美人な奥さんは正義なのか
目の前にあるシンボルロード沿いの歩道で、それぞれの自転車に乗ったカップルが信号待ちで停車しながら口喧嘩を始めた。カップルといっても年齢は30代くらいだろうか。また、口喧嘩といっても女性が男性に対して一方的にキレて怒鳴り続けているだけで、男性は最初の一声の後でふてくされた小学生のように黙り始めた。内容が内容なので今回の録は伏せ字が多い。
つるピカハゲ丸的な節倹の面白さに気付いた私は、税控除のシステムを活用して節税すること、ならびに販売店ごとの日用品の値段のギャップを把握して支出を減らすことに興味を持った。
前者については個人年金保険料控除やiDeCo、積立NISAといった制度を用いることで、このようなハコモノを建てるのなら最小限の税金しか払いたくないと感じる浦安市に対する住民税を含めて節税に向けた取り組みが完了した。後はレールの上を進むだけだ。
次に、後者については実に面白い。酒飲みだからこそ気付くことかもしれないが、様々なアルコール飲料の中でもタカラの焼酎ハイボールは店舗ごとに価格設定が大きく違う。新町エリアのニューコーストのヤオコーや中町エリアのイオンでは税込で160円程度の値が付いているが、中町エリアのドラッグセイムスでは3本買うと合計で50円以上のディスカウントが適用される。
また、セイムスの場合には定期的に2リットルの茶飲料が100円程度になるという激安セールが実施されることがあるので、タイミングを見計らって酒と茶を安く購入することができる。
しかしながら、酒のつまみとしてスナック菓子を購入する場合、ファミリーマートのオリジナル商品の中にスーパーよりも多くて安いという商品が点在している。とりわけ、ひねり揚げは費用対効果が高い。
ということで、今回はファミマでひねり揚げをゲットしたわけだが、まさか店の玄関を出てから心の中がひねり揚げのようになっているカップルを見かけるとは思っていなかった。とりわけ男性の方は、まさにひねり揚げのように苦悩に充ちた表情を浮かべている。
大衆が行き交う歩道で感情的になった女性から一方的にディスりまくられて、苦痛で自我が捻れてささくれ立ち、しかも色々な意味でショッパくなっている。
なるほど、これは興味深い。
眼前の女性が公の場で激しく怒鳴っても、浦安の新町の住民たちはあまり気にしない。そもそも普段から変わった人たちを見かけたりもするし、自分のことにはこだわるが、名前も知らない他者のことなんて気にする方が面倒だという不文律がある。裏を返せば、その程度の人間味しかない町だ。
しかも、浦安市は千葉県内で最も人口密度が高く、実際に住んでいて息苦しさを感じるくらいに人が多い。地域の繋がりは希薄で、マンションの両隣、あるいは階上下を除くと周囲に誰が住んでいるのかもよく分からない。
人は多いけれど匿名性があるという街においては、周りの目を気にせずにおかしな行動に走っても自分の「恥」にならない。
田舎であれば、「ほら、○○さんちのご夫婦、道端で喧嘩してたわよ~、みっともないわね~」と井戸端Aが話を始め、「知ってます?あの○○さんのご主人の会社って、最近あまり売上が良くないそうですわよ~」と井戸端Bが話を広げ、「そういえば、あの○○さんの奥さんって、スーパーで見限り品ばかりを買ってるんですよ、知ってました?」と井戸端Cが尾ひれをつけたりもする。
そのような田舎特有の醜悪で湿った衆人環視の息苦しさは浦安の新町にはない。だが、人の目を気にしないからこそイレギュラーな行動に走る人がいる。すなわち、日本人特有の「恥の文化」が通用しない町という解釈になる。
加えて、日の出地区にはディズニー関連の「リーズナブルな」ホテルが多いため、若いカップルや家族連れがシンボルロードの歩道を歩きながら日の出地区にやってくる。そして、道端やコンビニの中で男女の口喧嘩が起きたりもする。この場合には疲労とストレスを溜めた父親が妻に対してキレるという逆のベクトルが多い気がする。
住民の場合にも、ディズニー客の場合にも、周りに知り合いがいないことを前提として恥を捨ててしまう。なので公の場で口喧嘩を繰り広げるのだろうと私は理解している。
そして、このカップルの場合もこの街の性質に違うことがなく、二人の視界には私という存在が全く入っていない。私がガン見しているのだが全く気付かない。
