節倹生活と積立投資:開始から半年
私の認識の中で、「節倹」と「我慢」は近くて遠い関係にある。節倹はゲーム感覚の楽しさがあるけれど、我慢は無様な自己否定を伴う。古びた品物を使い続けたり、欲しかった品物を買わずに耐えている自分自身を「惨めだ」と思った時には、金を投じて手に入れる。
そして、マラソンランナーの上司や同僚の故障時のトレーニングに習って、心身の回復のためにパワーウォーキングという趣味を始めたところ、コンディションが分かりやすく回復してきた。2月はウォーキング強化月間...という表現は少し妙だけれど、ある程度のスタイルを固めることにした。
自転車の趣味のように金がかかるわけでもないけれど、天候や気温に応じたいくつかのジョギング用キャップ、寒暖に応じて通気性の異なる厚底のランニングシューズ、常に腕を振るのでバックパックではなくヒップバッグなどが必要になったので、躊躇することなく買い揃えた。
その他のウォーキング用品については、サイクル用品を流用することにした。とりわけ、サイクリング用途として購入したものの、サイズが大きくて使っていなかったジャケットやタイツが重宝している。
とはいえ、年末年始の精神の井戸はかなり深かったらしく、判断を誤って注文し、結果として無駄金になってしまった品物もたくさんある。
サイクリングの途中でチェアリングを楽しむという趣味を始めてみようと、ヘリノックスの高級折り畳みチェアを2種類購入したのだが、実際にサイクリングに出かけてみるとチェアリングそのものが難しいことに気が付いた。
サイクリングという動的な状態を中断し、チェアリングという静的な状態に入り、そこから再び動的なサイクリングに戻るというトランジションが、私にはどうしても抵抗がある。時期的に寒すぎてチェアに座っている場合ではないという気持ちがあるのかもしれないし、もう少し様子を見てみよう。
また、物品価格の値上がりに反応しすぎて買い増ししたけれど、冷静に考えてみるとこれからも使い続けるかどうか分からないという品々についても、完全な無駄遣いになってしまった。
年末年始は強迫観念というか、たぶんこじらせると強迫性障害に繋がるような精神の追い詰まりがあった。
どうせ値上がりするのだから、普段用の靴を買い溜めておこうと買い込んだけれど、ウォーキングが趣味になって普段用の靴が必要なくなってしまった。なぜなら、出歩く時には自動的に趣味のウォーキングになってしまうわけで、普段用の靴は歩きにくい。必要のない品物については、さっさとネットで売り払って処分することにした。
とどのつまり、半年間の節倹生活で浮いた金が年末年始で吹き飛んだ感がある。かといって、それら全てにおいて私に非があるわけでもない。夫婦関係の不和においては妻にも責任があり、心身共に辛い時期にさらに我慢を重ねることで私がバーンアウトやうつ病を発症すると家庭が破綻する。これらの出費は必要経費だ。
そういえば、世の中には様々な趣味人がいるもので、「靴」を趣味としている人たちのブログを拝見し、大変勉強になった。
気に入った靴を購入し、それらを眺めたり、手入れしたり、もちろんだが実際に履くことで楽しむという趣味なのだそうだ。レアなスポーツシューズを集めている人たちもいるが、オーダーメイドの高級な革靴を集めている人もいる。実用を兼ねたコレクションという趣味だと私なりに理解した。
とりわけ、革靴の場合には、毎日同じ靴を履き続けると靴が傷んでしまうけれど、ずっと履かずに放置しても靴が傷むので、ある程度のローテーションで履く必要があるそうだ。そして、たくさんの靴を用意して適切なローテーションを回転させると、それぞれの靴の寿命が何倍も伸びるらしい。
なるほど、例えば自分の残りの時間が20年だったとして、その間に数足の靴を短いローテーションで履き続けたとする。その場合には靴が早く傷むので、履き潰して新しい靴を購入し、再び履き潰して新しい靴を購入することになる。新しく買った靴が足に合わず、沼にはまることもあることだろう。
他方、気に入った靴が見つかったら無理させずに追加の靴を手に入れ、お気に入りの靴のコレクションを増やし、長いローテンションでそれぞれの靴を使い続けると、全体としては靴の購入費用の節約になるという話だった。
