外資系企業で働く人たちって凄いと思うよ
古き良き昭和の雰囲気が残る日本の中小企業。お中元で届いた大量の果物を管理職が手で運んで平社員に配るような職場なのだそうだ。この転職は良い結果になったと、夫としては少し安堵した。転職した後で上手く物事が進まない事例をたくさん知っている。
とりわけ、妻が外資系企業に転職しなくて助かった。妻からの事前の相談がなかったということは、そのような選択肢を取っていた可能性もあったということだ。
数年前に知り合った外資系企業の社員が突然いなくなり、同僚だった人に尋ねても転職先を教えてくれないということがよくある。本当に知らないのか、他者に伝えてはならないのか、その辺のことは分からない。
巨大なビルの高層階に陣取って、まるで雲の上に職場があるかのような外資系の大手企業は都内にたくさんある。清潔で新しく管理が行き届いたオフィスに出勤し、グローバルな雰囲気の中で働くことは素敵だなと思う。
飲料の自販機やコーヒーが無料だったり、大きな休憩用のソファがいくつも並んでいたり。給料についても日本企業よりずっと高額で、実力社会なのだろう。
しかしながら、日本の風土において外資系の流動的な雇用が妥当なのか、知り合いの社員が消えるたびにそう思う。同じ子育て世代のはずたが、彼らはどうなったのだろう。職場で繋がった外部との人間関係さえ企業の所有物なのだろうか。
そういえば、妻の父親、つまり私の義父はリタイアするまで外資系の大手金融企業の日本支社において管理職として勤務していた。かつて、その企業の本社はマンハッタンのワールドトレードセンターにあった。9.11で多くの社員が亡くなったそうだ。
英語が得意ではなくて日本酒をこよなく愛する義父が、なぜ外資系金融企業の管理職として通用したのかについて私は深く知らなかった。どうやら、外資系企業に勤める前は日本企業に勤めていて、日本に特化した金融のスキルや人脈を有していたらしい。
1日で数百枚の名刺を配ったこともあると言っていたくらいだから、高度成長期の日本で猛烈に働いたことだろう。
なるほど、義父が日本の金融業界を知り尽くしていたからこそ、当時の外資系企業にとって必要な戦力になったということか。
分かりやすく例えると、欧米人がエベレストに登頂しようとしたり、アマゾンの未開地で探検に挑むとする。そのようなパターンは、外資系企業が日本という独特の風土でビジネスを展開する時に似ている。
その場合、土地のことを知っている「現地人」が必要になる。そのような人材については英語を話さなくても有能であればいいというロジックだったのだろう。
英語が堪能であっても無能な日本人を雇うと失敗のリスクがある。それは冒険もビジネスも同じことだ。通訳は別に雇えばいいという会社だったのかもしれないな。
そういえば、義父の場合には、英語を流暢に話せなかったことが幸いしたと言っていたな。ネイティブに近いと外国人の上司に英語で余計なことを言ってしまったり、考えや能力を見透かされたり、能力の限界を超える要求を受けるリスクがあるけれど、それらの心配がないと。
確かに、上司から嫌味や皮肉を言われても、何を言っているのかよく分からなければストレスは少ない。真面目に受け取るとダメージが大きくなる。
裏を返せば、英語が堪能だったからこそ失敗したり潰されて、職場から消された同僚をたくさん見てきたのだろう。
まあ確かに日本語が話せないCEOがいたりもするわけだから、タイミングが良ければ、あるいはヘッドハントで適材適所の偉い人になれば融通が利くのかもしれないな。
義父の現役時代の年収は三千万円近くあったそうだ。さすが外資系金融。日本企業が給与面で太刀打ちすることは難しい。
あれだけ金にセコい義実家が、それだけ高額な収入を何に使っていたのか、私には謎のままだが。
そして、義父から外資系企業の凄まじさを教わったことがある。
全ての職場について当てはまることではないが、米国ではパワハラという考えがあまり定着していない。日本のようにリストラ対象の社員を追い込んで辞めさせるという話も聞いたことがない。
日本風のパワハラでは「お前なんて辞めてしまえ!」と上司が脅しても退職の判断は部下にある。懲戒解雇というシステムの流用を除いて。
他方、米国流のやり方では「辞めてしまえ!」ではなくて、「お前はクビだ」という直接的な圧力になることが多い。映画で見聞きすることがあるセリフ。
日本企業でイエスマンが出世するという風潮に不満を持つ人が多いけれど、外資系企業の方がイエスマンに徹する必要があったりもする。幹部の怒りを買うと管理職レベルでもクビを切られることがある。
