団地は生き物
「へぇ、やっぱり、子育て世代が増えたね...」と、この団地の雰囲気の変化を実感した。妻の実家がある新浦安に夫婦で引っ越してきた時、この団地の部屋を借りて住んだ。15年近く前の話だ。遠くから見ても築年数が経過していることが分かる古びた団地。エレベーターもベランダも旧設計で配管も古く、1980年代の昭和の姿がそのまま保存されているような感じだった。けれど、住み心地はとても良かった。
豊かな樹木、子供たちが遊べる公園。まるでジブリ映画に登場しそうな味わいのある団地。高度成長期に十分な予算をかけて丈夫な施設が建設され、時を刻むことでしか生じえない独特の穏やかさを帯びている。
集合住宅の住み良さを決めるのは、必ずしも施設や環境だけではない。その場所にどのような人たちが住んでいるのかという要素の意味はとても大きい。
日の出地区の団地の場合にはマウントに励む住人がいたりもするが、美浜地区の団地はそのような人を見かけなかった。古びた団地でステータスを誇示することに意味はない。多くの住民が牧歌的でのんびりしていて、なるほど、新浦安とはこのように穏やかな街なのかと当時の私は思っていた。
美浜地区の隣の入船地区で育った妻いわく、入船地区には突っ込みが激しい人たちが多く住んでいるという話だった。子供が保育園に通う時期になって、その話が本当だと実感した。
しかし、その後で中町エリアから旧堤防を越えた海沿いにある新町エリアの日の出地区に引っ越した時、入船地区が穏やかに感じるくらいの険しい洗礼を受けることになった。
整っているのは街並みと住民のペルソナだけ。人々の内面にある気性の荒さやマウンティング、陰口や噂話など、新興住宅地によくある発展途上の人間模様が新町で渦巻いていた。
この土地には、自己愛が強くて他者と張り合い、神経質で短気な人が多い。我こそは正義だと自分の意見を投げつける人。表向きは仲良い素振りを続け、裏で他者のプライバシーを詮索して広める人。
中町エリアの人たちの場合には、腹を割って話すと会話が通じ、互いを理解することができたりもした。最初は取っ付きにくい人でも、会話を重ねてみると面白かったり勉強になる人が多かったりもする。
他方、新町エリアの場合には、常に批判的で相手を理解するつもりがない人と遭遇する頻度が高い。他者について関心がないけれど、自分の損得については計算高く、力学や立ち位置を観察し、あくまで自分へのメリットを求め、デメリットを嫌う。
利己を当然とみなして気にすることがなく、他者と比べて自分の負担が少しでも大きいと不満に感じる。利他が損だと解釈する底意地は日本人に特有の思考かもしれないが、そのパターンが非常に強い。偏屈とも言える。まあそうやって利己を追求するからこそ収入が大きくなり、高額な住居費を用意することができるのかもしれないが。
しかも、自分にメリットがなくデメリットがあると察した時の衝動性も極めて強い。上品なペルソナが一気に剥がれ、人間関係をぶった斬ることを躊躇せず、突然にキレる人が多過ぎる。
このような感想が嘘だと思うなら、実際に住んでみれば分かる。357号線を隔てた元漁師町の人たちが新町の移民を敬遠して水と油のような状態になり、同じ自治体の住民として交わらない理由もよく分かる。
あまつさえ、子供を育てていると、自分が望まなくても面倒な人間関係に巻き込まれる。
隣の明海地区にも高洲地区にもアレな人がたくさんいた。保護者会でヤジを飛ばしたり、メールを意図的に無視する父親。保育園の正門で他の保護者に対して「転園しなさいよ!」と罵倒する母親。
イベントの打ち上げで特定の保護者を呼ばなかったり、気に入らない世帯の子供を集まりに呼ばないといった陰湿な嫌がらせもあったな。
新町の人間関係がドライだなんて大きな勘違いだった。田舎特有の粘り気のあるムラ社会とは異なり、この町にはピリピリとささくれだったムラ社会がある。
他者のことに細かく干渉しないインクルーシブな雰囲気というよりも、他者のことに気を遣わない雰囲気が蔓延っている。そして、他者と深く付き合うと面倒事に巻き込まれたり、噂話のターゲットになったりするので、互いに距離を取って警戒しているだけの話。
