鎌ケ谷市で夏を感じながら「基地の外」まで走る
とはいえ、この暑さだ。千葉県北西部の谷津道の起点となる海上自衛隊の下総航空基地まで行ってみることにした。浦安からこの「基地」まで往復60km程度。市川市から始まる大柏川側沿いの谷津道の痕跡を北上して鎌ケ谷市を経由する。
最近のHYPSENTの録の読者から見ると、私が粘着系のネットユーザーに絡まれてブチキレていると誤解されそうだが、そのようなことはない。
HYPSENTに定期的にアクセスしてくださるネットユーザーのほとんどは私の知人だ。私の性格をご存じであれば、怒髪天を衝く勢いで即応して反撃すると誤解されそうだが、そのようなことはない。
本人にとっては不満が溜まり、いつもの調子でからかい半分でやさぐれてやってしまったのかもしれない。例えは悪いが犬同士の甘噛みの絡みのように、ちょっとだけチクッとしてやろうと思ったのかもしれない。
だが、私が本気になると喉元を狙う。いつ解雇されてもおかしくない状況で、多額の住宅ローンを背負いながらよくやるものだ。これに懲りたら私に絡まないことだ。
だが、これらはあくまで架空の話だ。私の頭の中でそのような人物は生きていない。
さて、ネットスラングの中には、思考が典型的ではない人を揶揄する意味で「基地外」という不適切極まりない言葉がある。
タイピングの変換を使って意図をごまかしたとしても、それが他者を揶揄していることは明白であり、様々なコンプライアンスを考えると「特定された場合には」大変なことになる。細かく説明する必要はないだろう。
私は思った。
子供たちの間で「バカって言うやつがバカなんだ!」という水掛け論があったりもする。この場合には子供の喧嘩なので双方に何らかの非があることだろう。
しかし、匿名の世界であっても大人が「基地外」というスラングを使うことは、水掛け論ではなくて明確なロジックが適用される。
つまり、基地外というスラングを投げつける人においては精神状態が不安定になっているのだから、クリニックで診察を受けたり、きちんとカウンセリングに通う必要がある。
そして、さらに私は思った。
他者に対して「基地外」という無礼極まりない言葉を使うような輩は、実際のところ「基地の外」に行ったことがないのではないかと。
基地の外は大しておかしな場所ではない。自衛隊の基地は居住地から離れていることが多いので、たどり着くまでには家を出て、日の光を浴び、夏場であれば汗をかき、爽やかな気持ちでたどり着く。
基地の外から見えるのは、当然だが自衛隊の基地。国防の要であり、自分が誰かに守られていることを実感する。
「基地外」という言葉で他者を揶揄しているのは、家の中に閉じこもってパソコンのモニターを見つめ続けているような人たちではないか。早々にゲームを切り上げて家の中から出るべし。
日の光の中に自らの身を投じ、汗を流した方がいい。
それにしても不思議だ。今年の夏はとても美しい。どうして外に出ないのだろうか。
日の光を浴びると吸血鬼のように蒸発してしまうのだろうか。もしくは、外に出ることができない理由があるのだろうか。だとすれば気の毒なことだ。
また、あくまで架空の話であったとしても、いつまでも陰鬱とした思考を私の頭の中に保持したくない。さっさと真夏の日差しの中で思考を「天日干し」にしたいと思った。
ということで、今回のライドでは、鎌ケ谷市の向こうにある下総航空基地まで自転車で走ることにした。
ミニベロに乗って浦安市から市川市の南部を抜け、船橋市に入る。いつも思うことだが、この付近は住宅を増やし過ぎた。目に見える膨大な数の住宅にはエアコンがあるわけで、それらが熱を放出している。
さらに、幹線道路には多数の自動車が走り、それらも熱を放出している。このような状態で街が熱くならないはずがない。
年中混み合ってまともに自動車が走っている光景を見たことがない木下街道を渡り、市川市の北部、そして鎌ケ谷市を目指す。
私のような浦安市民にとっての市川市とは、市川市の南部にある南行徳のイメージが強いと思う。浦安の元町から陸続きで詳しくは説明しないが、まあそういった元町のような感じ。路地から自動車が飛び出たり、道路を自転車が逆走したり。
