リタイア後に故郷に戻るか否か
ところが、老若男女を問わず町の中を通行する人々が見当たらない。多くの人たちにとっては休日なので、買物に出かけたり、散歩している地域住民がいるだろうと想像していた。時折、通行する自動車や家の窓から住民たちの冷たい視線を感じたりもしたが、自転車や徒歩で通行している人と出会わない。子供の頃に経験したことがない町の姿だ。町全体が人のいないパラレルワールドに転位したような感覚さえある。
コロナの影響で私の実家に帰省しないまま数年が過ぎた。私は実父や実母と仲が悪く、故郷に対しても良い記憶がないので、そもそも帰省したいという気持ちが湧かない。
両親に限らず、田舎の地域社会の閉鎖性は半端ない。人の個性や多様性を認めず、少しでも変わった人がいれば噂を流し、集団で批判し、排除するような気持ち悪さがある。最近ではIターンで都会から地方への移住を促すキャンペーンが展開されていたりもするが、地域社会に溶け込むことは困難だと私は思う。
町の発展に繋がる産業が生まれず、中央からの交付金がなければ破綻するような自治体。それが私の故郷。あまりに自主財源がないということで、地域住民が本気で原子力発電所の誘致を検討したこともあった。予定調和で賛成派と反対派の軋轢が生じて意見がまとまらず、結果として町全体が緩やかに衰退することになった。
この田舎町で安定した収入を得られる職業は限られており、大学進学を念頭に置いた子供たちの学習環境は最悪に近い。このように閉鎖的な町で家庭を築き、子供を育てるような気になれなかった青年時代の私は、ボストンバッグひとつで首都圏を目指した。そして今に至る。
しかし、あまりに長く帰省しないのは良くないと妻が主張し始めた。来年は下の子供の中学受験の準備が本格化するので帰省は困難だ、行くなら今しかないと。
私としては別に帰省しなくても何ら気にしない、というか帰省したくなかったのでそのままスルーしようと考えていた。家族を連れて浦安と故郷を往復すると、交通費だけで10万円以上が吹き飛んでしまう。年に2回も帰省すると大変な出費だ。
しかし、子供を連れた帰省についてはテーパリングする過程に入っているわけで、一家を連れての帰省は今回で最後だと思えば、まあそれなりの節目になるかもしれない。
実家が遠くにある場合、子供が中高生になれば一家での帰省の意義は減り、冠婚葬祭で顔を合わせるくらいの祖父母と孫の関係になることが自然だろう。祖父母、つまり私の両親にとっては寂しく感じるかもしれないが、ならば私が故郷を捨てて出て行かないように配慮する必要があった。
私が高校から大学に進むステージにおいて両親は選択を誤った。両親が私の進路を勝手に決めてしまい、私には選択肢が用意されなかった。案の定、大学入学後の私は生き方に悩んだ。
そして、私が大学を再受験して人生の進路を変えようとした時、両親が大反対した。入学金が無駄になるということに加えて、閉鎖的なムラ社会では若者が大学を中退したという噂が一斉に広まり、自分たちの世間体が悪くなるという理由からだ。
娯楽や刺激が少ない田舎では、他者が失敗したというエピソードが話のネタとして狙われる。他者を上から目線で批評し、自分たちの方が幸せだと感じたいのだろう。
あの時点で賛成してくれていれば、私だけでなく両親の生き方も大きく変わったことだろう。育ててくれた恩はあるけれど、見識や教養が狭く、一方で自己肯定や思い込みが強い両親との関係には今でも苦労している。
久しぶりに再会した両親は想像通りに老いが進み、まあ自分自身が十分に老いてきているのだから当然だなと、私は現実を受け入れた。
閉鎖的なムラ社会は現在も呆れるほどに維持されていて、実父や実母の口から地域住民のゴシップが止めどなく溢れた。とりわけ、田舎町に残った同級生たちには(私と同様に)ミドルエイジ・クライシスが押し寄せているらしく、客観的に見ると不思議な人生の舵取りが生じていたりもする。
どこかの録で記したことがあったが、要領よく少年時代や青年時代を過ごし、(親戚の首長のコネによって)地域枠によって市役所に採用され、正規職員として勤めていた私のハトコが早期退職し、奥さんと二人で農業を始めたらしい。安定している地方公務員を脱サラして、どう考えても赤字が続くであろう農家になるなんてと私の両親は嘲笑していたが、両者の気持ちは分かる。
五十路が近づいてきた頃の虚無感というか焦燥感というか。このままの職業人生を続けることに疑問を感じたり、生きること自体に疲れてドロップアウトしたいという衝動がやってきたりもするわけだ。
