親父のクライシスを求めてブロンプトンを注文しかける
さらに、年末が近づいた夜の午前3時に夫婦の怒鳴り合いが勃発し、妻は自分の実家依存や義母による突撃を肯定して開き直るようになった。以後、事務的な内容を除いて夫婦の会話はない。別居あるいは離婚まで残り10年も仮面夫婦が続くのかと絶望した私は、半ば衝動的にブロンプトンを注文することにした。
さて、FC2ブログはブログサービスとして老舗であり、システムがとても安定していて、何の不具合もない。また、HTMLを改変することで、自分好みのサイトのカスタマイズも可能だ。
しかし、SNSの風味を取り入れたライトテイストな最近の簡易ブログサービスと比べると、FC2ブログは地味だ。FC2にも友達申請や足跡機能、コメント欄といったネットユーザー同士の交流を促す機能は存在しているが、FC2ブロガーの多くは淡々と自分の庭を育てている感がある。
また、FC2はブログ黎明期のユーザーが多いためか、どう見ても中高年というコンテンツが広がっていたりもする。最近では更新が滞ったブログが目立つようになり、加齢による衰えが影響しているのではないかと本気で思ったりもする。
加えて、無料版のFC2ブログには企業の広告だけでなく、他のFC2ユーザーのブログが注目記事として表示されたりもする。
これは他のブログサービスでもよくあるシステムであり、おそらく運営サイドがブロガーの記事をチェックして、選定した記事を他のFC2ブログで紹介することでサービスを波及させようという取り組みなのだろう。
ブロガーが注目記事へのリンクを非表示に設定してもURL自体はHTMLに組み込まれるので、Google検索に引っ掛かる。
そして、新年早々に夫婦関係で悩んでいる無様な私の録が、注目記事として膨大な数のFC2ブログのHTMLに組み込まれていることを知って驚愕した。
2023/01/01
申し訳程度のおせち料理から始まる元旦
FC2の運営事務局が、一体、何を感じてこの記事を選定したのか分からない。しかし、多数のFC2ブログのHTMLに組み込まれてしまったので、「HYPSENT」というキーワードで検索するだけで多数のFC2ブログがヒットしてしまう。私の無様な悩みが注目されたことで何かが変わるとは到底思えない。
おそらく、FC2の運営に子育て世代の父親がいて、「なんだ、自分よりも不幸なオッサンがいたぞ」と共感して拡散してくださったのだろう。
浮動性の目眩で疲れ切っている上に夫婦の不和がさらに深刻化したので、私は家庭で動悸が激しくなったり、眠っても途中で目が覚めてしまったり、妻や子供たちが大声を上げると耳鳴りがして片耳が聞こえなくなったりする。
病んでいるのは私なのか、この夫婦なのか、あるいは、浦安という街や首都圏の通勤様式なのか。たぶん社会全体が病んでいる。ツイッターとヤフコメを見れば分かる。
このような時はサイクリングで汗を流すと心身が回復するのだが、年末年始はサイクリングを自粛している。タスクがタイト過ぎて休日出勤が続いているという理由もあるけれど、それ以上に懸念しているのは落車や事故による怪我。
歳を取ると、給料が大きく増えるわけでもないのに仕事の責任だけが増える。サイクリングで落車して鎖骨を折りましたとか、顔を擦り剥きましたとか、脳震盪で記憶が飛びましたとか、そのようなアクシデントがあると関係者に迷惑がかかる。しかも、ベテランになってくると代理を用意することが難しい。
ストレスが蓄積し、もはやこれまでと自暴自棄になった私は、律儀に生きている父親の「役」を踏み外し、クライシスに向かって突っ走ってみようと思った。
妻や子供たちがショックを受け、自分たちの行いを反省するくらいに父親が狂気を発動すれば、この人たちも少しは反省するだろうと。
ところが、親父のクライシスとは彷徨った後で気が付くと落ちている事態であって、自ら論理的に考えてクライシスに突き進むものではないらしい。「ミドルエイジ・クライシスだぞ、この野郎」と、何かレールを踏み外すようなことをしようと思案してみたのだが、なかなかこれは難しい。
しかも、ADHDのグレーゾーンにいる妻は、本人が認める通りに直径30cmの視界しか有していない。運動会で小さな穴が空いた円錐形の筒を顔に被せてボールを蹴りながら走るというエキセントリックな競技があったりするが、本人いわく、あの状態で生活しているらしい。
