パワーウォーキングとサイクリングを比べて実感したこと
「この街は住みやすい!」とアピールしているのは、地元の不動産屋や中小企業、地方議員、個人投資家がほとんどだ。この街をアピールすることで経済的なメリットがあるからこそ、この人たちは街の課題や問題を無視して情報発信を続ける。
個人の損得に関係なく、浦安が住み良いとネットで発信している一般の市民は稀有だ。少なくとも新浦安のネットユーザーについて私は見かけたことがない。住みづらいと感じているのだから当然だろう。
人流が戻ってきたということは、我慢を重ねた人たちがディズニーに殺到することも意味した。狂気を帯びた勢いで浦安に人が集まり、通勤時の私は大きなストレスを受け続けている。
コロナ禍でディズニー客の勢いが減って、そこからディズニー客の勢いが増したという揺り戻しが厳しい。
加えて、もうすぐ五十路に入るという中年のオッサンの疲れが半端ない。これが老いというものか。
しかし、職業人として力を入れて働くことができる時間は、あと15年くらいしかない。15年間なんて、気が付くとすぐに過ぎてしまう。それが終わると老後に入る。
これまで生きてきて、あの判断が間違っていたとか、この局面でもっと耐えるべきだったとか、軌跡のすぐ脇にもっと大きな幸せがあったとか、ひとりの頭の中で様々な思考がグルグルと回り続け、しかし考えたところで仕方がなく、何とも表現しがたい虚無感や徒労感が襲ってくる。
たったひとりの大反省会。それが五十路に入るオッサンの心の中のイベントなのだろうか。自分以外のオッサンに尋ねたことがないのでよく分からない。
2016年から2018年のバーンアウトでは、当時に趣味としていたロードバイクに乗りまくることで心身の不調を何とかして元に戻そうとした。当時の主なストレスは、往復3時間の電車通勤による地獄と気に入らない住環境、そして家庭内での妻の暴力だった。
2022年から現在までのストレスは、相変わらずの通勤地獄と気に入らない住環境。そして、妻と義実家の共依存。
妻の家庭内暴力は少し減り、直接的な夫婦間の対立も減った。とりわけ幸せなことではなく、下の子供が成人した時点で別居もしくは離婚するという夫婦間のコンセンサスに基づく。残りの時間が決まっているのだから、夫婦喧嘩で無駄な労力を費やすのはやめようという救いようがない話。
2022年において最も私を苦しめたのは、脳を吹き飛ばされるように感じる浮動性の目眩だ。たかだか目眩と侮ることはできず、ここからうつ病に進んで倒れてしまう人は多い。
かつてのバーンアウトの時には自転車に乗りまくることで何とかなったが、現在の不調はサイクリングだけでは何ともならなかった。
その一方で、職業人としては責任がさらに重くなり、「趣味の自転車で転んで怪我して入院しました。しばらく休みます」なんて言っていられない状態になった。
オッサンの悩みなんて誰も聞いてはくれないし、とにかく自分で何とかせねばならない話なのだろう。仕事においても家庭においても責任ばかりが圧しかかり、かといって救われもしない。これが終わると老後なんて、何と儚くも虚しいものだ。
それぞれのオッサンたちがスタンドアロンで何とかせねばと感じ、脱サラしたり、新しい趣味を探したり、妻以外の女性と浮気したり、まあ色々と彷徨いながら生きるらしい。
そのミドルエイジの大波に私も飲み込まれ、何とも言えない焦りにも似た妙な感覚がやってくる。
しかしながら、生きていると何があるか分からないものだ。まるで職業人としてのペースメーカーのように後を追っている年上の同僚の真似をしてウォーキングを試してみたところ、この深淵な世界の魅力に引き込まれた。
ウォーキングといっても散歩ではなくて、それなりに心拍数が上がるパワーウォーキングというアクティビティ。
その同僚は最初からパワーウォーカーではなくて、毎年のフルマラソンを走破するランナーだった。しかし五十路や還暦が近づくと、いくら身体を鍛えていても故障と無縁にはなりえない。その同僚も膝を壊してランからウォークに転向することになった。
私は学生時代に陸上選手だったので知っているのだが、「走る」という行為はそれなりにカロリーの消費がある。しかし、同時に垂直方向の衝撃によって関節や骨に負荷がかかる。その負荷はカロリーの消費や筋力の増強には繋がらず、ただのダメージとして身体に襲いかかる。
近所をランニングして、「よし、運動したぞ!」と満足しても、実際には身体へのダメージを運動だと勘違いしている感は否めない。
