2023/04/10

ノルディックウォーキングが答えということか

朝に布団の中で目を覚ますと、四十路に入ってから体感したことのない奇妙な感覚に包まれていた。首から足先まで全身の筋肉の場所を感じられるような心地良い筋肉痛。水泳の後の筋肉の張りに似てはいるが、脳の疲労までが軽くなっているようなデトックス感がある。なるほど、ようやく「答えらしきもの」を見つけたらしい。

中年男性の8割がミドルエイジクライシスによる心身の不調を経験するそうだが、そのクライシスの中で私は生きている。5年程前、ストレスによるバーンアウトから寛解したという経緯があるので、残存した脳のダメージによってクライシスが酷くなっているのかもしれないな。


今年の2月に入って、この不調を越える(もしくはやり過ごす)ためのヒントがパワーウォーキングにあることに気づき、ただひたすら勢いに任せて色々と試している。時系列としては下記の通り。

① コロナ禍が落ち着いて環境が混み合ってきた。
② 色々とストレスを受けて生きることに疲れた。
③ 仕事の責任が重くなってさらに忙しくなった。
④ 落車のリスクがある自転車に乗る余裕がない。
⑤ さらに疲れて自転車に乗る気力がなくなった。
⑥ 同僚の真似をしてウォーキングを始めてみた。
⑦ 鉄道を使って気に入った場所を歩くと楽しい。
⑧ 折り畳み式自転車で輪行すると楽しいはずだ。
⑨ 輪行に適した折り畳み小径車が見当たらない。
⑩ 何を必要としているのか、それが分からない。

これまで10年以上にわたってサイクリングという趣味を続けてきたのだが、最近では自転車に乗ることの楽しさが薄れ、落車のリスクや小回りの利かなさが気になるようになってきた。

限られたルートを走るサイクリングではなくて、もっと自由に移動して運動を楽しみたい。気楽に自宅を出発して、気ままに汗を流し、心身共にリフレッシュし、かつ事故や怪我のリスクも減らしたい。

ウォーキングは確かに楽しくて快適だけれど、全身的な負荷が軽い。かといってオッサンがいきなりジョギングを始めると怪我の心配がある。

候補として検討していたのは、軽量な折り畳み式ミニベロであるDahonのDove Plusだったのだが、ホイールが独自規格で壊れやすいという話を聞きつけて興味を失った。しかし、重量級のブロンプトンを買って輪行するというのは何だかイメージと違う。チタンフレームのブロンプトンを手に入れる気にもなれない。

そもそも、14インチとか16インチの小径車は走行が不安定なので、落車や怪我のリスクがさらに高くなってしまうではないかと思ったりもした。

頭の中で様々な思考が堂々巡りして、形すらなく漠然とした理想像だけが漂っている。しかし、あまり悠長に構えているとメンタルダウンを起こす可能性がある。ジワジワと苦しみが重なり、どこかに落ちるように一気に調子がおかしくなる。

そこにあるのは長いトンネルや深い井戸と表現される絶望の闇だ。浮動性の目眩はウォーキングなどによって緩和されているものの、再びバーンアウトを起こしたら職業人生は終わる。

何だか、こう、気が向いた時に近所で楽しんだり、電車でサクッと場所をワープして、ガシッガシッと運動して、疲れたらヒョイッと電車でワープして戻ることができるアクティビティがないものか。

ちょっとした隙間の時間、あるいは日が沈んだ夜でも楽しむことができて、帰り道でラーメンや海鮮丼を食べながら生ビールを喉に流し込んだり、温泉や銭湯に入ってから帰ってくることもできるような。

自分なりに懸命に頭を働かせて考えたのだけれど、答えが見つからない。

色々とネットを眺めていたら、「ノルディックウォーキング」の記事を見かけた。2本のポールを手に持って歩くというウォーキングだということは知っていたが、高齢者やリハビリ中の人たちが負荷を減らして歩くための方法だと私は誤解していた。