上司と部下が怒鳴り合いの喧嘩を繰り広げ、結果としてより良い製品やサービスが生まれるという日本の昭和のスタイルは消え去ってきたように思えるが、他国では最初からトップダウンということか。
ビジネスの道具として利用価値があれば待遇が用意され、反発したり使えないと判断されれば解雇されるわけだから、パワハラよりも強烈だ。
問題は、外資系企業がその流儀を日本で行っていることだな。
外資系企業の社員が朝に出社すると、すぐに別室に通されて人事担当者がやってきて、その場で解雇を通達されることがあるそうだ。
解雇される前の予兆として本人の能力や実績について事前に上司から指摘があったりもするらしいが、本人にとっては晴天の霹靂に他ならない。頭が真っ白になることだろう。
しかも、個人レベルで解雇されるのではなくて、日本支社で業績が良くないセクションが海外の本社から不要と判断され、そのセクションに所属する社員を丸ごと解雇する形で組織を再編することさえあるらしい。
さすがチェスの国だ。将棋のように戦力を再利用するという発想がないのだろうか。
解雇を言い渡された社員は、自分が所属している部署のデスクの前に座ることも、オフィスを訪れて同僚に最後の挨拶をすることさえ許されず、そのまま帰宅させられる。そして、職場での身の回り品は自宅に配達されるそうだ。
まあ確かに外資系企業は日本企業よりも給料が高いので、相応の生活水準を高めることができそうだが、解雇されるリスクを考えると怖い気がしなくもない。
例えば、突然解雇された社員が夫婦共働きで子育てに取り組んでいて、住宅ローンを組んでいたりしたらどうなるのだろう。余裕がない中での転職活動になるのだろうか。その際には、退職した経緯を尋ねられるだろうし、外資系企業が再就職先を斡旋してくれるとも思えない。
その一方で、外資系企業の性質を巧みに活用して業績を挙げ、ジョブホッピングを繰り返している人たちが知り合いにいたりもする。総じて企業人として非常に優れている。
出会って5分間も話せば有能さが実感でき、学歴や職歴といった物差しではなく、会話するだけで引っ張り込まれるような魅力があったりもする。それらに加えて、打てば響くような対応の素早さや的確さ、さらには部下のモチベーションを高める人間味。
そのような人たちは当然ながら業界の中で目立つので、自分で転職サイトに登録しなくても、クチコミなどを通じてヘッドハンターたちのリストに登録される。そして、他社が容赦なく高い報酬と地位を条件として引き抜きにかかり、本人も容赦なく職場を捨てて転職し、さらに高見に登っていったりもする。
だが、パフォーマンスを維持することができなくなれば、そのような人たちであっても厳しい措置の対象になる。3年や5年といった雇用契約であれば、次回の契約を更新しないという話になりかねない。
例えば、頑張りすぎてメンタルを痛めて倒れたら、その情報は社内だけでなくヘッドハンターたちにも伝わり、色々な意味で終わる。外資系企業の社員たちが朝からジョギングで走ったり、ジムで身体を鍛えたりといった健康管理は、自分自身が資本だということを理解しているからだろう。
私のように変化に弱い人物は全く通用しない。
それにしても、この国はどこまで衰えていくのだろうな。
かつての日本の終身雇用の社会は、若者を受け入れて戦力になるまで育てるという風土があった。また、給料が良くなくても職場に愛着があったり、仕事に矜持があるという理由でその職場で働き続けるということもよくあった。
しかし、先の大戦で敗れた後、他国からの影響を強く受ける社会が形成され、雇用の流動性が担保されないままレールを踏み外すと、そこから真っ逆さまに崖から落ちるという状態になってしまったように感じる。
オフィスに戻ることさえ許されずに解雇なんて、昔の武士であれば切腹さえ許されずに斬首されるようなものだ。
それが嫌なら最初から入社するなという理屈ではなくて、雇用については外資系企業であっても日本の流儀に従わせるような法整備が必要だったのではないか。外圧に弱い日本の社会において、それが困難であることは承知しているが。
そういえば、外資系企業で辣腕を振るっていた人たちが、退職して独立したり、日本企業に転職して職業人生の終期を過ごすというエピソードを見聞きすることもある。
人の生き方はひとそれぞれだ。より有意義な職業人生を求めた結果なのかもしれない。
この文脈で考えると、外資系金融というタフな環境でリタイアまで生き抜いた義父は、高い能力と機運を有していたことが分かる。義母や義妹によって鋭い突っ込みを受けているが、職業人として敬服に値する。