亀有付近まで心の領域を広げるサイクリング
うつ病などの精神疾患から寛解した人たちは、当時の病状を振り返って「ずっと続く暗いトンネルの中を歩いていた」とか「井戸の底に落ちて這い上がれなかった」と表現することがある。寛解せずに現在でも苦しんでいる人たちは、まさにそのイメージの中で辛うじて生きている。では、どうしてそのようなイメージが生まれるのか。
先に記しておくが、私のくだらない内面ではなくて、サイクリングネタを欲する読者は以下の◆のマークまでスキップすると無駄な時間を使わなくて済む。
もとい、これらの表現において共通しているのは、自分が認識している世界がとても狭くなり、抗えない壁のようなものに取り囲まれ、光が届かない暗闇の中にいるというイメージ。
壁の外の世界は時空が歪んで消失したように感じられ、強烈な恐怖と孤独感に襲われる。
自分がバーンアウトを経験し、たぶんうつ病になっていたところから這い上がってきたので分かることだが、私の場合にはトンネルというよりも井戸のイメージが強かった。
このようなイメージは、自分がハッピーだと人生を謳歌しているつもりになっている人たち、あるいは苦しんでいる人たちを弱者だと蔑んでツイートを飛ばしている人たちには理解不能な境地だろう。しかし、繰り返しになるが、崖はすぐ近くにある。
例えば、来年の春の人事異動でパワハラ上司の下になって精神が崩壊したり、気の迷いで夫や妻が不倫に走って夫婦が破綻したり、不安定な経済状況で会社が倒産したり、まあそういったクライシスはどこにでもある。
また、外資系企業に勤務している人たちの場合には、日本のマーケットを不要と判断したグローバルの指示によって、明日の朝に解雇通告を受けるかもしれない。日本の政策金利が引き上げられた場合には、住宅ローンで変動金利を選択した人たちは経済的に苦しむことになる。
人間の精神力なんて、所詮は脳の細胞が許容しうる範囲までだ。いくら気を張っていても壊れる時は壊れる。
では、トンネルもしくは井戸の中に自分が陥った時、どうやってそこから脱出するのか。その方法論が明確であれば苦労はない。
精神のトンネルや井戸に自分が取り込まれ、周囲が全く見えないような状況であっても、とにかく投薬治療によって苦痛を減らすというスタイルが、昨今の西洋医療なのだろう。しかし、薬で苦痛を減らしても外の世界に出ることは難しい。結果、薬漬けになる人が増え続ける。
人によっては趣味や出会いといった何らかの新しいきっかけによって助かるとか、人によっては宗教にのめり込んで助けを求めるとか。
五十路まで生きてくると、何事も経験だな。妻の実家がある浦安という個人的には最悪の街に住み、心身共に磨り減って消耗しているわけだが、自分を取り巻く環境が真っ黒な闇によって部分的に削り取られるような感覚がある。
それが子供の頃から患っている感覚過敏によるものなのかは分からない。しかし、バーンアウトから寛解した現在でも拮抗が続いている。
具体的にはどのような感覚なのかというと、自分が浦安市で生活していて、例えば元町の堀江地区だとか当代島地区といった存在が意識の中から抜け落ちる。普段に立ち入る入船地区や明海地区の存在は残っても、高洲地区の存在が抜け落ちて真っ黒なスポットになる。
それは浦安市内に限った話ではなくて、自分が認識しうる市外の存在が漸次的に減る。その流れを放置していると、さらに意識の闇の部分が広がり続け、気が付くと辺り一帯が真っ暗になり、硬い壁に取り囲まれ、身動きさえできなくなる。
もちろんだが、これらの事象は物的な現実ではなくて、単なる個人の頭の中のイメージや感覚といった話。こうやって文章として綴ってみるとホラーだ。実にホラーだ。
しかしながら、何らかのストレス性の疾患を乗り越えた人たちであれば、「ああ、分かるよ」と共感してくださるはずだ。
今から振り返ると、浦安住まいのストレスでバーンアウトを起こして死にかけた2016年頃の自分はどうだったのかというと、とにかく何が起こったのかよく分からなかった。