本音なんて漏らそうものなら、ゴシップが大好きな住民がそれを拡散する。この町では、たとえ人当たりが良いと感じる近隣住民に対しても自分のプライバシーや本音を話さないことが肝要だ。
常にストレスを感じる環境であり、私は近隣住民との間で挨拶と書面以外のコミュニケーションを取らないことにしている。アレだと察した住民には挨拶さえも控えている。私から声をかけないと挨拶さえしないような人たちについては最初から相手にしない。
この町の住民のペルソナはすぐに外れて、中から内面が吹き出してくる。この町の特徴を他の住民たちも知っているので、互いに距離を取る。一見すると上品でドライな人間関係が維持されているように感じるかもしれないが、その実は違う。深く付き合うと面倒事に巻き込まれるので、互いに警戒しているだけ。
マンション街によって雰囲気が違うけれど、この町において地域の繋がりなんてものは頼りにならないし、生き方を豊かにするものでもない。長期契約しているホテルのような感覚で他者と関わらずに生活した方が、精神的な負荷を減らすことができる。
加えて、日の出地区では夜間に連続事件が発生し、もはやカオティックな様相を呈した。現実的に財産どころか家族の命にさえ関わりかねない恐怖を感じた。シュールで異質な住環境だ。
もとい、うちの夫婦が美浜地区の団地に引っ越してきた時、建物の老朽化だけでなく住民の高齢化がかなり進んでいた。美浜地区がある中町エリアは第一期の埋立事業、(現在の私たちが住んでいる)日の出地区がある新町エリアは第二期の埋立事業によって生まれた。
つまり、美浜地区の団地に引っ越してきた人たちの方が、日の出地区の団地に引っ越してきた人たちよりも年齢層が高い。その差は10年くらいだろうか。この団地が新築された当時、年齢がよく似た世代が入居し、終の棲家として生活し続けたことだろう。
美浜地区にある団地が建設されたのは1980年頃。時間を遡ると私の親の世代、つまり団塊世代を中心とした人たち多くが入居したという計算になる。
その10年後に日の出地区の団地が建設されたということなので、現在の日の出地区のシニアたちは団塊世代だけでなく、その下のしらけ世代とかバブル世代によって構成されているという私なりの解釈になる。
うちの夫婦が美浜地区の団地に引っ越してきた時、いわゆる公団住宅として入居したシニアの人たちが部屋を退去して物件を売りに出したり、賃貸物件として資産運用に回すという流れが始まっていた。
子育て世帯ならばともかく、老夫婦が二人で生活する上で3LDKの物件は広すぎたり、定年退職した後で都心に近いエリアに住む必要がないとか、介護施設に入るとか、子供の家に世話になるとか、まあ色々な背景があったのだろう。
そのような賃貸物件に私の夫婦が引っ越してきて、しばらくすると上の子供が生まれた。当時は子育て世帯が少なかったので、公園で子供を遊ばせているとシニアの人たちがとてもフレンドリーに声をかけてきて、「うちにも同じくらいの孫がいるよ」と話してくれたりもした。とにかく温かい環境だった。
団地の中で開催される夏祭りでは様々な土地から新浦安に移り住んできた人たちのノスタルジーを感じられ、「そうか、自分は余所者ではないのだな」と不思議な安心感を覚えた。
圧巻だったのは、東日本大震災が新浦安を襲った時だった。現在の私や家族が住んでいる日の出地区は液状化による大きなダメージを受けたそうだが、当時の美浜地区の団地の敷地は、深くまで根を張った樹木が守ってくれたのか、そもそも丈夫に作られていたのか、とにかく被害が少なかった。
その後、私の世帯は日の出地区の団地に引っ越すことになった。私や家族の都合ではなく、浦安市の都合だった。当時の浦安市は保育施設が足りない状況だったので、美浜地区の団地に近い場所にある保育園を希望したけれど不承諾になり、第三志望で日の出地区にある保育園に引っかかった。
住居から保育園までが遠く、私が子供を乗せて自転車で保育園に通っている時に入船地区にて中年女性が運転する自動車にはねられかけたことがあったり、第二子を妊娠した妻が路線バスの運転手からマタハラを受けたりもした(当時は私がバス会社に抗議して事実であることを確認し、謝罪させた)ので、仕方なく日の出地区に引っ越した。
