永遠の元漁師町
私が住んでいる浦安市という街では、行政の金の使い方が市民から指摘を受けることがよくある。昨年の2022年。市内の公園のトイレの清掃業務において、委託先の人件費が1名につき時給1万円を超えていることが指摘された。
浦安市の行政についての録を遺すとすぐにGoogle検索で上位になるので、マニュアル操作で検索順位を下げている。おそらく、市の行政について関心が高い人たちからのアクセスなのだろう。
浦安という場所は、かつては財政的に貧しい漁村だった。その姿は山本周五郎氏の「青べか物語」で描かれている。浦安市の郷土博物館では、まるで青べか物語がこの地の誉れのように扱われている印象があったが、本当に青べか物語を読了したのだろうかと不思議に思う。
浦安に引っ越して驚くことが多い日々を送り、この街から引っ越そうと考えている点においては、山本周五郎氏と私は共通している。新しく引っ越してきた人たちとの間で融和することなく、隙あらば自らの利益を得ようとする浦安の人々の狡猾な性格が小説で描かれており、エピソードの節々でガラパゴス的な風土が指摘されているのだが。そもそも、青べかというタイトルや浦粕町という仮称は浦安に対する著者の以下略。
市川市の行徳エリアと浦安市の元町エリアの間には今でも所々に塀がある。市川市の人たちは浦安の漁師たちと仲が良くなかったらしい。
その後、多くの世帯が水産業によって生計を立てていた浦安町は、1960年頃に生じた本州製紙江戸川汚水放流事件によって大きなダメージを受けた。「本州製紙工場事件」とか「黒い水事件」と呼ばれることもある。浦安市の公式サイトにも記載がある。
https://www.city.urayasu.lg.jp/shisei/profile/rekishi/1001469.html
この事件は、東京都江戸川区にあった製紙工場の排水によって江戸川が汚染された公害であり、現在の旧江戸川の下流にある浦安町の漁業は大変な被害を受けた。そのエピソードは「官僚たちの夏」にも取り入れられている。
ここまで録を記していると、浦安の元漁師の家系の人たちから「この移民が、ググった情報で偉そうなことを言うな」と言われそうだが、私の妻は元町で幼少期を過ごし、その後に中町で青年期を過ごし、現在は新町で生活している。
また、私自身も浦安に移り住んで10年以上が経過している。要は、浦安市の裏側を知っているということだ。
さて、国立国会図書館のデータベースで検索してみると、当時の浦安町長が国会で発言した内容までが記録されていた。なるほど、浦安町という土地はこのような場所だったわけか。まさに湾奥に浮かぶ陸の孤島にて、独特の文化や価値観が熟成されたということか。
関連するメタデータを解析して分かったのだが、当時の浦安町長のお孫さんは優秀な医師かつ研究者として活躍されたらしい。当時の浦安町長には高いインテリジェンスが感じられた。優れた頭脳が遺伝したということだろうか。
ともかく、当時の浦安町では、漁協の幹部が町長を務めていたらしい。つまり、網元が行政上の首長を兼任していたわけだ。網元とは漁民の頭領のようなポジションであり、行政における首長ではなく、民間の経営者のような存在だと理解すると分かりやすい。
当時の浦安町長という職は無給だったので、経済力のある網元がボランティアのような形で行政を率いたらしい。
確かに効率的で無駄がない統治システムだが、網元の権限が大きくて逆らえない状態であったのならば、怖く感じたりもする。場所にもよるが、一般的に網元の下で働く人たちは網子と呼ばれ、両者の間には隷属性があった。多くの世帯が網子という町であれば、網元の影響力はとても大きかったことだろう。
したがって、かつての浦安という土地では、近代政治に基づいて選ばれる行政のリーダーと、網元制度に基づくリーダーが重複していたという解釈になる。リーダーの方針に民が従うというスタイルが普通だったのかもしれないな。
現在の浦安市の行政においても、浦安でよく見かける名字の人たちが役所で働いていたりもする。
また、都内から引っ越してきた私にとって、浦安の行政は網元制度のようなトップダウンに見える時がある。そのシステムは古くから定着していたのかもしれないな。
なので、ボトムアップによって市民から行政に突っ込みが入ることを嫌がり、行政と市民との間で考え方にギャップが生まれることがあるということか。
元漁師の家系の人たちと様々な街からの転入者との間で水と油になる理由も分かる。
時系列を戻ると、浦安町に面した海の公害が生じ、その後で海の埋立事業が行われた。豊かな漁場のままで漁業権を放棄したというよりも、汚染を経て漁業の将来に不安を抱いたという背景があったようだ。