職場に向かえば、同僚たちは普通に働いている。それなのに、どうして自分はこうも苦しんでいるのだと。
気が付くと井戸の中に落ちて、思考や判断力も落ち、結果として職業人生も停滞した。当時の上司に理解があったので働き続けることができたけれど、結婚とは何か、生きるとは何か、そういった哲学的なことを考える時間だけはたくさんあった。
では、トンネルだとか井戸といった精神領域に自分が陥り、身動きが取れなくなった時にどうするのかというと、その段階までステージが進行すると自分の力で抜け出すことは厳しい。トンネルや井戸から抜け出そうという気力さえ奪われるからだ。
私の場合にはサイクリングが趣味だったので、気分が楽になる方向に逃げたら自転車の上にいた。ペダルを回したらさらに楽になった。そしてペダルを回し続けた。それだけのこと。精神の負荷と自転車の関係なんてものはよく分からない。
精神の井戸に真っ逆さまに落ちて、そこから少しずつ地面に這い上がったようなイメージがある現在の自分に強靱なメンタルが備わったのかというと、そのようなことはない。井戸の底まで落ちないように回避するための知恵を学んだだけのこと。いつだって井戸は近くにある。
夫婦共働きの子育てのストレス、あるいは浦安という「嫌な街」で生活するストレスは、確実に自分の精神を削っていく。強烈な浮動性の目眩は相変わらずで、家庭のスタイルや居住地を変えない限りは苦しみが続くことだろう。
そして、自分を取り巻く環境がスポット状に闇に包まれて存在感を失うという現象は今でも続いている。自分の脳で生じるこのような錯覚にどのような意味があるのか分からない。ただし、この状況を放置していると、自分のイメージの中で存在しない部分が増え、気が付くと全てがなくなって井戸の中にいるという状態になることだろう。
経験者は語る。
では、自分が認識しうる場所の範囲が狭まってきたように感じた時にどうすればいいか。自分なりにはその答えは簡単だ。自転車に乗って、存在が薄くなった場所を実際に訪れればいい。
そして、些細なことであっても、その達成感を自分で認め、成功体験として積み重ねること。自己肯定が自分の心を救い、自分を守ってくれると信じ込む。ナルシシストがうつ病になりにくいという原理の応用だ。
難しい話ではなくて、気持ちが落ち込むと、自分が感じる世界が狭くなる。その世界を自分で広げていけばいい。自分の力で。
家庭がある男性の場合には、「妻の支えがあって」とか、「子供がいてくれるから」とか、まあそういった美談があったりもするけれど、メンタルのトンネルや井戸に陥った時には妻だとか子供といった存在さえも意識から消えてしまうので頼りにならない。
家族を残して父親が首を吊ったりするのはその典型だろう。周囲の存在が自分の認識から消え、自分の存在さえも消そうとする。怖い話ではあるが、この国において毎日のように生じている悲劇だ。
翻って考えれば、「信じられるのは自分だけ」と思えば気が楽だ。誰も助けてくれないのなら、自分で自分を助ければいい。
最近になって続く浮動性の目眩の原因は分かりやすい。社会を混乱させていたコロナについては、世界全体のレベルでは「終わった話」になっている。そして、日本の政府や自治体の動向よりも先に機を読んで動いた人たちがいる。
ディズニー客だ。
ディズニーがある街なんて住みたくもなかったのだが、妻の実家があって妻が希望したのだから仕方がない。朝も夜も押し寄せる人たちの勢いで私はストレスを受けている。この人たちから今まで抑圧されていたディズニー愛が放出され、凄まじい波動を放っている。
夜の町中でネズミの耳を付けた知らない人たちが歩き回っているなんて、ホラーじみている。しかし、警察が取り締まることもない。
加えて、下の子供の中学受験と家庭内の苛立った空気。この家庭に自分は必要なのだろうか。妻が暴れた時にさっさと離縁して再婚していれば、このように苦しむこともなかったのではないか。
まあこれも自分の生き方だと、色々な悩みを外に出さず、一本道のレールの上を進むだけ。
◆
