2022/08/04

心ときめいた数十年前の夏の記憶

最初に断っておくが、今回の録は自分の記憶が薄れないうちにブログとして残しておくだけの話。他者のことなんて何も気にしない長文が続く。

悪夢にうなされながら目を覚ましたところ、見慣れない天井が見えた。寝室には素朴だが上質の家具が置かれている。窓からはレースカーテン越しに夏の日差しとセミの声が入ってくる。ベッドの隣で、誰かが眠っていた跡がある。


寝室のドアを開けて階段を降りると、広々としたリビングと一体化したオープンキッチンで背の高い女性が朝食をつくっていた。上品なワンピースにエプロンをかけ、長い黒髪と細い手足。おそらく同世代だろう。とても落ち着いている。

その時点で私は夢の中で夢を見ていることに気付いた。

しかしながら、この夢はどこかに懐しさを感じる。遠い過去の現実が起点となって、そこから展開された架空の世界が広がっているような。

実に興味深い。そのまま夢を見続けることにした。

豊かな緑に囲まれた戸建ての住宅で、私はその女性と夫婦として生活しているらしい。子育てに入っているのかどうかは分からない。

部屋の中は綺麗に整理整頓がなされていて、眩しいほどに明るい光が見え、どこからなのか爽やかな風が吹いてくる。

私はその女性のすぐ隣に立ち、なぜか懐かしそうに横顔を見つめた。彼女は、どうしたのという表情で微笑みながら私に話しかけてきた。

言葉の内容どころか声を聞き取ることさえできない。けれど、ずっと忘れていたような感情の波がある。

そして、なぜか私は涙ぐみ、彼女を抱きしめようとして、予定調和で目が覚めた。

五十路のオッサンが、なんておセンチな夢を見ているのか。不思議な夢だった。

腰下の変化は認められない。すなわち、情欲を背景とした夢ではないということか。

「夢の中で夢を見る」という現象は私によくあることで、脳内での中途半端な意識の覚醒によるものだと思われる。幽体離脱や金縛りといったオカルトについてもこの現象によって説明が付く。

子供の頃は自分の脳を上手くコントロールできなかったので、夢でうなされながら部屋の中を歩いて階段を降りることもあった。現在では上の子供が寝ぼけたまま夜中に部屋の中を歩いていたりもする。つまり、遺伝的な形質ということだ。

それにしても、夢ではあるけれど十分に作り込まれた状況設定だ。眠る直前までNetflixでアニメや映画を観ているからだろうか。あるいは、40代に入ってからレスが続く禁欲的な生活があまりに辛すぎて、とうとう脳の回路がおかしくなったのだろうか。おかしいのは今に始まった話ではないが。

現実世界に戻った私は、浴室でシャワーを浴びてオッサンの脂や臭いを落とし、白髪頭をドライヤーで乾かした。三面鏡に映る自分の顔にはこれまでの苦労が刻まれていて、横から見ても後ろから見ても爺さんの手前に差し掛かっていることが分かる。私は老いた。

出勤のための身支度を整えてから、家族の衣類やタオルを洗濯してベランダに干した。私の衣類については個別に洗濯しているので、それらの多くが妻や子供たちのものだ。

妻が転職してからは忙しい日々が続いているらしく、洗濯や掃除といった家事にかける妻のモチベーションがさらに薄くなった。

部屋の掃除は滞り、平日も休日も洗濯物がバスケットの中に溜まっていることが多くなった。洗濯機の中に衣類が放置されていることもある。「洗っておけ」もしくは「干しておけ」という妻から私への意思表示だろう。もう諦めた。今日、この一日、妻が家庭で暴れなければそれでいい。

そして、「今日も地獄の蓋が開いた」と、しかめ面のままミニベロに乗って新浦安駅に向かう。

歩道には赤信号を無視して自転車で突っ走る民度控えめの浦安市民たち。駅構内には、真っ直ぐ歩かないディズニー客、スマホゾンビになっている学生たち、そして苛つきながら突進する地域住民。

地獄の鬼たちと錯覚するような人たちに巻き込まれながら動悸と目眩が始まり、これが現実だとJR京葉線の電車に乗りこむ。鉄の箱に押し込められて苦痛を耐え、等しく与えられるはずの「時間」を奪い取られるという地獄の刑が始まった。何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな目に遭うんだ。浦安に引っ越して私の生活は極悪になった。やはり住むべきではなかった。