しかし、市川市の北部と南部では住民の雰囲気が全く違う気がする。そんなことはないと思うのなら実際に自転車あるいは徒歩で訪れてみればいい。とても穏やかでのんびりしている。南行徳のような荒さを感じない。
市川市の北部と鎌ケ谷市の境目付近は緑が豊かで、私はこの環境を好む。浦安や船橋の市街地と比べて体感気温が数℃以上違う。明らかに涼しい。
そこから鎌ケ谷市に入るたびに自転車を停め、やっと帰ってきたと一息つく習慣がある。この街で生まれ育ったわけでもないのに、不思議な懐しさを感じさせる場所だ。
緑だけが鎌ケ谷市の良さなのかというとそうでもなくて、自然環境については市境にある近隣の市川市や白井市、柏市の存在が大きい。結果として緑に囲まれた場所に街があるような状態になっている。
鎌ケ谷市内に入ると住宅街や商業施設があり、駅もあって活気がある。しかし、そこから少し離れると古くから建っている住宅があり、農地もある。街全体のバランスがいい。
この街の行政は以前からコンパクトシティ構想を展開しており、この計画が上手く進んでいる。
コンパクトシティという点では浦安市も該当するけれど、浦安の場合には人工的な場所に住んでいるという息苦しさがある。農地がない街は日本で唯一だろうか。浦安の食料自給率はゼロに等しい。
新浦安の場合には海の上に大きなイカダを設置して生活しているような、あるいは海に不時着したスペースコロニーの中で生活しているようなストレスがある。実際のところ、先の震災では液状化によって街が崩壊した。この街は、人が住み子供を育てる場として、また終の棲家の場として適していると言えるのだろうか。
一方、鎌ケ谷市の場合にはとりわけ目立つ観光名所はないのだが、平安時代や鎌倉時代、江戸時代から続く歴史の跡が残っている。それどころか、鎌ケ谷市には縄文時代から人類が住んでいたという痕跡が残されている。この場所には、感覚過敏を有している自分が安堵する何かがあるのだろうか。
自然や都市設計、住宅といった点では隣の白井市の方がダイナミックに感じるのだが、実際に白井市を訪れると、慣れることがない違和感を私は覚える。寂しさや不安にも似た奇妙な違和感。その理由は分からない。普段から浦安市に対して有している感覚を反転させたような。
さて、カスタムとポジション出しが完了したブルーノ・スキッパーの調子は上々で、これまでのライドで至適化を繰り返したこともあって全く不具合を感じない。
あえて調整するのであれば、ステムの高さをあと5mmくらい上げた方がいいだろうか。河川敷と違って市街地コースの場合には信号を見上げる機会が多いので、もう少しアップライトな姿勢の方が首の負担が少ない。
しかしながら、自転車の調子は良いのだが、私の調子が良くない。遅めに起床して、頼みもしないのに妻がつくってくれたブランチのプレートにはパンケーキだけでなく、オクラのサラダが添えられていた。
私は何度も妻に頼んでいるのだが、私にとって生の野菜は下剤でしかない。妻は野菜を食べないと死ぬようなことを言っているが、私の一族は積極的に生野菜を食べるという習慣がない。野菜には火を通し、他のビタミンは魚介類で摂っていた。
しかも、火を通さないオクラは、私にとって時間の経った生牡蠣を食べるようなものだ。少しでも火を通してくれれば何とかなりそうだが、冷蔵庫から出したオクラを包丁でザクザクと切って皿に載せられて、さあ食えという状態では、間違いなく腹を下す。
案の定、市川市の北部を抜けた頃には腹がゴロゴロと鳴り出して、サイクリングを楽しんでいるような状況ではなくなった。暑くてもスポーツドリンクで給水すればさらに腹が下るだろうし、我慢すれば熱中症になる。
鎌ケ谷市には公衆トイレが少ない。そもそも公園が少ない。誰もいない畑の角や林の中で野糞を試みて捕まったら、おそらくニュースになってしまう。
かといって、民家を訪れてトイレを借りるというのも気が引ける。しかし、脱糞だけは回避したい。人としての尊厳に関わる。
