団地の駐輪場でシニアに絡まれる
駐輪場から自転車を出して出発しようとしたところ、その自動車の陰から中高年の女性が現れ、「あなた、どこにお住まいですか?」と尋ねてきた。推定年齢は還暦付近。その人物の顔と表情が誰かに似ている。公立中学校に通っていた時の英語科のベテランの女性教師にそっくりだ。私の頭の中で警鐘が鳴った。
田舎の公立中学校に通っていた当時、その教師との相性がとても悪く、何を考えているのかよく分からなかった。生徒のレスポンスなんて関係なく、教師が話して授業が終わる感じ。生徒が授業中に質問すると、その教師は不思議な無表情で動きを止め、口だけが動いて見当外れな答えを返してきた。教師と生徒の会話が噛み合わず、いつも白けた空気が流れた。
私自身にASDの傾向があってコミュニケーションが苦手ということもあったのだろうけれど、その教師の思考は独特だった。穏やかな表情で嫌味を言うタイプ。なぜにそういうことを言うかなと。その教師が部活の顧問を引き受けていたという話は聞かないし、放課後等に生徒がその教師に話しかけている姿も、職員室でその教師が同僚と談笑している姿も見かけなかった。
今から振り返ると、その教師の不思議な性格は自他境界の形成の偏りによるものかもしれない。意図的に生徒とのコミュニケーションを拒否しているのではなくて、自他境界において他者が何を考えているのか分からず、思考を巡らせて答えを考えたり、自分が正しいと判断したことは他者も正しいと信じ込んでしまっていたのかもしれない。
さて、駐輪場でいきなり話しかけてきた人物については、現時点で中学生時代の英語教師と顔、表情、および話し方が似ているというだけのこと。人を見た目で判断してはいけない。
しかし、自分が誰なのかも名乗らずに、唐突に「あなた、どこにお住まいですか?」と尋ねるとは礼を欠いている。それが無礼だということに気付いていない。
新町エリアでは住民同士で挨拶以外のコミュニケーションを取らないという私なりの方針がある。武士で例えると気配だけで間合いを取り、何かあっても鯉口を切る程度。しかし、そのレベルを踏み越えて脇差を抜き、いきなり斬り掛かってくる人と遭遇する確率がとても高い。人口密度に依るものか、アレな人が多いのか、その理由はよく分からない。
この町の人たちは多くが上品なペルソナを被っているが、自他境界が曖昧で衝動性が強いタイプが含まれている。我が強くて突っ込みが激しいというか、我こそは正義というか。しかし、ペルソナがあるのでよく分からない。
そして、個人の利益に関わる内容になると薄っぺらいペルソナが外れて喧嘩になることがある。一度でも対立が始まると収拾が付かなくなり、互いに一歩も引かない。子供の喧嘩のような水掛け論になったり、陰口や噂話でプライバシーを広げられることもある。
表面上はフレンドリーであっても、その裏でどのようなことを考えているのか分からない。なので、コミュニケーションは挨拶だけ。それ以上は深く関わらない。自分の世帯が困った時、他の住民が助けてくれるようなことはない。どうせ助けてくれないのだから、自分が助ける必要もなく、互いに仲良くする必要もない。
それが新町エリア、とりわけ日の出地区の北部の集合住宅で生活する上でのポイントだと私は考えている。
いきなり私のプライバシーについて尋ねてきた人物を婦人Aと呼称する。婦人Aがどのような人なのか分からないので、答える筋合いもない。「どのようなご用件ですか?」と私は答えた。
すると、婦人Aは同じ号棟の住民で、自分の住居の目の前にある駐輪場に私の自転車が停められていることが不満なのだそうだ。それでも、婦人Aは自分の住居の部屋番号を名乗らない。
日の出地区や新町エリアに限った話ではないが、新浦安では普通に生活しているだけで絡んでくる人がたくさんいる。本人はそれが正義だと信じ込んでいるので大変だ。
