2019/11/04

感覚過敏と一緒に刻まれた能力

私が苦しんでいる感覚過敏というキーワードでネット検索すると、真っ先に発達障害という記事が一覧に並ぶ。


その多くが、どこでも見かけるような内容の浅い記事にアフィリエイトの広告を貼った、いわゆるアフィブログ。

アフィブログで大きな利益を挙げて仕事をやめたと言っている人たちがネットでアフィブログを勧めていたりする。

その利益の真偽は定かではないが、本当にアフィブログで儲かるのならば、私だったらノウハウを誰にも教えない。

人は金と食とエロスについて期待を膨らませて騙される傾向がある。

本業で十分な収入がある人たちがアフィブログで小銭を稼ぐ必要はないわけだから、そういった活動に取り組んでいる人たちの層もある程度推察することができる。

オッサンの戯言かもしれないが、金とは汗水たらした労働の対価として得るものだ。

多くの人たちが儲かると信じて記事を量産した結果が、現在の日本語の検索一覧なのだろう。

何かをネットで調べようとしても、ネット上がアフィサイトに埋め尽くされていて、ほしい情報にたどりつくことが難しい。

感覚過敏があれば発達障害だという考えは正しくない。

自閉スペクトラム症(ASD)等の発達障害で感覚過敏が認められることが多いのは確かだが、発達障害がなくても感覚過敏を有する人は珍しくない。

発達障害は認められないが感覚が過敏なハイリー・センシティブ・パーソン(HSP)について某大手メディアが報じてから、HSPについての認識が広まった感がある。

このエピソードは本来のマスメディアの意義を示すもので、とても大切な取り組みだと思った。

また、ネット上では自称HSPな人たちが増え、HSPについてのアフィブログも指数関数的に増えた。

アフィブログをフィルターで最初から除去するアプリがあると助かるが、広告で利益を得ているIT企業が困るだろうし、仕方がないことなのか。アルゴリズムの進歩を願う。

さらに、昨今では米国で普及しているギフテッドやタレンテッドという考え方が日本に入ってきた。

少し変わってはいるが、知的活動や芸術分野等で秀でた才能を持っている人たちだと私なりには理解している。

人は誰しも何らかの長所を持って生まれてくるわけで、全てが「授けられし人」だと私は考えている。

しかし、時にその才能があることで逆に生き辛くて苦しんだり、社会が才能を潰してしまうことある。

ギフテッドやタレンテッドにも感覚過敏を有する人が多いことはよく知られているが、「神経質な人」のように片づけられてしまったり、社会の中でいじめを受けて苦しんだりもする。

さらに、カレーやラーメンが海外から日本に入ってくるとオリジナルとは違う独特な料理に変わってしまうように、ギフテッドやタレンテッドについての理解も極めて日本風なテイストになってしまっている。

秀才とギフテッドの違いが間違って定義されていたり、どこかの自治体のようにギフテッドを勘違いしたままプロジェクトを立ち上げてしまったりもする。

日本では発達障害を有するギフテッド、いわゆる2Eについて注目されすぎている感があるし、米国の公的機関による説明を読んだのかどうか分からない日本語のサイトや団体が次々に生まれている。

海外での2Eの人口比を元に考えると、その割合は日本でRh-のAB型の人を探すよりも少ない。

2Eではないギフテッドやタレンテッドの方がずっと多いのだけれど、日本では国のガイドラインが定められていない。

けれど、我が子が発達障害と診断された後、「ギフテッドではないか?」と希望にも似た考えを持つことは間違っていないと思うし、実際にギフテッドが発達障害と誤診されることもある。

そういった状況をビジネスチャンスと考える人たちが湧いてくるのは何だかなと思うが、国がガイドラインを策定しづらい理由も分かる。

とりわけ日本の公立の小中学校でギフテッドやタレンテッドのプログラムを始めようとすれば、教師たちの団体が物申してくるだろうし、嫉妬の空気を帯びた保護者の井戸端会議、さらには子供同士のトラブルにもなりかねないだろうから。

しかし、米国での調査では1クラスに1~2人のギフテッドがいる計算なので、日本でもあまり珍しくない存在なのだろう。

日本の場合、神経質で少し変わっているが勉強ができるという子供が学習塾に通って進学校に入り、そこから難関大学に進むというルートがよくある。

東京大学に通った人なら分かると思うが、頭が良いのにどこか感性が普通と違っている人が多い。もの凄く多い。

浦安の新町にはエリート層が多いが、米国のガイドラインであればギフテッドに該当するような父親が非常に多い気がする。

有名大学から大手企業というトラックなのだろう。まあ、そもそも日本にガイドラインがないので認定もできないし、正確なことは分からないが。

もとい、ASDの感覚過敏は精神医学、HSPの感覚過敏は心理学、ギフテッドの感覚過敏は教育学の分野で主に扱われていると私なりに理解していて、それらがごちゃ混ぜになっているのが日本の保護者を取り巻く情報環境なのかもしれない。

では、私の感覚過敏はどれに該当するのか? ASDだとかギフテッドだとか、今になって分かっても仕方がない。

ということで、中二病による感覚過敏だと思っている。エピソードを並べただけで中二病のようになるから。

1.保育園児の段階で日本の常用漢字をマスターして新聞を読んだ

2.高校から大学院までの入試で試験に落ちたことが一度もない

3.保護者会の議事録をメモを取らずに記憶して書き出したことがある

4.知能指数(IQ)が140

5.東京大学から修業年限の短縮特例(飛び級)で博士号を授与された

6.子供の頃からの夢はヒーローで、職業はたくさんの人たちを守ること

7.空気が読めない

そして、重要な局面で高度に発達した鋭敏な感覚を発動しつつ、普段の生活ではそのスペックが自らの心身を削り取っていく...

ほら。これだけだとまさに中二病だ。おそらく14歳の頃からこじらせたのだろう。

まるで、「うしおととら」のようだ。五十路が見えてハゲて来たが、まさかスペックを発動しすぎたのか?

ともかく、私は妻からギフテッドではないかと何度も疑われていて、彼女がギフテッドの存在を知る前はアスペルガーではないかと疑われていた。

病院に行ってチェックリストで「そういえば...」と答えるとASD疑いにされてしまうだろうし、ギフテッドと認定されるために米国まで行く気力がない。

面倒なので中二病だと言い張っている。

なに盛ってんだよと言われるかもしれないが、住民票の年齢と学位記の日付が合わないのですぐに分かる。

また、学歴なんて若い頃のレッテルでしかない。そういった人たちをサイクリングがてら私の職場に連れて行くと、たぶん黙って静かになる。

ロードバイクサークルのメンバーには都内の中小企業の庶務係のような場所で働いていると伝えているが、本職を知ったとあるメンバーが驚いていた。

そのメンバーはその後....闇に消されたわけではなく、変わらず一緒にサイクリングを楽しんでいる。

けれど、高度な知能とのトレードオフとして感覚過敏の苦しさを刻まれたのなら、私はできれば変わった人ではなく、普通の人として生まれたかったなと思うことがある。

この力でたくさんの人たちを助けたとしても、自分が助けてもらえるわけではないのに。

また中二風になった。まあ一度きりの人生だ。ラッキージョーカーだと思って生き抜こう。