はターゲットを狙い澄まして高感度で検出するような手法だ。

いくらロボットによるハイスループット化を講じても迅速性や処理しうる検体数に限りがある。担当者の練度も必要になるし、金もかかる。

病原体の専門家集団であり検査系を新しく開発することに長けた研究機関から、より大規模な機器や人員を有する民間企業への技術移転についても、前例がないくらいの速いスピードで進行していると思う。

博士号を有する研究者と企業の社員では病原体についての知識やスキルに差がある。民間企業は検査のプロであって病原体のプロではない。

民間企業は営利を目的としており、検査のための人員や機器が充実しているが、企業が最初から検査系を立ち上げていたら大変な時間がかかったことだろう。

専門の研究者たちが全力で取り組んだからこそ、このタイミングで検査が間に合ったわけだ。

そこから民間に技術移転する際にも時間や手間がかかる。

感染防止の技術や異なる使用機器等の至適化、陽性者が認められた場合の対応など、準備としてやることはたくさんあることだろう。

PCR検査の実施件数に関しては、テレビの影響をダイレクトに受けたであろうシニアや主婦層からのネットでの指摘が激しいようだ。

他には昼間からツイートを連続投稿している中年男性。どんな仕事なのだろうか。職場関連のツイートが見当たらない。

SNSでのプロフィールが本当なのかどうか分からないが、その人の思考や性格は文章に映ると私は考えていて、考えが一方向になってしまっていることは分かる。

彼らが過去に投げたツイートを見るとPCR検査というよりも他の意図を感じる。凄まじい勢いで罵詈雑言を飛ばしていることが多いが、複数のアカウントのうち、これは攻撃用あるいはストレス発散用のアカウントだろうか。

罵詈雑言や政治的もしくは思想的な主張以外の内容をツイートすることがないのだろうか。ほら、お昼に何を食べたとか、ふと春の息吹を感じたとか。

普通に生活していて、SNSを楽しんでいるのであれば、ツイートの内容がここまで偏らないことだろう。

政治的あるいは思想的な意図を含めて、研究者や医療関係者をスケープゴートとして批判することは正しくない。

PCR検査の実施を極限まで拡大させると、検査期間はともかく医療機関に大きな負荷がかかり過ぎる。

重度でない陽性患者どころか、風邪を引いただけの人たちまで病院に押し寄せて、医療現場が混乱することだろう。軽症でも入院ということになるとベッド数が足りない。

PCR検査の実施数が少ないと批判を飛ばしている人たちが実際にコロナウイルスに感染し、重症を呈したとする。

その時に、病院のベッドの空きがなく、ドクターやナースも手一杯という医療崩壊の状況になっていたら、入院どころか治療さえままならない。

もしくは、たくさんの人たちが病院にやってきて、行列に並んでPCR検査を待っていたとする。その行列に感染者、特にスプレッダーがいたらどうなる?

病院での感染や医療崩壊による死者の増加をケアして、症状が重い患者に絞って対応しているのに、マスコミにワイドショーに煽られて、自分たちを守ってくれている人たちまで批判するわけか。

根拠のない素人たちの意見を鵜呑みにし、自分たちを守ってくれている人たちを批判し、医療や行政を混乱させた結果として、自分自身が困る形になりかねない。

テレビのワイドショーを本気で信じているような人たちは、どうしてメディアが視聴者を煽っているのか、その意図を落ち着いて考える必要がある。

ワイドショーで発信されているような対応を実際に行っている国がある。

その結果はまもなく分かる。

それと、簡易検査キットも治療薬の開発もデータの分析も完了していない段階で、研究者たちの仕事を邪魔したり、彼らのモチベーションを落としたら、多くの市民に対して損害が生じる。

マスコミと一緒になって煽っているネットユーザーたちは、その意味についても理解した方がいい。

研究者や医療関係者たちは、当を得ていない批判を投げかけてくる人たちを含めて助けようとしている。

彼らにも家族がいて、頑張っているのにテレビやネットで批判されている姿を見ている。どんな気持ちなのか察することはできないか?

