2022/12/11

ちょいと寂しい夜のうた

職場に出勤してメールボックスを開けると、同世代の同僚が亡くなったという知らせが届いていた。この歳になってくると、同僚の親が逝去したという連絡の場合には感情が動かない。しかし、年齢が変わらない同僚が亡くなるとさすがに気持ちに響く。今回で何人目だったか。

この職場は人の死と近いところにあるからなのか、部署を越えた人間関係が疎遠だからなのか、スタッフが亡くなってもとりわけ何の変化もなく、理由を詮索するどころか話題にもならない。1本のメールが配信されて、それでお終い。たぶん、自分が死んだ時も同じ感じなのだろう。


私は学生だった頃からその同僚のことを知っていた。その同僚は若い頃から活躍していて、飄々と、しかし着実に歩みを進めていた。あまりに早すぎるとは言えないけれど、団塊世代の多くが生き残っている少子高齢化の時代で、団塊ジュニアの世代が亡くなるのは何とも言えない不条理を感じたりもする。

ただ、五十路に入ってから10年程度が経てば、いつ死んでもあまり違和感がなかったりもするわけだ。例えば私が65歳で死んだとする。少し早いかもしれないが、まあ還暦を過ぎているからなと。

そのような人生のステージに入ったのかと、時の流れの速さを実感する。

若い頃から知っている同世代が亡くなると、当然だが気持ちが沈み、考えても仕方がない思考が押し寄せてくる。同僚が無念な気持ちで世を去ったのか、精一杯生き抜いたと満足したのか、それらは本人しか分からないことだ。

それと同時に、自分の順番が近づいていることを知る。様々な苦しみを抱えて生きている私の思考には、人生が終わることについて安堵にも似た不思議な感情が漂っている。

実家依存の妻との結婚は失敗だった、子育てに入ったことも失敗だった、浦安に住んだことによる長時間通勤とストレスで職業人生まで棒に振った。あれもこれも失敗だったと様々な後悔が全身に降りかかる。

街中を歩いているだけで強い目眩が襲い、自分が望んだ穏やかな家庭の姿は消え去り、妻子の甲高い怒号が響き渡る自宅で耳を塞ぐ。

中学受験なんて中止すればいい。パワハラ上司のように妻が毎日怒鳴り、問い詰めなければ勉強しない子供は、私立中学に入ったところで先が知れている。高学歴を得て知的労働で高収入を得るような将来は難しい。それは妻も同じだろう。

中学受験で家庭が崩壊して、それで満足か?漫画でもあるまいし、ハッピーエンドはありえない。ひとり親世帯で経済的に苦しむことになる。老いた義実家に余力があるとも思えない。

私がここまで我慢を重ねているにも関わらず、妻子は我が強くてやりたい放題。この家庭を捨て、ひとりで生きたいという衝動を何度も抑える。

2015年頃、子育てに入った妻が家庭内で暴力を振るうようになった。毎日のように怒鳴り、物を投げつけ、ドアなどを叩きつけた。夫ではなく妻が。

義実家は知らないふりだった。あの時の憎悪は今も消えない。

私は離婚することを覚悟した。しかし、当時は幼かった下の子供が必死に世帯の維持を訴えたので、子供が成人するまで婚姻関係を継続することにした。

狭い自室に寝具や着替え、趣味用品といった身の回りの物を移し、この場所で生活することにした。仮面夫婦の家庭内別居。卒婚もしくは離婚という時期が決まっていることが、せめてもの救いだろう。しかし、その時点で全てが遅かった。

妻の暴力に加えて、長時間通勤の苦痛、そして市内に住む義実家からの過干渉によるストレスが重なり、2016年に私はバーンアウトを起こして感情を失った。

うつ病を合併していたのだろう。仕事が全く進まなくなり、生きることや死ぬことについて真正面から向き合った。

ほとんどのモチベーションが枯渇し、文字を読むことや数字をカウントすることさえ難しい時があった。もはやこれまでだと。

家庭に留まるという選択が私にとって幸せだったのかというと、その結果はまだ分からない。

子供たちのためにはより良い選択だったのだろう。現時点の私にとっては苦しみが継続する事態となった。

ディズニーファンにとっては浦安は夢の国かもしれないが、私にとっては苦痛と憤りと嫌悪の場でしかない。今でも脳や自律神経がこの街での生活を拒否している。家庭があるからと必死に耐えているだけの話。

さっさと離婚して再婚していたなら、このような苦痛を逃れることができたのだろうかと思ったりもするし、そもそも結婚しなければ良かったのだろうと思ったりもする。

女性と結婚して、その実家がセットで付いてくるなんて信じられない話で、結婚前に察することは難しい。

妻や義実家の主義主張なんて私には与り知らないことだと割り切っているが、離婚によって子供たちの人生に大きな影響があると父親として良くないかなと我慢を続け、生き方が少しでも好転すればと思いつつ、その期待は何の進展も見せていない。変わらない日々が続く。

そして、最近では思春期に入った子供たちが父親を軽んじるようになってきた。それどころか、妻に加えて子供たちまでもが義実家と共依存するようになってきた。気持ちが悪くて仕方がない。この家庭は義実家の別宅だ。自分は何のためにこの家庭に残ったのか。

そういえば、妻の妹が授かり婚で高齢出産に入ることになり、私は妻に祝金を渡した。しかし、義妹の子供が生まれたという話は妻からも子供たちからも聞かされていない。

このような情報制限に何の意味があるのだろうか。妻の方針であれば相変わらず配偶者よりも実家を優先していることの証左だ。

それが義実家の方針であれば、本格的な縁切りということだ。この一家は他の家庭に対して突撃したり干渉するけれど、自分の家庭については壺のように閉じこもる。

このようなことを繰り返しているから、義実家には仲の良い親戚がいない。冠婚葬祭では他の親戚との間でテンションが張る。

妻が暴れ始めた時点で躊躇わず家を出て別のパートナーを探して連れ添っていれば、今頃はストレスのない穏やかな日々があったのか。それとも全てが面倒になって孤独に生き続けたのか。今さら振り返っても遅い話だ。