辛いことばかりの毎日の中で、「パワーウォーキングが心地良い」と感じる状態までが早かったのは私にとって幸運だった。当然だが、ウォーキングにおいて最も大切なのはシューズの選択であり、偶然にも「この靴ならば、どこまで歩けそうだな」というシューズに出会うことができた。
シューズが合わないと数キロメートルのウォークでも途中で止めたくなる。シューズの他にはソックスが大切だな。合わない靴下を履いて歩くと違和感が蓄積して途中で止めたくなる。
最初はサイクリング用品を流用していたウェアやバッグについても、ランニング用のアパレルを揃え始めた。とりわけ脚部のコンプレッションタイツとヒップバッグがとても便利だ。
仕事が忙しくて、自転車に乗って落車すると色々な意味で終わるという時期には、ウォーキングというアクティビティがとても有意義だ。しかし、2022年はその意義を知らずに過ごし、サイクリングを我慢して仕事をこなしていた。
途中から室内でスピンバイクを漕ぐという気力さえ失われ、まるで自分にかかる重力だけが大きくなったかのように全身が動かなくなってきた。起死回生という表現は少し誇張し過ぎだが、個人的にはとても危険な状態だった。パワーウォーキングによって随分と前向きになった。
オッサンになれば新しいことなんて何もないと思っていたけれど、実際には新しい経験がやってくることもあるということだな。
では、現時点でパワーウォーキングとサイクリングの満足感はどの程度なのか。土曜日にウォーキング、翌日にサイクリングという日程を組んで比較することにした。
ウォーキングの特徴としては、準備らしき準備もなく、気が向いた時に出発することができるということだ。ただ歩くだけなので気楽なものだ。それなりにシューズやウェアを揃えたが、大した出費でもない。歩き続けて疲れたら電車に乗って戻ってくることもできる。
新浦安から357号線沿いに船橋方面に向かって歩いていたら、脇道で「塩浜三番瀬公園」を見かけたので立ち寄ってみた。小さな子供を連れてきて喜ぶかどうかは分からないけれど、サイクリングがてらのチェアリングには素晴らしく適した場所だ。海を目の前で感じることができ、人通りが少ない。近隣に住宅地がほとんどないからだろう。
この公園の岸壁からは、新浦安、とりわけ私が住んでいる新町エリアの日の出地区の横顔を眺めることができる。実際に住んでいると実感しえないことだが、真横から日の出地区を観察すると、薄っぺらい土地の上に建物が所狭しと密集している。このような場所に住んで息苦しく感じるのは大しておかしなことではないなと思った。
市川市から船橋市の357号線沿いには工業エリアがあり、道路から投げ捨てられたのか何なのか分からないが、所々にゴミが飛散したり集まっているような状況だ。お世辞にも綺麗だとは言えないし、この付近の中小企業が周辺美化についてどのような方針を持っているのかを実感する。
国も自治体もゴミを処理しようとせず、周辺の企業もゴミを処理しようとせず、そもそも近隣に人が住んでいないような土地。無法地帯という表現が割とすんなり当てはまる。
ウォーキングとサイクリングを比較するためには、可能な限り条件を重ね合わせた方がいいので、そのまま歩いて船橋方面へ。そこから電車に乗って新浦安駅まで戻る。これで初日が終わった。
翌日は、愛車のブルーノ・スキッパーに乗って357号線沿いを走り、途中で江戸川の右岸をしばらく走り、途中で左岸に渡って戻ってきた。
江戸川の河川敷はとても面白い特徴があり、都内の江戸川区や葛飾区などに面する江戸川の右岸は明らかに都内のテイストがある。それは荒川の河川敷を走っている時とよく似た感覚で、人が多くて活気があるけれど、とかく自分のことばかり考えている人たちが多い。
他方、江戸川の左岸に渡ると、そこには私がイメージする千葉県民の世界がある。私が住んでいる新浦安は千葉県に位置しているけれど、その雰囲気は限りなく都内に近い。しかし、千葉県の北西部の他の街はもっとのんびりしている。牧歌的というか穏やかというか。江戸川の左岸ではそのような雰囲気に浸ることができる。
市川市や松戸市といった街と接する江戸川の左岸では、散歩している人たちも、ジョギングしている人たちも、河川敷で楽器の演奏の練習をしている人たちも、皆がリラックスして「自分の休日」を味わっている。
私自身が感覚過敏を有しているからなのだろうか。顔の表情や身体の動作から、他者がどのように感じているのかを何となく察するような癖がある。江戸川の左岸は人々の苛立ちを感じることがなくて、リラックスした空気が広がり、その中で私自身も気が楽になっていることを感じる。
ただし、江戸川の左岸は道幅があまり広くない上に人がとても多い。時間帯によっては人が多すぎてカオスになり、しかも大声で騒ぐような人たちもいる。江戸川の河川敷は、右岸と左岸ともにサイクリングそのものを楽しむことは難しい。それでも荒川の河川敷よりは走りやすい。
