2019/11/06

温泉で出会ったおばあちゃん

職場が指定する場所ではなく任意機関のオプションを使って人間ドックを受診。その後、有給休暇で一人になって休む。場所は近くの大江戸温泉。

以前は家庭と通勤で消耗して私自身のHPがレッドゾーンになったら新浦安駅前のネットカフェで充電することがよくあったが、その店が閉店したので他に休み場所がない。浦安はどこに行っても人がいて疲れる。

しかし、もっと余裕がある時に人間ドックを予約すればいいのに、私はこの予約というシステムが苦手でついつい遅くなる。

1~2ヶ月後のたった1日を予約するなんて、その時に何があるか分からないじゃないかという具合で。

電車に乗りたくないので、市内の虎の門クリニックかメディカルガーデンをその時の気分で選んでいる。

メディカルガーデンの方がシステマティックで丁寧で早いのだが、虎の門の方がのんびりしていて落ち着く。

検査項目の度に受診者のフルネームで2回連呼する古風なスタイルも面白い。

それと虎の門の人間ドックでは特典として近くの大江戸温泉の無料チケットが付いてくる。

バリウムと下剤で不安定な状態なのにホテルのレストランで食事のクーポンを使用する自信は私にはないので、メディカルガーデンの特典を使用したことがない。

人の躯は借り物だと言ったりもするが、なるほどそうだなと実感する。

五十路が近づくにつれてあちこちにボロが出ている。

医師の診察を適当に聞き流しながら、画面に表示された検査データを自分で読む。

私の職場は激務で定年前に身体を壊して入院し、結構早く亡くなることが珍しくない。

妻が分かっているかどうか知らないが、私だってあと20年生きていられるかどうか。

浦安に限ったことではないが、仕事のことをあまり家庭に持ち込まず、家庭のことを職場に持ち込まずに父親業を続ける時、その大きな支えになるのは妻の存在だと思う。

しかし、フルタイムの共働きの子育てではその余裕がないことが多いのではないだろうか。

結果、父親がいかに辛く悩んでいたとしても一人で抱えて逃げ場を失って追詰まることだってあることだろう。母親もまたしかりかもしれないが。

私の場合には首都圏に親戚が一人もおらず、義実家との関係に苦しんでいる状況。

通勤中に空を見上げて深い孤独というか、「ああ、一人だな...」とため息をつくことがよくある。

けれど人は誰だって周りから理解されない、あるいは気づいてもらえない苦悩や寂しさを抱えて生きているはずで、嘆いても仕方がない。その負の感情を緩和させることも大切だなと思う。

