2023/01/01

申し訳程度のおせち料理から始まる元旦

新年を迎えて多くの人たちが気持ちを新たに前を向く1月1日。しかし、私にとっては1年で最も気分が沈む日だ。私だけを残して妻や子供たちが浦安市内の義実家に向かい、ずっと入り浸って夜に帰ってくる。

私の家庭観が砕け散り、妻の実家依存という現実を受け止め、さらには子供たちまでが義実家と共依存し始めたという現実を受け止めることになる。まあ、下の子供が成人した段階で別居なり離婚するので、私にとっての苦痛からの解放の日が近づいていると思って我慢するしかないだろう。もはや、妻と義実家の共依存は宗教性を帯びている。私が何かを言っても変わらない。


さて、今年の目標は、録をできるだけ簡潔に記すこと。

自分が考えていることを文章として書き写すと長文になる。いくつかのテーマが絡み合ってループしているからなのだろう。それらの複合体を解体することも大切だ。

昨年末、私が知らないまま義母が我が家に対して頻繁に突撃を繰り返していたことが判明した。玄関先のインターホンには防犯カメラが備わっていて、訪問者の姿がログとして記録される仕組みになっている。

浦安住まいで適応障害を発症し、通勤地獄を耐えて職場で働き、家に金を入れるだけで精一杯の私は、生活用品の宅配を確認するためにログの履歴を確認した。そこに映っていたのは異様な状況であり、動悸と目眩と吐き気と耳鳴りが止まらなくなった。

そのログには、私がこの世で最も苦手とする人物がAmazonの宅配よりもはるかに多く記録されていた。

義母だ。

どうして義母がありえない頻度で我が家に突撃しているのか。日付を越えたが、24時間以内にも義母が我が家にやってきている。気持ち悪い。とても気持ち悪い。ああ、もう引っ越したい。

けれど、義母が寄りつかない家に住むことは不可能だ。妻や子供たちが義母を呼び込んでしまっている。

世間一般に妻の母親が自宅にやってきたとする。普通ならば、前日あるいは数日前に訪問することを妻に伝え、娘の配偶者にも気を遣うことだろう。

だが、義母は違う。同じ市内の義実家から直前に妻の携帯電話に訪問の意思を伝え、私がいてもいなくても構わずに玄関先のインターホンを鳴らす。

それでも、常識ある義母であれば、インターホンを「1回だけ」押して応答がなければ、そのまま帰るか、妻に電話するだろう。

だが、義母は違う。インターホンを押して応答がなければ、応答があるまでインターホンを押し続ける。私にとってはホラー映画だ。私たちが応答するまで、二度も、三度も、四度も、インターホンのボタンを押す。

凄まじい衝動性だ。狂ったような自己愛がなければ、ここまで自分を肯定することはできないと私は驚愕する。

自分で突撃しておいて、「私がわざわざ来てやったのに、どうして出ないのか」とでも言わんばかりにドアを開け、世帯主の私に何も気を遣わない。この義母の思考はどう考えてもおかしい。

つまり、私から見ると、義母は狂っているように思える。狂った人を家の中に入れたくない。

激しい衝動性と多動性を有する義母が、まるで自分の家かのように週に何度も「私の」自宅に突撃を繰り返していることを防犯カメラが記録していた。しかし、妻も子供たちも突撃について私に知らせない。子供たちに妻が口止めしているのだろう。

妻子よりもインターホンの方が信頼できるなんて、この家庭はもはや末期だ。

子供たちも、これでやり過ごせると考えているのかもしれないが、これらは父親からの信頼を失う行為だ。父親が常に子供のために生きるとは限らない。子供を捨てて我が道を進む父親だってたくさんいる。

インターホンに記録されている証拠を妻に突きつけて、この歪な家庭像について指摘した。最初に妻が逆ギレしたので、私も応戦することにした。

午前3時に勃発した夫婦の怒鳴り合い。感情的になっていなくても妻は会話のキャッチボールが苦手で、感情的になると何を言っているのかよく分からない。この件については別記する。もはや、夫婦関係は戸籍上のものでしかない。

妻としては、これが普通であり気にならないと開き直って怒鳴ってきた。口に出さなかったけれど、妻や義母は、義実家という精神的な壺の中で宗教性を帯びた共依存を形成してしまっている。