他方、肥料や燃料を含めた物価が高騰しているご時世では、余程のビジネスセンスがないと農業で黒字を続けることは難しい。また、そのハトコに秀でた経営手腕やITスキルがあるとも思えない。貯蓄を使い果たして生活に苦しむことが予想される。
そういえば、地方の行政においては青年(といっても40代までという長い年齢制限だが)の新規就農を促す支援事業が充実しており、1000万円以上の無利子の融資や開始資金の給付を受けられることが多い。
地方の役所に勤めていたハトコがこれらの支援事業を知らないはずがない。五十路前に早期退職して行政による就農支援を受けつつ、高齢になった親戚たちの畑地や農機具等を安く、あるいは無料で借り受けることで農業を始めるということか。あのハトコは相変わらず要領よく人生を泳ごうとする人だな。そのまま泳ぎ切ることができるかどうかは分からないが。
それにしても、このムラ社会のゴシップはネガティブな話ばかりだ。明るい話を耳にしない。町を出て行った人たちの成功談はスルーされ、町に残った人たちの間で監視と批判が続く。とても息苦しい。
ところで、五十路が近くなってくると、職業人生を終えた後でどこに住もうかと考えたりもする。私の人生設計において、新浦安に住み続けるという選択肢はない。利便性においては首都圏で随一だが、この状態が維持される保証はなく、巨大地震が直撃して崩壊するリスクもある。年老いてから再び液状化の苦労を経験するのは避けたい。あれは地獄だった。
また、人口密度と比べると新浦安は高齢者のための介護施設が足りない。自宅近くにある介護施設に入るためには高額な費用がかかる。浦安市は現時点で勤労世代が多い。この世代分布のまま時間が過ぎると、私がリタイアする頃には老人が主体の街になり、介護を受けられない人たちが溢れることだろう。
浦安市の行政がそのような事態を想定して動いているようには思えない。というか、そもそも私は浦安市の行政を全く信用していない。払った分の地方税に見合った対応を望む。
とはいえ、千葉県の北西部で10年以上も住んでいると、このエリアで住み続けることには違和感がなくなる。自分自身が地域に馴化しているのか、千葉県の北西部が生活に適した環境なのか、その理由は様々なのだろう。内房や外房に移り住みたいという気持ちは小さいけれど、千葉県の北西部で人生を終えても構わない気がしている。
趣味としてサイクリングを楽しんでいると、周辺の街までが自分の活動エリアになってくる。都市部から自然あふれるエリアまでを包含する千葉市はスケールが大きく、浦安市の隣の市川市にも住みやすそうなスポットがある。
とりわけ、私個人としてはコンパクト・シティを実現した鎌ケ谷市をとても気に入っている。純朴で穏やかな市民性。シンプルかつミニマルな環境。この街にやってくると気持ちが落ち着いて穏やかになるので、サイクリングに出かける度に鎌ケ谷市を訪れたりもする。鎌ケ谷市よりも広々とした自然を求めるのであれば、隣に白井市がある。
他方、職場の上司だった人たちの中には、定年退職した後で郷里に戻り、そこで老後を過ごしているケースが散見される。年老いた親の介護や故郷の墓守を兼ねて実家に戻れば住居費が安く抑えられ、自分が育った場所なので土地勘があり、知人や同級生も住んでいるわけだ。
「職をリタイアした後で自分がどこに住むのか」というテーマにおいては、当然ながら職場について考える必要がない。また、子供たちが成人した後で夫婦が同居するかどうかも分からない。夫婦で別居するという話であれば、私はどこで老後を過ごしても構わないという解釈になる。
とはいえ、子供たちが成人したからといって、そのまま独立して生活するかどうかは分からない。人生のステージで失敗し、子供たちの実家、つまり私の住居で生活するというパターンも想定する必要がある。
妻と子供たちが浦安市内あるいはその近辺で生活し、私だけが単身で故郷に戻って老後を過ごすというプランもなくはない。ネットを眺めてみると、同じようなライフプランを選択した夫のエピソードが散見される。
老後に何をして生活するのかなんて、今の自分にはまだ分からない。だが、自転車に乗ってサイクリングを楽しんだり、ウォーキングで汗を流したり、近くの川や海に行って釣りを楽しんだり。現役時代には時間がなくて取り組むことができなかった読書やネットゲームを楽しんだり、畑を作って自分で野菜を育てて食べるとか。まあそういったありきたりな生活になることだろう。
