目眩を抑える智恵を鎌ヶ谷大仏から教わる
頭を吹き飛ばされるような厳しい浮動性の目眩(めまい)に苦しみ始めてから半年以上が過ぎた。さらに半年くらい目眩が続けば、心身の限界を超えてパニック障害やうつ病といった状態に移行するかもしれない。かといってクリニックに通うつもりもない。ストレスの元凶は新浦安という住環境にあり、そのストレスを解決せずに自分が薬漬けになるのは愚かであり無様だ。
この浮動性の目眩には強弱のパターンがあり、往復3時間の電車通勤の最中、および新浦安の街中を通行している時に強烈な波が襲ってくる。一方、鉄道や新浦安から離れた状態では目眩がほとんど感じられない。
妻が怒鳴り声を上げて子供を叱ったり、妻に似て癇癪持ちの子供が泣き叫んで反発すると、家の中でも目眩がやってくる。しかし、その場合には目眩よりも心拍数の上昇の方が気になる。家庭の中のことは別の苦しみに相当する。苦しみが多い生き方だ。
もとい、目眩については長時間の電車通勤と人口密度が高い街中がとても厳しい。
住みたくもない「嫌な街」で生活し、望んでもいない長時間の通勤に耐えるというストレスが蓄積し、適応障害を起こしているのだろう。新浦安にある義実家と妻の共依存という状態も私にとって大きなストレスになっており、総じて住環境のストレスに含まれる。
これらのストレスに加えて、40代や50代の男性によくあるミドルエイジクライシス(男性の更年期)が重なったのだろう。長らくレスでストイックな生活が続いているわけだから、男性ホルモンが減って当然だ。将来的に禿げる心配がないのは幸運なことだが、男性として何ら充たされない毎日が続く。
そして、ミドルエイジクライシスによくある精神世界には、将来に向けて楽しみを感じられない虚無感、自分は何のために生きてきたのかという徒労感、それでも確実に老いに向かっているという絶望感が広がっていたりもする。残りの時間が限られていることへの焦りや後悔といった感情もある。
ミドルエイジクライシスにも様々なパターンがあり、私のように精神の淵で漂っているオッサンもいるし、逆にアグレッシブになって筋肉を鍛えまくったり、前触れなく脱サラして小さな会社や店を立ち上げて経済的に苦しんだり、暴飲暴食に喜びを見出してアル中やメタボになったり、ツイッターやヤフコメに張り付いて偏った主張を連投したり、不倫や風俗に突き進んで性欲を放つオッサンもいる。
しかし、老いに伴う心身の変化を嘆いたところで、人生の時計の針は確実に進んでいる。若い頃は「将来のビジョンを明確に」といったフレーズは大切だったが、今から将来のビジョンを考えると定年だとか老後だとか、まあそういった話ばかりが並ぶ。先のことをあまり考えず、とにかく目の前の課題を考える。
現時点で苦しんでいる目眩の原因は何かと自分に問うと、答えは簡単だ。長時間の電車通勤や人口過密な住環境によるストレスが大部分を占めている。では、その原因を解決するための手段は何かと自分に問うと、その答えも簡単だ。浦安という街から引っ越して、自転車で職場に通うことができる環境で生活すればいい。
しかし、下の子供が浦安市内の小学校に通っているので即時に引っ越すことができない。そう、ここでロジックが途絶える。
10年以上も様々な解決手段を考えて試してみたが、結局、この「嫌な街」に住んでいる限り、問題は解決しないという結論に至った。だが、下の子供の学習塾での成績や家庭での学習姿勢を眺めている限り、中学受験でどの学校に合格するのかというテーマは論じることが非常に難しい。文字通りに論外だ。
競争をくぐり抜けるだけの学力が本番までに身に付いているのかどうかも分からないし、混み合った試験日程の中で癇癪やパニックを起こして連敗が続くというパターンも容易に考えられる。
しかし、下の子供が中学受験に全落ちしたところで、浦安市内に我が家が留まることはない。親に反発して、学習をサボり、結果として全落ちしたのであれば責任は下の子供にもある。ということで、浦安から脱出して引っ越した先の公立中学に下の子供を放り込む。