車窓からは浦安市の舞浜地区の混み合った住宅街が見える。住居としては戸建てではあるが、家同士の隙間がタイトでスシ詰めになっている。地方の人たちから見ればおかしな光景だろう。液状化を起こしてドミノ倒しになればさらにおかしな光景になる。

このような住宅街にどれだけの金をかけて人々が住んでいるのだろう。

厭世的な気分の中で、今朝に見た夢の中の世界を想起する。

夢の中で住んでいた戸建て住宅は、周囲に緑がある穏やかな環境だった。首都圏から離れた地方に住んでいるという設定だったのだろう。

今回の夢が「自分の記憶を起点としたパラレルワールドみたいだ」と私が感じた理由は分かりやすい。

若き日の私は、この女性と実際に出会ったことがある。もしもその人と結ばれていたら、このような状態だったかもしれないというイメージが眠っている時に浮かんだということだな。

どの記憶を起点として浮かんだ夢なのかを妻に話せば、「悪かったわね!」と罵られることだろう。また、同じことを思春期に入った我が子たちに話せば「キモいんだよ!」と蔑まれるに違いない。

五十路のオッサンが若き日の初恋話を語ったところで気持ち悪いだけだが、あと10年もすれば六十路が近づき、さらに10年が経つとボケて記憶がなくなるかもしれない。今のうちに記憶を書き出しておこう。美しい記憶だ。

中学三年生の夏、地方の新聞社が主催するオーストラリアでの海外体験というイベントがあった。郷里は昔も今も寂れた田舎町。小学生どころか中学生であっても海外旅行に行った人なんていなかった。

新聞に掲載されていた募集の記事を母が見かけ、「旅費を出してやるから行ってこい」という話になり、そんな金がどうして我が家にあるのかと不思議に感じつつも、ならば行ってくると一人で出かけることにした。

当時に住んでいた自治体、もしくは通学している公立中学校が旅費を出してくれるわけではなくて、全て私費での旅行だった。当時の日本はバブルが弾ける前だったので円高になっていて、オーストラリアの物価も高くなかった。

話は前後するが、私が海外旅行から帰ってきた頃、両親は子供たちに相談することもなく先代から受け継いだ会社を畳み、自営に切り替えることにした。負債自体はその会社を経営していた頃から積み重なっていたが、自営に切り替えることで何とかなると両親は考えていたらしい。母としても気持ちが大きくなっていたようだ。

しかし、実際には期待通りの結果には繋がらず、私が高校に通う頃には、海外旅行どころか学習塾に通うことさえできない経済状況になった。

両親は休みなく働いたが借金は減らず、子供でさえ金に気を遣う日々だった。大学受験の直前にレジ台で過去問を広げて客を待っている時の私の気持ちは、何とも言えないものがあった。

話を中三の夏に戻す。

当時は公立中学の三年生たちが受験する地方統一模試のようなものがあって、私はその学力試験において、県全体のランキングの100位以内をキープしていた。

夏は受験の天王山と言われているが、数週間くらい休んだところで田舎の高校受験なんて影響がないだろうと思った。

地方空港の集合場所には、他の市町村からやってきた5人くらいの同世代の子供たちがいた。飛行機に乗り込んでブリスベン空港に到着すると、全体で50人くらいの集団になっていた。どうやら、全国の様々な地方新聞社が同じイベントについて募集をかけていたらしい。

その後、自然豊かなビレッジの中にある研修施設において1週間程度の共同生活が始まった。地方の田舎町で生まれ育った私には、同世代の中学生たちが様々な方言で話している状況を興味深く感じた。もちろんだが、年頃の私も標準語を意識しつつ、酷い訛りのある言葉を話していた。

その施設では男女別に居室のためのグループが分けられていて、それとは別に日常の生活や研修で行動するための男女混成の班がつくられた。

高校受験を控えた中学三年生が海外体験に参加することはあまり一般的ではなかったらしく、中三を中心に班長が振り分けられ、私も班長になった。

広々とした食堂で各班のミーティングが始まり、目の前に座っていた女性に私は一目惚れした。言葉を失って凍るなんて感覚は、その時以来、経験したことがない。好きなタイプだとか、そのようなレベルを通り越して、もはや神だ。女神様だ。

