大きめの重力感で床に伏せながら
しかし、目を覚ました時点で日曜のサイクリングを諦めた。全身が重く感じて床に押し下げられているような感覚がある。GANTZのZガンあるいは転生系のアニメでたまに見かける垂直重力の魔法を受けたかのように立ち上がれない。創作世界であれば楽しめるが、リアルでは洒落にならない。手足どころか指先さえも重く感じる。
「ミドルエイジ・クライシス」という横文字は聞こえがいいが、自分の場合には単なるオッサンの更年期でしかない。更年期は女性特有だと若い頃の私は考えていたが、男性ホルモンが急激に減少することで心身ともに一気に衰えることがあるそうだ。伝聞というよりも実体験だが。
加えて、私の場合には体調が優れない上に家庭でのストレスがとても大きい。
疲れの原因がレスを含めた夫婦関係の不和や家庭内別居にあることは間違いなく、そこに妻の母親、つまり私にとっての戸籍上の義母による過干渉があることも間違いない。
妻が中年に差し掛かっているにも関わらず、未だに子離れできない義母が私の家庭に干渉を繰り返し、妻も義実家に依存し、さらには私の子供たちまで巻き込まれている。
この義母は本気で私の家庭を壊そうとしている。いや、そもそも私の家庭は義実家の離れであり、住居費を全て払っている私の存在なんて何ら気にしていない。
結婚して妻が豹変し、厄介な義母がセットで付いてきた。こんなはずではなかったと悔やんでも遅い。
最近では、妻の顔や体型が義母に似てきた。とりわけ、妻の甲高い大声とマシンガントークが義母によく似てきたことは深刻だ。母子だから当然とはいえ、声が似てくると色々な意味で萎える。自宅にずっと義母がいるような感覚があり、心拍数が上がる。
強烈な衝動性と自己肯定を有する義母が私の脳にどれだけ大きな精神的外傷を残したか。妻は義母の所有物ではないし、義母は妻の一部ではない。
加えて、ディズニー客が押し寄せる気が休まらない街での生活が自分の精神を追い込んでいく。長時間の電車通勤が物理的な時間を消費し、多くの活力を失わせてしまう。
妻は浦安の欠点を決して口に出さない。宗教性すら感じる妻を含めた義実家という存在において、この街は聖地に相当する。この住環境で疲れている私の方がおかしいと言わんばかりだ。
したがって、私が疲れ果てていても、妻や義実家は私を労うどころか何も気にしていない。配偶者が適応障害を起こしても気にしないなんて、凄まじい図太さだ。
かといって、抗う気力も失せた。この人たちは何も変わらない。願うだけ無駄で無意味。
すでに役目を終えたオッサンは丁寧に生き、自分の用がなくなれば距離を取り、静かに老いて朽ちるのみ。
だが、勉強しろと言っても勉強せず、経済的豊かさに感謝してもいない子供たちは、成人してもなお十分な生活力を伴わないことだろう。
夫婦関係はこの有様。義母や妻が老いてさらにおかしくなると、私の苦しみも増大する。なんてことだ。結婚を考えて義実家に面会した時点で、この一族はおかしいと感じたのだから、すぐに逃げるべきだった。
つまり、オッサンの終焉は思ったよりも遠く、まさに生きることと苦しむことが同義になりつつもある。子育てに入って妻が家庭で暴れた時点でさっさと離婚し、子供たちにも生きることの厳しさを与える必要があった。
そうすれば、私自身は別のパートナーを見つけて幸せな週末を過ごしていたことだろう。現状では文字通りに床に伏している。
私はここでも判断を見誤ったということか。
オッサンの行動原理は大きく分けて二つに分類される。ひとつは、自分のように元気がなくなって疲れているオッサンのパターン。内面に向かって沈む形だろう。
もうひとつは、外的な方向に向かって突き進むパターン。脱サラしたり、妻以外の女性にかまけたり、面白くもないツイートやネットコメントを連投したりと、本人以外はよく理解しえない衝動に従って行動したりもする。