私の住居の目の前の駐輪場は、おそらく分譲賃貸の物件に子育て世代が引っ越してきて、自転車が多数停められて混み合っている。その状況にフラストレーションを蓄積させた(終の棲家に住んでいるであろう)シニアが自転車を蹴り倒してきたりもする。この人たちは分譲賃貸の物件に入居する人たちを見下している時がある。適切ではない価値観だ。
マンションの駐輪場で他の住民の自転車を蹴り倒すおかしな人
日の出地区の北部にある団地への入居を考えている子育て世代がいたなら、他の住宅地の候補を十分に吟味し、ある程度の覚悟を決めた上で引っ越してきた方がいい。10年以上前はもう少し穏やかだったのだが、最近では非典型的な人が多い。非典型的な自分が言うのもアレだが。
最近ではこの地域で連続事件が発生した。治安の面でも良くない。その際、市役所や警察から地域住民に対して適切な情報の伝達や共有があったとは言えない。行政が住民に塩対応だったことについて、遺憾を通り越して恐怖を感じた。
この集合住宅の駐輪場は世帯毎の指定がなく、どこに自転車を停めても構わないというルールがある。新しいマンションでは利用者毎に番号が登録されて場所を指定されたりもするが、そのようなルールがないので、朽ちた自転車が放置されていたりもする。
自宅の目の前の駐輪場が激混み、かつ自転車を蹴倒すような中高年が出現したりもするので、そこから少し離れた駐輪場に自転車を停めていた。しかし、その駐輪場がいつも空いている理由が分かった。
婦人Aは、住居の前の駐輪場に停まっている自転車の所有者を1台ずつチェックし、すぐ近くの住民以外の自転車をマークしていた。神経質というか粘着質というか、よくまあそのようなことを堂々と私に言えるものだ。そして、以前からマークしていた自転車の所有者が私だということに気付いて、名乗りもせずに私を呼び止め、他の駐輪場に自転車を停めろと主張し始めたわけだ。
アレな人が出現したと私は感じたが、新浦安ではアレな人が多いので慣れてしまった。慣れとは怖いものだ。
しかし、婦人Aの主張は正しくない。マンション群には管理組合があり、駐輪する場所については指定しないというルールがある。しかも、その駐輪場は私が住んでいる号棟にあり、利用者が少ない。共用部分を私が使用することに何ら問題はなく、婦人Aが管理する権限はない。この人のこだわりや縄張り根性が強過ぎるだけの話。
とはいえ、同じ号棟の住民同士で火花を散らせるのは愚かだ。たかだか駐輪場の利用というテーマなのだから。私としては他の駐輪場を探そうかと思い、婦人Aに対して「お気持ちはお察しします」と伝えたのだが、先の英語教師のように私の発言が曲がって解釈されたらしい。何を言っても曲解するのだろう。
その後は、井戸端会議でよくありそうな皮肉や揶揄が婦人Aから私に向かって連射されてきた。婦人Aとしては頻繁に駐輪場を整理しているのだが、私がそこに自転車を突っ込んできたとか、意味不明な批判も飛んできた。私は婦人Aが駐輪場の自転車を整理している姿を見かけたことが全くない。利用者は高齢者ばかりで、たまに角が立たない程度に整理しているのは私だ。つまり、婦人Aの主張は詭弁だ。自分にとって都合良く事実を歪曲して主張している。
それにしても、息を吐くタイミングほどではないが、発言する度に薄笑いとも無反応とも判断しがたい表情で皮肉や揶揄を飛ばしてくるのは不思議だ。かなり神経質でこだわりが強く、自他境界が曖昧で思ったことが口に出るタイプなのだろうか。だとすれば、会話の途中で視線が合わない理由は分かる。件の英語教師も同様だったが、この人はどこを見ながら話しているのか。
あまりにしつこいので、「管理組合のルールでは、駐輪場の使用について指定はありませんよね? あなたの占有部分でもないです。つまり、あなたは私に対してルールを超えた条件で他の駐輪場への移動をお願いしていると理解していいですか?」と私は反論した。
すると、私が発言した内容が婦人Aに曲がって伝わる。ああ...この感覚は件の英語教師と同じだ。その後の人生でも、このタイプの人とは距離を置いて近づかないようにしてきたのだが。