したがって、私が通勤や住環境のストレスを耐える期間は下の子供が中学校に入学するまで。この期間をどうやって耐えるのかを順番にトレースしてみる。自分は通勤や住環境によるストレスをどのように受けているのかと。
その機序としてはシンプルだ。ほとんどのストレスは「人」によって生じており、それらの情報は「視覚」によって頭に入ってきている。新浦安の街中の場合には自動車による騒音がストレスになったりもするが、駅や電車内ではヘッドホンを装着している。聴覚によるストレスが緩和されていても激しい目眩が襲ってくる。やはり視覚を介したストレスだ。
具体的には、駅や電車、あるいは街中で自分以外の「膨大な数の他者」を認識し、その中で「不快に感じる人々」を見かけてストレスを感じている。もちろんだが、何をもって不快に感じるかという判断基準には個人差がある。
例えば、スマホゾンビと揶揄される状態の人々。このような人たちを見かけると、あくまで私の頭の中では「適切な判断ができず、最低限のマナーも有していない人」として認識される。通路では前を見て歩くことが常識だ。すれ違う人たちや後方の人たちのことを全く配慮していないわけで、スマホゾンビは思考がおかしいと。しかし、スマホゾンビは駅や街中にたくさんいる。
電車の中で安い発泡酒やチューハイを飲みながら赤ら顔になっているオッサン。電車の中で通路に足を投げ出している若者。手ぐしでずっと髪を解き続けて、抜けた髪を通路に捨てる女性。
幸いにも座席で休めると思ったら、大きな荷物を背負ったまま出入り口に立って座席に寄りかかってくる若者やサラリーマン。彼らはスマホのゲームに熱中していることが多く、腰や背中で座席の側面に身体を固定している。座っている乗客にとっては不快でしかない。
長椅子のベンチ席において乱暴に座るオッサンや若者。余程に疲れているのだろう。まるでラウンドの間のボクサーのようだ。座っている他の乗客に衝撃が伝わることなんて何ら気にしていない。
ネームタグがジャケットの隙間から見えている状態のまま座席や出入り口にて大声で話している二人組のサラリーマン。この人たちは情報の機密性についてのコンプライアンスを学んでいないのだろうか。電車の中で仕事の話を交わさないなんて、プロとして常識ではないのか。
エスカレーターや改札を待っている人たちの列に横から割り込む老若男女。余程に急いで前に進む必要があるのだろうか。日本だから見過ごしてもらえるが、ギャングが銃を持って歩いている国であれば命に関わる行為だ。
このご時世に混み合った電車の中で平然とマスクを外しているオッサンや若者。優先席に座って足を広げてスペースを主張する尊大な感じの男性が多い。
この場合にはマスクという習慣がマーカーとなって、粗暴で身勝手な内面が明確に現れている。自由を求めることや個人の主義を貫くことは間違っていないが、他者と共有しているスペースで個を主張することは間違っている。
最近では息苦しくない廉価なマスクが流通しているにも関わらず、この程度のことさえ我慢できないのか。社会の枠や不文律に抗うパンクな俺ってカッコいい的な思考回路だろうか。残念ながら校則を破って粋がっている中高生と同じレベルに思える。
ディズニー客についても同様。遊園地を訪れる際、宿泊等で観光客が新浦安に集まってくるという状況自体にストレスを感じているのではなくて、頭にネズミの耳を付けて電車や駅の中で騒いだり、キャリーバッグを引きながら街の通行を遮ってしまうハイテンションな人たちにストレスを感じている。
では、その人たちが私に対して直接的に何らかの危害を加えてきたとか、法律に反する言動に出たといった問題を生じているのかというと、全く問題ない。あくまで私の中で迷惑行為だと認識し、不快に感じてストレスを蓄積しているだけ。