しかし、批判してくる人たちだけを選択的に助けないわけにはいかない。そういった人たちは他者を巻き込んだ上で、攻撃されない場所から批判を投げつける。

PCR検査について侃々諤々の議論を重ねている人たちの中には、おそらくクリニックで実施しているインフルの簡易検査のイメージで物事を考えていることがあるかもしれない。

自分が感染したかもしれないのに病院でインフルのような検査を受けられないとは何事だと、このような理由で怒っている人が多い気がする。

インフルの簡易検査は、PCR検査ではなくて、インフルエンザウイルスに特異的な抗体を結合させたコロイドを使って、ウイルスの粒子や蛋白質を捕捉する免疫クロマトグラフィーによる検査だ。感度はPCR程には高くないが、多くの人たちが知っているように迅速性がある。

この簡易検査キットを作るためには、もちろんだが新型コロナウイルスに特異的な抗体が必要になるが、抗体の作製には時間がかかる。

抗体のような巨大分子は人工合成が難しく、実験動物にウイルスの蛋白質を注射して、免疫反応によって抗体を産生させるわけだ。

研究者たちがウイルスを分離する理由の一つとして、ウイルスに対する抗体を得るという目的がある。その他としては、ウイルスの性状を解析する上でも、すでに承認されている医薬品の中で治療薬候補を探す上でも、ワクチンを開発する上でも分離培養したウイルスが必要になる。

だからこそ、研究者たちは特殊な細胞を使って真っ先にウイルスを捕まえて分離したわけだ。

さらに、より正確な検査を求めるのであれば、ウイルスの蛋白質に対する抗体を産生している細胞のみを選別し、バイオリアクター等を使ってモノクローナル抗体を量産するといった工程が必要になる。

優れた抗体が手に入れば、その他はすでに開発されている免疫クロマトグラフィーのキットに抗体を搭載するという話になる。

ただし、コロナウイルスに対してこの検査手法が適用しうるのかを確認する必要がある。他のコロナウイルスにも反応してしまったら使えないし、感度が足りなくても使えない。

免疫クロマト検査には、前述の他にも方法があって、それはウイルスを検出するのではなく、ウイルスに対する免疫反応によって人の体内で産生された抗体を検出する方法。

この方法の場合にはウイルスの粒子や蛋白質があれば材料が揃うが、他のウイルスと交差反応しないことを確認したり、実際の患者の血液を用いた十分な評価が必要になる。

人に感染しても抗体が産生されにくいウイルスの場合には陽性の判定が難しくなり、診断を目的とした検査に使うことが困難になる。

このような場合には、急性期と回復期の血清をペアとして抗体量を比較したりもするわけだが、新型コロナウイルスによる肺炎の場合には回復期を待っている余裕はない。

インフルエンザの簡易検査キットでは、感染した人の体内で産生された抗体ではなくて、体内で増殖しているウイルスを免疫クロマト検出するので即時性がある。

この簡易検査キットだって、容易に開発されたわけではない。数え切れないくらいの人たちが長年の研究を続けて生まれたものだ。

免疫クロマト自体が新型コロナウイルス感染症の検査に使用することができない場合には、ELISA法やウイルス中和といった抗体検査、もしくはPCRよりも簡便な核酸検査という選択肢もある。

また、臨床での検査の手法や意義、必要性については疾患によって異なる。最も鋭敏なPCR検査しか通用しない場合もあるし、他のオプションが使える場合もある。

普通の人たちが考えると気が遠くなるような難しい話だが、研究者たちはすでに多方面での分析や検査技術の開発に取りかかっている。その情報も公開されている。

しかし、メディアがそのことを分かりやすく伝えているようには思えない。とりわけテレビ番組では、自称専門家を引っ張ってきて、むしろ社会を煽っているように感じることがある。

何かあるとすぐに海外を引き合いに出して指摘するが、どの国にも事情があるし、このような我が国の状況を生み出した背景において、マスコミの責任が全くないと言えるのか。

社会を煽ることとジャーナリズムは異なる。社会を混乱させ、医療現場を混乱させていることにまだ気付かないのか。

私は彼らの仕事をゴミだとは言わない。大切な使命を背負った仕事だ。しかし、多くの人たちが求めているのは、偏りなく事実を伝えてくれる存在だと思う。

全国での一斉休校は、この状況において子供たちの間で新型コロナウイルスの感染が広がった場合、PCR検査や疫学的なサーベイランスでは間に合わないと判断したからだろう。