ラノベやアニメの展開ではよくあることかもしれないが、まさにあのような状況だった。

その女性は中学二年生だったと記憶している。オッサンと中二では犯罪だが、当時の私は中三だったので問題なかろう。

整った目鼻立ち、後ろで束ねられた長い黒髪、服の上からでも分かるスレンダーなスタイル。当時に通っていた中学で彼女のような美人を見かけたことがない。とりわけ、発語しているときの唇が美しい。いや、神々しい。

素朴で温かみのある九州北部の訛りを含んだ彼女の声は、優しく耳に伝わった。当時から聴覚過敏に苦しんでいた私は女性の高い声が苦手なのだが、女性の声で安らぎを覚えたことに地味に感動した。

しかも、彼女は頭の回転がとても速くて、私が考えていることをすぐに察してくれる。会話のキャッチボールが実に楽しい。ずっと話し込んでいるうちに自然と仲良くなった。

その女性は九州地方にある中高一貫の女子校に通っていて、旅行中の空き時間には学校から課せられた宿題をこなしていたりもした。公立中学の夏休みの宿題とは比較にならない分量だった。

通学している学校での彼女のニックネームが面白く、旅行中も皆からそのニックネームで呼ばれていた。名前の由来は分からない。よく似た名前のスポーツドリンクと何の関係があるのか分からないが、言葉の響きが天然系の性格と関連しているように思えた。

海外体験の内容としては、カヌーに乗って湖を渡ったり、馬に乗って丘を越えたり、近所の中学校を訪問して授業を見学したり、日帰りホームステイで現地の文化を学んだり、宿泊施設に現地の子供たちがやってきてスポーツやバーベキューを楽しんだり。今から振り返ると充実した日々だった。

班で行動する時には、いつも隣に彼女がいてくれた。バスで移動する時には隣に彼女が座ってくれた。出会ってから時間が経っていないのだが、まるで小学校時代からの幼なじみのように違和感がない。

しかも、相乗り何とかワゴンのように普段の生活とはかけ離れた環境で、女性と交際したこともない中三男子の気持ちが高まらないはずがない。

このようなことを日本の田舎の中学でやろうものなら、同級生たちから冷やかされ、その母親たちの井戸端のネタになり、湿気を帯びた人間関係に巻き込まれる。しかし、海外なので邪魔が入らない。まさに異世界だ。

研修の後半はゴールドコーストやシドニーに移動し、観光を楽しむことになった。引率のスタッフによる指示は的確ながらも緩かったので、とても楽しめた。

班長としての私の方針は「自主性を最大限に優先する」といういい加減なもので、集合場所と時間だけを決めて全て自由行動とした。

我が班のメンバーは、男女や男同士もしくは女同士で他の班のメンバーと仲良くなってしまったので、せっかくだから気の合う人たちで観光を楽しむべきだと考えたわけだ。明らかに班長の選定が間違っているが、それは私の都合ではない。何かあった時の責任は引率の大人たちにある。

ということで、私とその女性は新婚夫婦のように手を繋いで仲良く観光を楽しんだ。恋愛ごっこや夫婦ごっこの類でしかないが、女性の手がここまで柔らかくて温かいことを初めて知った。体育祭のフォークダンスどころの話ではない。

中三の男子と中二の女子であれば骨格の成長はピークアウトしていているわけで、二人の体格は大人と変わらなかったことだろう。

そして、帰国の前夜がやってきた。

集合場所のホテルで夕食をとった後、二人部屋のツインルームに戻った私は同室の男子がいないことに気付いた。短い旅の中で仲良くなった友人の部屋に行ってくるという話をしていたので、なるほどそうかと思った。

風呂を済ませて旅の思い出を回想しながら、これで楽しい仲間たちとの日々が終わるのかと現実を受け止められずにいた。間違いなくその朝は来る。しかし、これで終わるのかと。

すると、自分の部屋のドアをノックする音が聞こえた。ドアを開けると彼女がキャリーケースを携えて廊下に立っていた。

彼女の装いはベージュ色のハーフパンツに同系色のフード付きのジャケット、ボーダーのシャツ、白系のスニーカーだったろうか。そして、慈悲深くも、はにかんだ表情。

彼女と同室の女子に来客者がやってきてしまい、どうにも気まずくなったので出てきてしまったそうだ。閉め出されたとも言う。

まさかの展開に心臓の鼓動が高まる。「いや、ちょっと待って、えっと、いや、なんだ? そんな準備なんてしてないし、学校で教わってないぞ」と混乱したが、そこから性の芽生えが始まるエロティックな展開が生じたわけではない。