その二人の自転車のフロントホイールは新浦安駅を向いている。つまり、その二人は浦安の新町方面から新浦安駅方面に向かっていることが分かる。
男女ともに三十路という年齢だろうか。距離があるので男性の左薬指のリングしか確認できなかったが、この二人は夫婦であると判断して差し支えない。
私なりのプロファイリングとしては、このカップルは浦安の新町エリアで高額なローンを組んでマンションに住むことになった夫婦だと察した。この年齢層ではシングルインカムで高級マンションに住むことは難しい。つまり、夫婦共働きということだ。
また、三十路の夫婦が自転車で市内を移動する場合、核家族が多い新浦安の場合には、子供がいたなら間違いなく同伴することだろう。市内にどちらかの実家があったとしても子供たちを預かってくれるとは限らない。つまり、この夫婦は子育てに入っていないはずだ。
その光景を私が眺めて驚いたのは、歩道で自転車に跨がったままブチ切れて夫に対して罵詈雑言を大声で叫んでいる女性が、その場に似つかわしくないくらいに美しかったということだ。
美人かどうかなんて、それは個人の判断に基づくものでしかない。平安時代と平成や令和では美人の定義は異なるし、昭和の時代では冴えない髪型のアイドルヘアの女性たちに男性たちが萌えたり、腹毛から陰毛まで繋がっているギャランドゥな男性に女性たちが萌えたりもしたわけなのだから以下略。
しかし、その女性は三十路の頃の内田有紀さんに似ていて、四肢が長くてスレンダーで、明るく染めたサラサラの髪の毛がベイフロントに吹く潮風になびいていた。吐き散らかしている罵詈雑言は全く美しくないが、美人はブチ切れていても美人だ。
私は長身でスレンダーという女性の姿にとても弱い。
しかし、そのような女性と三次元で出会うことがないまま今に至っている。
いや...そういえば状況は違うが出会ったことはある。保育園の父母会の連絡会に駆り出された時に、元町からやってきたシングルマザーの母親が長身スレンダーだったな。彼女は性格も明るくて、とても魅力的だった。
彼女との間で何があったというわけでもなく、ただ用務的な会話を交わして打ち合わせで眺めていただけだが、性的というよりも美的な感覚として異次元のインパクトがあった。
ネーミングばかりが先行して実態があまり知られておらず、しかし実際に住むと色々な意味でよく分かる新町のマリナーゼたちから、「お前、キモいんだよ!」と揶揄される話だが、まるで絵画や彫刻のようにずっと眺めていても時の経過が苦にならない美しい奥さんや母親がいたりもする。ただしマリナーゼを除く。
それにしても、まさかこのように美しい女性が、ここまで心をえぐるように辛辣な怒声を放つとは。
夫婦共働きの子育てに入ってからはストイックな生活が続き、40代の時間の多くをレス状態で過ごし、かといってレールを踏み外すこともできない私から見ると、このように美しい奥さんをブチ切れさせた夫は何をやらかしたのだろうかと気になった。
この人が私の妻だったなら、性格はともかく妻の提案に全て賛同し、できる限り家庭で努力することだろう。このような美人との夫婦生活があるなんて素晴らしい。何でもするぞ。
なるほど、この夫は、自分がどれだけ幸せな状況にいるのかを理解せず、ゴタゴタと文句を言って美しい奥さんをブチ切れさせたわけだな。
何が不満なんだ。自分が不幸だと思っているのか。もっと不幸な夫は無数にいる。この夫は地獄の業火に焼かれながら悔い改めるべきだ。
子育てに入っていないのであれば、この週末の時間を二人で過ごすことができる。しかも、こんなに美人な奥さんと二人きりで甘美な時間があるわけだ。夫婦喧嘩をしている場合ではない。
私ならば笑顔で買物を終えて自宅に帰り、夫婦でイチャイチャしたり風呂に入って最高の時間を過ごし、HPをフル充電して最高のコンディションで月曜日の平日を迎えることだろう。
まあとにかく、浦安の新町エリアには非典型的な人たちがたくさん住んでいるので、突発的な事象について気にしていると死にたくなるくらいにストレスを浴びることになる。他人事として私の頭の中で忘却することにした。