それにしても、工場による海の汚染から埋め立て事業までの間隔がとても短く感じる。公害を含めたシナリオが用意されていたのではないかと錯覚する。高度経済成長期の日本には海でさえ陸に変えるほどの馬力があり、様々な実現性があったということか。
浦安の埋立事業と地域社会の変化については、査読付きの研究論文が加藤秀雄博士によって発表されている。
「東京湾沿岸部の大規模開発に伴う生活変化:高度経済成長期の浦安を事例に」
国立歴史民俗博物館研究報告 第171集 2011年12月
https://researchmap.jp/katohi/published_papers/5547925/attachment_file.pdf
なるほど、当時の浦安の状況について、とても勉強になる。漁業の話だけでなく、人々の生活スタイルや信仰についてまで詳しく紹介されている。私が民俗学的な論文を真面目に読んだのは初めてかもしれないが、研究の完成度も相まって非常に興味深い。
史実に残っている浦安という漁師町は、その後の市民である私がイメージしていた姿と比べて随分と違っている。典型的な専業の漁村というよりも、かなりフレキシブルな形態だったらしい。
水産業を廃業した元漁師たちが東京都の職員に転職して清掃業務に就くことが多かったとは、浦安市民である私も知らなかった。
この資料を読んで興味深く感じたことがある。それは、「海面の埋立に伴う漁業権の放棄の対価として、現金と土地の所有権が漁協側に支払われた」という部分。
浦安の元町の猫実地区に代々住んでいる知人から、「漁師の長男に海楽地区、次男に高洲地区の土地が無償で提供された」という話を聞いたことがある。なるほど、その話は噂ではなかったということか。
当時は土地を他者に売らないでほしいという行政からのお願いがあったそうだが、構わずに売ってしまったり、そのような土地を安価で買い集めていた人がいたらしい。何だか想像がつかないな。今ではそのような土地のために何千万円もかけてローンを払っている人たちがいるわけだ。
浦安市の公式サイトにこれらの事実が記載されているのだろうか。
街が開発された現在では浦安の地価が高くなっているけれど、当時はそれほどの価値が見出せなかったことだろう。
かといって、国民の税金に支えられた事業によって海を埋め立てて、土地の一部を無償で地元に譲渡するというのはどうなのかと思ったりもする。
土地の一部を元漁師に提供してもなお、浦安に面した海を埋め立てることで大きなリターンが見込めると政官財が考えていたということか。海を陸に変えるプロジェクト自体で巨額の金が動く。様々な駆け引きがあったことだろう。
その後、埋め立て地に多くの商業地や住宅地が建設され、都内を中心とした様々な地域から人々が移り住み、現在の新浦安が形成されるようになった。
義母の話では、新浦安駅の付近にある中町エリア、とりわけ入船地区にはメディア関係者の子育て世代がたくさん住んでいたらしい。
妻が小学校に通っていた頃に保護者うちで話していたことなので信憑性がある。マスコミ関係者がどこに住んでいるのかなんて考えたこともなかったわけだけれど、なるほど自動車を走らせれば都内にアクセスすることもできるし、治安が良い立地が生活に適していたのかもしれないな。これから新たな地域社会を築くというフロンティア的なイメージに魅力を感じたのかもしれない。
加えて、体制だとか行政といった存在に対して鋭く意見するような人たちが、義母と同世代の保護者たちには珍しくなかったそうだ。学生運動の真っ只中の団塊世代とオーバーラップするので何となく想像が付く。
学生運動は大学に通う若者たちのムーブメントだったが、そのような活動に無関係であっても、体制に対する反骨心のような考えが団塊世代に広がっていたりもする。戦後の不安定な時期を生き、この国の成長を支えたことは間違いなく、相応の矜持があるのだろう。
この街の行政について舌鋒鋭く突っ込んでいくシニアの人たちと義母が同じPTAにいて、当時から凄かったらしい。相応しくない担任の教師がいると、保護者が学校にクレームを入れて他の学校に異動させるようなことまであったそうだ。
おそらくだが、浦安の行政が最もケアしているのは中町のシニア世代なのだろう。入船地区とか美浜地区とか今川地区には思想や理念がある人が珍しくない。団塊ジュニア以降の世代にはそれらが薄い。シニアたちが大学生だった頃にノンポリと呼ばれていた人たちが大多数だ。
そういえば、新町の日の出地区の住宅の場合には、新規入居において抽選があり、色々と訳あって多くのエリート層が選ばれたという話をシニアの人から聞いた。大企業の社員とか官僚とか。ゴミ捨て場に東京大学の同窓会の冊子が大量に捨てられていて、そのゴミの前で話を聞いたので信憑性がある。