妻が料理を作ると、キッチンの上に包丁やフライパンが放置され、調味料や油がレンジ周りに飛び散り、由来が分からない液体が広がり、シンクの中には食器と肉や野菜の残飯がミルフィーユのように積層する。排水口は生ゴミで山盛りになり、行方不明になった排水口の黒いゴム製の蓋が積み重なった皿の間から発見される。
このような食欲を失う地獄絵図であっても、なぜに妻が全く気にしないのかというと、まな板の上とかフライパンの中といった直径30cmの範囲しか見えていないからだ。
なので、妻が意図的に私を無視しているというよりも、そもそも本人の視界に私が入っていない。それは視界だけでなく思考も同じで、ひとつのことに集中することができず、すぐに注意がどこかに飛んでしまう。
妻がスマホゾンビになることが多いのは、直径30cmの視界にスマホが入り、画面においてたくさんの情報が流れて思考が飛び、それが心地良いと感じるからだろう。翻って、妻に対して強いインパクトを与えるだけの夫のクライシスを用意することはとても難しい。なぜなら、妻は夫を見ていないし、夫に関心がないからだ。
例えば、世間一般の夫婦であれば、夫が風俗に通ったことがバレると妻が激怒することだろう。しかし、我が家の場合にはそもそもがレスであり、妻は子作りに関係がない生殖的行為を無駄だと考えている。金を払って外注すればいいじゃないかと。
他方、ASD傾向がある私の場合、不特定な人物との肉体的な接触だけでなく、会話すらも避ける傾向がある。私の人間関係はゼロか100なので、初対面の人と会話をすることが難しい。たとえ商売であっても知らない人と会うと疲れる。しかも、何か病気をもらってしまうと職場で大笑いされる。笑い話では済まされない病気もある。
不倫はさらに面倒だ。妻という女性と連れ添っているだけでこんなに大変なのに、現状で別の女性を相手にするとさらに疲れる。
リピドーという方向であれば、高性能なセックスドールを手に入れて自室に設置するという選択肢がなくもない。世の中には人形と散歩を楽しむ中年男性までいるようだが、私にはそのような性癖がない。まかり間違って挑戦すれば、確実に家庭が崩壊する。
では、父親のクライシスを性欲ではなくて食欲に求めたとする。焼肉店でたらふく食べて散財してやるとか、ラーメン屋に通ってやるとか。しかし、私は食について関心がない。知らない人ばかりの店舗で食事をとると精神的に疲れる。
肉やラーメンをたらふく食べたかったら、自分で新浦安駅前のイオンに行って食材を購入し、自宅で自分で調理するだけ。5000円のステーキ肉を買って食べたところで、妻子にインパクトを与えるだけの父親のクライシスになるだろうか。
仕事を突然辞めるというクライシスも中年親父によくあることだが、私は現在の仕事を気に入っている。高い服を買おうという欲求もない。
僧侶の免許を取って出家するか?
今の仕事だけでも精一杯なのに、仏事とのダブルワークは果たして可能なのか。本業と葬儀が重なると厳しい。
犬や猫を飼ってみるか?
うちのマンションはペットの飼育が禁止されている。ルールを無視している老人たちが多いけれど、ルールは守るためにある。妻や子供たちは動物好きだ。私のクライシスを警告するどころか、この人たちが大喜びしてしまい、私は律儀な父親になってしまう。私が求めているのは家族が反省するようなクライシスだ。
つまり、クライシスに向かって突撃しようと思っても、私には適したクライシスが思い浮かばない。
首を吊って他界するというクライシスもあるわけだが、五十路になってくると老いと終焉を実感する。自分で命を絶たなくても確実に死が近づいているわけで、急ぐ必要はない。これまで積み立ててきた生命保険料が無駄になる。
わざわざ人生を強制終了するくらいならば、下の子供が成人を迎える前に夫婦別居あるいは離婚した方が話が早い。なるほど、夫婦の3組に1組が離婚するという現実には、このような背景があるということか。
しかし、悠長に構えている場合ではないな。このままではストレス過多で私の精神が崩壊してしまう。ということで、趣味の自転車用品を買って散財することにした。
さあ、何を買ってやろうか。買うぞ、絶対に買うぞ。
何を買うんだ?