今回の帰省では、ウォーキング用品をスーツケースに入れて宅配便で実家に送り、空き時間を見つけてパワーウォーキングに出かけることにした。短時間ではあるが、老後の生活を疑似体験してみようかと思ったわけだ。
そして、冒頭の話に戻る。
この時間の新浦安であれば、人々が買物などで往来し、海沿いにはジョガーやウォーカーの姿をたくさん見かける。私にとっては、その光景が日常的なものだ。
一方、実質的には数十年ぶりに歩いた郷里の姿は、私が子供の頃に見かけたものとは大きくかけ離れていた。
町中を通行している人を見かけないが、まとわりつくような視線だけを断続的に感じる。たまに通行する自動車の中から、人の気配がある住宅の窓から。このような環境でノルディックウォーキングに励んでいたりすると、地域住民たちの夕飯時のゴシップのネタになる。ムラ社会で目立つ行為は禁物だ。
それにしても、久しぶりに訪れた故郷の人々は、休日に何をして過ごしているのだろうか。これだけ豊かな自然があるのだから、川や海で釣りを楽しんだり、スポーツで汗を流そうという発想にならないのだろうか。
小学校の校庭で遊んでいる子供たちの姿、あるいは部活動帰りの中高生の姿も見かけない。買物のために通行する住民も見かけない。というか営業している商店そのものが見当たらない。けれど戸建ての住宅が所狭しと並んでいる。
町全体が活動を停止しているような、あるいは住民同士が互いに警戒し監視し合っているような恐怖まで感じる。昔、街角では井戸端で会話している婦人たちの姿を見かけることがよくあったが、そのような光景を全く見かけない。
住民同士の雰囲気が張り詰めているというか、互いに無関心を貫いているというか、とにかくこの状況は奇妙だ。地域の繋がりが希薄になっていることは間違いないはずだが、都市化された人間関係とは思えない。複数の田舎町の人たちがモザイク状に集合し、決して混ざり合わないかのような混沌を感じる。まあとにかく、かつての私の故郷の姿ではないことは確かだ。
パワーウォーキングで心拍数を上げるような気持ちさえ萎えてしまった私は、ただの散歩モードのまま集落の中心から離れ、山に近い田園の付近までやってきた。
この町の自主財源で建設することは不可能と思える立派な道路が敷設され、その近くには巨大な高齢者介護施設があった。独身時代や育児中は地域を歩いたことがなかったので気が付かなかったが、この施設は私が郷里を離れた後で建設されたらしい。
寂れた田舎町において最も豪華で近代的な建物が高齢者介護施設という状況は超現実的に映る。若者たちが都会に移り住み、町に残された老人たちがこの場所で介護を受けたり、最後の時間を迎える。福祉において重要な施設ではあるけれど、人間が効率的に終末処理されているように感じて気が滅入る。
地方から都会に若者が移り住めば、老人が取り残される地域社会は当然のごとく訪れる。取り残されないように皆が都会に住めば、地方が衰退する。
その施設の前を通り、しばらく歩いて畑地を眺め、利用する人がほとんどいないであろう自販機でスポーツドリンクを購入し、何とも虚しい気持ちで喉を潤した。
普段のウォーキングでは流れ出る汗、そして五臓六腑に染み渡る飲料の感覚が心地良いものだが、この時間は違っていた。
近くの寺の墓地には永代供養のための巨大な石碑が建立されていた。最近では墓参りのために都市部から故郷に帰省することが難しくなり、先祖代々の墓を閉じて永代供養に切り替える人たちが増えたそうだ。撤去された墓石が敷地の隅に積まれていた。
現時点で私の郷里はどのような町になってしまったのかと歩きながら考えてみたのだけれど、その答えはよく分からない。
両親の話や過去の帰省時に見聞きした情報をまとめて類推すると、この田舎町には大きく分けて二つの変化が訪れたらしい。
最初の変化は、私のような団塊ジュニア世代が都市部に移り住んで生活するようになり、町が一気に衰退したという事象。働く場所がないのだから仕方がない。この変化によって、町に点在していた小規模の店舗が次々になくなり、地域住民が生活用品を手に入れるために自動車での移動が必須になった。宅配によるサービスも増えたことだろう。
その次にやってきた変化は、団塊ジュニア世代の親の世代、つまり団塊世代が世を去り始め、人が住んでいない戸建ての中古住宅が増えたことに起因するらしい。予想外の展開で驚いたので詳しく記す。
地方に住む団塊世代の親が亡くなり、都市部に住む団塊ジュニア世代の子供たちが住宅を相続したとする。相続した人たちが故郷にUターンして移り住む予定はなく、かといって貸し出したところで借主が現れない。
