街の治安の悪化と異質な恐怖
自分が住んでいる日の出地区の北部、つまり日の出小学校の学区のマンション群において連続して深刻な事件が生じている。このブログはあくまで私自身の生活録なのだが、浦安について書き留めるとGoogleの検索で上位にヒットし、犯人を含めて不特定多数のユーザーがアクセスする可能性がある。そのため、事件の具体的なキーワードについては伏せる。
引っ越してきた直後に液状化で街が崩壊。辛い辛いと我慢しながら住み続けて、あと少しで転居だというところで、これなのか。
妻や義実家は、浦安が治安が良くて住みやすいと主張するけれど、そんなことはないだろと私は思う。ああ、この街に引っ越すべきではなかった。今すぐ市外に引っ越したい。そして、この街には二度と近付かない。もう、うんざりだ。
報道ではマンション群で事件が発生していると記載されているが、「マンションではなくて団地ではないか」というネットユーザーからの指摘が散見される。まあ確かに築数十年の旧公団住宅なので、団地という表現の方が適しているかもしれないな。
その団地の一角にある複数の賃貸棟において事件が生じている。
これらの物件には外部に対して十分な数の防犯カメラが設置されていないそうだ。構造的な課題を放置した結果が現状に至っている。
しかも、賃貸物件という入れ替わりの多い環境において、多数の住民が何層ものフロアに密集して生活している。
物的な証拠に乏しく、各棟の全世帯に警察が聞き込みを行うだけでも大変なことだろう。千葉県警ではなく警視庁でも苦労するはずだ。
一連の事件の犯人が自宅の近くに住んでいる可能性があり、同様の事件がいつ生じるかも予測しえないという毎日は酷く疲れる。ゴールデンウィークから現在までの約2週間がとても長く感じ、休日がやってきても休んだという実感がない。むしろ疲れが蓄積している。
当該マンション群ではサイレンの音が耳から離れなくなったり、不安で眠れなくなっている住民もいるらしい。私はそれらのマンション群に住んでいないけれど、同じ学区で事件が連続しているという精神的な負荷はとても大きい。
自宅を含めた近隣の地域全体が、まるでミステリー作品の物語の中に迷い込んでしまったかのような感覚がある。
この感覚を分析することは難しいけれど、虚構世界では感じえない強烈な緊張と不安、そして恐怖がある。
だが、あえてフィクションの作品でイメージすると、中谷美紀さんと渡部篤郎さんが共演したドラマ版の「ケイゾク」のオープニングが延々と頭の中で流れている状態だろうか。このドラマを知らない人には全く通じない意味不明な表現だが、知っている人ならば分かる深層心理にまで響いてくるような怖さがある。
一連の事件にはどのような背景があり、犯人の思考の中に何が存在しているのか。
様々な犯人像を想像し、自分の頭の中にある自他境界に犯人の内面をも取り込んでいるような感覚がある。
犯人がどのような心理によって行動し、何を感じているのかという点についてプロファイリングを繰り返し、まるで犯人の内面が自分の中に入ってくるような違和感に苛まれる。
特に、何らかのフラストレーションによって思考が混乱し、一線を越えて行動に移る瞬間、犯人は何を感じたのだろう。そこにあるのは満足感なのか、あるいは虚無感なのか。
警察組織のプロファイラーは、自分の思考と犯人の思考を重ね合わせるため、時に苛烈な精神的負荷を受けることがあるという話を見聞きしたことがある。残忍で凶悪な犯罪を担当しても精神が崩壊しないプロファイラーは、さすがプロだと敬服する。
もとい、浦安市という街には住宅が密集している。この環境で何のストレスも感じない人もいれば、非常に高い人口密度をストレスに感じる人もいることだろう。
人には多様性があり、個々が感じていることや考えていることは異なる。四角形に切り取られたパーソナルスペースに人々が詰め込まれて生活しているのだから、互いに軋轢を生じても何らおかしくない。
大手メディアの報道では、この一連の事件は近隣住民同士のトラブルに起因しているのではないかという示唆がなされていた。
その全容が判明していない段階、あるいは判明するかどうかも分からない段階において、その地域に住んでいる私個人が適当な推察を働かせることに意味はない。
しかし、その地域の住民だからこそ察することもある。一連の事件はエクストリームな住民同士のトラブルだったという結末に至る気がする。
新町にも様々な住宅があるので、普遍的な傾向として考えることは困難ではあるけれど、どのマンション群においても住民同士の対立や小競り合いは多いことだろう。
これは浦安警察署の地域課の警察官から直接的に聞いた話だが、確かに浦安市の新町のマンション群では住民同士のトラブルが非常に多いそうだ。
千葉県警の警察官は県内を異動して様々な自治体で働くが、浦安市に着任してから、他の千葉県民と比べて非典型的な市民性を実感していると。私も同感だ。
また、住民同士のトラブルが殺人事件や凶悪犯罪に繋がりかねないリスクを有していると、その警察官が力説していた。