愛車のブルーノ・スキッパーはカスタムとポジション出しが完了している。パニアバックやバックパックといったアクセサリーも年末のブラックフライデーで安く調達した。スペアパーツやタイヤのストックもある。
なるほど、ならばセカンドバイクを買おうかと思ったりもしたのだが、ただでさえ変化に弱い私は、複数の自転車を器用に乗り換えることが難しい。これと決めたらずっと乗る。
仕事では他者の人生を左右するような判断ばかりが続く。プライベートな場面では判断する機会を減らしたい。
もう、何もかも考えることが面倒になった私の頭の中に、「そうだ、ブロンプトンを買ってやる」という思考が浮かんできた。ブロンプトンの実勢価格は25万円くらいだろうか。これだけ散財すればストレス解消になるだろうと。
市内のショップは本気でペダルを漕ぐというストイックな雰囲気がなく、チャラい感じがあって気に入らない。
ということで、ワイズオンラインでブロンプトンを注文して船橋店で受け取ることにした。すでにカートの中にブロンプトンの6速モデルが入っている。あとは注文ボタンを押すだけだ。
ブロンプトンは独自規格のパーツなどが多いので、車体だけを買っても足りない。色々なアクセサリーなどが必要になってくる。商品リストに戻り、必要なものをカートに入れていったら、総額で30万円を超えた。なるほど、これはかなりのクライシスだ。
そういえば、メルカリで一式が揃った中古品が販売されているのではないかと思って検索したところ、かなり状態の良いブロンプトンが出品されていた。ワイズで新車を買うよりも、この中古品の方が良さげだな。なにしろ限定カラーだ。迷う。
年始の休日出勤での往復3時間の通勤中、とにかくブロンプトンを買うことを検討していたわけだが、そもそも私はどうしてブロンプトンを買おうとしているのかと検討を中断することにした。オッサンが検討ばかりで先に進むことができないのは、それなりの理由があるのだ。
輪行する場合には、確かにブロンプトンは便利なのだろう。だが、ブロンプトンの走行性能はダホンやターンよりも低く、コンポーネントに至ってはシマノの数世代前の下位グレードの方が優れているという話を耳にする。
ダホンやターンの折り畳みミニベロを買ってみたけれど乗り味が悪くて手放したことがあるのだが、これらのミニベロよりも走行性能が低いとなると、おそらく長距離のサイクリングでは全く楽しくないことだろう。私の場合には。生粋のローディがブロンプトンに乗って、「折り畳みが可能なママチャリ」と表現する理由も分かる。
スポーツ自転車に乗ったことがない腹の出た中年男性が、高価なブランド品ということでブロンプトンを購入し、ポタリング程度で楽しそうに走っている姿には加齢臭を帯びた自己愛と承認欲求を感じざるをえない。その程度のサイクリングならば、ママチャリで十分だろと。高級外車に乗ってマウントを取ろうとするオッサンと同じ思考形式ではないか。
ブロンプトン自体のクラシックなフォルムが美しかったとしても、それに乗っているサイクリストとの調和が美しくなければ、小金持ちのオッサンの自己満足に帰結する。そのような人たちと同類にされるのは嫌だな。
また、ブロンプトンはカスタムが多彩だというけれど、規格品に限定されたカスタムには自由度が少ない。
メカにこだわる私がブロンプトンのカスタムに没入すると、おそらくシマノの内装11速を組み込もうとして、フレームの溶接に取りかかることだろう。
そもそも、週末が近づいてきてブルーノで出かけるか、ブロンプトンで出かけるのかを事前に考えなくてはならない。すると、ルートも変わってくる。ああ、面倒だ。ただでさえ選択肢や判断が多い仕事で疲れているのだから、趣味の世界ではそのようなことで疲れたくない。
休日出勤から浦安に戻り、ミニベロのシティサイクルでシンボルロード沿いの歩道を走っていたら、目の前を腹の出た中年男性がブロンプトンに乗って新町方面に向かって走っていた。
同じ方向なので真後ろからその姿を眺めていて、私は急にブロンプトンへの欲求が萎えてしまった。