妻が配偶者よりも義実家を優先しているではないかと私が指摘しても、「自分は実家を優先していない、なぜなら実家を優先していないからだ」と妻は癇癪を起こしながら反論する。洗脳に近い状態でそれが当然だと信じ込んでしまっているので、その反論にロジックなんてものは存在しない。

しかし、客観的に考えると、明らかに妻は義実家を優先している。私が義実家によるストレスで適応障害を起こしていても、そのことに気が付かない。いや、そのことを認めたくないだけだ。妻を含めた義実家にとって、浦安は聖地であって、この街が住みづらいと感じる者は異端だと。

何かを信じ込んでいる人に対して、それは違うと言ったところで意味がない。妻は、結婚せずに独身のまま義実家で生活するような人だったわけだ。しかし、私が結婚をお願いして、その壺から引き剥がそうとしてしまった。

当然だが、壺の中の主である義母が執拗に妻を追いかけてきて、当然のように私の家庭に干渉し、再び妻を義実家の壺の中に引っ張り込む。さらには妻と義母が結託して我が子までを壺の中に引っ張りこんでいる。

すでに上の子供は義母や妻によって壺に引っ張り込まれ、父親である私を嫌っている。義母や妻が上から目線で私を批判し、義実家こそが正義だと上の子供に刷り込んでいることだろう。

この異様な状況を打開する術は私にはない。これは義実家というローカルな環境で熟成された宗教のようなものだ。

例えば、私が義母と真っ向勝負して、「お前は思考がおかしい。子供が独立して世帯を持ったにも関わらず、そして配偶者が嫌がっているにも関わらず、配偶者が全ての住居費を払った家に頻繁に突撃するとは何事だ。いい加減に子離れせよ」と激しく抗議したところで、妻は確実に義母の味方になる。

ネットを眺めてみると、このように妻と義実家が強固な精神依存を形成し、夫が追い詰まって離婚するケースは少なくないらしい。加えて、実家に依存している妻はモラルハラスメント、いわゆるモラハラによって夫を攻撃することも多いらしい。精神的には実家に依存した子供のままであり、配偶者と生涯にわたって連れ添うという精神構造に至っていないのだろう。

朝に目が覚めて、家庭内別居での共同使用スペースであるダイニングに行くと、テーブルの上に平皿が置かれていて、そこにおせち料理らしき何かが置かれていた。だし巻きと田作りと豆とかまぼこが少量ずつ。

そして、妻や子供たちは私に何も言わずに義実家に向かって出発した。

私は静かになった自宅の中を眺める。

浦安に引っ越してきてからしばらくの間、妻は宅配業者のおせち料理を取り寄せていたが、最近ではそれさえ面倒になったらしく、昨年から正月料理を用意しなくなった。

そして、元日には妻と子供たちが義実家に行き、そこでおせち料理を食べることにしたらしい。当然だが、夫婦の間でそのようなスタイルの変更について何ら話し合いはなかった。妻と義母が勝手に決めて、勝手に実行しただけ。

2021年の元日における妻の態度は、夫から三行半を叩き付けられても仕方がないくらいの為体だった。ここまで夫よりも実家を優先する妻の姿は清々しい。気兼ねなく別居や離婚に進むことができる。

2021/01/01
ケチャップうどんの現実から始まる元旦

妻と義実家の共依存はコロナ禍の真っ最中においても関係なく、妻は子供たちを連れて義実家に入り浸った。この人にとっての家庭は、我が家ではなく義実家なのだ。

昨年は上の子供の中学受験があったので、妻が家庭を放り出して義実家に行くというイベントは開催されなかった。そして、やはり今年になって再開された。

しかし、人間とは学習する生き物だ。私はもはやこの家庭に期待しないことにした。一昨年の元日が酷い状況だったので、私は大晦日に自分が食べたい正月料理を買い込んで、冷蔵庫の中に入れておいた。