ということで、自分が認識しうる世界が狭くなったと感じたら、自転車に乗ってその場所を訪れ、自分の頭の中に認識させ、無理やりに世界を広げる。なんて原始的な活動だと思いはするが、結局はこれが一番効く。自転車に乗ってはいるが、「自分の力」で世界を広げることに意味がある。
何だかだるい、何だか視野が狭くなったと感じながらも、我慢して職場と自宅を往復し、休日に自宅に引きこもっていると、気が付けば周囲が真っ暗闇になってトンネルや井戸に入り込んでいたなんてことになりかねない。
目を閉じて、自分が住んでいる街の周囲の地図を想像し、何だか暗く感じたり思考からすっぽりと抜け落ちている場所があったら、そこに行くだけ。今回は、なぜだか分からないが葛飾区の辺りの存在が薄い。
存在が薄いというよりも、自分の認識から抜け落ちて真っ暗な闇の空白地帯になっている。この辺りを自転車で走っても楽しくないが、まあポタリングならば十分だろう。ブルーノのミニベロに乗って出かけることにした。
浦安市から市川市に入り、江戸川の右岸の河川敷を北上して葛飾区に向かおうとしたのだが、江戸川の右岸は想像以上に混み合っていた。
下流は市川市や江戸川区の住民たちが河川敷にやってくる。その人たちがどのような人たちなのかは、実際に訪れれば分かる。
あまりの人の多さにうんざりしながら、堤防の下に降りて草原の手前から空を眺める。
江戸川の河川敷の舗装路を外れると、このようにグラベルが続く道があったりする。幅40mmくらいあるタイヤを履いていれば、ミニベロであっても気楽にグラベルを走ることができる。
未舗装路のサイクリングを楽しんだ後、江戸川河川敷の遊歩道に戻る。江戸川の右岸は堤防の拡充に伴う道路の整備がなされていて、路面が綺麗に整っている。しかし、河川敷が整備されれば訪れる人の数も増える。
昔のように道が狭い上に人が多くてサイクリングに向かないという江戸サイのイメージはなくなったが、この付近に膨大な数の人たちが住んでいる以上、憩いの場所としての河川敷の役割はなくならず、またサイクリングを楽しむような環境でもない。右岸は特に。
画像を拡大してみれば分かるけれど、堤防沿いの道路は歩行者やジョガー、シティサイクルによって埋め尽くされている。このような場所を自転車で爽やかに走るなんて不可能なはずだが、ロードバイクでトレインを組んでいる愚者に遭遇して言葉を失ったりもする。
江戸川の右岸は「通路」だと割り切って、新葛飾橋の付近から葛飾区に入って荒川に抜けることにした。
新葛飾橋から車道に出て突っ走るロードバイク乗りがいたりもするが、自転車をかついで歩道の階段を降り、下道を走った方が安全だ。
そのまま6号線沿いを東京方面に走れば、中川を横切り、荒川にたどり着く。
地方の人たちが「東京の23区」という言葉を聞けば、高層ビルが並ぶ都会をイメージするかもしれない。新宿区とか豊島区とか港区とか品川区とか。
しかし、江戸地代に将軍が鷹狩りにやってきたような場所は、23区であってもこのような街並みだ。おそらく葛飾区の金町の付近だと思う。
写真をとってブログに載せても映えない景色だ。
地方の皆さんがご覧になると、「え!? これ、本当に東京なの!? イオンとかユニクロはないの!? うちの街の方が栄えてるんじゃないの!?」と驚くかもしれないが、足立区とか葛飾区とか江戸川区といったエリアは、地方の県庁所在地どころか、普通のベッドタウンよりも寂れているように感じることだろう。
実際には、住宅群に埋め尽くされていて商業エリアを確保することが難しいとか、高層建築物を集積する必要性がないという背景があったりもする。
成り行きによっては東京都浦安区になっていたかもしれない浦安市出身の妻は、浦安市が港区や世田谷区、新宿区に負けていたとしても、豊洲がある江東区よりもマシ、江戸川区や葛飾区、足立区には住環境として絶対に負けていないと豪語する。
それは浦安出身者の思想なので余所者の私が肯定も否定もしえない。しかし、浦安という街を気に入っている人たちにとっては同じ感想なのかもしれないな。街並みが整備されて店舗が並び、人の往来が多くて混み合っている街こそが、栄えた街なのだと。