会話しているうちにそろそろ就寝時間だという話になり、ツインルームにあるそれぞれのシングルベッドに分かれて横になった。

思考が混乱して何がなんだか分からない。私から何か行動した方がいいのか、何もしない方がいいのか。まだ中学生だぞ。引率のスタッフは毎晩ビールを飲んで酔っ払っていたし、修学旅行と比べて色々と緩すぎる。

しかし、彼女は聡明だった。エヴァンゲリオンのストーリーの中で、アスカがシンジに対して「これは決して崩れることの無いジェリコの壁」と言い放ったことがあった。今から思えば、あのような状況になった。

なるほどそうかと、確かにそのような歳ではないと、私は彼女の指示に従うことにした。私はスレンダーで頭の良い女性の下僕になって付き従いたくなる性質があるらしい。

「将来、この人と結婚することがあれば、こうやって生活するのだろうか。そうなれば素敵だな」と、中三坊主の私が想像しているうちにそのまま眠ってしまった。

朝に目が覚めると、ツインルームには私だけが残されていた。九州地方の空港に向かうフライトの方が時間が早かったので、彼女は先に出発したらしい。

起こしてくれよと思いはしたが、現在のようにメールやライン、それどころかインターネットすら普及していなかった時代だ。これから先、余程のことがなければ再会することはない。いくら言葉を交わしたところで、どれだけ丁寧に挨拶したところで、この別れは辛すぎる。これでいいんだと思った。

しかし、大人であれば気にしないだろうけれど、多感な中学生だ。大きな喪失感というか虚無感というか、天国から地獄に落ちたようなインパクトがあった。帰国便の中で何を考えていたのかさえ記憶が残っていない。

カラ元気のまま自宅まで帰ると、再び田舎町での平凡な日々に戻った。その直後に寺子屋のような学習塾の夏期合宿があったのだが、嫌になったので途中でキャンセルして帰った。

色々な意味で素晴らしい経験の直後に、全く心躍らない男女混成の夏期合宿に参加しても気持ちが高まらない。大切な思い出が上書きされるような不快感があった。その塾には心ときめくような魅力的な同級生がひとりも以下略。

オーストラリアでの海外研修が終わってしばらくして、先の女性から手紙が届いた。複数回の手紙のやり取りがあって、秋が訪れた時には過去の思い出になっていた。お互いに忙しかったこともあるし、二度と会えない存在だと認識していたわけだから。

彼女としても、海外旅行で気分が盛り上がっただけで、私に対して特別な好意があったわけではないのだろうと、私は諦めることにした。

しかしながら、今から思い返してみると、私には彼女に再会するチャンスがあった。その岐路は高校三年生の時に訪れた。

大学受験の際に眺める入試の偏差値ランキングには、地域別のリストと学部別のリストがある。後者の場合には日本全国の大学が並んでいる。

私の両親は大学に通ったことがないにも関わらず、なぜか首都圏の国立大学にこだわりがあった。また、嫌なら郷里がある県内の地方国立大学に通え、もちろんだが現役合格以外は不可、私立大学に払う金はないので滑り止めも不可という無茶な方針だった。

命綱もない状況で国立大の現役合格なんて、高卒の親でしか思い付かないことだろう。大卒の親であれば子供に過度の負荷をかけることは分かりきっている。狂った受験プランだ。今から思い出しても腹が立つ。

偏差値ランキングを眺めていたところ、九州地方の大学が目に入った。思ったよりも偏差値が高くないので、滑り止めが用意できない私としては適している。しかも、中学生時代にオーストラリアで知り合った九州の人たちはとても純朴で優しかった。楽しい大学生活が待っていることだろう。もしかしたら先の女性に会えるかもしれないと。

