2019/11/02

愉快なコンビニ店長

浦安から都内への往復3時間を超える電車通勤は私自身にとって何の価値もない。ああ哀しき千葉都民。

精神修行どころか心身を疲弊させるだけだ。俺の人生どうしてこうなったという後悔までレールに乗って運ばれる。

とはいえ、この街には妻の実家があり、義両親は嬉しいだろうし、妻の通勤時間も短い。

子供たちが通う日の出小学校は数年前から教員がアレな感じになって心配していたが、ちゃんとした校長が着任してくださって持ち直してきたようだ。

義父母との関係は疲れるし、これからは介護や墓の面倒までやってくる。

それでも、家族のために通勤に耐えるというのも父親として正しい生き方かもしれないし、生殖の後にメスに食べられるカマキリのオスと比べれば随分と扱いが良いと前向きに考えよう。

それにしても通勤が辛い。乗客の臭いや音、知らない人との接触、車内や駅構内の騒音。

何度かベンチに倒れたりトイレで吐いたことさえある苦痛を耐え、スマホゾンビと揶揄されることもある下を向いて歩く人たちを避けて駅から出る。

そして、職場に向かって歩く道すがらに一軒のコンビニエンスストアがある。

私は朝食を食べてから通勤電車に乗ると、ストレスで吐いたり下痢を起こすことがあるので、朝食を食べずに出勤し、ここで軽食を買って職場に向かう。

そのコンビニでは、朝の時間帯に店長自らが商品の並べ替えやレジ打ちをやっている。

どの業種でも人手不足は深刻なようだ。私よりも一回りくらい若い男性の店長だが、彼の子供たちの年齢は我が子たちとあまり違わない。

彼と他愛のない会話を交わした後で職場に行くことが私のルーティンになっている。

とある夏の日のこと。いつものようにコンビニに立ち寄ると、かなり不機嫌そうな若い女性がレジを担当していた。

不機嫌というよりもブチ切れたような目つきになっている。商品を入れ替えている店長の背筋がピンとなっていて、明らかに緊張していた。

店長に朝の挨拶をしただけなのに、その女性の厳しい視線がこちらに向かって飛んできた。なんだろうか。

翌日の朝、私は店長にさりげなく尋ねた。その女性は彼の奥さんで、どうやら彼は奥さんに内緒でFX投資をやっていて、大変な額のお金を溶かしてしまったそうだ。

それは奥さんがキレても仕方がないと思った。

私はFXどころかありとあらゆる投資が嫌いなので、妻が言い出しても首を縦に振らない。

実家が借金を抱えた自営業で、負債を抱えて首を吊った同業者の父親が何人もいた。

金という存在によって人が死ぬなんてと子供ながらに怯えながら育った。

金というのは実際に汗水を流し、その労働の対価として受け取るものだと私は考えていて、金を稼いでくる父親に対して子供たちが無礼な態度をとると本気で叱る。

一方、働かずに金を儲けようとする人たちは珍しくない。私は年下のコンビニ店長に「真面目に働け」と忠告しておいた。

別の日の朝、店長が困ったような顔をして相談してきた。

家族旅行に行きたいのだけれど、投資で小遣いまで溶かしてしまったので安くて子供たちが楽しめる場所がないだろうかと。

それならば熱海が良いよと伝えておいた。若い夫婦から見るとレトロな観光地かもしれないが、温泉と料理が素晴らしくて奥さんは満足するだろうし、夏場なら海水浴場に大きな水上アスレチックがあって子供も楽しめる。

適当なアドバイスだったけれど、その旅行で店長が奥さんに謝罪して、真面目に父親として生きることを誓ったようだ。

それ以来、奥さんがコンビニで店長と仲良く一緒に働く日が増えた。

ところが、最近、私がコンビニのレジに並ぶと、店長がキラキラした顔でやってきた。

弱虫ペダルを読みこんで感動して、ロードバイクの趣味を始めたいそうだ。

確かに細身なのでクライマーになると速そうだなと思ったが、投資ほどではないにしてもロードバイクという趣味は金がかかる。

しかし、思わず「君なら、クライマーとして十分に戦えるっしょ」と巻島の話し方を真似したら、すごく喜んでいた。

それ以来、私がレジに向かう度に店長がやってきて商品をピッピッと清算しながらロードバイクについて尋ねてくる。

「今、貯金をためてましてね、ウィリエールを買おうと思うんですよ!」とキラキラしている。

「Wilierですか...」とわざと険しい表情で答える私。

「だ、だめでしょうか...雑誌で見かけたカッコいいロードバイクがウィリエールだったもので...」と不安になる店長。

「店長、あのバイクはね、ガチでレースに出ても通用するし、ポタリングとかでもお洒落ですよ。よく分かりましたね!」とわざと笑顔で答える私。

「そ、そうですよね!」と勢いが増す店長。

このやり取りは、ロードバイク乗りが他者の背中を押す時の定番だったりする。多くの人たちがこの勢いに乗ってしまったりする。

いけない、この状況では、ロードバイクのデメリットを切々と説いて勢いを止めるべきだった。

店長の人生を考えた場合、気分転換をしたり、運動したり、職種が違う人たちと会話をすることは有意義だと思う。

しかし、店長がロードバイクやサイクル用品で散財してしまったり、家族を置いてロングライドに出かけたり、落車して怪我をしたりすると、彼の奥さんから再び厳しい視線が飛んでくるに違いない。FX投資の件は私には無関係だが、今回は違う。

他の初心者と同じように1年くらいでロードバイクに飽きてくれることを祈るしかない。飽きても通勤で使えるようにアルミバイクを勧めておこう。