お気に入りのサイクリングルート
メンバーの皆さんとは数年来の付き合いなので、SNSなどで繋がっていなくてもある程度の近況を察することができる。
ということで先週や今週はソロライドに出かけている。子育て世代は、日曜日であっても決まった時間にライドに集まって、決まった時間に全員で帰ってくることが難しい。
途中離脱もよくある。妻の機嫌の良し悪しや子供のスケジュールでライドに参加できるかどうかが決まったりもする。
先週の休日は空き時間が細切れだったので江戸川の河川敷を40km程度流した後、スピンバイクの室内トレーニングで40km相当。今週は浦安から姉ヶ崎を実走で往復100km。
数年前までは荒川や江戸川の河川敷を走ることが多かったが、最近ではあまりに多い歩行者やジョガー、加えてロードバイクで疾走する人たちに疲れてしまった。
私は人が多い場所が苦手で、通勤電車だけでなくスーパーや花火大会、運動会といった場で強いストレスを受ける。
グループライドで河川敷を走る分には会話ができて楽しいのだが、ソロで河川敷を走ると人の多さだけでモチベーションが落ちる。
仕事のために通勤ラッシュに耐えて人の多い東京に向かい、自宅に帰る時には通勤客に加えてディズニー帰りの観光客。
私が住む新町エリアは住民の気持ちなど考えているのか分からないくらいに観光ホテルが増えた。
新浦安駅やシンボルロードの歩道は市民と観光客が行き交い、とにかく人が多い。それぞれが自分たちのことを優先し、他者のことには気を遣わない。夢の国にやってきて大きなキャリーバッグを引きずっている人たちは特に。
千葉都民が何を言うと突っ込みを受けそうだけれど、23区の住宅街は一部を除いて昼間も人は少なく、夜は静まりかえっている。実際に住んでいたから分かる。
文京区はとても静かだった。台東区も別の意味で静かだった。最近の私がソロで走る時にはできるだけ人が少ないルートを走りたいという気持ちが強い。
さて、人には大きく分けて2つのタイプがあると思う。それはルーティンを大切にする人とそうでない人。
前者は毎回同じパターンを繰り返すことでリズムを整えたり自らを落ち着かせたりする。
後者はルーティンを繰り返すと飽きてしまうのでむしろ変化を求める。どちらが良い悪いの議論ではない。
男女差があるのかどうか分からないが、私は前者で妻は後者に該当するのだろう。
家庭生活において変化が多すぎると私は疲れてしまう。しかし子育てや家事は臨機応変に対応すべしという妻の考えも一理ある。
5年以上の議論の末、お互いのことは理解しえないという結論に至った。
それは必ずしも夫婦の不仲に直結する結論ではなくて、理解し合えることを期待して喧嘩するよりも、理解し合えないと分かって喧嘩をしない方が安定した状態を維持しうるのではないかというビジョンに基づく。
喧嘩を続けて仮面夫婦や家庭内別居になるよりずっと穏やかだ。
喧嘩するよりも互いに距離をとって踏み込みすぎないこと。生殖のステージを終えた夫婦の付かず離れずの何とやらだ。
生きることに疲れたらルーティンを大切にし、生きることに飽きたら変化を大切にする。四十路まで生きてこの程度のことしか分からない私の智慧の浅さに溜息をつく。
夫婦のタイプが違うこともそれはそれで良しと諦めよう。
加えて、ロードバイク乗りにおいてもルーティンの好き嫌いがある気がしてならない。
毎回、同じルートを淡々と走る人、同じルートでは飽きてしまうのでルートを変える人。
ルーティンを大切にする人は、同じロードバイクに乗って前回と同じルートを走っても苦にならないし、むしろそれが自然のことのように感じることだろう。
後者の場合には、前回と同じルートだと飽きるので何か違ったことを考えるようだ。ルーティンとマンネリが同義に近く、常に新しい刺激を求める。
サイクリングのコースにはある程度の限りがある。常に変化を求めていると、レースやイベントに出場したり、サークルに参加したり、ロングやポタリングを織り交ぜたり、ライドの度にロードバイクを交換したり。
そして、時間が経つとロードバイクそのものに飽きて、他の趣味に移ったりする。限られた一生の時間の中で様々な趣味を楽しむことも素晴らしい生き方だ。
私が世話人を務めるサークルで残ってくださっているメンバーは、ルーティンを大切にする人たちだと思う。
ただし、最も気に入っているルーティンには好みがあって、荒川河川敷を走る様々なロードバイクを眺めながら走って、その後でマクドナルドにて休憩することが好きな人、飲み食いなしでひたすらトレーニングに打ち込むことが好きな人。道の駅のように決まった場所まで行って、そこから様々な方面で買い物を楽しむ人。
好みのルートや休憩場所だけでなく、走り方や走行時間も違うので、グループライドを調整することが難しい。
1年目で仲間が集まって盛り上がり、2年目で一通りの目標が達成されてしまい、3年目にかけてトーンダウンし、4年目には姿を消しているロードバイクサークルを見かけるが、個々の好みの違いが関係するように思う。
まあ、サークルが潰れるのは代表なり世話人といった旗振り役のモチベーションがなくなることの方が大きいとは思うけれど。