そのような家屋が放置され、廃屋になると撤去だけでも数百万円の費用がかかる。結果、家屋の撤去費用を含めた投げ売り状態で中古住宅が売られている。
そして、近隣の自治体には、子育て世代であっても生計を立てられる程度の小規模な職場が点在していたりもする。それらの職場で働いている若い世代としては、投げ売り状態で住居を手に入れることができるわけだ。あまり傷んでいない家屋であれば、リフォームを加えることでマイホームが手に入る。廃屋に近ければ数百万円の撤去費用だけで、実質的な土地代はタダという解釈だな。
周辺は豊かな自然が広がり、自動車に乗ってしばらく走るとスーパーやドラッグストア、ホームセンター、温泉、海水浴場などにアクセスすることができる。子供の数が少ないとはいえ公立の小中学校や高校もある。アウトドアをこじらせた人であれば、数百万円で自分だけの山を手に入れることができたりもする。夜に空を眺めると、プラネタリウムのような星々が広がっている。
子育て世代にとってはそれなりの魅力があるのだろう。首都圏の子育て世代が、リーズナブルな住宅と通勤圏としては自然が豊富な千葉県流山市の環境に魅了され、急激に転入者が増えたりもした。都会でも田舎でも子育て世代が感じるイメージは共通というわけか。
つまり、私の故郷は(非常に近距離かつローカルなレベルにおいて)周辺の町に職場がある人たちのベッドタウンのような存在になってしまったらしい。
町が衰退を続けていた5年程前は、古い家屋や売地がたくさんあって気分が落ち込んだ。しかし、最近では我が子が「あれ? 思ったより田舎じゃないよね。新しい家が結構並んでいる」と驚いていた。確かに新築やリフォーム後の戸建て住宅が目立つ。
実際、団塊ジュニア世代が都市部に移り住むようになって、この町の小学校の児童数は一気に減った。しかし、途中で下げ止まり、1クラスが維持されるような形で廃校にならずに済んでいる。子育て世代が移り住んできていることがよく分かる。町の面積や人口のスケールが小さいので、数年間の変化がとても大きく感じる。
この町で起きている中古住宅のディスカウントは凄まじい。私の実家の近くでは(撤去費用を含めて)300万円で中古住宅が売られていた。狭小住宅ではなくて、普通の一戸建ての中古住宅が土地代を含めて数百万円。オーナーとしては利益なんてあまり考えてなくて、固定資産税等の都合から速やかに処分したいという気持ちなのだろう。
しかも、ネットでは公表されていないが、地縁による紹介などによって中古住宅の所有者と直接的に交渉することができれば、100万円程度まで値下げされることがある。200万円引きのディスカウントなんて、Amazonのプライムセールでも見かけない。
土地代を含めた中古住宅が数百万円から100万円という価格にも驚きだが、家屋によってはリフォームだけで住宅が生まれ変わる。したがって、1000万円に満たない予算で立派なマイホームが得られるわけだ。富裕層であれば町の土地を買いまくって大地主になることもできる。面倒かつメリットがないので誰もやらないだろうけれど。
町中を私が歩いていて感じた違和感の正体。それは、土地や町並みが残っていたとしても、住民自体が入れ替わりつつあるという変化なのだろう。住宅が激安であれば住民は増える。当然といえば当然のことだが、ここまで分かりやすく増えるのか。
この人たちが外出する時には自動車に乗って周辺の町に行くはずだ。徒歩圏内にスーパーやコンビニはない。釣りやレジャーを楽しむのであれば、この町よりも適した場所があり、スポーツ施設やショッピング施設も他の町にある。
わざわざ地域住民が町中を歩いたり自転車で通行して行き来するための理由がなく、結果として出歩く人がほとんどいない町に変わったということか。
かといって、都市部ではなく近隣の田舎町から人々が引っ越してきたわけなので、地域的なムラ社会は保たれている。転入世帯にとって、この町は故郷ではなく、住民としての帰属意識も薄いことだろう。親や親戚は郷里の町に住んでおり、あくまでベッドタウンという扱いだ。
つまり、この町は私が育った場所ではあるけれど、中古住宅の増加がトリガーとなって別の町からの転入者が増え、土着の住民が減ってきている。大袈裟ではあるが別の町に迷い込んだ感じがしたのは、この変化がとても大きかったからだ。
この故郷が衰えて消滅すると私は予想していたが、住宅が投げ売り状態であれば人が移り住んでくるということか。喜ばしいことではあるが、故郷の変化が大きすぎて私は戸惑った。土地や町並みが残っていても、住んでいる人たちが入れ替わりつつある。