「それはルールなのだけれど、自分が住んでいる部屋の前の駐輪場が混み合っているので使いにくいのよ。自転車を出すことさえできない」と婦人Aが反論してきた。
間違いなく、婦人Aは私が言っていることを理解していない。あるいは意図的に無視して持論を展開している。分かりやすく論点がズラされてロジックが破綻しており、会話が噛み合わない。職業人であれば大変なことになる。この人はどのような生き方を重ねてきたのか。
「それって、あなたの感想ですよね?」という小学生にも大ウケしている名台詞が私の喉まで出かけた。
そもそも、大型のホイールと巨大な前カゴが付いた婦人Aの自転車が駐輪場からいなくなっている姿を見かけたことがない。昭和の高齢者たちは、どうして27インチの大径ホイールの自転車に乗りたがるのか、私には不思議でならない。ロードバイクと同じくらいのホイールを使いこなす脚力があるとは思えない。電動アシストも付いていないことが多い。
その自転車に巨大な前カゴを取り付けて、小柄な老婦人がフラフラと倒れそうになりながら歩道を通行していたりもする。小径車にリアキャリアを取り付けた方がずっと安全で小回りが利くはずだが。
この団地は高齢者が多いので、駐輪場には大きな前カゴを付けた大径ホイールの自転車が並んでスペースを取ってしまい、しかも所有者たちの活動性が高くないのでそのまま昼も夜も放置されている。駐輪場のスペースの半分以上が主に高齢者による放置自転車によって占拠されてしまっている。サドルやフレームはホコリだらけ。乗っていないことの証左だ。使わないのなら処分すればいいのだが、昭和のもったいない精神だろうか。
婦人Aについても同じであり、日常的に自転車が放置されているわけで、自転車を出す機会もないことだろう。まあとにかく、この駐輪場が混んでいて自転車を出すことができないという婦人Aの主張も詭弁だ。
駐輪場が混み合う理由は高齢者が使わずに放置している多数の大型自転車にある。ルールとして認められているので私は指摘しないが、シニアの価値観が息苦しい。若い親たちが子供乗せ自転車の駐輪スペースに困っていても、子供たちが混み合った場所から自分の自転車を出せなくて困っていても、この団地の高齢者たちは何ら気にしない。
それどころか、子育て世代が何台も自転車を停めていると文句を言ってくることさえある。このような団地で若い住民や子供が増えると思うか。少子高齢化が進む日本社会の縮図ではないか。
結局のところ、婦人Aは自分の縄張りというものにこだわりが強く、自分が正しいと考える状態になっていないと気に障り、言いたいことが口に出るのだろう。
そして、「ご覧の通り、私の自転車は場所を取りませんし、他の自転車を出すときに邪魔にならないよう、目立たないところに停めているつもりです」と私が発言した時、婦人Aの口から出た言葉に驚愕した。
「あなたの自転車は、ただでさえ目立ってますけどね」
この杓子定規な価値観。大径ホイールに巨大な前カゴを付けたママチャリこそが標準であり、ミニベロは風変わりだと思っている婦人Aの考えが言葉だけでなく表情にまで映っている。
ここまでは抑えてきたが、さすがに婦人Aの発言は皮肉や揶揄の範疇を超えた。これは明白な個人攻撃に該当する。婦人Aは、近所付き合いでこのようにネガティブなことを発言し、とりわけ他の専業主婦たちとの間でマウントを取っていたのだろう。
しかし、現在は男女共同参画の時代だ。皮肉や揶揄を背景としたマウントなんて意味がない。売られた喧嘩は買うという意味ではないが、今後は絡んでこないように対処する必要がある。
恫喝にならない程度に、かつ団地の中に響く程度の大きさの声で明確に反論した。