新浦安に住んでいる人たちならば分かると思うけれど、新浦安駅付近の中町と旧堤防を越えた先にある新町では集合住宅に住んでいる市民の雰囲気が違う。
新町といっても、日の出地区と明海地区と高洲地区では集合住宅の住民の雰囲気が異なり、さらにはそれらの南北で住民の雰囲気が異なる。
年配の人たちが新町の北部(新浦安駅側)に多く住んでいて、団塊ジュニア以降のより若い世代が新町の南部(海沿い)に新しく建設されたマンション群に多く住んでいるという私なりの理解になる。
都内の23区では、道路や通りを隔てて住民の雰囲気が異なったり、治安さえも違ったりする。それらは実際に住んでみないと分からなかったりもするのだが、浦安の新町の場合には分かりやすい。
まあそれでも実際に住んでみたからこそ分かることもある。老若男女を問わず、一見すると理知的で上品に見えて、実際には我が強くてプライドが高く、神経質かつ短気で突っ込みが激しい人が多いという特徴は、大なり小なり新町のどのエリアでも見受けられる。千葉県内を転々としている警察官が浦安署に異動になり、尋常ではない地域トラブルの数と内容に驚いたと直接的に聞いた。千葉県内の他の街であればどうでもいいことであっても、浦安の新町では喧嘩に発展すると。
礼儀正しくて穏やかな市民も認められるが、その人たちも新町の洗礼を受けることで警戒心が解けないのだろう。ペルソナを被ったアレな人たちとの判別は困難だ。
団地やマンションという居住形態はとても興味深い。建物自体は年を重ねるにつれて老朽化し、大規模修繕工事がなされて延命化させ、どうしようもなくなったら建替えになる。
しかし、建物よりも人間のライフサイクルの方が速く回るので、新築時の波として引っ越してきた若い世代が老い、次の世代の波がやってくる。このサイクルが何度も回るわけでもなく、第一波と第二波で終わるくらいだろうか。
先の美浜地区の団地の場合、新築時に入居した人たちの子供の世代が首都圏のどこかに住んでいたとして、親が退去するということで浦安に引っ越してくるかというと、そうでもないことだろう。終の棲家として住み続けているうちに建替えの波がやってくると大変だ。賃貸物件として収入を得るという選択肢があり、その物件に他の街から子育て世帯が引っ越してくるという流れが生まれる。
築年数が経過しているわりに駅やショッピング施設、医療施設に近くて、敷地内に公園や樹木が多く、同じ子育て世帯が多く、保育施設もあって共働きに適した環境。しかも、近所付き合いがマイルド。新町のような神経質でピリピリとした空気も薄い。
私の世帯が住んでいた頃から美浜地区の団地は住みやすかったが、リーズナブルな賃貸物件が増えてくれば子育て世帯が増えるということか。なるほど勉強になる。
他方、現在の私の世帯が住んでいる日の出地区の団地はどうなのかというと、時系列としては私の世帯が美浜地区の団地に引っ越してきたタイミングに似ているのだが、当時の美浜地区のシニアのように温かい雰囲気は感じられない。
シニア世代と子育て世代との間に明確なラインが引かれ、互いに融和するようなことがなく、挨拶を交わすことさえ少ない。驚くべきことに、子育て世代から挨拶をしないと無視して通り過ぎるようなシニアがたくさんいる。
数年に及んだコロナ禍という事態も関係しているかもしれないが、10年近く前に日の出地区に引っ越してきた時は、もう少しフレンドリーだった気がする。時を重ねることで住民の年齢や構成が変化していることが背景にあるのかもしれないが、大規模災害の時に子育て世代がシニアを助けるような雰囲気が感じられない。
当時に町を盛り上げてくれていた団塊世代の人たちがひとり、またひとりといなくなり。しらけ世代やバブル世代の人たちが子育て世代と距離を置き、子育て世代もシニアたちと距離を置き。
このままだと、団地の住民の高齢化はさらに進んで独居老人が多くなる気がする。子育て世代が引っ越してきて活気が戻ってきた美浜地区の団地とは違った方向に進んでいるような気がしてならない。
下の子供が中学に入学するタイミングで浦安から脱出するので、私には与り知らない話だ。
だが、他の街の集合住宅に引っ越す際には、その町の住民の雰囲気や年齢構成、さらには町自体の成り立ちや背景について勉強しておく必要があるな。なるほど、勉強になった。