2020/02/24

マンション住まいの哀しみ

あまりに気持ちと状況が複雑で録のタイトルが定まらない。半年くらい前、自宅のマンションの上の階に一人の未就学児を育てている家族が引っ越してきて、我が家の生活環境は悪化した。


別の録に経緯を記したが、朝は8時くらいから、夜は21時や22時くらいまで、上の階の部屋で一人の未就学児が走りまわっている。

おそらく食事と思われる時間は静かだが、その他の多くは上の階の家族の子供が1時間でも2時間でも、ドコドコドコドコドンッ、ドコドコドコドコドンッと一定のペースで休まず走り、たまにジャンプしている。

その一家が引っ越してきた半年くらい前は、感覚過敏を有する私だけが上の階の騒音と振動が気になっていた。

そのうち親がしつけるだろうと我慢していたら、音と振動はさらに大きくなり、まさに四六時中という感じで上の階で走り回るようになった。

マンションで生活する上でやむを得ない音や震動はある。例えば掃除機や洗濯機、エアコンの室外機。そのような音なら気にならない。

しかし、2歳や3歳の子供が同じペースで部屋の中をずっと走り回り、飛び跳ねることは尋常ではない。その行為が朝も夜も続くので気分が滅入ってしまう。

この同じペースという点が私たち家族には不思議でならない。

1時間でも2時間でも、同じペースのまま走りまわって、よく飽きないものだと。反復行動をずっと繰り返している。

さすがにこれは厳しいと思って、その世帯のところまで行って状況を伝え、善処するようお願いした。

しかし、静かになったのは1週間くらいで、再び上の階で子供が走り回り始めた。

夜10時くらいまで上の階で子供が走り回ると、うるさくて我が子たちが眠れない。

私が不在だった時、妻が上の階まで行って玄関先で静かにしてほしいとお願いしたところ、インターホン越しに「これから寝かしつけますから」と、お詫びの言葉もなかったそうだ。謝ったら負けという態度は日本的ではないな。

今朝も相変わらずの休日出勤だが、上の階の子供が走り回る音で目が覚めた。

相変わらずドコドコドコドコドンッ、ドコドコドコドコドンッと、あまりの不快さに叫びたくなる。親は気にならないのだろうか。

出勤する前に、現状の確認と今後の対応について上の階の家族と話し合うことにした。

わけあって私の仕事が忙しく、近所のトラブルについて時間を割いている余裕はないのだが、私は平日に徹夜に近い勤務を終えて休みをとって眠っている時がある。

このような状態が続くと私が身体を壊してしまう。子供たちは中学受験の勉強がある。

子をしつけない親から迷惑を被っているのであれば、私は世帯主として抗議せざるをえない。こちらに非はない。一方的に迷惑をかけられている。その子供が小学生くらいになったら大変なことになる。

マンションは共同住居だ。そのような子育ては戸建てなら問題ないかもしれないが、下の階で人が住んでいる。配慮が必要だ。

階段を上がって、その世帯のドアの横のボタンを押した。

すると、「インターホン越しの会話でいいでしょうか?」という父親の声が聞こえて、頭の中の血液の温度が上昇する気がした。

おそらく妻が不遜に感じたのはこの対応なのだろう。自分の世帯が迷惑をかけておいて、この態度はいかがなものか。

こちらは半年以上も苦しんでいるのに、詫びもせずにドア越しとは。そのような方針に切り替えたのであれば、礼儀ある対応とは思えない。

「すみませんが、こちらは朝から晩までお宅からの音と振動で困っています。直接、お話ができないのですか?」と伝えた。

すると、「朝から晩までは言い過ぎでしょ!」という母親の怒鳴り声がインターホンから聞こえてきた。

私の頭の中の血液が煮え立つ気がした。いや、朝から晩までは言い過ぎではない。事実だ。まさか親が現実を受け止めず、これが普通と判断し、私たちの家族がクレーマーだと思っているのか。