一度傾いたら蜘蛛の子を散らすように人が去っていく。誰もサークルの再建なんて面倒なことに力を貸さないし、その力もない。
結局、多くの人たちにとってサークルは自らが楽しむために利用する対象であり、潰れたら次を探すだけの話だろう。
世話人の私がコースを決めてグループライドを開催せず、メンバーから声掛けがあるまで待つ理由は、都合が付いたメンバーのルーティンに合わせたいという気持ちがあるから。
誰からも声掛けがないようならサークルは必要されていないわけだから、サイトも含めてサークルを閉じる。
3年続けばそろそろだろう。いけないな、厭世的になる。
それにしても、今年は長雨が続いたり大型台風が襲来したりと厳しい一年だ。心なしかロードバイク乗りが減った気がする。ライドに行けない期間に冷めたのかZwiftに移行したのかは分からない。
これまで荒川や江戸川の河川敷をルーティンとしていた私も、それらのルートを走る機会が減ったからなのか、黙々と走るルートとして何か乗り気ではなくなってしまった。
特に子供が歩いている道路を突っ走るロードバイク乗りを見かけると興ざめする。
彼ら彼女らに怒った人たちによって釘を撒かれて巻き込まれるのも不本意だ。
あまり深く考え込まずに、走っていて心地良くて満足するルートを私個人のルーティンに設定することにした。浦安市から357号線沿いに市川市を抜け、船橋市から千葉市の幕張方面に入り、市原市の姉ケ崎辺りで折り返して浦安に帰ってくるルート。
輪行によるタイムロスをなくすというか、休日まで嫌いな電車に乗りたくないという理由で全て自走。
歩行者の飛び出しがとても気になるので幹線道路が主体の走行距離100km。ソロの場合にはこのルートをルーティンにすることにした。時間が限られている時には幕張で引き返す。
今までに何回もこのルートを走ってきたのだが、やはり心地良い。浦安市、市川市、船橋市の辺りは人や自動車が多くて疲れるが都心部ほどではない。千葉市に入ったところで急に街が広がって人が少なくなる気がする。この開放感が素晴らしい。
幕張の辺りの車道ではトレーニング中のロードバイク乗りを見かける。彼らは河川敷で歩行者に迷惑をかけることなく、交通法規も遵守し、一生懸命にペダルを漕いでいる。ローディの本来の姿だと思う。
さらに進んで市原市に入ると、ロードバイク乗りどころか歩行者さえ見かけなくなる。自動車は多いので寂しくないし、都内のように煽ってくるトラックや目の前に割り込んでくるタクシーがほとんどないので実に快適だ。
路面が荒れているところがよくあるが、それさえ気を付ければ信号の間隔も広くて走りやすい。30km/hを目安に一定のスピードで走る。
浦安市内でよく見かける習志野ナンバーではなくて、千葉ナンバーや袖ヶ浦ナンバーの自動車が多く、ロードバイク乗りが少ないためか気遣って左側を空けてくださったりもする。
道路沿いには適度な間隔でコンビニがあり、河川敷のように汚れたトイレに入ることも、補給で悩むこともない。ラーメン屋もたくさんある。焼肉屋が多いのはどうしてだろう。
そして、五井を抜けて姉ケ崎にやってきた。浦安から海を隔てて反対側。火力発電所の煙突が異空間のようで気持ちが踊る。私はこういった見慣れない巨大な構造物が好きだ。
しかし街の雰囲気は静かで、住民も穏やかで棘がない感じ。私のような地方出身者にとっては、この状態がデフォルトなのだろう。このまま木更津まで走りたい気持ちになるが引き返す。
復路はリラックスした街から慌ただしい街々に戻る。すると、出発する時にうんざりしていた街並みが違って見える。活気があって便利だな。
この変化を自転車に乗って体感することができるのは、千葉県の良さだと私は思う。しかもこの範囲は千葉県の一部でしかなくて、ここから房総半島に入るとさらに街並みや雰囲気が違ってくる。
このオールインワンな感じも千葉県の魅力だ。一人の千葉県民として、千葉県の行政や財政、昨今では危機対応がアレだなと感じるが、それらも千葉県民が望めば変わるはずだ。ある程度は。
船橋市や市川市内の357号線を走り、危険な箇所は歩道を通る。歩道にはたくさんのゴミ、放置され朽ちた自転車、散乱したガラスの破片、タバコの吸い殻の山、ドライバーが落としていったであろう赤褐色の液体が入ったペットボトル。
マナーもモラルも通用せず、近隣住民も手に負えず、行政の力さえ届かない荒れた状況。多くのサイクリストが敬遠する道だが、社会の現実を映し出している鏡だと勉強になる。
これは人々の心の歪みだ。希望の光が差し込まない地獄のような風景の中を、自らの力で駆けて必死に逃げる。逃げ続ける。この足掻き感がたまらない。
その先に新浦安の美しい街並みが待っている。絶望からの希望、このエクスチェンジがいい。人生は往々にして残酷で簡単には変わらないが、今は変わる。この高揚感は多くの人たちに伝わらないことだろう。
そして、街中に塵一つ落ちていない浦安の日の出地区にたどり着く。路面は走りやすく清潔で美しい。
ずっとアウェイだと感じながら生きているけれど、この瞬間、ホームタウンに帰ってきた安堵感に包まれる。そこに家族がいるからなのか、周囲の街に視野を広げたからなのか。
いずれにせよ良きルーティンだ。これからも続けよう。