妻が魚介類を嫌うので年に数回しか食べることができないエビ、妻が赤身肉を嫌うので自分で買ってこないと決して食べることができない厚切りステーキなど。

妻は自分が作る料理こそが旨いと信じ込んでいるのだが、私は旨いと感じない。素材の味がしないくらいに油や調味料でドロドロになった料理が多い。

私が好む料理は、素材の味が感じられるシンプルな味付けだ。塩味だけで済むようであれば、他の調味料は必要ない。

なるほど、自分が作った料理を気兼ねせずに味わうことができるのだから、このような歪な家庭の元日も捨てたものではない。

昼間から安酒を嗜み、窓から差し込む新年の日差しを浴びながら、私は何かを感じた。

3組に1組の夫婦が離婚するというご時世だ。離婚した3割が夫婦の破綻の最終形だと考えると、何らかの問題を抱えている夫婦が半数に留まっているはずがない。つまり、この世の中は、問題があっても婚姻関係を維持している夫婦だらけという解釈になる。

加えて、夫婦という当事者同士の問題ではなくて、「親戚付き合いのトラブル」に起因する離婚が珍しくないらしい。親戚付き合いといっても原因は配偶者にとっての義実家という存在だろう。嫁姑のトラブルなんて大昔から無数に勃発してきたわけだ。

義実家が特定の宗教を信仰していて、結婚を機に義父母から入信を求められたというケースもあるそうだ。自分が同じ状況であれば、どうなのだろうな。

例えば、妻が優しくて夫を大切にするような素晴らしい人で、義実家も私を大切にしてくれるような人たちで、その一族が特定の宗教を信仰していたとする。「あなたも家族なので、どうでしょうか」と言われたら、私は禅宗がバックグラウンドにあることを明示した上で理解を示すかもしれない。信教の自由は憲法で定められている。

他方、妻と義実家が特定の宗教ではなく、家庭という閉じた単位において壺のような共依存を熟成し、配偶者を異端視して疎外していたとする。仮定ではなくて、私のケーススタディだ。

前者と後者の義実家は、宗教性を帯びた精神世界を有する点で類似している。だが、前者は配偶者である夫を迎えようとして、後者は夫は排除しようとする。夫にとってどちらが幸せなのだろうな。

あまり建設的とは言えない思考を巡らしながら、「下の子供が成人を迎えた時」という日を基準に私自身のライフスタイルを設計する時期に来たことだけは分かった。

もはや、夫よりも義実家を優先する妻の精神構造については救いようがない。そのまま義実家を優先して生きればいい。子供が成人するまで私は父親としての責任を取るが、その後は自分の人生を自分のために使う。

自分よりも実家を優先するような妻と生涯連れ添うことに意味がない。私が老いて床に伏しても、この妻が助けてくれるはずがない。遠く離れた郷里に住んでいる私の両親の介護のことなんて、妻は考えたことさえないだろう。

実家にベッタリな妻は、これから先も実家にベッタリだ。何ら信頼しえない。ただでさえ衝動性と多動性が強い義母の認知機能が加齢で衰えたら、この先の我が家の生活は大変なことになる。妻はこの家庭を放り出して義母の世話に没頭することだろう。

夫のことなんて家電と同じ扱いだ。妻は説明書を読まずに家電を酷使して壊すことが多い。メンテナンスなんて知らない、壊れても自分に責任はない、普通に使っていたら壊れただけだと。現に私がバーンアウトを起こした時、妻は何の支えにもならず、さらに私を追い込んできた。

とはいえ、正月から夫婦でドンパチと大喧嘩を繰り広げることは私にとって疲弊を生じるだけで、何の意味もない。妻の実家依存は宗教と同じ精神領域なのだと割り切った方がストレスが少ない。

そして、妻の考えや方針に理解を示す夫を演じながら、来たるべきその日を待つことにする。

熟年の別居や離婚というと夫が悲劇的のように捉えられがちだが、実際には自由や解放という意義がある。私は食べたいものを食べ、自分の金を自分で使い、汚れた部屋を片付ける必要もない。

老いた時に助けてくれない家族を養う必要はなく、タイミングが来たら自分のためだけに生きよう。

その気持ちが元日でさらに強くなり、10回ぐらい繰り返せば、その時がやってくる。後悔と苦悩に満ちた生活ともおさらばだ。

妻子や義実家の人たちは、せいぜい自分たちの我に従って私を無視していればいい。私は着実に準備を進めて、その日を迎える。