むしろ、近所トラブルは警察が最も注意すべきインシデントのひとつであり、だからこそ小さな苦情であっても警察官が現地に来て状況を把握するのだと。
その熱い説明を受けて、私は地域課の矜持を感じたりもした。一般市民としては公安や刑事の方が格好良く感じるけれど、いわゆるお巡りさんは街の治安において大切なのだと学んだ。
本来は穏やかに休むことができるはずの住居においてトラブルが起きると、非常に大きなストレスを感じる。この町には、他者に迷惑をかけてでも自分の欲求を満たそうとする人が多い。かつ、短気で攻撃的だったりもする。
そのような住民に苦情を伝えたところで自分の意見を理解してくれるとは限らず、反論されたり口論になるとさらにストレスが大きくなる。他人同士が密集して生活しているのだから確率論的に生じうる、あるいは避けられない事象だ。
私自身の肌感覚としても、このエリアは住民同士の繋がりが薄く、積極的に交流しようという雰囲気は感じられない。また、我が強くて我こそは正義という住民が多い。
住民同士のトラブルが多くても不思議ではない。これが町の現状だと諦め、他の住民との距離を離して生活を維持した方が楽だ。
ということで、他の世帯の多様性を認めて寛大になるという意味ではなく、他の世帯と深く関わると面倒でストレスが溜まるという意味でドライな町の雰囲気が形成されているのだろう。
私自身の経験則だが、新町において住民同士のトラブルが生じた時には、警察官を呼んで立ち会ってもらうことが必須だ。
自己肯定が強くてマウントを取りたがる人が多いので、住民同士が対立すると激しい水掛け論に発展し、収拾がつかない。
マンションの管理組合や不動産業者、自治会等によるトラブルの仲裁や解決は困難だ。そのような第三者の意見なんて無視したり、逆ギレする人が多い。ペット禁止の物件にも関わらず、平気で犬を飼っている輩がたくさんいる。
110番通報で警察が仲裁すると公的な記録が残るので、住民同士の口論で言った言わないというトラブルが減る。喧嘩がエスカレートして手が出ても対処が早い。そこに警察がいるわけだから。
住民同士の喧嘩の度に警察の仲裁が必要になる町は住環境として奇妙に感じる。しかし、それが現実だ。
他の世帯と仲良く生きようと考えている住民がどの程度いるのだろう。他の世帯と挨拶程度の適当な付き合いを維持し、その実は自分のことだけを優先する人たちの集まりではないか。
隣の明海地区では地域交流に前のめりな住民がいたりもするが、日の出地区においてそのような人は稀有だ。
実際の住民だからこそ知りうる町の特徴を眺めれば、一連の事件の経緯が浮かび上がる。
しかし、地域住民である私自身が努力したところで解決には至らないし、精神的な負荷を蓄積し過ぎないように生活するしかあるまい。
今回の一連の事件が生じたことで、普段は挨拶くらいしか交わさない妻との間で会話が成立するようになった。なるほど、下の子供はミステリー作品を好むのだが、その性質は妻から遺伝したようだ。
妻は毎日のように事件について様々な推理を繰り広げ、まるでシャーロック・ホームズがワトソンに説明するかのように私に自説を唱えてくる。
妻の推理としては、連続した事件の途中で犯人が入れ替わっているという考えに至っている。もはや小説の領域だ。
上の子供は普段から何を考えているのか分からないが、大して動じていない。ミステリーマニアの下の子供は「真実はいつもひとつ!」と興奮している。
妻子が緊張や恐怖によるストレスで塞ぎ込んでしまうよりはマシなのだろう。
しかし、私の方は異質な緊張や恐怖を感じ、今すぐにでもこの町から引っ越したいという衝動に駆られている。ただでさえストレスが多い住環境に加えて、イレギュラーな事件が続発するとさらに疲れる。
日常生活と犯罪行為との間には心理的にも社会的にも大きな境界線があり、普通に生活していれば踏み越えるはずがないと感じて生きている。
しかし、個々の脳の中では時としてその境界線が容易に消え去り、一般人が犯罪者になるということか。
例えば、通勤電車に押し寄せるディズニー客が鬱陶しいからと、キレて殴ってしまったりすると、当然だが、その瞬間に自分は犯罪者になる。それまでに築いてきた職歴も家庭も崩れ去る。
そのように考えると、平凡な日常というものは非常に脆く、適法と違法の境界線のすぐ近くで生きているという解釈に至る。越えてはいけないラインを常に意識する必要があるということだな。
そのためには、自らの脳がバグやエラーを起こさないよう、ストレスによる負荷をかけ過ぎないように生きることが大切だ。
それにしても、この異質な緊張と恐怖はいつまで続くのか。浦安警察署の関係者が次回の人事異動で遠くに飛ばされることだけは察するが、市民としては穏やかな日々を望む。
また、市民に対して現状や対応についてアナウンスせずに沈黙している浦安市の行政に愕然とした。パトロールや防犯カメラの調査など、伝えるべきことはたくさんあるだろう。何のための公式サイトやツイッターだ。