私なりの解釈として、人間のオスという存在はせいぜい50年くらいで役目を終えて老いて朽ちるくらいが丁度いいと考えていて、長く生きて存在感や影響力を保持しようとしても期待通りの幸福感は得られない。感覚も体力も衰えてくる。
その流れに抗って生きようとすると見苦しい。「これだからオッサンは...」と若人たちから疎まれる状況は、中年男性の不安定さを象徴している。
さて、夢の中で夢を見ることは私の中で珍しくない現象であり、普段の何倍もの重力で圧されているような今回の異常感覚もそのひとつなのかと思った。しかし、自分はどう考えても眠りから覚めており、知覚する情報は明らかに現実世界のものだ。
うつ病になったオッサンが立ち上がれなくなったり、全てに絶望してカタストロフィを迎えて世を去ってしまう機序においても、おそらくこのような不可思議な現象が関係しているのだろう。ストレス性の障害はプレイオトロピック、日本語だと何だ...そう、多面的なものなので、本人もよく分からないことが生じうる。
体温正常。脈拍軽度上昇。発汗なし。頭痛や筋肉痛、関節痛なし。四肢の筋力低下なし。構音障害や嚥下障害を認めず。冬季によくある脳血管障害を疑ったが、脳の血管でなく実質に何かのトラブルが起きているらしい。
それにしても、寝返りすら困難に感じるこの重圧は何だろうか。体感として明らかに感じられる1.5倍程度の重力。この感覚世界では自分の体重が100kg近いという試算になる。そして、ほとんどのモチベーションが消失している。もはや何でもありだな、更年期は。
寝床から這い出して自室のカーテンを開けると、窓の外から眩しい陽の光が入ってきた。これだけ良い天気だけれど、おそらく妻は洗濯物を放置して寝室でスマホゾンビになっていることだろう。案の定、洗濯機の前には衣類やタオルが放置されている。
この結婚は間違いだったとは口に出さずに洗濯機を回し、洗濯が終わるまで自室で体調の回復に努める。サイクリングは難しくても、スピンバイクを回そうとか、ネットで映画を観ようとか、街中に出て買物しようとか、そのようなモチベーションが全く湧いてこない。ただひたすら不可思議な重圧に耐えながら床に伏している。
しばらくすると体温の低下を感じ始めたので、掛け布団をまとって時の流れだけを感じた。洗濯機が完了のアラームを鳴らしてきたので、重い身体を起こして洗濯物を干す。ベランダから眺める風景に春の兆しは漂っておらず、新春とは人間が勝手に唱えているだけのフレーズに過ぎないことを感じる。
このような時、初めてクライシスを迎えたオッサンは酷く動揺したり、何が起こったのかと混乱して自分でさえ訳が分からないベクトルに向かって進んでしまったりもすることだろう。しかし、威張って言うことでもないがバーンアウトで感情を消失したことがある自分は大して驚くこともなく状況を察した。
昨年から体調が優れずにパフォーマンスが落ち続けていたが、年の功で仕事を停滞させることなく職業人としては生きることができた。予想外というか、まあ予想していたが転職後に不安定になった妻の言動がストレスになり、年末に妻が義母との共依存を肯定して開き直った時点で、私の中に覚悟が生まれた。
覚悟というよりも、妻との人生に見切りを付けた。その表現の方が適しているだろう。夫婦での相互理解は様々な意味でのコミュニケーションによって支えられている。それらを互いに放棄した時点で、この夫婦の関係は戸籍上のものに過ぎず、もはや宗教性を帯びた義母の精神構造を変えることも困難だ。
これまでの私は過去の自分の判断を後悔したり、どうしてこうなったと悲観することが多かった。それらの感情を完全に払拭することは不可能ではあるけれど、苦悩が死ぬまで続くわけではない。下の子供が二十歳を迎えた時点で私は生き方を変える。
何度言っても雑な生き方を改めようとしない妻子には、もはやうんざりしている。
とりわけ、玄関で靴を脱ぎ散らかす妻子の日常は目に余る。本来ならば親が子供たちを躾けるべきところだが、この家庭では母親が真っ先に玄関を散らかして放置する。