裏を返せば、法律や条例といったルールの範囲外において、明文化されていないマナーや不文律を逸脱し、自分の我欲に従って行動している人が多いということだ。それらを多様性として気にしない人もいれば、気にする人もいる。
感覚過敏を有している私にとっては、鉄道や街中で「稀に」おかしな人に遭遇するというレベルではない。半分以上がおかしな人の群れに自分が飲み込まれている感覚がある。これが毎日続くのだから、ストレスで脳が悲鳴を上げても何ら矛盾しない。
浦安住まいのストレスが蓄積すると過去の自分の生き方についてまで後悔し、思考の負のループが回り続ける。この結婚は失敗だったとか、子供をつくったことは失敗だったとか。より素晴らしい未来を求めて進んだ結果がこの無様な姿なのか、ならばもう終わりにしたいとか。
平日に通勤する時にも、休日に街中に出た時にも頭が吹き飛ばされるような目眩がやってくる状態で、前向きに考えることは難しい。視覚野から入力された不快な情報が高次の思考の中で増幅され、自分の意識の中で明確に感じるくらいの異常を感じている。
「めまい ストレス 治し方」といったキーワードでネット検索すると、案の定、無数のアフィリエイトブログがヒットして答えは見つからない。「深呼吸」だとか「漢方」だとか、そのようなことで改善すれば苦労はない。
一時期、ブログにアフィリエイトの広告を載せることで小銭稼ぎになるという話が広がり、ネットユーザーが中身のない記事をせっせと量産し、世界の中で有数のブログ大国になってしまった国がある。それが日本だ。ググってもアフィブログが邪魔になって必要とする情報にアクセスすることができない。
浦安住まいのストレスによって心身が不調になれば「自転車のペダルを回す」ということが自分にとっては最適解だ。この目眩を消す方法が見つからないのだから、それまでペダルを回して耐えるしかなかろう。
ということで、週末のサイクリングに出かけることにした。この活動がなければ、私はすぐに病床に伏して働くことさえできなくなることだろう。
今回のサイクリングの行き先は、とりあえず浦安市を脱出して市川市に入ってから考えることにした。
市川市から千葉市に向かえば、内房方面のルートがある。市原市や袖ケ浦市にある一直線の舗装路はロードバイク乗りさえも見かけず、その道をひとりで黙々と走ると気分が楽になる。また、市川市から鎌ケ谷市に向かえば、千葉県北西部の自然豊かな景色が広がっている。柏市や白井市に広がる谷津道を走ると心地良い。
今回のサイクリングでは、市川市から大柏川沿いの谷津道の跡を走り、鎌ケ谷市を抜け、久しぶりに白井市まで走ってみようかと思った。だが、半年以上も続く浮動性の目眩だけでなく、年末に向けて多忙さを増していく仕事の疲れが蓄積しているらしい。全身に倦怠感が広がっているだけでなく、首や肩、腰といった関節に痛みがある。
ライドにおいて落車や接触事故に遭う時は、走り出した時点で何となく違和感があったりもする。そのような時は家の中から外に走り出さないという選択も間違っていない。それでも走り出してしまった時には無理をしないことが大切だな。
仕事やプライベートで何らかの悩みや疲れを抱えたままサイクリングに出かけて、フロントホイールがロックして一回転して頭から地面に落ちたとか、リアタイヤが滑って皮膚が路面に持っていかれたという話は珍しくない。サイクリングは常に危険を伴う。
ということで、市川市内に入ってすぐに江戸川の河川敷の遊歩道に入り、ミニベロを停めてポジションを変更することにした。地面に足が届きやすいようにサドルの位置を低めにセッティング。今までのサドル高はロードバイクの定石に従っており、ケイデンスが最適化されているけれど地面に爪先が届きにくい。
そして、ハンドルを少し高めにセッティング。クラシックなスレッドステムはハンドルの高さを調整する時には便利だ。アヘッドステムと違ってメリットは少ないけれど、ボルト1本で無段階にハンドルの高さを変えることができる。