靴を集めることが趣味であれば、相応のストッカーを用意するだろうし、その日の気分によって使い分けることもあることだろう。
安い品物を高回転で使い潰した方が節約になることもあるし、高くても丈夫な品を長く使い続けることで逆に節倹に繋がるという考えもあり、その中間的なスタイルもあるというわけか。それぞれの品物を使用する期間によっても費用対効果が変わってくる。なるほど、これは勉強になる。
そして、今回の年末年始において結果として無駄遣いになってしまった出費は、よくある「衝動買い」によるものばかりだった。ストレスや悩みをショッピングによって緩和させたいという逃げの思考だったわけだな。
その思考が悪なのかというと、そうでもない。何かを心の拠り所にして耐えることが間違っているはずはない。私は夫や父親であることを放棄していないし、生きることを放棄していない。
この年末年始は夫が浦安住まいで疲れ切ってしまい、浦安出身の妻が配慮すべき状況だった。にも関わらず、逆に妻が夫を追い込んで潰しかけたわけだ。くどいようだが、家庭を維持するためには必要な出費だった。
ただし、無駄遣いを自覚した場合には大いに反省して速やかに処分し、次回こそはよく考えようと肝に銘じる必要がある。
ところで、節倹生活のきっかけとなった積立NISAやiDeCoといった積立投資については、年末年始の不調に関わらず、ほぼ自動的に口座に金が振り込まれている。この半年間の景気は世界的に下落傾向なので、大した含み益が生じていない。
そもそも、iDeCoについては掛け金の額が少なく、ファンドに金を投じることによるリターンは最初から期待していない。むしろ、稼げば稼ぐほど持って行かれる所得税と、頼んでもいないのにハコモノが建設される某市に納める住民税が控除されるので、節税の目的として続けている。iDeCoで積み立てた金は老後の小遣いくらいにはなるだろう。
積立NISAについても同様の状況。2020年頃はコロナ禍における各国の財政出動によって株価の大幅な上昇があった。しかし、2022年頃から生じたインフレへの対策として、とりわけ米国では政策金利が継続的に引き上げられた。それに伴って株価が下がり続けている。
この状況は、コロナ禍での急激な株価の上昇と逆のパターンと理解すると分かりやすい。日本においては、コロナ禍の前に一般NISAや積立NISAを始めていた人たちが、あまり幸せとは言えない好景気によって資産を増やした。
そのことがネット上で知れ渡り、特に「S&P500」に連動した米国株のインデックスファンドが人気を集めた。ツイッター上では、「S&P500だけで十分!」といったニワカ投資家たちが自信満々でツイートしていたりもした。
NISA以外にも金融資産を運用していた人たちの中には、勤めていた職場を早期退職し、その後は資産運用によって生計を維持するという人たちまで現れた。そのライフプランは「FIRE」 (Financial Independence, Retire Early)と呼ばれているらしい。
そして、コロナが落ち着いた頃の米国政府のインフレ対応によって米国株が下落し、米国株によって資産を増やしていた人たちにダメージが直撃した。結果、FIREが破綻した人たちが続発した。
日本国内では「FIRE卒業」という滑稽なフレーズが散見され、それでも虚勢を張るニワカ投資家たちが目に付いた。早期退職によって無職になり、そこから再び職を探し、より低賃金で働くわけだから大変だろうなと思いもするし、自業自得だと思いもする。
併せて、米国におけるプログラムされた景気の低下により、世界規模の大手企業の業績が悪化し、多数の労働者が人員削減の対象となった。その波は日本の外資系企業にも押し寄せ、本国のグローバルによる指示で多数の勤労世代が首を切られることになった。
私が積立NISAを始めた時には、すでに米国の景気が下落する時期だった。好景気でファンドを買うよりも不景気でファンドを買った方が、その後の値上がりが期待されるという判断だった。
つまり、長期に積立投資を継続する場合には、その前半で恐慌が起こって株価が激安になり、後半になって回復し、積立が終わる頃に高値になっていればいい。もちろん、積立が終わる頃に恐慌がやってきて資産が大幅に溶けるリスクもある。貯金に少しのボーナスが乗ればいいくらいの気持ちで積み立てている。