新婚時代は台東区の蔵前駅の付近に居を構えたのだが、街並みは同じようなものだった。妻は今でも当時の環境をディスる。買物に行こうとしても小さなスーパーや肉屋、コンビニしかなかったではないかと。
浦安市に限らず、あまり栄えていない23区の街は郊外のベッドタウンと比べると確かに不便だと思う。
都内に職場がある場合には通勤が楽だが、住環境としてはどうなのか。新浦安のように少し歩くだけで複数の大きなショッピングモールにアクセスできるなんてこともなく、路線バスに乗る必要があったりもする。マイカーを用意しようにも駐車場代が高額で手が出なかったり。23区での生活がアーバンライフなのかというと、そうでもない。
しかし、若き日の私が東京にやってきて最初に住んだ街は文京区で、休みの日に出かけていたのは台東区の上野の付近。歴史を重ねてくたびれた街並みと、小規模の店舗が点在する環境。この様子が普通だと私の頭に刷り込まれている。なので、落ち着く。
とはいえ、葛飾区をポタリングで走っていると「おかしな人」に遭遇することが多い。
今回のサイクリングでは街並みの写真を撮影した後で、見知らぬ中年女性が「このストーカー!」とすれ違い様に叫んできた。
その後も叫びながら歩道を歩いていったので、その女性が私に対して叫んでいたのではないと思われる。単なる独り言だったのかもしれないが、客観的に見ておかしな人だ。そもそもストーカーの定義を理解していないようだし、何らかの妄想を患っている。
葛飾区の市街地を自転車で走っていても、大して楽しいというコースは見当たらない。江戸川沿いであれば「寅さん」をモチーフにした施設や銅像があったりもするが、結局は混み合った道路を自転車で走るだけ。
そして、亀有駅の付近には「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にちなんだモニュメントがたくさん建っていたりもする。
私は思うのだが、二次元の両津勘吉を三次元に変換する際には、筆者の協力を得ながらそれ相応の修正が必要だと思う。両さんの三白眼や眉毛、足の短さは漫画であれば許容しうるが、三次元の銅像になるとシュールだ。
駅の反対側には両さんだけでなく中川や麗子も加えたカラー版のモニュメントが建っていたりもしたが、各キャラクターの顔が怖い。やはり、三次元に変換する時に再デザインが必要なのだろう。
総じて、これらの制作物が亀有付近の町おこしに繋がるとは思えなかった。
翻って、ディズニー客が寄りつかない浦安市の元漁師町にある東京メトロ東西線の「浦安駅」の駅前において、ディズニーランドと全く同じウォルト・ディズニーとミッキーの銅像を建立すれば、穴場スポットとしてディズニーマニアが巡礼して観光客が増えることに気付いた。
そして、駅前の猫実地区にいくつかある通りの一部を少しだけディズニーストリートとして改変し、ありきたりなショップを並べ、ほんの少しの浦安限定グッズを追加し、巡礼に来るディズニー客をパークや関連ホテルまで運ぶシャトルバスを用意すれば、手段はともかく観光客がやってきて金を落とすはずだ。
日の出地区のリーズナブルなホテルを利用するディズニー客は、近くのコンビニで夕食の弁当を買っている。パークのレストランは高すぎるからだ。彼ら彼女らを元町に立ち並ぶ安くて旨い料理店に運んでやればいい。
そういえば、ディズニー客の中には浦安市内の洒落たホテルではなく、市川市内にあるラブホテルに宿泊する家族連れが珍しくないらしい。宿泊料が廉価であり、子供が騒いでも問題ないという理由からなのだろう。成人が大声で騒いでも遮音するのだから、確かにそうだ。
ラブホテル側としても、なるほどそのような価値があったのかと、最近では短冊状のエントランスがなくなってシティホテルのような装いになったり、交わりを目的としたカップルと家族連れとの間で階層を分けるといった配慮がなされているという話を耳にした。
交わりを目的としたカップルたちが家族連れの姿を目にして、子供を授かった幸せな男女の姿だと感じるか、あるいは適切に何某を回避しなかった場合にこうなるので気をつけようと感じるのかは分からない。