靴を揃えることさえできない妻子が家の中を整えることができるはずもなく、床の上に物が散らかり、ゴミや埃が放置され、この人たちはカーテンすらまともに開け閉めすることができない。家庭にいるだけで私は心拍数が上がり、目眩がする。
下の子供が成人するまでの我慢だ。その後の私は、丁寧に生きて時を重ねたい。雑な生き方を続ける妻子にはうんざりしている。
とはいえ、年末から気を張って無理を続けていたのだろう。数えきれないくらいの仕事のデッドラインを越え、物理的に考えて処理しえない締切については、締切を設定した側に「おい、これは無理だろ」と連絡してデッドラインを延長してもらうことにした。
デッドラインを私が踏み越えて無視した場合、困るのは私だけではない。締切を設定した側もダメージを受ける。なんて面倒なオッサンなんだと思われることは百も承知だが、どう考えても無理なんだ。ひとりの人間が処理しうる容量は限られているし、ごく普通に幸せな生活を営んでいるオッサンとは違うのだ、私は。
実家依存の妻に引っ張り込まれて、住みたくない街に住み、長時間の通勤に耐え、義実家との関係に悩み、妻と不和に苦しみ、プライベートなストレスが大きすぎる。この状況において仕事でより良いパフォーマンスを発揮するなんて無理な話だ。
結局のところ、今の自分は疲れすぎて倒れただけ。さてどうするか。自分なりに旨い料理を食べて回復するか。いや、街に出る気力すらない。そもそも床の上で重力波に押し潰されている。
時刻は15時。これは病だと割り切って夜まで眠り続けることも一案だろう。しかし、眠って起きて再び眠るという、いわゆる二度寝のサイクルを楽しもうと思った自分は、スマホのアラームを1時間毎に設定して、夜までの二度寝を繰り返すことにした。不健康だと思いはするが、身動きできない自分のせめてもの娯楽。
日が傾き、自宅の中に広がる化学臭で目を覚ました。朝から夜までパジャマで過ごすことが多い妻が、21時を過ぎた頃に夕食を作ろうとしてフライパンに火をかけ、取っ手の部分までを焼いて焦がした。もはや救いようがない。スマホばかり見ているからだろう。
夜になって、ようやく身体が動くようになった。単なる疲れと割り切ることは容易だが、このような感覚は初めてかもしれない。更年期に差し掛かったオッサンにはよく分からない現象が生じ、それらに耐えきれなくなったオッサンが意味不明な行動に突き進んだりもするわけだが、確かによく分からないことが起こりうる。
子育て世代の父親が趣味を楽しむことができず、「ああ、この苦しみはどこまで続くのか」と悩んだりする。子育てが一段落すると確かに自分の時間が増えるが、その段階で若き日の状態を取り戻すことは難しい。筋力を戻すことはできても、時間を戻すことはできない。
この状況で心掛けることは何かというと...何だろう。
老いに抗うといった無謀な話ではなくて、ある程度のところで諦めてジタバタせず、時の流れを受け入れることなのだろう。
オッサンからジイサンになる時には、重力で床に圧しつけられるという不可思議な感覚どころか、自分の記憶さえ消え始めるわけだ。若人たちには信じられない話だろう。まあそれらも生きることの醍醐味だと言えば分かりやすいけれど、何か寂しさを感じたりもするな。
心身が疲れた時にはサイクリングで何とかするという自分なりの必勝パターンさえも通じないことがあることに気が付くと、計り知れない絶望を覚えたりもする。けれど、嘆いたところで始まらない。
なるほど、倒れる前日まで苦労しつつもタスクを処理していると感じたが、その時点ですでにオーバーワークになっていたということか。無理をしている感覚がないまま疲れが蓄積して倒れるなんて、どうやってペースを把握するのかという話だ。
そもそも家庭があっても連れ添っている人がいないという状況なので、自分のコンディションを自分で管理するしかない。それどころか、常にストレスを増大させる人たちまでいる。
辛うじて回復が認められた時点で、この日曜日には何かの意義があったと信じよう。