高齢者やリハビリ中の人たちがポールを体の前に立てて歩くスタイルは「ポールウォーキング」と呼ばれることが多く、「ノルディックウォーキング」とは違うらしい。

加えて、日本では高齢者を中心としてポールウォーキングではなく、「スローペース」のノルディックウォーキングが流行っていたりもするらしい。ややこしい話だが、とりあえずポールを両手に持って歩くのはシニアの運動だろうという私の先入観との間で大きな齟齬がない。

しかしながら、ノルディックウォーキングは北欧が発祥の地であり、スキーのクロスカントリーの選手が夏季にストックを両手に持って山野を自分の足で歩くというトレーニングから始まったそうだ。

つまり、ノルディックウォーキングとは、高齢者の健康維持とか怪我の後のリハビリという目的ではなくて、元々はアスリートのトレーニングだったと解釈して差し支えない。相応の負荷がかかる運動なのだろう。

欧州では年齢を問わないワークアウトやフィットネスであるノルディックウォーキングが、日本では老人の健康運動として社会に広がっている。この状況は不思議だ。

日本においてノルディックウォーキング用のポールは「杖」をイメージすることが多く、実際に高齢者が両手にポールを持って歩いていたりもする。

また、山地でのトレッキングでポールを使っていると格好良く感じるが、街中でポールを持って歩くと目立って恥ずかしいという気持ちになることだろう。

青年や中年がなぜに街中で杖をついて歩いているのか、あるいは高齢者の真似をしているのかと。これは上半身のトレーニングを兼ねたウォーキングなのだと他者に説明するのも面倒だ。

だが、よくよく考えてみると、自分はそろそろ50代。すでに白髪頭のオッサンなわけだ。少し早いけれど始めてみました的な態度でノルディックウォーキングに励んでも何ら恥ずかしくない。

首都圏では街ですれ違う人のほとんどがアノニマスな存在だ。他者は自分が思っているほどには自分を見ていない。他者は2本のポールを目で追ってしまうだけの話だ。ボディコンのお姉さんでもない限り、他者がウォーカー本人を見ているわけでもないことだろう。

そもそも、本場の欧州では、老若男女がポールを持ってノルディックウォーキングに励んでいる。この運動はシニアに限ったものではない。

ところが、日本の場合には行政や民間団体等がノルディックウォーキングを普及させようと熱心に取り組み、シニアの活動と繋がってしまった。

どうしてこうなった?

その背景について考えてみる。NPOなどの民間団体としては、当然ながら高齢者のみを対象としてノルディックウォーキングを普及させたいという方針ではないはずだ。欧州のように老若男女が楽しむスポーツになればいいと考えているだろうし、実際のインストラクターには若い人たちが珍しくない。

他方、安全で有意義な運動によって高齢者の健康の維持や向上を図りたい政府や地方自治体において、ノルディックウォーキングは低コストで効果的なスポーツとして評価されたのだろう。新しいハコモノは必要なく、歩くだけなのでフィールドの確保も難しくない。

スキーのポールを製造販売している国内メーカーにとっては新たなビジネスチャンスが生まれ、同時に行政が市民に貸し出すレンタルポールを低価格で調達することもできる。事業の予算の規模としてはとても小さい。自治体レベルで対応しうる。

そして、行政がノルディックウォーキングを高齢者に勧める上では、その歩き方を教える人たちが必要になる。ネット上の情報から、行政が民間団体に対して様々な補助金を支出していることが分かる。行政からの経済的な支援は民間団体にとって重要な支えになる。

むしろ、競技性に乏しいノルディックウォーキングというスポーツでは、行政からの支援がないと民間団体が活動費を賄うことが困難かもしれない。スキーのように十分な参加費を払ってまでノルディックウォーキングを体験したいという人の数は多くないだろうし、マラソン大会のような動員力もないのでイベントだけで採算が成り立つとは思えない。

