2019/11/01

HYPSENTとハンドルネーム

このブログは忍者ブログというサービスを使用している。忍者ブログを提供しているのは「サムライファクトリー」という日本の企業だ。


アカウントを取得して1時間くらいでサイトを立ち上げてエントリーを重ねただけの状態だったので、この数日は細かなセッティングやGoogleとの連携などを行っていた。

かつてはサイト全体のデザインやファビコンにまでこだわっていた頃があったが、歳のせいなのかあまりこだわらなくなった。デフォルト感が半端ない。

昨今では画像撮影技術が飛躍的に進歩して、とても鮮やかで美しい写真がサイトやSNSにあふれているし、デザイナーが作品として作り出したようなデザインのブログを簡単に使用することができる世の中になった。

その状況に飽きてしまったので、逆に目立たない質素なデザインのテキストベースのサイトをつくろうと思った。

ただし、その場合には写真やデザインに頼れないので、ブロガーの文才や教養、ユーモアが直接的に反映される。難易度高めだな。

ブログの仮タイトルとして設定したのは「六感風景」だったが、六感という言葉がネット上にたくさん漂っているので、おそらくネット検索でヒットしない気がした。

それでも別に構わないわけだけれど、自分で自分のサイトを閲覧したい時にネット検索でブログのタイトルがヒットしないと不便だ。

ということで、ブログのタイトルを「HYPSENT」という単語に変更した。たぶんそのうちヒットすることだろう。

私が勝手に作った造語なので、辞書には出てこない。どうやって発音するのか本人も分からない。「ハイプセント」だろうか、「ヒプセント」だろうか。

まあ読み手が適当に発音してくれればいいのだが、結局は「録観ブログ」という感じで呼ばれるのだろう。

「HYPSENT」の由来は実に適当だ。私は子供の頃から感覚過敏に苦しんでいて、妻や子供たちが家庭で大声をあげた時には耳鳴りや頭痛がしたり、満員電車での通勤中に辛くて吐いて倒れたりすることもある。

一方で、多くの人たちが感じられないであろう鋭敏な感覚も能力の一つだと開き直って仕事をしていたりもする。

真面目に説明しても「ああ、中二病ですね~お薬出しときますね~」と言われるのでそれ以上論じない。

その感覚過敏を英訳すると「Hypersensitivity」といういかにも中二的な単語だったので気に入り、語呂が良いように適当に文字を組み合わせてみた。

Googleのアルゴリズムはこういった文字の差違を識別するはず。

加えて、仮のハンドルネームは五感に加えた感覚過敏ということで「六感」にしたのだが、第六感からヒントを得たのだろうか、ネット上には六感さんがたくさんいて紛らわしい。

さらに六感ではなくて穴感と読み間違えられたらクリティカルダメージだ。

しかし、URLを「Rokkan」と設定してしまったので、「ろっかん」という読みのハンドルネームを考えてみた。それが「録観」。

こちらも造語なので辞書を調べても出てこない。

「録」には「書き記す」という意味がある。「観」には「物事を細心に分別して観察し、本質を悟る」という意味がある。

つまり、生活する上で様々なことを観察して悟り、それらを書き記すという意味になるのだろう。

私の能力を考えると、始めた直後から名前負けしている感が否めないし、何だか僧侶みたいな名前だが、とても気に入った。

さて、私は以前からホームページやブログでJimdoを使ってきた。WixやFC2等も試しに使ってみたことがあるが、Jimdoはある程度のカスタムが可能でインターフェイスが使いやすい。

ホームページビルダーでサイトを運営していた頃と比べれば、どのサービスも便利で助かるが、Jimdoにはいかにもドイツ製という感じの癖があった。

どう考えてもインパクトが強すぎるだろ的なブログのタイトルフォントのサイズだったり、不必要に感じる機能だったり。

不具合があって問い合わせても「すみませんが、仕様なのです」という日本支社の無力な対応とか。それと有料版のサービスは充実しているしSEOもかなりのものだが、いかんせん料金が高い。