日々の苦痛や絶望感を少しでも緩和する上で大切なことは、趣味において細やかな楽しみを持つことだ。

仕事や家庭が心の拠り所にならないのなら、自分で心の拠り所を確保するしかない。

しかし、そのような苦しみを跡形もなく永遠に消し去る方法がある。つまり、死んでしまえば何も考える必要がない。

同世代の同僚が亡くなったことはとても寂しいことだ。苦しんだ後で世を去ったことだろう。そして、この歳になると自分自身の人生の終焉がとても近いことを実感する。

若い頃の自分であれば、その現実は脅威や焦りとして自分の中に立ちはだかり、できるだけ長く生きたいと望んだことだろう。

しかし、五十路が近くなると、色々と後悔することや諦めることばかりが増える。このまま生きていても大きな喜びがやってくるとは思えず、ただひたすら夫として、父親として、あるいは職業人としての責任を全うするだけであれば、どこか途中で人生が終わらないかなという気持ちがなくもない。

小学生や中学生の頃、少し年上の先輩たちが卒業式を迎えて母校を離れる姿を私は眺めていた。

今回のエピソードにおいて、同世代の同僚が少し早めに現世を卒業したような感覚が私の心の中にあることを否定しえない。自分が同じように世を去ったなら、この精神的な苦しみから解放される。

死というステージは生物に必ずやってくるわけで、それを過度に恐れる必要はない。毎日ハッピーという生活であれば、できるだけ長く人生を続けたいと望むかもしれないが、万人がそのように考えているわけでもないだろう。

五十路に入る前に生きることを達観してどうするんだという自分自身への突っ込みがあったりもするけれど、死というステージを潔く受け止めて、エンディングから現在までのルートを考えておくと何だか気が楽になる。あまつさえ、この苦しみが未来永劫にわたって続くわけじゃないんだと安堵することさえある。

同僚の死を私が悲しんだところで何も変わらないし、同僚の思考はすでに存在していない。本人が有り難く感じてくれることもなければ、一緒に悲しむこともない。

けれど、同僚が生きたという情報は他者の脳細胞の中に記憶として存在している。つまり、同僚の存在が全て消失したわけではない。人々はその繰り返しによって存在をオーバーラップさせながら生きてきた。

何とも儚い人の一生を感じながら自室に戻り、相変わらずの週末がやってきた。

夫に何の相談もなく転職した妻は、思ったよりも仕事が忙しいために残業を繰り返し、平日の家事も滞りがちになり、週末は寝室で昼近くまで眠り、その後も夕方まで布団の上でゴロ寝しながらスマホを凝視し続けている。妻が運動に励んでいる姿を見かけず、散歩だけで自己満足している。生活習慣病に向かって一直線だ。

なぜに転職する前に私に相談しなかったのか。私の負荷までが増えている。

私は頻繁に洗濯機を回して衣類やタオルを干しまくり、水回りを掃除し、夫婦の会話を避け、自室で自転車の整備を続ける。愛車のミニベロを輪行に対応させるという試みがようやく形になってきた。

土曜日の夜から自転車の整備を始め、日付が変わって日曜日に入った。まだ周囲が明るくなってきてはいないが、何とも寂しく感じる夜だ。絶望感というか諦観というか、何とも言えない精神の暗闇に包まれた。

このような時、自分の内面を打ち明けて相談に乗ってくれるような妻がいてくれれば、とても幸せな人生なのだろう。相談どころか日常の会話のキャッチボールさえ成立せず、自分が言いたいことだけを投げ込む妻と会話する気にもなれない。妻は夫が言っていることを理解する気がない。適当に聞いた振りをして、即座に別の話を投げ込んでくる。義母や上の子供も同じ。

ボケ役がツッコミ役の言うことを聞かずに機関銃のように喋りまくり、その滑稽な姿で笑いを取るという芸風の漫才コンビがあったが、あの状態。

この人たち同士の会話は三流の掛け合い漫才のようだ。煩いだけで全く面白くない。衝動性の高さと曖昧な自他境界は遺伝なのだろう。

とどのつまり、家庭に話し相手がいない私には、自分が経験したエピソードを自分の中だけで受け止めて、自分なりに解釈するしかないということだ。

そういえば、以前に気に入って視聴していた「深夜食堂」というドラマの中で、よく似た感情をテーマとした曲が流れていた。

この曲は「ちょいと寂しい夜のうた」という名前で、 オープニング曲を歌っていた鈴木常吉さんの作品だと私は勘違いしていた。実際は、スーマーさんというアーティストの作品。



深夜食堂を視聴したことがない人には全く分からないかもしれないが、登場人物たちが現実を受け止めた辺りでこの曲が流れてきて、視聴者の心に染み渡ってくる。

人生の意味とは何だろうか。

学歴とか職歴とか年収とか、さらには結婚とか家庭といった話でさえ大きな要素ではなくて、「生きて死ぬ」という、ただそれだけのことかもしれない。

この動画を観ていて思ったのだが、とかく誰かに注目されることを意識せず、自然体で孤独な時間を過ごす中年男性の姿は潔くて素敵だな。

子供が自立して卒婚したら、折り畳みのミニベロを手に入れて、港町を訪れて一人の時間を楽しもう。死ぬまでの細やかな楽しみが増えた。