「それ、どういう意味ですか? 今の話の流れは、駐輪場の利用においては場所を指定しないというルールがあり、そのルールを超えてあなたが私にお願いをしている。その話の中で、私が気に入って使用している自転車について、あなたがとやかく言う筋合いはない。そもそも個人が使用している自転車が目立とうが、目立たなかろうが、この話には全く関係がない。どのような意図で発言したのか、説明してください。もし、私が気に入って使用している自転車に対して嫌味を言ったのであれば謝罪を求めますし、私はあなたのお願いを受け入れる気持ちもありません。さあ、どのような意味で言ったのでしょうか。分かりやすく説明してもらえますか?」と、私は婦人Aに抗議した。
皮肉や嫌味に対しては、その意味を問い詰める。チクチクとダメージを与えたいなんて意図を説明することは困難であり、そこが弱点になる。一点集中でブレずに指摘しまくる。
すると、「ほら、この場所の駐輪場が混み合っていると、使いにくいのよ、だから、どこか別の場所に停めてほしいわけよ」と婦人Aがベクトルのズレた答えを返してきた。
私は指摘した。
「それ、答えになっていませんよね? 私があなたに尋ねた内容に対して具体的かつ論理的に説明してください。駐輪場の利用において、どうして個人の自転車に言及する必要があるのかと私は尋ねている。私が使っているのは巨大な自転車ではなく、むしろ小型の自転車です。何をもって目立っているのかを説明してください。そもそも、私はルールにしたがって駐輪場を利用している。あなたはそのルールを曲げようとしている。そのやり取りの中で私がどのような自転車に乗ろうが、あなたには関係がない。それでは、一度、この自転車を駐輪場に戻してみましょう。あなた、確認してもらえますか? ただでさえ目立っていると主張する私の自転車ですが、この自転車は部品を交換し、駐輪場で幅を取らないように改造しています。これによって、どの自転車が出せないのですか? 今ここで説明してください。どの自転車が出せないのですか? ほら、全部出せますよね?」
婦人Aの目が泳ぎ始め、駐車許可証も掲示せずに道路に停められている自動車の方を何度も見ている。自動車の付近で立ちすくんでいる中高年の男性は、どうやら婦人Aの夫なのだろう。普段からこの調子なのだろうか。
私はさらに指摘した。
「ほら、他の自転車と比べてみてください。実質的には半分程度の幅しか占有していませんよね。私の自転車が原因となって、あなたの自転車が引き出せないなんてことはありません。そもそも、この駐輪場は大きなカゴを取り付けている大きな自転車がたくさん止まっている。そして、話を戻しましょう。他の駐輪場を利用してくださいというあなたのお願いと、あなたの主観において私の自転車が目立っていると感じたことの整合性が担保されません。そのような発言の後で、私が快くお願いを聞き入れると、あなたは本当に考えているのですか? あなたにその意図がなかったとしても、個人の所有物に対して揶揄するような発言をしたわけですから、それが誤解なのか、不適切なので訂正し謝罪するか、あるいはあなたの本意なのでそのまま議論するか、どれかを選んでもらいましょう。私としては、あなたの発言について非常に不愉快に感じました。なぜなら、私がどのような自転車を使おうと、あなたには関係がないからです」
婦人Aとしては、自分が聡明で明確な主張ができ、ディベートにも強いと自負しているのかもしれないが、衝動性が高いだけでロジックは薄っぺらい。詭弁も多い。我が強くて神経質な新町によくいるタイプということか。
駐輪場で同じ号棟の住民が口論していると思ったのだろう。興味本位なのか、関わりたくないと思ったのか、他の号棟のベランダからチラホラと住民が見ている。
婦人Aとしては、団地でトラブルを起こすような人物だと思われたくないのだろう。あくまで上品なペルソナを被っていたいと。
私は気にしない。この町の人たちは私が困っていても助けることはない。それどころか、住民同士がペルソナを被って距離を置き、それがドライな空気だと勘違いしている。ならば、他の人たちが絡んでくることがないように面倒臭がられた方がずっと楽だ。
そして、婦人Aが団地の前に無断駐車している夫に対して、「何とかしてよ」と声をかけた。