子供が感染して自宅に戻り、家族が感染したらさらにウイルスが広がるかもしれないと。

様々な都合はあっても、命を守ることが最優先であり、最初から結果が分かれば苦労はしない。

ただ、子供たちの感染率の低さを考えた場合、あるいは疫学や公衆衛生学、数理学的な根拠に基づいて考えた場合、別の措置があるかもしれない。

感染しても無症候になることが多いウイルスは非常に厄介で、臨床医による診断は非常に難しい。

それ以上に、浦安市民としては、休校に乗じて全国の子供たちがディズニーに押し寄せるという事態を懸念していた。春節で多数の中国人が浦安に押し寄せた後ではあるが、ここで休園を決定したオリエンタルランドの英断は重要だと思う。

大人になるかならないかという時期に学歴や職業人生がある程度決まってしまうことが、日本社会の現実だ。

子供たちにおいては、休校だから遊ぼうなどと考えず、大人になって後悔したくなければ勉強しろと言いたい。

しかしながら、急なスケジュールでの一斉休校は、私のような共働き世帯には厳しい。給食がなくなるので子供たちの弁当も用意する必要がある。

浦安市の場合には児童育成クラブ、いわゆる学童保育が充実しているが、習い事やスポーツサークルなどが閉じた状況では、学童に子供たちが押し寄せる可能性がある。

しかも、子供たちが学童保育の狭い空間で朝から夕方まで一緒に生活するわけだ。小学校よりも接触が多い状態になる。指導員も大変だ。

この場合、休校にした小学校の施設を用いて学童保育を行えば、子供たちの絶対数が減っているわけで、子供同士の間隔を広げることでリスクが減ると思う。

また、都合が付けば小学校の教員からのサポートも期待することができるわけだし、急に子供が体調を崩しても保健室に連れて行くことができる。

現状の学童の施設では限界がある。その程度のことは浦安市が察していることだろう。

ということで、浦安市の公式サイトにアクセスしてみた。

察していないようだ。

学童保育については開所し、学童に通っていないがどうしても世話ができない場合には小学3年生以下を学校で預かるとのこと。

学童保育における懸念について想定しているとは思えない。

ここまで急な話だと、浦安市としても判断が難しいかもしれないが、小学校という建物自体を閉鎖することではなくて、子供たちの集団での感染を阻止あるいはリスクを低減することが目的のはずだ。

小学校を一時的に閉じるということに注視してしまって、逆に学童で子供たちの接触の空間を増やしてしまうのではないだろうか。

しかも、子供たちが通う小学校の学童の場合、どうしてこのような配置になっているのか分からなかったが、小学校から離れた場所に学童がある。

学童の真横は保育園だ。調べてみると、この学童の配置については、とある浦安市の関係者が推したそうだ。その他についても詳しく調べてみたが、失敗例が結構ある。

学童と小学校を離してしまうという、私にとってはナンセンスな配置によって、子供たちは小学校を下校した後で、危険な道路を渡って学童に通っている。

今回のように、予期し得ない事態で学童保育の施設や人員がオーバーフローする可能性がある場合、浦安市の行政としては、小学校の施設を使用して受け止めるという機転がほしい。

「それでは小学校を休校にした意味がない」という指摘を飛ばす人がいたとすれば、かなり浅い考えだと思う。

小学校を休校にして、子供たちを学童に芋洗い状態で押し込んでリスクを増やすよりは、学童保育において小学校の施設を使った方が安全だ。

何が目的なのかを考えれば分かる。

問題は、浦安市の市役所や教育委員会等が気付いているかどうか。

そのことに気付いて早々にアクションを始めた自治体があり、実際に保護者から賞賛が集まっている。

細かな指針や説明のない状況では、それぞれの自治体の知性が試される局面だ。

液状化の際、浦安市の行政は、刻一刻と変化する状況に対応して市民の生活と命を守る盾となった。市民として彼ら彼女らの働きを信じよう。