2020/02/22

たこ焼きに喜ぶ我が子たち

最近の私は休日も働いていることが多く、たまに休みが取れても疲れて昼くらいまで寝ていたりする。この日の休日は家族と休みが重なった。


どうやら下の子供の発案で、その日の夕食を私が作るという予定になっていたそうだ。メニューも指定されていて、たこ焼き。

妻は子供の頃から今まで浦安を出て生活したことがほとんどなく、私も関西出身ではないこともあって、夕食でたこ焼きを食べるという習慣がない。

子供たちとしては、平日の朝にわずかな挨拶を交わし、眠った頃に残業から帰ってくる父親との時間を取りたかったのだろうかと深読みした。

だが、実際には単純にたこ焼きを食べたいだけの話だった。妻が食材を用意してくれていたので、特に大変でもない。

私は関西人ではないのだが、たこ焼きをつくることは得意だ。

学生時代には金がなくて食に困り、たこ焼きを焼いて耐えていたことがよくあった。

リサイクルショップでたこ焼き用の小さな鉄板を買い、業務用スーパーで小麦粉と卵を買い、タコは高かったので買えなくて、天かすと紅ショウガだけ。

たこ焼きなのにタコが入っていないことを切なく感じたが、自分が惨めだとは思わなかった。

金はなかったが、実家の経済状態を考えれば、私が大学に通えるだけでも有り難い話だ。

何より、当時の私は若さがあった。

無限とは言えないまでもたくさんの選択肢と可能性があった。夢や希望といった若さゆえの勢いもあった。

その後、私はある程度の職業人生が決まっていたはずの既定路線をドロップアウトして、別の道に進んだ。

当時に観た映画の脇役に憧れて、同じ仕事に就きたかったというだけの理由だった。

今から思えば、既定路線を進んだ方が明らかに楽な人生だったな。何せその職業に就くための専攻だったから、就職もスムーズだ。

その業界の偉い人たちは大学の先輩たちが多い。まさにホームで働くわけだ。出世も早い。

しかし、ドロップアウトして別の道に進むと、明らかにスタートが遅れたところからスゴロクが始まる。

しかも、日本の社会は大人になるかならないかという時期のペーパーテストの結果だけで人にレッテルを貼る傾向が強い。

やれ何とか大学だとか、何とか学部だと。しかし、それも現実だ。

親子ともに狂気を発動して受験に取り組むと、そこからの人生でもメリットがあり、一度でも道を踏み外すと元に戻ることが難しい社会でもある。

その職業に就くために最初から教育を受けてきた人たちにとってはホームだが、私はずっとアウェイで働くことになる。

それでも、当時の私は既定路線の職に進みたくなかった。それは親が決めた道だったので、あまり気に入らなかった。

そして、20年以上が過ぎて、通勤地獄で疲れ果て、老いた自分がここにいる。しかし、仕事はやりがいがある。

浦安に引っ越したことは私にとって間違いだったが、家族にとっては間違いではなかったようだ。

若い頃の苦労があったからこそ今がある。ということは、今の苦労も将来に繋がると信じよう。

まあそんなことを思い巡らしながら、お好み焼きよりも緩めに生地をつくり、たこ焼き用のホットプレートに広げ、タコとネギを入れてしばらく待つ。

このたこ焼きプレートは、近くのケーズデンキで投げ売りになっていたので買っておいた。

浦安の液状化でガスと水道が止まった時でも電気は生きていた。

電気式のたこ焼き器ならば、再び液状化が起きてもスロットの中で複数の食材を入れて調理することができるかなと私なりに閃いたわけだ。

しかし、当てが外れて結局は仕様通りにたこ焼き器として使用されている。当てが当たると悲惨なので、これでよしとしよう。

子供たちは、そこから串でクルッとたこ焼きを回す瞬間が楽しいらしい。途中から子供たちが自分で焼き始めた。

嬉しそうにたこ焼きを頬ばる子供たちが突然静かになった。熱くて喋れなくなって、水がほしいようだ。ベタすぎる展開に、思わず笑みがこぼれる。

あまり大きなたこ焼き器ではないのだが、焼きあがる度に子供たちが食べてしまい、タコがなくなって終了。

それにしても子供たちはよく食べるようになった。仕事が忙しくて家族一緒の時間が少ないためか、子供たちの成長に気づいて驚くことが多い。

満腹になった子供たちが別室ではしゃいでいる。残った小麦粉を使ってお好み焼きを作り、妻と一緒に食べる。妻とのんびりと夕食をとる機会も久しぶりだ。

ここまでの道のりはとても厳しかった。これほどまでに子育てが大変なのだから、なるほど少子化も進むだろうよと納得する。

私の人生を振り返ってみると、小学生時代の記憶は残っている。わが子たちが今日の夕食のことをいつまで覚えているかは分からないが、私はずっと覚えていることだろう。

ありえない話だが、タコが入っていないたこ焼きを食べて頑張っていた頃の若き自分にメッセージを送ることができたとしたら、私は何と伝えるのだろう。

将来、子供たちに囲まれて楽しい時間が待っているよと励ますことだろう。しかし、結婚しなくなるかもしれないので、途中の育児の厳しさについては黙っておこう。

私の実家に借金が多かったのは、両親が事業に失敗したわけではなくて、先代の祖父の放漫経営によるものだった。

両親は借金を返し終わって今はソフトランディングな老後を過ごしているが、当時は大変だった。

私としても学生時代に借りた多額の奨学金について、四十路になって返済の目途がついた。奨学金の額でポルシェが買えるくらいだ。

もちろんだが両親からの遺産なんて全く期待できないわけだし、経済的にも我が家を支援してくれない妻の実家に対しても期待していない。

両家の墓は永代供養、あるいは海に撒いて終わりにしようと思っているのだが、たぶん妻が止めることだろう。

それにしても、祖父のツケが孫である私にまで影響していたと考えると、今の私や妻の生き方が孫の代にまで影響するということか。

子孫により良いバトン手渡したいと願うことは欲かもしれないが、そのためにはどうすれば良いのだろうか。

長い目で見れば、遺産よりも教育かもしれない。

意見がすれ違うことが多いうちの夫婦だが、子供たちの教育に金をかけるという点では意気投合している。

わが子たちや孫たちには金や食に困ることがない人生を歩んでほしいと願いつつ、ハングリー精神が育っていないことを心配しつつ。子育ては葛藤の連続だな。

まあとにかく、20年後の私が感謝してくれるように、今は地道に働くしかないようだ。