そのシニアに「三社祭に参加したことがありますか?」と私は尋ねた。
「参加するはずがないでしょう。呼ばれたこともありません。子供たちを含めて」と彼は答えた。
元漁師に譲渡された新町の土地は反対側の高洲地区にあるそうで、日の出地区は元漁師の家系の人たちがとても少ない。というか出会ったことがない。
元漁師町と対極にあるように感じる新町の日の出地区のスタイルは、当時から始まっていたということか。
中町エリアのシニア世代と新町エリアのシニア世代は感性というか考え方というか、何かが違っているように思える。新町ではクレーマーのシニアを見かけることはあるが、行政に突っ込むパンクなシニアは珍しい。上品で知的ではあるが、距離が近くなると気難しくて疲れるというか。逆に、中町のシニアは近づき難いけれど仲良くなると面白い。
現在の中町と新町の働き盛りの世代についてはさらに雰囲気が違うが、それらについては省略する。
他方、元漁師町の視点から浦安市という場所を考えた場合、主幹産業である漁業が終焉を迎えたわけだ。それを漁民たちが求めたわけではなくて、日本の高度成長期の大波が浦安に直撃したと解釈して矛盾はない。
自分が元漁師たちと同じ立場であれば、これからどうやって生計を立てていくのかを考えたことだろう。この街をひとつの商品だと理解して、そのフィールドでどうやって金を稼いで生きていくか。当然のことだ。
浦安に限った話ではなくて、地方においては公共事業は貴重な収入源だったりもする。実際、私の実家もそのような税金による仕事を受けて働いていたりもした。
新浦安に新興住宅地が生まれ、そこにたくさんの働き盛りの世代、とりわけ高所得層が流入してきて、街の財政が潤った。日本トップクラスの財政といっても、要は新興住宅地に流入してきた市民たちが納める住民税や固定資産税が高かったということだ。
新町の人たちは元町の人たちから「小金持ち」と揶揄されたりもするが、それらの税金が集まったからこそ、市の施設やサービスが充実し、分け隔てなく市民が利用している。感謝しなくても構わないが、揶揄する必要はあるのか。
裕福でない漁師町の行政がベースとなっているシステムにおいて、それまでの経緯では考えられないくらいの金が集まってきた。人口も急激に増大した。それらの変化は、小さな町の行政にとって大きすぎる存在だったのかもしれないな。
猫実出身の地元の知人の話では、現在の新庁舎の前の旧庁舎のさらに前の庁舎は、木造のような建物だったらしい。浦安市が発展して旧庁舎が建てられて凄いと喜んだとか。
そして、街の財政が急激に豊かになり、それに伴って様々な歪みが生まれたのかもしれないな。相場よりも経費が高めに設定されていて、そこに指摘が入る場合があるということだろうか。
また、この街で古くから生活してきた家系の人たちの雇用や生活設計について地方行政が配慮するという慣習が続いているように私は感じる。その範囲がどこまで広がっているのか私には分からない。ふるさと納税の返礼品や市職員の採用試験の内容変更はとても分かりやすい。その他、定年退職後の浦安市の幹部職員が再就職している外郭団体の取り扱いも分かりやすい。そもそもの幹部職員が以下略。
さて、ここまで延々と考察を続けた後で、浦安市立の公園のトイレの掃除の話に戻る。
現時点では人件費の単価が見直されたらしいが、それまでに1名あたり時給1万円以上を支払っていたわけだ。
かといって、「なんたることだ、浦安市の行政はけしからん!」と憤る気持ちは私にはない。今後、浦安市が市民対象のボランティアを募集しても絶対に参加しないが。
それにしても、随意契約ではなく競争入札で時給1万円以上という単価がどうして可能だったのだろう。素直に考えると、より安い金額を提示した法人等が落札するはずだ。首都圏には清掃業務を請け負う業者がたくさんある。なぜにこのような金額で競争入札が成立したのだろう。不思議だな。
公共施設の中のトイレの清掃については国による積算基準があるけれど、屋外のトイレの清掃については各自治体の裁量に任されているらしい。
この件において業務を落札した法人を調べてみたところ、多くを察した。色々と都合があったのだろう。
しかし、さらなる問題としては、このような事例を踏まえて「市民から預かった税金を浦安市が適切に運用しているのか? 関連団体や地元の業者に対して多めに金を配っているのではないか?」と市民から疑念を持たれることだ。
浦安市内には現役の公認会計士がたくさん住んでいるわけだから、国の会計検査院のように浦安市の会計監査をお願いするというアイデアはどうだろうか。
時給1万円で。