しかし、その夫は全く動かない。何か言ってきたら、私は「あなた、ルールを守っていますか? 駐車許可証が見えませんが」と指摘して鬼詰めするつもりだったのだが、その夫は私のことをヤバい人物だと察して関わらないことにしたらしい。そう、新町はその距離感であってほしいものだ。夫婦ともに集合住宅のルールを無視することに呆れたが、この団地には同じような人たちが多い。
ペットの飼育が禁止されているはずなのに、小型犬を飼っている住民が珍しくない。とくに、高齢者。そのような輩に対してペットは禁止だと注意したところで、「保健所に連れて行って処分しろと言うのか!」といった見当外れの逆ギレで立ち向かってくることだろう。賃貸住宅であれば何とかなりそうだが、分譲住宅で無法者が住んでいると手に負えない。 法的な強制力がないので、モラルハザードを抑止することが難しい。
その後、婦人Aの顔見知りでRPGのエリアボスのようなシニア女性が加勢してきた。このタイプはずっと家の中にいて、音に敏感だ。すでに後期高齢者に該当するはずだが元気だな。
婦人Aが私を無視したまま、そのエリアボス風のシニアに対してあることないことを機関銃のようにまくし立てた。その姿は、まるで喧嘩で劣勢になった子供が先生を見つけて言いつけているかのようだ。自分で声をかけておいて無視するとは、もはや常識が通用しない。
エリアボス風のシニア女性は亀の甲よりも何とやらで場を収めてくれ...るはずもなく、一方的に婦人Aの話を鵜呑みにして私に対して口撃してきた。
何なのだ、この団地は。マナーやモラルが崩壊している高齢者が多過ぎる。そのような高齢者は、相手にしなくても自分から突撃してくるので大変だ。
婦人Aにはロジックによる反論が効いたが、エリアボスには理屈が伝わらない。エリアボスというよりもレイドボスのようだ。一対一が非常に強い。こちらが言っていることを理解せずにネガティブな自己の見解を主張するのだから、ノーダメージに近い。この人のHPの底が見えない。
それにしても、「この団地に住んで10年? まだまだ若いわよ。私はこの団地に30年住んでますからね」というエリアボス風のシニア女性の発言には驚いた。
続いて、そのシニア女性は「ルールとしてはどの駐輪場に停めてもいいけれど、この団地には暗黙の了解があるのよ」という意味不明な主張を展開し始めた。それを言うならば、暗黙の了解ではなくて地域の不文律だろう。誰が了解しているのか、それさえ分からない。
おそらく、この人は若い頃から現在までこの団地に住み、専業主婦と地域活動を続けてきたのだろう。その際、出身地方のムラ社会の論理を集合団地にまで持ち込んだらしい。このような人は美浜地区の団地では見かけなかったな。日の出地区の団地に特徴的なのだろうか。いや、入船地区の団地ではよく似た話を聞いたことがある。地域性なのだろうか。
共働きの妻であれば職場という社会において一時的に家庭から離れるが、この人のようなタイプは、この団地の敷地内および周辺が世界観の多くを占めているわけだ。同じような住民同士の軋轢も数え切れないくらい経験し、レベル上げを重ね、カンストに至ったということか。
シニアがこのようなことを考えて発言していたら、新しく引っ越してきた若い子育て世代と仲良くなるはずがない。アレは違う、コレは違うと文句ばかり言ってマウントを取り、30年も住んでいる自分の意見は正しいとか、この団地には暗黙の了解があるとシニアが言い出したら、子育て世代はドン引きして近づいてこないことだろう。大規模災害時にシニアが取り残される危険性がある。
10年住もうが、30年住もうが、ルールに従って生活している限りにおいて住民の上下はない。昭和の考えがそのまま残っているのだなと私は驚いた。
この町の住民同士の意見の対立においては、仲裁が入らない限り収束しないし、往々にして警察を呼ぶ必要が生じる。そろそろ警察を呼ぼうかと私が思っていたら、婦人Aが話を切り上げてしまった。なぜ、ここまで話がこじれたのかという理由を確認されると都合が悪いからだろうか。