この流れによって、行政と民間団体が連携して高齢者にノルディックウォーキングを広めることになったと私なりに理解している。

さらに、団塊世代付近のシニアはイベントなどに参加して集団で楽しむことを好む人たちが多かったりもする。定年退職した人たちは時間に余裕がある。そして、「先生」から直接的に教わることに抵抗がなく、指導員といった肩書きを素直に受け入れる傾向があるように思える。

体験会やイベントではレンタルポールが用意されているので、散歩やハイキングの格好のまま参加することができる。歩き方はインストラクターが丁寧に教えてくれる。身体を痛めるリスクは少なく、ポールを使ったストレッチも可能だ。老後に減った友達や知り合いを増やして一緒に会話を楽しむことができる。これは素晴らしいと高齢者の間で流行したようだ。

なるほど、行政と民間団体、高齢者というそれぞれのメリットがバランスよく組み合ったことで、ノルディックウォーキングがシニアのスポーツとして勢いよく広まったということか。その反面、若者や中年の人たちがノルディックウォーキングを試し辛い状況になった。

辛くないカレーとか、フライパンで焼くことが定番になった餃子とか。日本に伝来するとオリジナルが姿を変えてしまうことはよくある。その恒常性は凄まじく、海外のオリジナルと違っていても気にしない。さすが島国だ。

かくして、日本ではノルディックウォーキングはシニアのスポーツとして定着しているわけだな。私の狭い認識の範囲では。

翻って、実質的にはノルディックウォーキングがシニアのスポーツとして定着してしまった日本の社会は世界レベルで考えると奇異な存在だ。欧米では老若男女が楽しんでいるスポーツを日本では老人たちが独占している。不思議だと思われることだろう。

つまり、真に恥ずべきは相変わらずのガラパゴス的な不文律や同調圧力がまかり通る日本の社会だ。他者を気にして自分が恥ずかしがる必要はない。

それどころか、日本ではシニアがノルディックウォーキングに励むことに何の違和感もない。そのようなスポーツだと社会に認知されているのだから、堂々と取り組めばいい。運動不足で足腰が弱って歩けなくなるよりもずっと素晴らしい生き方が待っている。いつかは老いて自立歩行が難しくなったとしても、ノルディックウォーキングからポールウォーキングに移行するだけなので違和感がない。

近い将来に老人になる私としては、絶好の社会的な条件が整っている。今からノルディックウォーキングを始めれば、老いて朽ちるまでの趣味や習慣として続けることができる。何ら恥ずかしく感じる必要もない。

また、中年男性の中には、苦悶の表情を浮かべつつ、もはや止まりそうなくらいの速度と歩幅で走っている人を見かけることがある。無理をすると関節を痛めるから、もしくはすでに関節を痛めているからなのかもしれないが、文字通りのジョギングだ。

オッサンの場合、スローペースなジョギングよりもノルディックウォーキングの方が身体へのダメージが少なくて、しかも見栄えが良い気がしなくもない。

そもそも、三十路の頃の私はタイトなサイクルパンツを履いてロードバイクに乗り、そのまま自転車を降りてマクドナルドに入っていたわけだ。ポールを持って歩くよりも、ピチパンで街中を走る方が奇抜なスタイルだろう。今から思うとかなり恥ずかしい。

あまつさえ、私が住んでいるのはディズニーがある新浦安だ。この街には頭部にネズミの耳を取り付けたハイテンションな人たちがパークの外にまで溢れている。彼ら彼女らは、頭にネズミの耳を付けたまま派手な買い物袋を下げ、死体が入りそうな大きさのキャリーバッグを引きずり、住宅街を練り歩き、イオンの食品コーナーにまで入り込んでくる。

無数のキャラクターのヌイグルミで覆われている人や、クマやブタの被り物を付けたまま住宅街のコンビニで弁当を買っている人もいる。温泉街を浴衣姿で出歩く人たちは趣があるけれど、新浦安のディズニー客には悦楽主義を背景とした不思議な宗教性を感じる。

恥の尺度が崩壊してモラルハザードを起こしている新浦安において、私がノルディックポールを持って歩いたところで誰も気にしないことだろう。

現在の私は、よくあるミドルエイジクライシスというよりも、仕事に影響するくらいの心身の不調に陥っていると考えて矛盾しない。このまま健康が悪化して倒れたら家計が傾く。