どうしてなんだ。腹が下る前、私は善行を積んだはずだ。自販機でスポーツドリンクを買おうとしてコインを入れたところ、スポーツドリンクが売り切れになっていた。仕方がないと返金のレバーを押したところ、なぜか500円玉が余計に落ちてきた。
私はラッキー儲けたぜと喜ばずに、ドリンクの取り出し口の目立たないところに500円玉を忍ばせておいた。サービスマンであれば気付くことだろう。このようなところで小銭をゲットして喜ぶような大人にはなりたくない。そして、少しの徳を積めば、少しの幸として返ってくると思った。
善行の結果が下痢か。欲に身を任せなかった人間を嫉む魔の所業か。
とはいえ、鎌ケ谷市はコンパクトシティなので、自転車で少し走ればどこかの商業施設にたどり着くことだろう。クッションがまるでないブルックスのサドルで尻を押さえながらコンビニを探す。
途中でユニクロやサイクルベースあさひが見えたが、店に入ってトイレにたどり着くだけの気力がない。
運よくコンビニが見つかって、私は野糞という不法行為や脱糞というカタストロフィを迎えずに済んだ。なるほど、先ほどの500円玉を受け取らなかったという善行は、最悪の状況を切り抜けることに繋がったということか。そう考えるしかあるまい。
しかし、炎天下のサイクリングで下痢をするという状況は、脱水という面で身体に大きなダメージがあったらしい。すでに水が抜けてしまっているので給水が間に合わない感覚がある。
だるい身体を引きずりながら、とにかく下総航空基地を目指す。元気な時は何の問題もなくたどり着く場所だが、今回は谷津道まで足を伸ばす余裕がない。そして、基地に到着した。
基地のすぐ近くの道路沿いには、とても評判の良いパン屋がある。なんと、最近ではこの店にサイクルラックが設置された。素晴らしい。
下総航空基地には「下総教育航空群」という海上自衛隊の教育航空群が所在している。その主要任務はP-3C等の固定翼航空機の操縦士および航空士を養成するための教育訓練。
第203教育航空隊、第203整備補給隊、下総航空基地隊が編成されていて、とりわけ操縦士ならびに航空士の最終教育を行う部隊である「第203教育航空隊」は、自衛隊が大好きな私にとってはたまらない存在だったりする。
「203」という文字からして「ニー・ゼロ・サン」ではなくて、「フタ・マル・サン」と読むに違いない。気持ちが高まる。
第203教育航空隊での教育課程を修了すると、隊員に「ウイングマーク」のエンブレムが授与される。これは航空機搭乗員としての徽章であり、彼らは正式な搭乗員として各部隊に配属されるわけだ。
つまり、彼らはここで国を守るための翼を手に入れる。
エアコンが効いた部屋の中に閉じこもり、モニターにかじりついて不平不満をネットに投げつける人たちに教えてやろう。
ここが、正しい意味での「基地の外」、つまり「基地外」だ。
くだらないことをネットに書き込む前に、部屋を出て外の空気を吸えばいい。部屋の中に閉じこもってばかりいるから、思考が鬱屈するんだ。
日の光の中で汗をかきながら基地まで走り、たどり着いたという達成感を味わい、眼前に広がる基地の迫力を体感し、改めて自分の祖国について想う。
基地の外は、むしろ健康的で明るい場所だ。そして、中の人たちから強さを分けてもらえる場所だ。
タイミングが良ければ、この基地は離着陸を繰り返すP-3Cを眺めることができるのだが、本日はその気配がない。
さすがに終戦記念日の前日に航空機を頻繁に離着陸させることは控えたのだろうか。暑くて熱中症が怖いからという理由ではないことだけは分かる。
自衛隊機が離陸していく光景を見ると、テレビでガンダムやマクロスを見つめていた頃の少年時代の気持ちに戻る。マクロスのオープニングの「マクロの空を貫いて」という歌詞が頭に浮かぶ。
とはいえ、ここは基地だ。見上げるとフェンスの上に物々しい有刺鉄線が見える。
このディストピア風の光景もインパクトがあるが、カラー画像にするとさらにインパクトがある。
しかし、近くには「ドローンを飛ばさないで!」という看板があって、さすが自衛隊だとクスッと笑ってしまう。おそらく本当にドローンを飛ばして自衛官に注意された人がいたのだろう。