さらに興ざめすることもあった。それは、自分と同じ中年男性たちの姿だった。ひとつは、ピチパンを履いてロードバイクに乗り、歩行者がいても疾走するオッサン。本人は格好が良いと思い込んで突っ走っているようだが、紛うことなくダサい。
なぜにダサいと私が感じるのか。若者と張り合っている、もしくは自分が老いていることを認めずに抗っていると感じるからなのか。その感情は私だけではなく、しかも日本だけでもない。欧州では、そのような中年男性たちが「MAMIL」と揶揄されている。
興ざめしたもうひとつの光景は、荒い吐息を振りまきながら必死に走っているオッサンのランナーたち。
若者たちが必死に走っていると格好が良いのだが、オッサンが必死に走るとどうして無様に感じるのだろう。本人たちは頑張っているので無碍に気持ち悪く感じる必要はないのだが、気持ち悪い。近づきたくない。何か気持ち悪いものが飛び散ってくるように感じる。
結局のところ、私を含めたオッサンという存在は、できるだけ人と接しないように時を過ごし、ひっそりと老い、気がつくと世を去っているという生き様が「粋」ではないか。
逆のベクトルで自己を主張し、人前でアピールするから鬱陶しくも気持ち悪く感じるのではないか。
翻って、人との距離をできるだけ遠ざけて、自分の世界を大切にして孤独に生きているオッサンが格好良く見える理由も分かった。老いて朽ちるというステージはとても寂しく感じるもので、しかしそれはオスとして抗うことができない時の流れでもある。
生物としてのオスの意義とは、種を遺して潔く世を去ることだと私は考えていて、成熟までに時間がかかる人間の場合には父親というステージがある。ただそれだけのことだ。
人間であっても、オスとしての意味を終えた存在は社会から遠ざかり、老いて死を待つ。それだけのことなのだと私は勝手に思った。
帰宅した後で、ブルーノ・スキッパーを自室に立てかけ、座り込んで壁に向かい自問自答する。
それはサイクリングの最中にも感じていたことだけれど、自分の身体にフィットするシューズを履いてウォーキングを楽しんでいる時と、気に入った自転車でサイクリングを楽しんでいる時。どちらが有意義なのかというと、甲乙付けがたい。
その結論はサイクリストとしてあるまじき考えだ。自転車に乗ること、自分の足で歩くこと。その両者が同じ土俵の上に位置しているどころか、同じ程度の価値だというのなら、なぜに自転車に乗る必要があるのかと。
確かに、足に合わないシューズを履いたウォーキングは全く楽しくない。しかし、どこまでも歩けそうなシューズで好き勝手に歩くという開放感を知ってしまうと、サイクリングとウォーキングの位置付けが曖昧になる。
カスタムが完了したブルーノ・スキッパーは、浦安から引っ越した後の住居から都内の職場に通うという想定で用意したものだ。あまり遠くない未来、この自転車は通勤の手段として重宝するはずだ。
しかし、自分が生きる中で必要不可欠だと思っていたサイクリングというアクティビティは、本当に必要不可欠なのだろうかと疑問に感じた。
その疑問は、単に私が生きることに迷っているという話ではない。「レールの上をひたすら歩いているだけ」と感じた私の中年時代は、実際には微妙なところで変化を続けており、その変化の中で価値観が揺らいでいるのかもしれない。
その間隔を便宜的に5年程度のタームとして位置付けた場合、あと3回のターンオーバーで老後に突入するということか。そして、サイクリングこそが至上だと思っていた私の場合、この気付きは最初のターンオーバーがやってきたことを意味しているのかもしれないな。
サイクリングに熱中していたオッサンが、急に自転車に乗らなくなって別のことに注力するという話はたくさんある。その他の趣味についても同様。
若い頃にはそのような突然の方向転換の意味が分からなかったが、本人の内的世界の中では明らかな原因があって導き出される結果なのだろう。その原因とは本人の中で生じる心身の変化だ。たとえそれが老いという変化であったとしても、何も変わらない状態よりも価値がある。
とはいえ、いつも通りのサイクリングに出かけて、その満足感がウォーキングとあまり変わらないという感覚には驚いた。一体、オッサン真っ盛りの私の頭の中では何が起こっているのか。
この変化を嘆くことなく、達観して受け入れることも大切なことなのだろうか。だとすれば、サイクリングに注いだ金と情熱は何だったのか。その時間の取り組みは無駄だったのか。
無駄ではないな。しかし、変化がやってきていることは確かだ。