また、当時のネットニュースやツイッターでは、米国S&P500のインデックスファンドが最も素晴らしい的な風潮が広がっていて、日本株なんてゴミだと揶揄する人が多かった。
しかし、ニワカ投資家ではなくて、昔から投資を続けてきた人たちは米国株がゴミだと言われていた時期をよく知っているそうで、積立投資の場合には、総額の半額を全世界株のファンドに投じ、残りの半分を米国株、日本株、先進国株、新興国株のファンドに振り分けるというアセットを組むことを勧めていたりもする。
短期間で利益を求めるのであれば米国株だが、株価の低迷というリスクを考えた場合には、ファンドを分散した方が安全だと。
なるほどそうかと学んだ私は、その投資家の言う通りに米国株を過度に信用せず、積立金額の半分を全世界株のファンドに、残りの半分をそれぞれの種類のファンドに細かく割り振った。
積立NISAを半年程度継続し、40万円強を積み立てて、含み益は1万円程度だろうか。この不景気で損益がプラスになっているだけでも良いことだ。当時の風潮に流されて米国株1本で踏み込んでいたら、資産がマイナスになってショックを受けていたことだろう。
しかし、これからの長い期間において米国が景気を取り戻し、再び米国企業の株価が高騰したならば、「ああ、あの時に米国株1本にしておけば...」と思うのだろうか。現時点では、少し前にゴミだと言われていた日本株の方が全世界株よりも高いリターンを出している。未来だけは予想しがたい。
積立投資を始めてから、全くリターンが生まれていないファンドがある。それは、新興国のインデックスファンド。最初から新興国株が眼中にない人たちは多い。
新興国ファンドの投資先は中国企業や台湾企業が多かったりもするわけで、これからどのように展開するのか分からない、あるいは十分なリスクを有していると考えられているのだろう。商品として購入していたファンドが繰上償還などによって終了する可能性もなくはない。
けれど、私が積立投資を終わる頃に中華圏がより発展している可能性もなくはない。私が子供の頃は、日本製品こそが世界一であり、中国製品どころか台湾製品までを見下すような風潮があった。しかし、現在はどうなのかというと、中国が米国と張り合うような大国になってしまい、日本製品よりも台湾製品の方が安くて高品質という場合もある。
そもそも、日本から他国に企業の製造工場が移転され、真の意味での日本製品は少なくなった。
日本の景気は数十年にわたって停滞し、雇用は不安定化し、政治や行政に対する人々の信頼は疑念に変わり、次世代を支える子供が減り、収入は増えずに税負担と物価が上昇し、社会全体が成長しないまま老いていく。そこに広がるのは不満と落胆。諦めた方が穏やかに生きられるなんてシュールだ。
今の若い人たちにとって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というフレーズなんて、何かの虚構か冗談かという状況だろう。
これから先、世界はどうなるのだろうな。たった1種類のウイルスが蔓延しただけで、世の中が大きく変化した。社会がこのような状態になるなんて、5年前のほとんどの人たちは想像したことがなかったはずだ。
それどころか、どこかの狂人が核兵器のボタンを押せば世界は破滅的な混乱に陥る。直接的に巻き込まれたら株券どころか通貨まで紙屑になるかもしれない。
SF作品の中には、環境中の放射性物質を除去するための革新的な技術が日本で開発され、それによってこの国が再び発展するという物語があった。
そのストーリーは強ち非現実的でもない。放射能除去の技術が必要とされている場所が不幸にも国内に存在し、研究用のマテリアルやフィールドがたくさんあり、多くの博士号取得者が非正規雇用で苦しんでいる。国策として新技術を開発して、各国に売り出したり、外交手段として利用すれば莫大な国益になることだろう。
しかし、長期的な祖国の利益ではなく、目先の個人的な利益を追求する人たちから見れば、そのようなアイデアは旨味が少ないのだろう。だからずっと停滞し続ける。
何があるか分からない流動性と複雑性を帯びた世の中で、将来を考えても仕方がない。けれど、将来を考えないわけにもいかない。毎日をコツコツと地道に生きるだけ。