江戸サイでポジションを確認した後、市街地に降りて原木中山駅の前を通り、そこから鎌ケ谷市に向かう。サドルを下げてハンドルを上げたアップライトなポジションは街乗りに適していて、視界には広い空までが入ってくる。
また、歩道に乗り上げる時や道を引き返す時、自動車や人が前方に出てきた時にもサドルが低いと安心だ。車輪が小さいミニベロの場合には、重心が後よりの方が安定している。
さて、鎌ケ谷市内の初富にたどり着いたけれど、そこから柏市や白井市にある谷津道まで走っていく気力や体力が湧いてこない。熱があるわけでもなく、目眩が生じているわけでもなく、かといってすぐに引き返して家に帰りたいという気持ちでもなく、この街に引き留められているような。
鎌ケ谷市内で宿を探して自宅に戻らず、ここで一泊したいという感覚さえ生じている。我ながら面白い。
以前の録でも何度か記しているのだが、私にとって鎌ケ谷市という街はとても不思議な場所で、とりわけ何か名所があるわけでもなく、広いサイクリングロードがあるわけでもないのに、なぜか街を訪れるだけでリラックスすることができる。
鎌ケ谷市の出身者を除いて、私のように鎌ケ谷市をこよなく愛する浦安市民は珍しいことだろう。
浦安市内で生活していると気分が酷く落ち込み、ストレスによって目眩や吐き気に襲われ、鎌ケ谷市を訪れると気分が楽になって元気になる。
すでに衰退して限界集落になりつつあるが、私の故郷が鎌ケ谷市内の地形とよく似ているからだろうか。子供の頃に見かけた森や街並みを思い出して懐かしく感じる。
ありえない話だけれど、もしも故郷が持続的に発展していたならば、鎌ケ谷市のような状態になっていたのかなと思ったりもする。
また、鎌ケ谷市内を自転車で走っている時には、もしも自分に別の生き方があって、別の女性と夫婦となり、この街で住んでいたらどのような感じなのだろうかとイメージすることもある。
若い頃に離婚した後、鎌ケ谷出身の長身スレンダーな女性と再婚し、今度は浦安ではなくて鎌ケ谷に引っ張り込まれたけれど、とても大切にされて幸せに生活しているとか。
何だその妄想は、頭がおかしいのかと揶揄されるかもしれないが、選択によってはありえたかもしれないパラレルワールドを想像することくらい、何も問題ないだろう。
世の中には、子供が頭に竹とんぼを取り付けて空を飛ぶとか、相手が悪者だからといって百回も殴りつけて爆発させるとか、無数の巨人が街を襲って人間を食べまくるとか、正常とは思えないイメージを膨らませて絵を描く人たちだっているわけだ。別の世界に転生するイメージを持つ人だってたくさんいる。
ということで、鎌ケ谷市でストレスなく幸せな家庭生活を送っているというイメージを膨らませながら街の中をポタリングすることにした。
ここは北初富駅からしばらく自転車で走るとたどり着く「貝柄山公園」。この公園の名前は、近くに縄文時代の貝塚があったことに由来するらしい。昔から陸地だったということだな。最近まで海だった街とは違う。
「初富」という名前の由来はググると分かるが、明治維新によって新政府が発足した際、東京の失業者に仕事を用意することを目的として千葉県北部の開拓が始まった。その最初の入植地が鎌ケ谷市の初富。以降も入植が続き、その順番に船橋市の二和や柏市の豊四季、松戸市の六実など、数字の入った土地が生まれ、今でも地名として存在している。
鎌ケ谷市は街づくりにおいて「コンパクトシティ」を掲げていて、駅の周辺に住宅街や公共施設、商業施設などを配置することで利便性を高める取り組みを進めている。
最近では新鎌ヶ谷駅や北初富駅を中心とした街の発展が進んでいて、新しい住宅や店舗が多い。新築の戸建てならば3000万円台、リフォーム済の中古の戸建てならば2000万円台で手に入ったりもするそうだ。
電子回路のように密集した新浦安の戸建ての場合には、安くても4000万円台。新町では1億円近い物件が珍しくない。そこまで金を払って浦安に住む価値があるのかと私は思う。