今回の人間ドックでは、腹部エコーを担当する女性スタッフの愛想がなくて冷たい氷のような作業だったので、私はひどく残念な気持ちになった。

男なら詳しく説明する必要はないことだろう。

右向いて、左向いて、息吸って、吐いてという指示の後、プローブ用のローションをタオルで拭き取ってくれたのだが、この拭き方がゴシゴシと投げやりで荒い。

性格が出ているのか私が気に入らなかったのか。これだったら蒸しタオルで自分でやった方が気持ちがいいと、居たたまれない気持ちになった。

さっさと虎の門を後にして大江戸温泉へ。とにかく空腹なので風呂に入らず一階の中華料理店に向かう。

この店は私的には浦安市内で最も旨くて量も多い。温泉施設ではなくて駅前だったら混み合うことだろう。

平日の大江戸温泉は空いていて、その店で広めのテーブルのソファに一人で座る。

ここで昼間から冷えた中ジョッキをオーダーし、旨いワンタンメンもしくは海鮮ラーメン、エビチャーハンと餃子を食べる。

血糖値と尿酸値のことは明日から考えることにする。

熾烈な競争を生き抜き、多忙だが安定した収入を確保し、家庭もできて子供たちを育てている。

しかし、私自身のことを本当に理解してくれている存在はいるだろうか。いや、私だって本当に自分自身を理解しているか分からない。

だからこそ人の感情は常に波打ち、時に深い孤独を感じるのだろう。

中ジョッキが半分くらいになった時、館内着姿の一人の婦人が隣のテーブルに付いた。歳は70前くらいだろうか、風呂上がりで頭にタオルをかぶせた陽気なおばあちゃんだ。

彼女としては量を食べられないので、レディースセットの定食を注文したいのだが、チャーハンが好物の一つなのだそうだ。

しかし、この店にはハーフサイズがない。私のテーブルに置かれた大きなチャーハンの皿を見て「こりゃ無理だわ」と笑っていた。

「ほんとですね。すごいボリュームですよ」と、私もつられて笑う。

おばあちゃんの話し方は穏やかで面白く、しつこさも、がめつさもない。顔は人生の履歴書というけれど、本当に明るい表情だ。

「よろしかったら、少しいかがですか?」と、私は新しい小皿にチャーハンを取り分けておばあちゃんに渡した。

手に取った小皿が子供用だったので、「あらあら、子供みたいになっちゃったわね」と笑うおばあちゃん。

この店のエビチャーハンは私が知る限り日本で最も旨いレベルだ。ボストンや横浜の中華街でよく似た味のチャーハンを食べたことがある。

おばあちゃんはとても喜んでくださって、「ああ、美味しい。これは自宅では作れないわ」と、今度は定食に入っていたエビチリと杏仁豆腐を私に分けてくださった。

おばあちゃんは夫に先立たれ、子供たちも遠くに住んでいるようだ。一人の寂しさと、この空間がとても楽しくて仕方がないという気持ちが伝わってくる。

私としては、とても懐かしい記憶を思い出していた。

私は幼少期に訳あって実の両親ではなく祖父母の家に預けられた。

ヨチヨチ歩きから小学校入学前まで、祖母が私の母代わりだった。

その時もこうやって一緒に食事を楽しんだものだ。とても穏やかで幸せな毎日だった。

実母には産んでくれたことへの感謝の気持ちはあるが、祖父母の家から実家に戻った後の小学生以降は苦痛だった。

毎日のように父から意識が飛ぶくらいに頭を殴られ、母からは怒声による言葉の暴力が続いた。針の山を歩いているような気持ちだった。

大学入学を機に故郷を離れたが、二度とこの地で生活することはないと晴れ晴れした気持ちだった。

祖母もよく風呂上がりの頭にタオルを巻いて、一緒にテレビを見た。本当に幸せな日々だった。

私が中学生になっても、高校生になっても、祖父母の家に立ち寄って嬉しかったことや悩んでいることを打ち明けていた。

祖母はいつも頷きながら話を聞いてくれて、励ましてくれた。私にとっての大切な理解者だった。

私が故郷を離れた後も、祖母は定期的に電話をかけて励ましてくれた。一方、実母とはほとんど電話しないし、今でも帰省すれば一触即発のテンションが張る。

祖母に家族を見せるために帰省していたのだが、ある時、実母が昔のように私の子供に暴言を吐いたので、私は「孫にまで...」と激しく憤ったこともある。

私は感情的になって怒鳴る女性がとても嫌いだが、その背景には少年時代の記憶があるのだと思う。

毎日、顔をしかめて苦痛に耐える生活、それはとても残酷だった。なので、うちの妻がキレると気分が落ち込む。

両親とはほとんど会話しない帰省だったが、祖母はいつも喜んでくれた。曾孫たちの元気な姿を見届けた後、祖母は他界した。穏やかな顔だった。

彼女がいなかったら私の今の人生はなかった。

さて、私が昼食を食べ終わって温泉に行こうかとテーブルを離れ、おばあちゃんに挨拶する。

おばあちゃんは「今日は本当に良き日です。ありがとね」と笑って答えてくれた。

「良き日か...最後にそんな言葉をつぶやいたのはいつだったろうな...」と慌ただしく過ぎ去っていく毎日を振り返る。

ほとんど貸し切り状態の湯船につかる。湯面には小さな雲のような湯煙がたくさん漂い、しばらく浮き流された後で消えていく。

温泉の窓からは青い空が見えた。

祖母に育てられた幼少期の記憶を思い出す。今日の大江戸温泉は、いつもより元気になれた気がした。