途中で出現してきたエリアボス風の人物を説き伏せることは不可能だ。しかし、このようなタイプは「そもそも論」によって本質を突かれること、および無視されることを嫌う。
私は「あなたは色々と言ってますが、今回の件は集合住宅のルールにしたがって生活している私に対して、個人の主張を始めた婦人Aのお願いというよりも、この人が発した皮肉が原因になって揉めています。つまり、一対一の話し合いです。そこにあなたがやってきて、さらに話が揉めている。そもそも、このようなトラブルにおいて、あなたが介入する必要も、権限もありません。関係がないのだから、黙って立ち去ってくれませんか」と伝えた。案の定、そのシニア女性が感情を剥き出しにして睨みつけてきた。そうやって周りに圧をかけてきたということか。しかし、怖くも何ともない。
私は続けた。「それ以前の話として、あなたは誰なんですか? いきなり自分の言いたいことを言い始めましたが、私はあなたのこと全く知りません。はっきり言って迷惑なんです。分かりませんか?」 と。
エリアボス風のシニア女性が怒鳴りながら意味不明な口喧嘩を仕掛けてきたが、私は「話にならない。迷惑だ」と言い残し、以後は無視することにした。すると、その人物はさらに怒って私を挑発してきた。相手にするだけ時間の無駄。
警察を呼んで口論を続けたところで、この人物は絶対に引かないことだろう。また、このトラブルによって団地内で自分が目立ったところで、我こそが正義だと周りに言いふらすことだろう。やりたければやればいい。面倒事を嫌う人たちとの距離が開き、限られた数の同志たちも本音では面倒だと感じている。
美浜地区の団地は若い子育て世代が流入して活気が戻ってきたが、日の出地区の団地はどうなのだろうな。
あまつさえ、近くの団地の駐輪場で発生した連続事件は、このような住民同士のくだらない軋轢によるものではないかと思ったりもする。思考が不安定になっている人を誰かが追い込んだのではないか。私は反論したが、このように陰湿な口撃で精神的に参ってしまう人がいてもおかしくない。
ああ、疲れた。この付近の集合住宅を子育て世代に勧めたくない。
なお、分譲マンションとして日の出地区の団地に入居すると、住民によって構成される管理組合に強制加入させられる。役員等が回ってくると件のような人たちと嫌でもコンタクトを取ることになる。いきなりローンを組んで分譲物件を購入するのではなく、賃貸で住心地を確認した方がいい。
今回はシニア女性だったが、シニア男性の中にもアレな人がたくさんいる。子育て世代も同様。瀟洒なベイエリアのマンション生活というイメージの裏には、湿り気を帯びた人間関係が存在する。
住民同士が挨拶以外のコミュニケーションを取らないことが多いのは、ドライな住環境という意味ではなくて、アレな人が多過ぎて警戒しているだけだろう。私の場合、今後はシニアたちに対して挨拶すら省略することにした。
子育て世代に理解を示さない高齢世代と仲良くするつもりはないし、お互いに同じ感覚だろう。同じ町の住民としての帰属意識は希薄で、共通する歴史的な背景もない移民の町だ。親子でも親戚でもない赤の他人なのだから、助け合う必要もないということだな。困った時には近隣住民ではなく行政に助けを求めるだけ。自己責任というハリボテのようなフレーズが全てを包含する。
そして、この団地は町として成熟することなく、建物が老朽化し、住民が高齢化するのだろう。そのうち、敷地内で遊んでいる親子連れを見かける機会さえ少なくなるだろうし、現状として子供の数が減り、高齢者の姿が目立つ。
昭和の高齢者は団結が大好きだ。誰と誰が繋がっているか分からないし、田舎町のように長老から勉強になる話を聞く機会もなく、相手にするだけで面倒でストレスが溜まる。この世代は、とかく自らの権利ばかり主張する。シルバー民主主義によってこの社会がどのような状態になったか。
以上は日の出地区の団地についての個人的な印象でしかないが、このような町での生活はウンザリだ。
早く転出したい。