2月に入ってからウォーキング用品を購入し始めたわけだが、それらの購入費用として30万円程度の予算を用意した。私の苦労を理解しない妻子に対する当て付けとしてブロンプトンを衝動買いしてやろうかと思っていたが、より建設的な方向に金を使うことにする。

うつ病やバーンアウトを起こしたら、30万円どころではない経済的な損失、さらには死に至りかねない苦痛を味わうことになる。

夫婦関係はさらに悪化して離婚することだろう。子供たちは私立学校ではなく公立学校に通うことになる。私立大学への進学なんて無理だろう。妻の収入では衣食住だけでも厳しい。私は最小限の金しか用意しない。この状況になった原因は何だと。

朝に目が覚めて最初に受ける感情が「絶望」であり、週末が近づいてきても何らやりたいことが思い浮かばないという状態は深刻だ。

ノルディックウォーキングにどの程度の楽しさや満足感があるのか分からないけれど、試してみないと分からない。

ということで、ノルディックウォーキング用のポールをネットで購入することにした。あまり遠くない過去にチェアリングを試して轟沈したけれど、前を向いて進もう。

ウォーキング用のポールにどのような種類があって、何を買えばいいのかなんて全く分からない。とりあえず、(どう考えてもすれ違うことさえ珍しいはずだが)他のノルディックウォーカーに出会っても引け目を感じることがないよう、有名なメーカーのフラッグシップモデルのような製品を手に入れることにした。

ネット動画でノルディックウォーキングについて勉強したところ、私と同じく老けてはいるが見慣れたインストラクターがその方法を教えていた。スキーのノルディック複合で世界を制した有名な選手だった。

その人物が「シナノ」や「キザキ」といった日本製のポールを推していたので、「なるほど、ウォーキング用のポールは日本製が定番なのか」と私は思った。だが、それらのポールのメーカーの多くが長野県にあり、テレビショッピングのようなインストラクターの口調が気になった。

なるほど、ノルディック複合で活躍した元選手は、その後に政治に転向し、長野市長を務めているらしい。政治家として長野の特産品を推したい気持ちは分かる。しかし、日本製品は何だか迫力が足りない。とりわけデザインがアレだ。ポール本体にノルディックウォーキングと英語で書かれていたりすると私的には萎える。

ということで、「レキ (LEKI)」という世界的に有名なドイツ企業のポールを購入することにした。カーボン製のポールは折れることがあり、トレッキング等でのレーシングモデルはアルミ製が多いらしい。ポールにレーシングモデルがあることに驚いた。

世界的に有名なLEKIのポールということで高額なのかなと思ったら、1万円台から高くても数万円程度で手に入ることが分かった。趣味としてロードバイクやブロンプトンに乗る場合には安くても20万円くらいの金がかかる。数万円であっても安くはないが、心身の不調が緩和し、人生が少しでも豊かになるのであればと思ってポールをポチった。

ノルディックウォーキングの経験がなく、近場で講習会があるようにも思えないので、とにかく現物で試すしかない。①電車で移動して離れた場所を歩く際の携行用として三分割の折り畳み式のポール、②自宅を出発して周辺を歩く際の普段使いとして折り畳み機構がない安めのポールを注文した。

①はノルディックウォーキングだけでなく、ポールの先端(チップ)を交換することでトレッキングポールとして使用することができるハイスペックな製品。これだけで十分な気がしたが、故障時の予備を兼ねて②も注文しておいた。

仲の良い夫婦であれば、夫が妻に対して一緒にウォーキングをやってみないかと誘えば応じてくれることだろう。ちょうどポールが2セットあるということで。しかし、うちの妻は運動による筋肉痛が嫌なので運動したくないそうだ。妻は運動不足と間食で太ってきた。