途中の休憩の間隔を考慮するか否かだが、朝から晩までという表現は間違っていない。

「それならば、業者を呼んでどれくらいの音がどれくらいの時間続いているのかを調査しましょう」と答えた。

その母親は、「だったら!」と言いかけて、父親が静止する声が聞こえた。

だったらなんだ。調査会社を呼んで調べて民事裁判を行って、結果的に調査費用も全額負担したいというわけか。

民事不介入の警察でも呼ぶか?強要にも脅迫にも該当しない。

迷惑をかけている側が感情的になって威圧しても意味はない。喧嘩を売る相手を間違えない方がいい。半年以上の苦痛を理解しているか。

それにしても、私は下の階の部屋の世帯主だ。世帯主に対して怒鳴るとは。古臭い日本の社会観だと言われようとも、このようなトラブルは世帯主同士で腹を割って話し合うものだ。

例えば田舎に住んでいて、他の世帯の母親が、別の世帯の父親に対して怒鳴ったら、その地域で大変な噂になって孤立することだろう。

しかし、この浦安市の新町ではそういった不文律があるようには思えない。他人は他人、自分は自分がまかり通る。

この連帯意識の希薄さは異様だと思う。同じ区画に住んでいても町という存在が確立していなくて、町そのものが成熟していない。

新浦安の民度は控えめだといつも思うが、その現実は横断歩道で自転車の往来を見ればすぐに分かる。老若男女問わず、赤信号で突っ込んでいく人がどれだけ多いことか。

ヘッドホンを付けたまま、あるいはスマホを眺めながら。深夜には缶酎ハイの缶を持ったまま自転車で走っている新町の市民を見かける。

警察が検問を張って酒気帯びの自転車乗りを取り締まればいい。たくさんの切符を切ることができる。

道路上には学習塾の迎えのために乗用車が並び、一車線を塞いでしまっている。中の人たちはスマホで遊んでいる。

保育園や学童の前の保護者の路駐、新浦安駅前でのロータリーでの駐車の列。マイカーで自分の世帯の利便性を高めてはいるが、他の車や路線バスの通行なんて気にしていないだろ。

結局のところ、新町の住民たちには自分たちのことばかり優先する人が多い。「嫌なら、この町から出て行け」と言われそうだが、言われなくてもそのつもりさ。この街は気に入らない。街並みは綺麗だが、中の人たちはどうなのか。自分のことが大好きな人たちが多いことは否めない。

さらに、私感ではあるが、新浦安の人たちの中には感情の沸点が低い人が珍しくない。

母親に限ったことではないが、相手が他の家族の世帯主であっても、不満があると厳しい指摘をガツンと飛ばしてきたり、怒鳴ってきたりもする。

多くの子育て世帯が他の自治体から引っ越してきて、浦安市民としての帰属意識どころか、地域の繋がりやご近所付き合いという考えがあまりないからだろうか。対立し始めるとバチバチと火花が散る。

しかも、そのバトルにはジャッジがいない。

仲裁が入るとすれば地域課の警官や住宅の管理会社くらいだろうか。自治会だろうが、PTAだろうが、誰も仲裁に入らない。

成熟した町ならば、例えば世話役のシニアとか、そういった人が「まあ、まあ」と割って入るかもしれないし、両親や祖父母の世代からこの町に住んでいたら、もちろんだが両親や祖父母がバトルを収めるかもしれない。バトルの前に当事者にも自制が働く。

しかし、くどいようだがジャッジがいない。核家族が多くて、我を優先し、これで共助と言えるかどうか。

これは埋め立て地の新興住宅地に特有の傾向だろうか。本当に困った時には警察や弁護士以外に頼れる存在がない。早く新浦安から引っ越したい。

バトルが始まると互いに弁が立って面倒なので、各世帯が適度な距離をとって生活する。それがこの町で心穏やかに過ごすためのコツだが、今回のようにラインを踏み越えるインシデントが生じたりもする。