一度きりの人生だ。できるだけ魅力と刺激を感じる場所で若き日を過ごしたいと思った。

そこで、九州地方の国立大学を受験したいと親に伝えたところ、外面や世間体ばかりを気にする母が「都落ちで一生戻れないぞ!」と怒り狂った。

私は、見識が狭いのにマウントを取ろうとする女性を嫌う。その始まりは実母に対する嫌悪から始まった。

そもそも郷里は首都圏にないので都落ちというロジックはおかしい。また、郷里と九州のどちらが田舎なのかという議論もある。

加えて、大学を卒業した後の私が郷里に戻るという義務もない。私は実の両親を嫌っているので実家の近くになんて住みたくもない。

決して分かりあえない両親に愛想を尽かしつつ、私は九州地方の大学の受験を諦めることになった。また、大学卒業後に郷里に戻る選択肢を捨てることにした。

私の人生の岐路ではあるが、それは両親の人生の岐路にもなった。

その時に「分かった。お前の人生はお前のものだ。九州でもどこでも、自分が信じる道を進め」と、本心ではなくても理解ある両親を演じてくれたなら、私は卒業後に郷里に戻り、実家の近くに住んで町医者でもやっていたかもしれない。

郷里には私も兄弟も残らず、両親は孫に会いたくても会えないという寂しい老後を過ごすことになった。同情は感じない。当然の報いだ。そのまま朽ちるしかあるまい。

やがて私は学生から職業人になり、その後の私は将来の伴侶を探す長い旅に出ることになった。長い旅と言えば聞こえはいいが、本当に旅のようなものだ。地図もないし道標もない。

「妻をめとらば才たけて みめうるはしくなさけある」という言葉があるが、そのような女性と出会うことは難しい。私はその後の人生においても先の女性の面影を意識していたのかもしれないな。鳥類のインプリンティングのように。

オッサンになった今では当時の自分の姿が滑稽に感じもする。

併せて、学歴や職歴を見てから近づいてくる女性と連れ添ってもロクなことがないと、私は婚活でこだわってしまった。

しかも、相変わらず気難しい両親が横槍を入れて縁談をぶち壊すことさえあった。両親はとかく人の気持ちを察することができずに余計なことばかり言う。老後は自分たちで何とかしろと私は思った。

数えることも嫌になるくらいに婚活で失敗した私は、ヤケ酒を飲みながら、女性から見て気持ち悪がられる行動に出た。そう、過去に知り合った女性の名前をネットで検索するというよくある行動。明らかにキモい。

ふと懐かしくなって、先の女性の本名で検索したところ、フェイスブックのページがヒットして言葉を失った。同姓同名だと思ったが、住んだところの地名に記憶がある。間違いなく本人だ。

なるほど、彼女は中高一貫の進学校を経て九州大学に入学し、卒業後はとある県庁で勤めているらしい。

中学生の段階で才媛であることは実感していたが、旧帝国大学に合格して県庁勤めとは、まさに地方のエリートコースを歩んでいたということか。

首都圏に当てはめると、東大を卒業してから霞ヶ関や都庁に勤めるようなものだ。

「妻をめとらば才たけて みめうるはしくなさけある」というフレーズが頭に浮かぶ。

彼女の美貌は大人になってさらに輝きを増していることだろう。となると、すでに結婚して家庭を持っているに違いない。

いや、旧帝大卒で県庁勤めになると、周りの男性たちが引いてしまって独身のままという可能性がなきにしもあらずだ。役所あるあるとして、高学歴の美女がなぜか独身という話を役人から聞いたことがある。

とはいえ、どうやって彼女と再会するのか。それが問題だな。

ここで私が軽々しく「やあ、久しぶりです! 私のことを覚えていますか?」とダイレクトメッセージや友達申請を送ったりすると、明らかにキモい男になってしまう。

未成年の頃のことを思い出してネットで検索したのかと。さらに、彼女がすでに結婚して子育てに入っていたりすると、私は気持ち悪い男だけでなくて、無様な男になる。

そして、「恥をかいたところで、一歩を踏み出すべきではないか! 男は度胸だ!」と、一歩を踏み出すことがないまま、今に至る。

日本全国を行き来しているのだから、手土産でも持って県庁に行けばよかったのか。知り合いもいたわけだから。

昔の淡い思い出をそのままにしたいという感傷的な話ではなくて、度胸がなかっただけ。

ずっと音信不通のまま良い展開に転ぶわけがないし、色々な意味で東京と九州は遠い。

奇跡的なタイミングで運命的な再会があったとしても、結婚を考えるとハードルばかりだ。九州から離れようとすれば彼女の実家が大反対するだろうし、となると私が転職することになり、住んだこともない地方で義実家の近くに引っ張り込まれることだろう。