職場の位置にもよるが、往復3時間の通勤を我慢してでもマイホームがほしいという夫婦がたくさんいることだろう。鎌ケ谷市や流山市に若い世代が移り住む理由が分かる。
というか、どうして私は東京のすぐ隣に住みながら往復3時間もかけて通勤しているのだ。乗り換えが多すぎて時間がかかりすぎる。一日で30分以上もホームに立って電車を待っている。やはり、私の現在のライフスタイルは間違っている。
鎌ケ谷市内の一般道は片道一車線が多く、街の発展に道路の拡張が追いついていない。なので、市街地では多くの車道が渋滞を起こしている。しかし、混み合った道路を自転車で走っていても、自動車から煽られたりクラクションを鳴らされたという経験が全くない。
浦安市であれば高級外車どころか路線バスにさえ煽られたり、市川市や船橋市であれば気合いの入ったミニバンにクラクションを鳴らされたりもするが、そのようなストレスがない。それどころか、鎌ケ谷市や隣の柏市では信号のない横断歩道で自動車が停まってくれたりもする。市民性の違いなのだろう。
車道の近くには様々な店舗が並んでいるので、サイクリングの途中で腹が減ったりトイレが必要になっても気楽に休憩することができる。
そういえば、鎌ケ谷市には「鎌ヶ谷大仏」という観光スポットがあることを思い出した私は、サイクルナビを起動させて大仏を拝むことにした。しかし、付近を走っているはずなのに大仏が見当たらない。
何度かナビをリロケートして走り続けていたら、道路の反対側に小さな大仏が正面を向いて座っていた。大仏のすぐ近くは墓地があったので、気楽に写真を撮影するのは無礼だと思い、そのまま眺めることにした。
鎌倉や牛久の大仏の姿をイメージしていたが、鎌ケ谷大仏は高さ2メートルにも充たない。かといって、札幌の時計台やシンガポールのマーライオンのような「ガッカリ名所」という印象はなく、鎌ケ谷市というコンパクトな街の中で収まっている大仏の姿を穏やかな気持ちで眺めた。
鎌ヶ谷大仏は個人が先祖のために建立したもので、現在も個人が所有しているそうだ。先祖から大仏を相続するというケースは珍しい。また、手元の印相からは阿弥陀如来ではなくて釈迦如来の姿だと思われる。しかし、造形として洗練されているようには感じられない。
数十メートルを軽く超える大仏の場合には下界を俯瞰している荘厳な迫力を受けるのだが、鎌ヶ谷大仏の場合には違う。まるで肩を落として俯いている疲れた中年男性、つまり自分の姿と重なって見えた。
同時に、不思議なことに気が付いた。
どの位置から眺めても鎌ヶ谷大仏と私との間で視線が合わない。大型の大仏の場合には下界を俯瞰しているのだから、人間との間で視線が合うはずがない。しかし、ここまで小型の大仏であれば、眼球が描かれていなかったとしても、想定される視野があり、その中に自分がいて、大仏との間で視線が交錯するはずなのだが。
しかし、どの位置であっても視線が合わない。どうしてだろうか。
不思議だなと感じながら、再びペダルを回して浦安に戻ることにした。
鎌ケ谷市を目指してサイクリングに出かけ、「おお、素晴らしい自然だ!」と喜んでいたら、そこは鎌ケ谷市ではなくて白井市だったり、船橋市の一部だったりする。鎌ケ谷市の多くは都市化されていて、隣接する自治体の緑に囲まれているという不思議な立地を有している。どこからどこまでが鎌ケ谷市だという境目が描かれているわけでもないので、これもまた地の利なのだろう。
自分が住んでいる浦安市の場合には、元々が陸の孤島だった場所に埋め立て地を追加した形であり、隣接する自治体の自然を分けてもらうこともできない。ただただスペースコロニーのような街並だけがある。私はその不自然な状態に違和感を覚え、息苦しくなり、どこかに逃げたくなる。
しかし、鎌ケ谷市にも自然が豊かなエリアがある。中沢という場所には森が残っていて、日本ハムファイターズのスタジアムもある。