Jimdoでブログを運営する時には「たぶん、ここにこの設定項目があるよな...」と思って調べてもその機能がなかったりもして、日本風の直感的なデザインとは違っている感があった。

そういった相違はブログサービスに限ったことではなくて、ドイツ風に考えると自然なことなのだろう。実際にドイツに行けば分かるが、パンとソーセージがこんなに旨いのに、付け合わせのキャベツの何かがどうしてこうなのだろうかとか。ミネラルウォーターよりもビールの方が安いことがあるのはどうしてだろうとか。

ところで、妻もそうだが、私は家系図に記載されている限りどこまで遡っても大和の人で、他民族に排他的ではないが日本という国家に生まれたことを誇りに思っている。

私が通っていた当時の公立の小中学校ではアレな教育が行われていたが、子供心としては過去を知るとともに、日本人としてのプライドを失うことはよろしくないと感じていた。

とりわけ子供たちについては、多様性を受け入れ、同じ教育を授け、チームジャパンとしてこれからの厳しいステージを生き抜いていくことが大切だ。背景が違ったとしても、日本という国で育ったことを誇りに思えるように。

世界は広い。海外との競争になると凄まじい人たちがたくさんいる。特に多民族の米国は強い。

ユダヤ系の人たちの頭の回転は半端ないが、インド系の人たちの計算能力も半端ない。ドイツ系の人たちの物づくりの巧みさ、イタリア系や北欧系の人たちのデザイン性や福祉についての認識。

アフリカ系の人たちは音楽性や身体能力が優れているというイメージが先行するかもしれないが、実際には知的活動が得意な人たちがたくさんいるし、何より、家族や親戚を大切にする心がある。イギリス系や中国系の人たちの長所は説明するまでもない。

一方、他の国にもそれぞれの強みがあって、様々な課題を有してはいるものの自分の国に対する思い入れはある。

座学で勉強するのではなくて実際にその国の人たちと話すことで分かる。親から子へ、個から孫へ、自然と伝わったような能力や技能、そして祖国を想う気持ち。

勉強になることはたくさんある。

では、海外を相手にした時に日本に強みがないのかというとそうでもなくて、丈夫で精緻な製品を作り出す能力は負けていないし、頭の回転の速さで先を越されても、追いついたり追い越すくらいの閃きにも似た洞察力や発想力があると信じる。

とりわけ、ユーザーの思考を先回りしているというよりも、むしろ相手の気持ちを気遣って製品やサービスを用意するところが秀でている。

逆に、外国の人たちはどうしてこの点に気付かないのか、もしくはこの欠点を許容してしまうのか不思議に感じることさえある。

それと、物づくりの精神を支える勤勉さ、働くことへの意欲。

最近では社畜という適切ではない表現を使って働くことさえ否定する人たちがネット上に散見される。

もちろんそれも生き方の一つであり仕事と家庭のバランスも大切だろうけれど、地道に働くこととは論点が違う。それでは社会そのものが成り立たない。

日本人としての強みがどうやって育てられたのか、あるいは自らが親の世代になってどのように子供たちを育てればこの強さが培われるのかについては、正直なところ明確な答えを出せずにいる。それは他の国でもそうなのかもしれない。

ただし、どのようなオリジンがあったとしても、日本で育つ子供たちには日本人としてのプライドを養うような教育が大切だと思う。

自国や他国を蔑むような環境で育ったら、その思考は老年まで続く。

浦安市内の公立小中学校を眺めた限りでは認められないが、思想的に偏った考えを持っている教師が現れた時には保護者として指摘する必要があるし、最終的には家庭での親の教育が重要だ。それは受験の偏差値よりもずっと大切なことだ。

もとい、日本メーカーのクロモリロードバイクに乗った時にもそうだったが、今回のように忍者ブログを使い始めた時にも、ユーザーフレンドリーな感じがあってとても満足している。

このサービスを無料で使うのは心苦しいと思ったので、無料版の状態のまま使用料を支払うことにした。

月額260円。

さすがメイドインジャパンだ。日本人で良かったと思う。