結局、婚活に疲れてひとりで生きることが嫌になった私は、若くて穏やかで優しい女性に結婚を申し込むことにした。それが現在の妻だ。

穏やかで優しいという妻の性質はペルソナなので、家の中では取り外すことにしているらしい。また、頼みもしないのに共依存している義実家がマックのポテトのようにセットで付いてきた。

義実家からの干渉なんて頼んでいないと妻に抗議しても、そのような初期仕様だから納得せよという機械メーカーのサポートのような説明ばかりだ。

そして、私が家庭に戻ると多くの時間を自室で過ごしている。酔っ払っている時以外はほとんど話さない。

私は九州でも北海道でも構わないので、「ディズニーと義実家がない町」に住みたい。この住環境は辛くて仕方がない。明らかに適応障害を起こしている。倒れるのが先か、引っ越すのが先か。

そして、妻や子供たちは、私の脳に美しい思い出や青春の葛藤が保存されていることを知らない。

そういえば、父親になってから、私はとある船橋出身の元ヤンキーの父親と知り合いになった。彼の家庭もそのような組み合わせだが、元ヤンキーの家庭では「美女と野獣」のようなカップルが珍しくない。私はとても不思議に思った。

その元ヤンキーの父親いわく、「連れを見つける時は、色々と考えちゃダメなんすよ。相手が素敵だと思ったら、突撃するだけ。フラれても上等っす。インテリはダメなんすよ、色々と考えちゃうから」と。

元ヤンキーは歳をとっても日本語の語尾に特徴がある。それは心を開いて話してくれている証でもある。

なるほど、新浦安にはインテリ層の父親がたくさん住んでいるが、確かに美女と野獣のカップルをほとんど見かけない。

パターンとしては逆でもないが、マッシブな妻に追い込まれている夫はたくさんいる。妻から怒鳴られている夫を見かけることもある。傍目にも幸せそうに見えないが、色々と考えちゃった結果なのだろう。

今回の不思議な夢は、もしも先の女性と再会して家庭を持っていたらどうなっていたのだろうかという空想が、自分の無意識下で構成されたということだな。そんな出来すぎた話があるはずがない。

それにしても、中学生の頃に恋人ごっこのような形でわずかな時間を過ごした女性が、大人になった姿で夢に現れたことは不思議だ。しかし、それ以上に不思議なことがある。

その女性と最後に過ごした日と、今日の日付が全く同じだ。とても分かりやすい日付だったのでよく覚えている。加えて、夢の中で感じた眩しい光と爽やかな風は、夏の南半球で記憶された感覚情報が反映されたということか。

目を覚まして隣に彼女がいなかったという記憶までは現実で、寝室のドアを開けて再会したところまでは確率がゼロに等しくもゼロには至らない未来の並行世界。夢の中の私のアバターが涙ぐんでいたのは、やっと再会できたと喜んでいたということか。

我ながら、とても気持ち悪いじゃないか。夢は美しかったが、その仮想世界を構築した私の脳が気持ち悪い。

いくらストイックな生活が続いているとはいえ、パパ活とか不倫とか阿波国で欲求を充たしているような夢の方が救いようがある。

それらの活動は既婚男性の場合に民法に抵触するが、時間軸の流れに沿っている。ベクトルは違っても前を向いて生きている。

ところが、過去の美しい記憶をベースに感傷的な空想を展開させるなんて、ダメージが大きい。今さらどうにもならないし、あれが違った、これが違ったと後悔するだけだ。

けれど、プラトニックな関係のまま、そして恋愛としての結末に至らないまま途絶えた経験だったからこそ、今でも良き思い出になっているのだろう。

映画やアニメの物語でも、あえて明確なエンディングを用意しない方が逆に印象が強くなったりもするからな。

同棲の後での婚活失敗談などはいくつもあるが、良き思い出にはなっていないし、バッドエンドの記憶が古傷のように痛む。

先の話においても、再会した先の女性が子供を連れてきたとか、そういったエンディングよりは今の方が気が楽だ。

あまつさえ、お互いに爺さん婆さんになって再会するというエンディングなんて見たくもない。いや、歳をとっても再び会いたいくらいの気持ちがなくはないが、過去が戻るわけでもない。

さて、今日も仕事が終わってから深夜に自室で酒を飲んで、酔っ払ってくだを巻きながら眠ることにする。過去を振り返って感傷に浸っている時間があるなら、残りの時間をどのように生きるのかを考えよう。

眠るまでのNetflix活動が捗る。