しかし、市川市は市川市でしかない。ディズニーがあるのは浦安市だ。つまり、浦安市内の元漁師町にあるビジネスホテルやラブホテルをディズニーバージョンに改変して送迎バスを用意すれば、ディズニー客が元町にやってきて金を落とすことだろう。
元漁師町をアピールしようとするから浦安のシティプロモーションが滞る。地の利を活かして、街全体でディズニーを利用すればいい。元町の人たちが新浦安の人たちの苦労を知る機会にもなる。
これは素晴らしいアイデアだと思ったが、広聴広報課に送っても無視されるはずなので、読むかどうかも分からないが「市長への手紙」で投稿してみよう。「元町の再開発においてはディズニーを巻き込んだ方が経済的に効果がある」という至極尤もな意見だ。
もとい、亀有駅前の両津勘吉の銅像を眺めながら、私は「町おこしとは何か」という哲学的な思考を自らに投影せざるをえなくなった。二次元の両さんを三次元に変換することがここまで難しいことなのかと痛感した。
居たたまれなくなった私は亀有駅付近の公園で休憩しようとしたのだが、そこには人に慣れた鳩たちが常駐していて、何ともリラックスしえない空気が広がっていた。というか、正直ゾッとした。
おそらく、この亀有駅付近の公園では定期的に鳩に餌を与えている住民がいるのだろう。人が近づいても鳩が全く逃げない。
鳩は平和のシンボルではあるが、クリプトコッカス菌、学名ではCryptococcus neoformansを媒介することが知られている。いわゆるカビと呼ばれる真菌の仲間だが、鳩の糞便で増殖し、それらが落ちた土壌においても生きている。
クリプトコッカス菌はヒトの肺から取り込まれて感染症を引き起こすことがある。おそらく、この公園の土壌をサンプリングすれば、クリプトコッカス菌が検出されることだろう。葛飾区は、どうしてこの状況を放置しているのだろうか。両さんの銅像どころの話ではないと思うが。
ポタリングなので気にしないけれど、大して面白くない街並みを自転車で走りながら、荒川の河川敷を目指す。
そもそも葛飾区でサイクリングを楽しもうという発想自体が適切ではないな。もちろん興味深い観光スポットは散在しているけれど、純粋に走りを楽しむような街ではない。
そして、中川を越えて荒川の左岸にたどり着いた。前日の雨の影響で河川敷は堤防からの雨水の染み出しが目立つ。それらの水たまりの上を疾走するロードバイク乗りたちが見えたけれど、洗車が面倒だ。
人は老いるが、道も老いる。ロードバイクに乗り始めた10年以上前。荒川の河川敷の遊歩道はもっと走りやすかった。今では路面が老朽化し、雨上がりにはすぐに染み出すようになってきた。染み出しについては昔もそうだったか。
いや、荒川の河川敷であっても、付近一帯が水たまりになるようなことはなかったと思う。堤防も老いたということか。整備が進んでいる江戸川の河川敷では雨上がりの堤防の染み出しがほとんどない。また、染み出している箇所があれば堤防の上を走ればいい。だが、荒川の河川敷では水たまりに突っ込むことになる。
仕方がないので、荒川の河川敷を走るという計画を変更し、荒川に沿っている都道308号を南下して葛西方面に抜けることにした。
サイクリングとしてはあまり楽しくなかったが、走り終えた後の自分の頭の中では東京の辺境、いや、最東部の区の存在を明瞭に感じることができた。
浦安住まいのストレスによって狭くなっていた世界が広くなり、その達成感が少しだけ自己肯定を強くしてくれる気がした。多少無理やりだけれど、こうやって狭くなったら広げるという作業を繰り返すしかなかろう。
それにしても、亀有駅付近の両津勘吉像がシュールだったな。原作のホノボノした雰囲気が吹き飛ぶ仕上がりだ。単なる迫力というよりも、製作者の魂を飲み込んだかのような魔力を感じる。
今回のサイクリングは両さんのインパクトが強すぎて、頭の中で葛飾区の存在が薄くなるどころか、むしろ濃くなった。そして、寅さんの銅像を見に行く必要もなくなった。もう十分だ。