私は太めのタイヤを履かせたミニベロを好むのだが、ブロンプトンのタイヤはおそらくファット化が難しい。ママチャリと同じくらいの幅だ。標準仕様のマラソンレーサーは雨天で滑ることだろう。その他のタイヤといえば、コンチネンタルの街乗り用、あるいはスリックタイヤくらいだろうか。選択肢があまりに狭い。
また、ブロンプトンに乗っているオッサンを真後ろから観察していると、ハンドルやフロントホイールが明らかに分かるくらいにフラフラと動いている。整備不良というわけではなくて、前方向のステムがないブロンプトンでは小刻みに操舵する必要があるのだろう。
こんなに小さな自転車に大きなフロントバッグを取り付けたら、明らかに前荷重になる。空力抵抗が凄まじいことだろう。
しかも、大きめのピザくらいの16インチの車輪は路面の凹凸を拾いやすいらしく、縦方向にも車体が揺れている。自転車の前輪は20インチくらいないと足りない。
そういえば、ネット上では、ブロンプトンに乗って落車で前転して、鎖骨を骨折したり、足を解放骨折したり、さらには首の骨を折って四肢麻痺になりかけたサイクリストたちが散見される。ブロンプトンで落車したけれど車体は軽傷だったと安心しているおかしな人たちもたくさんいる。自分の身体の方が大切だ。
これだけ走行性が不安定であるにも関わらず、どうしてイギリス人は製品の改良を考えないのだろうか。変わらないことを美徳とする精神性は理解しうるが、設計を変えないのであれば製品のコストが下がって安くなるはずだろう。インフレだとはいえ、あまり改良を加えない製品を易々と値上げする思考が理解しえない。
あまつさえ、変速の不自然さが気になる。乗り慣れていないというよりも、変速装置が原始的なのだろう。自動車に例えると、オートマ車というよりもマニュアル車のクラッチ変速のようだ。シマノの変速機ではありえないようなギアレシオが設定されているのだろうか。ケイデンスが一定していない。
輪行が楽だからといって、駅で下車した後はずっとペダルを回し続けるわけだ。数時間とか半日とか。つまり、輪行の時間よりもサイクリングを楽しんでいる時間の方が長い。私は、ブロンプトンを買って満足するのだろうか。
とどのつまり、私はブリティッシュトラッドという精神構造を毛嫌いしているのだろうか。BROOKSのサドルは好きなのだが。私は創意工夫を重ねる日本的な製品を好む。
ブルーノはスイスの看板を掲げてはいるが、スイスでブルーノは全く流行していない。設計自体は日本で行われている。
明らかに気持ちが萎えてしまったので、ワイズオンラインのカートからブロンプトンを削除し、メルカリのいいねボタンも元に戻しておいた。
私は年末にかけて生きることに疲れ果ててしまい、衝動的にブロンプトンを買おうとする性質があるらしい。約1年前も同じことを考えていた。そして長文の録を記したことさえ忘れていた。もはやこれはストレス性の発作に近い。
2021/12/09
ブロンプトンを手に入れる寸前で踏み留まる
そして、疲れた私は日常のレールを踏み外したくなるらしい。そのレールの外にある何かを形として想像した際に浮かんでくるのが、ブロンプトンという自転車なのだろう。とりわけ必要ではないし、普段は乗りたいとも思わない。
ただ、レールを踏み外したいという欲求の先にブロンプトンがあるというだけの話だな。輪行で遠くの街を訪れたところで、旅先どころか道中で酒を飲んでしまうことだろう。すると、自転車を携行しても無意味だ。
一泊した後でレンタルサイクルに乗って周りをうろつき、再び酒を飲んで温泉に浸かるはずなので、そもそも私にはブロンプトンが必要なくらいの遠距離の輪行旅が適していない。せいぜい、市川市や船橋市の海沿いといった地獄ルートを回避するために輪行する程度だ。
約1年後に疲れ果てて同じ状態になった場合には、ブロンプトンではなくリカンベントの購入を検討することにした。
自室に縦方向で吊り下げている愛車のブルーノ・スキッパーから、「お前は馬鹿なのか」という声が聞こえた気がした。これもミドルエイジ・クライシスのひとつなのだろうか。酒に酔っただけだろう。
またひとつ、私はオッサンの階段を上ったらしい。