冗談はさておき、同じ子育て世代について考えてみると、疑念を持つも何も、この街の行政について関心がある人たちがどれくらいの割合なのかという話だ。そもそも体制に対して指摘することは悪だ、政治的マターには関わるなという学校教育を受けていたように記憶している。
驚くべきことに、新町エリアには、浦安市役所がある猫実地区を「ねこみ」と発音する中年の父親がいたりもする。マイカーで市役所に行って手続きを済ませて新町に戻ってくるので、その場所の読み方なんて全く興味がないわけだ。水害に苦しんだ過去の浦安民が、猫実という地名に祈りや願いを込めたことを知るはずもない。
この人はかなりエクストリームだけれど、浦安市議会の議員の定数を即答することができる保護者の割合はどれくらいなのだろう。ひとりの議員の報酬が年間900万円近いと聞くと驚いたり、ある意味で納得するかもしれないが。
浦安市の税金の使い方に問題があるのなら、これからそれを是正して、できれば節約しながら市民に還元してくれるといいなとか、まあそういった考えがあれば十分なくらいだろう。
そもそもこの街の行政に関心も期待もなくて、それが仕事なのだからきちんと仕事してくれるだろうと考えている人が大勢ではないだろうか。シニア世代とのギャップが生まれるのは、このような相違によるものだろう。
「この状態なのに、受益者負担を増やすだと!?」とキレるような保護者世代は少ないかもしれない。また、「トップダウンで何かを決めるとは網元制度の名残か!?」と思考を飛躍させながら抗議する同世代もいないことだろう。
だが、行政について関心がないという状況は、後々の街の将来を考えると深刻かもしれない。
とりわけ浦安に愛着があるというわけではなく、条件が良かったから住んだだけ。住みにくく感じれば、もっと条件が良い他の街に引っ越せばいいと考える人が多い。
現状でも転出入による市民の入れ替わりが激しい浦安市だが、この先の首都圏の人口動態を考えると市民から見た場合の街の選択肢が多くなる。他の街に若い勤労世代が集まり、浦安市は高齢者ばかりの街になる未来がやってきてもおかしくない。
いつまでも埋立による浦安の繁栄が続くとは思えないし、直下型の大規模地震がやってきて、再び液状化で街が崩壊した時、街の自主財源だけで復興することができるとも思えない。東日本大震災では国から多額の予算が充てられたが、首都圏が広域に被災した場合にはどうなることか。新浦安から勤労世代が転出し、多くの高齢者が取り残されたらどうなるか。
災害がなかったとしても、少子高齢化の波や税収の減少は浦安に訪れる。その試算がすでに出ているはずだ。今のうちに金の使い方をスリム化しておかないと苦しい状況になる気がする。
とはいえ、私が浦安の行政について考えたところで仕方のない話だ。
私の場合には、数年後に浦安から引っ越して他の街で生活することを決めている。ふるさと納税をフルベットに設定して浦安市から他の自治体に住民税を移し、さらにはiDeCoで住民税の控除を受けるようにしている。
これらは法律的に何ら問題がなく、浦安市の金の使い方について不満を持つ必要がなくなる。住民税の多くを他の自治体に寄附しているわけだから。
そういえば、私がふるさと納税でフルベットし始めてから、うちの妻が家庭でふるさと納税について一言も触れなくなった。昨年は返礼品で喜んでいたのだが、おそらく義実家で義父や義母から何か言われたのだろう。あるいは妻自身の思想によるものか。
「浦安に納める住民税が減ったら、困るのは市民なのだぞ」と。
まあ確かにそうだな。義父や義母は死ぬまで浦安に住み続けるのだから、今後の行政サービスを守るためには住民税を払えということだ。法律的には問題なくても、浦安市民としての道理に反していると言いたいわけか。
しかし、私が稼いだ金について義実家からとやかく言われる筋合いはない。
なるほど、うちの妻が家庭でふるさと納税について一言も触れなくなったのは、つまりそういうことか。
世帯レベルでも同じことかもしれないが、金がある時に節倹に励むことは難しい。収入が減ると自然に節倹モードに入ることだろう。
この街は、かつての高度成長という成功体験を終わらせて、これまでのしがらみにとらわれずに進むことが必要だと思う。
新浦安に住んでいるアッパーミドル層が合法的な控除によって住民税を減らせば、この街の行政は業務委託等の費用を含めて節約せざるをえなくなる。
また、いくら説明したところで、その状況にならないと納得しない人たちだっていることだろう。
「新町の人間が偉そうに!」と言われるかもしれないが、この街の財政を支えている人たちの多くは新浦安に住んでいる。
楽に稼いでいるはずがなく、身を粉にして働いている。嘘だと思うのなら、深夜零時の新浦安駅の前で激しく消耗して疲れ切った労働者の姿を見ればいい。