まあよく考えてみると、故郷に残った知人や友人は少ない。オッサンになった私が町の中を歩いたところで、知り合いがすれ違って「やあ、久しぶりだね!」という展開なんてものはありえないわけか。この町で育ったとしても、今の私はただの余所者だ。
ノルディックポールを取り出す気力さえないままウォーキングを終えた私には、何とも言えない寂しさというか徒労感というか、老後の移住先としての選択肢が消えてしまったような不思議な感覚が訪れた。
過疎化が進行して周りに人が住んでいないような僻地であれば、リタイアした後で単身移住することでシンプルな老後になるかなと思っていた。仙人のような生活をイメージしていたのだけれど、何だか違う。
現状では土地勘があるにも関わらず、故郷が別の町になってしまったかのような違和感がある。このような町にひとりで引っ越してきた不思議な老人男性という絶妙なポジションになってしまう。
例えば、老後を迎えた私が千葉県内の千葉市や鎌ケ谷市、市川市といった街に移住したとする。これらの街は私にとって土地勘があり見慣れた光景が広がっている。最初に訪れてから10年近くが経験しているけれど、千葉県北西部の人たちがどのような感じで、自分がどのように生活するのかというイメージが容易に浮かぶ。
家族と同居するにしても別居するにしても、今までのライフスタイルを大きく変える必要がないし、そもそも趣味やスポーツ、医療、交通など、様々な点において地方とは比べものにならない程に充実している。住居費は田舎町の方が安いわけだが、年老いた自分にとって広い家が必要なのかどうか。
より安い家屋を購入するのであれば、(私がリタイアする頃には)房総半島の近くに住めば物件があることだろう。寿命を終えるまでの期間であれば、都市部の分譲マンションでも構わないかもしれない。大まかに見渡してみると、千葉県はとてもバランスが良い自治体だな。
私が単身で故郷に移住して老後を過ごすというオプションがなくもないが、あまり気乗りしない場所に引っ越しても幸せには繋がらない。
私が故郷を離れて数十年も経った。今は両親が住んでいるので故郷が成立しているけれど、私個人のレベルでは故郷という存在が記憶の中だけに存在しているのだろう。
そういえば、私の郷里の中で最も廃れ、数十年前は僻地のようになっていた集落がある。その地区は歴史的に様々な経緯があり、他の地区との間で交流が限られていた。
現在の私は、その地区がすでに限界集落となって消失したと思っていた。しかし、実際には移住者向けのエリアとしてリニューアルされたらしい。当時に住んでいた人たちが少子高齢化でいなくなり、土地や家屋が余っていたので、行政が支援を展開して都市部からの移住者を募っている。
そして、自然豊かな環境での生活を求める子育て世代が実際に都市部から移住し、自分たちのコミュニティを作り始めたらしい。
このような場合、田舎のムラ社会の不文律に悩まされることがないわけで、家屋をリフォームして生活するように、小さな町自体をリフォームして作り直し、同じような感覚を持っている人たちと一緒に生活する形になるわけか。
そういえば、以前は効果がない上に田舎臭く感じた故郷のシティ・プロモーション(というかタウン・プロモーション)が、随分と洗練されて心に刺さるようなスタイルになっていた。都市部の人たちがIターンで移住して町のプロモーションに協力していることだろう。
かといって、私がUターンで老後を過ごすとも思えない。とてもローカルな話になるが、自然があってそれなりに便利という場所であれば、市川市の北部とか鎌ケ谷市の白井市よりのエリアの方が間違いなく住みやすい。
これまたローカルな話になるが、さらなる自然を求めるのであれば房総半島に住めばいいという話は早急だ。千葉市は広いので蘇我から東のエリアには自然豊かな場所がたくさんある。市原市の千葉市よりのエリアも捨てがたい。釣り好きにはたまらないことだろう。
その他にも、サイクリングやウォーキング、トレッキング、マリンスポーツといったアクティビティを楽しむ場所、新鮮な魚介類や野菜、豊かな温泉や保養施設、もちろんだがショッピングや全国にアクセスしうる交通網など、千葉県だけでほぼ全てが事足りてしまう。廉価な住居費を除いて、老後を迎えた私が郷里に戻るだけの大きな理由が見当たらない。
先述の移住者によるフロンティアのような土地は素敵だと私は感じたが、そもそも埋立地において生じた移住者のフロンティアに私は住んでいる。
私はすでに千葉県に住み続けることがデフォルトな千葉県民になってしまったらしい。