地域の情報サイトには浦安の新町がさも華麗に表現されていたりするが、あれは必ずしも現実ではない。

あくまで推察だが、古き良き浦安を知っている元町の人たちから見ると、この住民性こそが新町の人たちのことを気に入らない理由の一つかもしれない。

その新町の住民である私が言うのも恐縮だが、357号線を隔てて南北で街が分かれてしまう理由が分かる。街をつくるのは人であり、街が人をつくるわけではない。

一見すると新町はドライな雰囲気だが、ひとたび火花が散ると面倒な雰囲気が嫌で、私はできる限り他の世帯と距離をとって関わらないことにしている。しかし、向こう側からアクションがあれば対応せざるをえない。

私としては、デメリットを受けている側は我が家であり、怒鳴られる筋合いはない。「ならば、ご主人と話をさせて頂きたい。近所で揉めるのは良くないので、外に出て二人で話をしたい」と伝えた。

前時代的と言われようとも、世帯主同士が話し合うことは重要だ。お互いに都合というものがあって、どこかで落としどころを付けねばならない。他の世帯の奥方が世帯主に対して怒鳴るというのはよろしくない。

すると、しばらく待ってドアが開いたが、そこに映った光景を見て、私は絶句した。明らかに母親が消耗している。父親がフォローをしているが、父親も疲れている。

我が家としては天井の上で子供が走り回っているので何とかしてほしいとお願いしているわけだが、その夫婦としては、何とかしようと努力した結果としてこの状況なのだと察した。

一瞬だけ床を見ると、確かに防音や防振を目的としたクッションが敷き詰められている。それでもこれだけの騒音と振動を生じているのか。

おそらく、しつけで何とかなる子育てのレベルではなくて、その現実の中でこの夫婦は苦悩している。

私まで辛い気持ちになって涙目になった。

私としても、これ以上の指摘は気の毒だと思って、まずはこれまでの経緯の中で不快に感じたことがあれば詫びると申し出て、実際に心から謝った。

被害を受けているのは私の世帯だが、事情を知らなかった。

その子供は、両親が玄関先で見知らぬオッサンと話をしていても気にせずに自分の世界に入って遊んでいる。

母親は疲れ切っている様子だし、父親はこれからの対応について懸命に考えをめぐらせているようだった。

しかし、私の世帯の対応としては詰んだと思った。私の頭の中で「いぬのおまわりさん」の歌がリフレインした。私の思考が八方塞がりになるといつもこの曲が聞こえる。

おそらく、この状況では子供に走るなとしつけることは難しい。走り回ることに快感を覚えてしまっていて、止めると大騒ぎすることだろう。親同士が話し合っても決して結論に至らないと察した。

親が子に注意することで何とかなるのであれば私としても頑張るが、おそらく何度も注意してこの状況なのだろう。なぜか分からないが新浦安にはこのようなケースが多い気がする。

私自身が落ち着きのない子供だったので状況を察することはできる。子供もよりも先に親が悩み苦しむ展開なのかもしれない。

しかし、親としてはその現実を受け止められないのではないかと。私が同じ立場だったらどうなのか、きっと同じ状態になるはずだ。

お互いに議論を繰り広げても解決には至らないことを判断して、あまりに騒音や振動が酷い時には再び相談するという形で話を収めた。

このような場合、近隣住民としては可能な限り我慢し、配慮し、温かく見守るという考えが一般的なのだろう。

言葉では分かっていても、実際に自分たちが近隣住民の立場になると、現実を受け止められずにいる。

私たち家族にとっては苦しみが続くだけだ。真面目に生きてきただけなのに、どうして巻き込まれなくてはならないのか。

一方でその夫婦の苦労も分かる。集合住宅が多い浦安では、近隣住民とのトラブルが絶えないことだろう。マンションではなくて戸建てならと思いはするが、引っ越してくる時期には気付かなかったのだと思う。