飛ばす方も飛ばす方だ。日本だからこそ警察を呼ばれて職質や厳重注意で済まされたかもしれないが、米国や中国の軍用地で個人がドローンを飛ばしたら、即時逮捕で禁固刑、家族を含めて死ぬまで監視対象になるだろう。国によっては処刑される。
さて、明日は終戦記念日だ。
日本が第二次世界大戦で敗れて、終戦を迎えた日。
当時を経験した人たちは、「とても暑かった」、「抜けるように青い空が見えた」、もしくは「蝉の声だけが聞こえた」といった感想を残している。今の私が感じている夏の暑さも空の青さも蝉の声も、当時と大きく違うことがないことだろう。
当時の日本国民は、どのような気持ちで夏の空を眺めていたことだろう。
そして、今、戦争ではなくて感染症という厄介な脅威が某国で発生して世界に広がり、空気読めよというタイミングで某国が戦争を起こして世界中の人たちの生活を悪化させた。この数年、社会が慌ただしくて夏の良さを感じない。
まあしかし、素になって考えてみると、日本という国は終戦から続く脅威の中でずっと存在してきたとも言える。一時は連合国に占領され、共産圏に対する前線としての価値を考慮され、再軍備を促された。
大国同士が戦うことになると、間違いなくこの国は巻き込まれる。その現実をあまり感じずに平和を謳歌しているのはなぜか。学校や家庭での教育が関係しているかもしれないな。
その教育色が最も強く残ったのは、戦後になって急激に人口が増加した団塊世代の子供たち。つまり、私を含む団塊ジュニア世代。
私なりの理解としては、若き日の団塊世代は全体としての思想が安定しておらず、パンクな人たちもたくさんいた。
パンクではなかったとしても多くの団塊世代が体制に対して有形無形の不信感を有していたように思える。過去形ではなくて、現在進行系か。その背景には大きく変化する社会の潮流があったことを察しうる。この世代が社会の変革期に該当する。
その後の高度経済成長に伴って、人々は自分たちが大国に挟まれた前線に住んでいることさえ忘れ、政治や行政に関心を持たず、国どころか自分が住む街への帰属意識までもが薄れた次世代が育った。それが自分たちの世代だろう。
当時の公立学校の教育は独特だった。男子生徒が校則で丸刈りにされても親が抗議せず、社会の枠にはまらない人にプレッシャーをかけ、教師による体罰や生徒同士のいじめも酷かった。
他国のように政治に関するディベートの授業はなかったし、学校や行政の課題について生徒が疑問を持つことは歓迎されなかった。
家庭においても、学校に盾突くなという感じで親から躾けられた記憶がある。社会全体ではなく、学校や家庭に反発する「青春パンク」が流行ったのもこの頃だ。
加えて、人口が多い世代の中で熾烈な競争があり、勝者と敗者という色分けがなされた。大学は入試によって選別された若者たちにレッテルを貼る場のようになった。団塊ジュニア世代がそれを望んだのではなくて、気が付くと競争の中にいた。その競争を生み出したのはどのような世代なのだろう。
バブル崩壊後は経済の停滞が続き、所得格差が広がり、財政が傾いて税率が上がり、自分のことを考えて生きていくだけで精一杯という社会になった。晩婚化や少子化は既定路線だったわけだ。
そして、現在。
マスコミが社会を批判する姿を団塊世代のシニアたちがテレビで見つめ、団塊ジュニア世代は大なり小なりネットの世界に溶けている。より若い世代のことは分からない。
社会とは人が作り出すものなので、人が社会に関心を持たなくなると社会は傾く。
それは国家レベルの話だけではなくて、自分が住む街についても同じことだ。多くの人たちが望んでいないはずなのに、なぜか億レベルの予算でハコモノが建ったりする。一部の人が反対して、その他の大勢は知らないふり。その背後にどのような都合や力学があるのかなんて気にしない。街の財政が傾いても気にしない。その空気が国全体に広がっていないか。
先の大戦で散っていった若者たちが、ツイッターやヤフコメを眺めたらどんな気持ちになるのだろうな。祖国がこんな状態になることを願って覚悟を決めたわけではないはずだが、結果としてこうなっている。