②はすぐに届いたので、日が暮れた浦安の日の出地区の海沿いをノルディックウォーキングで歩いてみることにした。

ネットの動画で勉強した限りには、ノルディックウォーキングなんて大して難しくないだろうと私は思っていた。だが、実際にはそれなりに難しい。同じ側の手と足が一緒に動いてしまったり、ポールが地面を掴めずに戸惑ったりもした。

私なりには、ポールに体重をかけて推進力を得るというイメージではなくて、瞬間的にポールで地面を突くというイメージを想像した。

数キロメートルを歩き続けていると、テンポ良くポールで地面を突くことができるようになってきた。とはいえ、始めたばかりなのでポールワークがぎこちない。何度もポールの先端のチップが地面を擦ってしまう。慣れるまでに数ヶ月くらいかかる人もいるそうなので、焦りは禁物だな。

日の出地区の遊歩道から総合公園まで歩き、そこから折り返す頃には「手を使って歩く」という不思議な感覚に没頭していた。ポールを使うからといってジョギングのようなスピードで進むわけではないが、通常のパワーウォーキングよりも速度が安定している。

加えて、歩いているにも関わらず、腕や肩、腹筋や背筋にまで負荷がかかっていることがよく分かる。ノルディックウォーキングでは、インナーマッスルを含めて全身の9割の筋肉が使用されるそうだ。適当な売り文句だろうと私は真に受けていなかったのだけれど、なるほどこれは間違いない。

何より、ポールワークに集中すると余計な雑念が消えてしまい、とても効率的にマインドフルネスの状態に入ることができる。この現象には驚いた。生きていると濁ったネガティブな思考が頭の中を漂ったりするけれど、余計なことを考えているとポールのリズムが崩れてしまう。

遊歩道から自宅に帰る時には、さすがにポールをまとめて手で持ち運ぶことにした。浦安の新町では海岸沿いでシーバスを釣っている人がいたりもするので、ウォーキング用のポールがルアーロッドのように見える。特に悪目立ちもしない。

10キロメートル程度をノルディックウォーキングで歩いた後でポールを使わずに歩くと、推進力が一気に減ったように不思議な感覚がやってくる。非常に不安定であり、何とも力が入らない。

手を使って歩くという動作は人間にとって不自然かもしれないが、ヒトの進化の過程において、腕を使って移動していた頃のプログラムが原始脳に刻まれているのかもしれないな。

だとすれば、ノルディックウォーキングによって不思議な安心感や爽快感を覚えること、ならびに全身の筋肉が効率よく動いて推進力を生み出すことの理由を察することができる。

そして、自宅に帰って風呂に入り、満足して気分で眠り、朝を迎えた。

冒頭に記した通りに全身性の筋肉痛がやってきた。自転車でのロングライドの翌日のように各部の筋肉がバキバキに悲鳴を上げているわけではなく、何とも心地良い筋肉の疲労だな。しかも、どの関節も全く痛まない。

以前から苦しんでいる職業病的な手首の腱鞘炎、そして歳は取りたくないものだと諦めていた五十肩の痛みも減った。よし、運動したぞという満足感も十分だ。

現時点でパワーウォーキングとサイクリングが私にとって同程度の価値だということは分かっていた。そして、ノルディックウォーキングの楽しさや充実感はサイクリングのそれらを凌駕した。この経験は新しい気付きであり、コースの選択や距離といった様々な応用を試すことができる。

当面の目標としては、自分が住んでいる日の出地区のジョギングコースを活用してポールワークを身につけることだな。たった1回のノルディックウォークでは把握しえない動作がたくさんあった。自宅から出発してすぐにトレーニングコースがあるという環境は恵まれている。

その後は、分割式のポールを携えて、好きな場所に行ってポールを用いたパワーウォーキングを楽しもう。そうか、私が漠然とイメージしていた「何か」に限りなく近いアクティビティは、このノルディックウォーキングだったのかもしれない。

それにしても、「ああ、ここにも筋肉があったのか」と実感しうる全身の心地良い痛みが素晴らしい。

生きることの楽しみが見つかった。