世の中は必ずしもイエスとノー、善と悪、白と黒のように分けられるものではないし、判断するのが難しいことも多い。

その部屋の玄関から階段を降りて自宅に戻り、妻に状況を報告した。妻としては「やはり...」という顔をしていたが、そこからの論理的な展開はさすがだった。

自分の世帯がこの状況ならばどうするかを的確にスラスラと説明し、その世帯に足りないことは何かを的確に射抜いていた。

あまりに妻の説明が滑らか過ぎて、下の子供が自分のことを言われているのかと勘違いして、私たち夫婦の話を遮ろうと頑張っていた。

妻としては、夫がアレなこともあって、あらかじめ子供たちをどのように育てればよいのかを調べ尽くし、考え尽くしてくれていたことをこのタイミングで実感した。

だからこそ、考えうる選択肢がスラスラと浮かび上がるのだろう。我が子たちは個性が豊かだが、想像していたレベルよりも育てやすい。

しかし、あらかじめ準備してくれていた妻には感謝したい。やはり死にかけた時に妻に保護されて正解だったと思う。

では、世帯主の私として、この状況をどのように切り抜けるのか。

私自身が落ち着きのない子供だったので、上の階でドンドコと子供が走り回っていても話し合うくらいの気持ちがある。

しかし、もしも普通の人が世帯主だったら、頻繁に上の階に怒鳴り込んでプレッシャーをかけるかもしれない。世の中には怒ってドアに「うるさい!」と貼り紙を貼る人までいるそうだ。

私たちが引っ越して、階下にどのような人たちが入居するのかは分からない。気が荒いクレーマーから徹底的に抗議された時、すでに疲れている上の階の夫婦は耐えられるだろうか。

これが分譲マンションの恐いところだ。不動産業者はこのようなトラブルのことまで言及せずに物件を売るだろうし、そこまで言及していたら商売にならないだろうから。

とはいえ、うちの上の子供はこれから中学受験を控えている。このように騒がしいと、集中して勉強することが難しい。

かといって、上の階の夫婦に対して静かにしてくれと言っても限界があることだろう。

親がしつけて何とかなるという話なのかが分からないし、あまり注意するとその夫婦を追い込んでしまうことになりかねない。

繰り返しになるが、これがマンションの恐さだ。上下や左右の部屋にどんな世帯が入居してくるか分からない。

しかも、下の子供が浦安市外の私立中学校に入学して、私の世帯が浦安から転出するというプランを立ててはいるが、その時期の前に同じ日の出地区で引っ越しをするという展開が見えてきた。

せっかく子供たちのためと思って貯金しているのに、このタイミングで引っ越しすると、50万円どころか100万円以上の経費では足りないかもしれない。

上の階に引っ越してきた住民のせいでとは言わないが、それがマンション生活のリスクでもある。全く予想していない展開での出費だ。

かといって、子供たちが小学校に通っている状態では他の地区に引っ越すことも難しいだろうし、上の階の部屋は分譲タイプなので、おそらく引っ越してくれるという可能性も薄い。

となると、私の近場で引っ越しという話になることだろう。

この件は浦安に限ったことではないと思うが、この先、どれだけの金と時間と手間がかかるのかと思うと気が重い。

運が悪かったと諦めるしかないのだろうか。

その世帯にとっては苦難の道だろうけれど、巻き込まれている人たちへの配慮や、理解を示して助けてくれる人たちへの感謝がないと、この先はさらに大変になると思う。

子供が走り回る性質があることが分かっていながら、どうしてこの物件に引っ越してきたのだろうかと感じはするが、誰だって子育ては未経験から始まる。責めることはできない。

子供にも非はない。全ての命に意味がある。私自身が色々と背負って生まれてきたからこそ思うわけだけれど。

今は年度末だけでなくて多くの仕事が降ってきている。ここまで大変な時期に引っ越しのことまで考えている余裕はないが、引っ越しを検討するか。

苦あり楽ありの人生だ。波が変わることを信じよう。