なので、千葉県北西部にある谷津道を走るために鎌ケ谷市内を抜けているけれど、この付近を走るだけで十分に自然を感じることができたりもする。
カスタムが一段落した後のブルーノ・スキッパーは、とりあえず試しに取り付けたバッグやキャリアなどがそのままの状態だ。フレームバッグには晴れた日でもレインコートが入っていて、リアキャリアの上には輪行袋やスペアタイヤまでが取り付けられている。
いつかアクセサリーを整理してシンプルにしたいと思いながら、すでに半年以上もこの状態で走ってきたのでもういいかなと思ったりもする。
帰路はすでに暗くなり、市川市の温泉の近くで夕焼けが広がっていた。
ミニベロを道の脇に立てかけて夕焼けを眺めながら、鎌ヶ谷大仏の前で不思議に感じた感覚を振り返ってみた。
いくら小型の仏像とはいえ、どうして鎌ヶ谷大仏と私との間で視線が交差しているように感じなかったのか。その答えは簡単なことだった。鎌ヶ谷大仏に視覚があったとすると、想定される視野の中に自分がいないので、私の顔が見えていない。
数十メートルを超える巨大な仏像の場合には、いくら下を向いていても人間の姿が視野に入る。しかし、鎌ヶ谷大仏の大きさで下を向いてしまうと、視野に入るのは人間の足元くらいになってしまう。もちろん、大仏の真下に立って上を眺めれば人間の顔が視野に入るはずだが、私は自転車に乗っていたのでそこまで近づくことができなかった。
ここにヒントがある。
私が通勤や街中で人波に飲み込まれてストレスを感じるのは、個人的に不快に感じる人々の姿をつぶさに観察してしまったり、顔の表情を確認してしまうからではないか。
他者のことを気にしない人は往々にして他者の顔を見ない。他者の顔を見ても何も感じない。さらには他者の感情を察することもない。だからこそ、集団におけるストレスに強いのではないか。
ということで、翌日に出勤する際、人が多くて鬱陶しい新浦安の街中を移動する時、あるいは通勤地獄の駅や電車の中において、可能な限り「他者の顔」を見ないことにした。
正しくは顔というよりも、頭部と表現した方が適切だろうか。
鎌ヶ谷大仏をイメージして視線を下方に落とし、他者と接触しない程度に、しかし他者を意識しないように視界を確保する。ただこれだけのことでストレスが減る。なるほど、この現象は興味深い。
最もストレスがかかる電車の中では完全に目を閉じて、他者の情報を視覚から脳に入力させないように努めてみる。
すると、不思議なことに頭を吹き飛ばされるような浮動性の目眩が襲ってこない。
仕事で疲れた日の帰宅時や、自宅で妻や癇癪持ちの子供が大声で怒鳴り続けた日の翌朝は目眩が残っていたりもするけれど、それでも随分と移動が楽だ。
ストレスが視覚から入ってくることには気が付いていたが、どうして視界を制限するという発想に至らなかったのだろう。しかし、事ある毎に頭を吹き飛ばされるような浮動性の目眩が続いていたら、落ち着いて考えることさえ難しい。
仏像からヒントを教わることは意外に感じもするし、そもそも釈迦は人の心の安寧をどうやって得るのかというテーマを追求した人物でもある。他者との関わりを避けて独りになることの大切さを説いた釈迦の言葉は、実際に書物に記されている。
仏像として模された彼の姿の中にも生きるためのヒントが遺されていて、下方に伏した仏像の視線は、人々への慈悲という意味だけではなくて、視覚情報をあえて制限することで心の負荷を減らすことができるという意味があるのかもしれないと勝手に思った。
よく考えてみると、この下方視線は坐禅や経行でも用いられる。こんなに身近なことにどうして気が付かなかったのだろう。
時間をかけて懸命に考えても解決しなかったことが、予期せぬエピソードがヒントになって答えが見つかった。
答えが見つからない状態で考え続けることは非生産的だと放棄する人は多い。しかし、答えが見つからなくても考え続けるからこそ、出会ったエピソードがヒントだと認識することができると、大学院時代の恩師から教わったことがある。
確かにその通りだな。