しかし、時代は変わっても、「基地の中」の人たちは分かっているんだ。この国が地政学的にどれだけ危ない場所に位置しているのかを。そして、祖国を守ることの大切さを。
そうか、自分自身がバーンアウトで苦しんでいる状態に対して「基地外」と揶揄されたからではなくて、エアコンが効いた部屋に閉じこもり、ネットに入り浸っている者が、自分たちを守ってくれている「基地」という言葉を軽々しく使って揶揄したことに、私は激怒したということか。
いつも自分のことばかり考えて、上から目線で他者をなじり、どうしてそこまで偉そうなんだと。リアルを特定すればそこまで偉くはないように思えるが、ネット上はそのような人たちで溢れかえっている。
...まあ全て架空の話だが。
自分なりに納得して鎌ケ谷市に戻った。
鎌ケ谷市の住宅街、とりわけ築年数が経った家屋が並ぶ土地を訪れると、なぜか心が落ち着く。
近くには草が茂った空き地。何だかホッとする。
これが浦安市であれば、すぐにディベロッパーがやってきて住宅だホテルだと建物を建てて埋め尽くすことだろう。
ありえない空想ではあるけれど、この付近に妻の実家があって、子供たちを連れてお盆休みに帰省したとする。
「やあ、よく来たね」と義父母から歓迎されて、自動車を停めて妻と一緒に荷物やお土産を運び出している自分の姿。
味わいのある一軒家の縁側で義父とビールを飲み、子供たちは飼い犬と遊び、これから庭でバーベキューだ、夜は花火だとはしゃいでいる。妻は久しぶりに義母と台所で並んで夕食の準備。古き良き昭和の夏の風景。
そのイメージの中では、義実家どころか妻も子供たちも別人だ。
浦安市内の義父母はそのようなイメージには該当しない。帰省どころか頼まなくてもアポ無しで我が家に突撃してくる。妻との距離が近すぎるんだ。物心ともに。
四六時中、妻は義実家とLINEで繋がっていて、さらには上の子供までが義実家のLINEグループで繋がっている。義実家と我が家という独立した存在ではなくて、妻が率先して我が家という存在の独立性を消してしまい、この家庭は義実家の離れになってしまった。
もはや、私の望む家庭像は存在せず、ノスタルジックな義実家のイメージも存在しない。
仕方がないので、鎌ケ谷市に架空の義実家を設定することにした。
まあしかし、悩んでいても時間は過ぎる。結婚というポイントで私は判断を見誤った。いや、見誤ったのではなくて、先を見通せなかっただけ。妻との関係はこれが限界だろう。義実家と相性が悪くても、あと10年もすれば流れが変わる。
鎌ケ谷市内の住宅地を抜けて、市川市と近接する緑豊かなエリアを走る。
普段、この辺りは穏やかなはずだが、どうにも今日は走りにくい。交差点の至るところから自動車が出てきて、しかも多くの道路が渋滞している。歩道も歩行者や自転車が往来し、警備員までが交通整理に加わっている。
道端に立てかけられた看板を見てみると、どうやら今日は鎌ケ谷市内の野球場で花火大会が開催されるらしい。
渋滞の中でいつになったら着くのかとイライラしている若い親子の姿。
浴衣姿で手を繋ぎながら歩くカップル。
夏の終わりを告げるツクツクボウシの鳴き声。
サイクリングの途中で花火大会の人混みに遭遇した時のサイクリストの不快感は凄まじいものだが、今回は何だか違う。
コロナ禍によって花火大会どころか夏を感じることさえなかった。季節としては夏だが、夏がなかったような感覚さえある。そして、ようやく社会が回り出した。コロナの第七波がやってきたとマスコミは騒いでいるが、もはや人々はかつての社会を取り戻そうとしている。
浦安市の花火大会は中止になったが、都内の花火大会が中止になっている状況で開催すれば、荒川を越えて多数の人たちがやってきて大変なことになることだろう。それは分かる。
しかし、都内の人たちは鎌ケ谷までやってこない。この街は、すでに懐かしい夏を取り戻しつつある。
せっかくだから花火を観て帰ろうかと思ったが、普段以上に体力を消耗したらしく、ミニベロのライトを点灯させて家路に就いた。