それから1ヶ月くらいが経った頃だろうか。新浦安駅前のイオンで焼酎ハイボールと「タコのぶつ切り」を買ってマイバッグに入れ、意気揚々と駐輪場でミニベロに乗ろうとした私の目の前に、何やら既視感のある光景が生じた。
うちの妻や上の子供は海産物が嫌いなので、生の海産物が膳に上ることはほとんどない。そのため、私は自分の小遣いで海産物を買って、酒のつまみにしている。
閉店間際のイオンでは、ほとんどが空になった海産物エリアで数十パーセントオフの値段で投げ売り品が並んでいたりもする。
私は夜遅くまで働いていて、別に味が変わらないのだからと投げ売り品を買って自室で食べることがある。ストレス満載の生活で目眩がするような毎日で、少しでも精神的な負荷を減らすには仕方がないことだ。
タコのぶつ切りが海鮮コーナーの隅に並べられるようになったのは最近のことだ。一体、元のタコはどれくらいのサイズなのかというくらいに身が厚い。
その横には、ありえないくらいに低額のあさりのむき身が並んでいるのだが、原産地が中国と書かれているので手を出せずにいる。
タコのぶつ切りが大幅値引きの200円で手に入ったと満足しながらイオンの裏口を出て自転車に乗ろうとした私の目の前に、ひねり揚げ夫婦とは異なるカップルの姿があった。
男性も女性もいわゆるアラサーだな。結婚していてもおかしくないし、独身であってもおかしくない。微妙な年頃だ。
女性はスマートフォンで誰かと電話しており、かなり離れた場所で男性が立っていた。私が出くわしたのは、女性がちょうど電話を終えた頃だった。
その女性の表情についてはマスクをしていたのでよく分からなかったが、目元や髪型は同年代の頃の米倉涼子さんのようで、長身スレンダーの美しい姿だった。
繰り返しになるが、私は長身スレンダーの女性に滅法弱い。
それなのに長身スレンダーの女性と交際したことがない。そのような女性と身近で出会うことがなかったという確率論的な話なのか、真面目に婚活サービスに入会すれば出会ったのか。
それにしても、この感覚は生物学的な何らかの理由によって脳にプログラムされているのだろうか。自分もそれなりの身長があるので、長身のパートナーと交配すればより高身長の子供が生まれる確率が高くなる。
それでは、なぜにスレンダーな体型を見ると美しいと感じるのだろうか。
先ほどのロジックであれば、スレンダーではなくて仁王のようにマッチョな女性と交配した方が、より剛強な子供が生まれ、自然界で生き残る確率が高くなる。確かに、ゴツくて強い女性にしか魅力を感じない男性がいたりもする。
それでは、なぜに私は長身でスレンダーな女性に魅力を感じるのか。これは非常に大きな疑問を含んでいる。美しいと判断される女性と交配した場合に、美しいと判断される子供が生まれる確率が高くなり、結果として種を維持する確率も上がるという本能的なプログラムなのだろうか。知らんけど。
もとい、焼酎ハイボールとディスカウントされたタコのぶつ切りを入れたマイバッグをぶら下げた私は、イオンの裏口から出てミニベロの鍵を開けようとしていた。
少し離れたところに、上述の微妙な年齢のカップルが距離を開けて立っていた。
そして、スマホで電話を終えた女性が、少し離れた場所にいた男性に声をかけた。
「あのね、お母さんが、今からでも会いたいって...」
しかし、その男性が目をそらすどころか顔を逸らした。
すると、「どうして、そんなに偉そうなのよ!?」と女性がブチ切れた。「ねぇ、どうしてなのよ!?」と、さらに問い詰めている。もの凄いブチ切れ方だ。
なんてことだ。私は仕事で疲れているのに、なぜに「東京ラブストーリー」の世界に巻き込まれなくてはならんのだ。そもそもこの二人は東京ラブストーリーの存在さえ知らないことだろう。
タコのぶつ切りをマイバッグに入れてぶら下げた私は、若い頃の米倉涼子さんに似た長身スレンダーの女性によって放たれる辛辣な言葉を受け続けている男性の姿を眺めた。
街中で口論になった男女は、全く周りが見えていない。観察している側の私としては何ら気遣うことなく観察することができる。
しかし、その男性はタコのぶつ切りにのように心がバラバラになっている感がなく、ひたすら顔を逸らして会話が終わる時間を待っていた。何たるふてぶてしさ。
その女性がキレていることは分かったが、今ひとつ声に「ドス」が効いていない。うちの妻のように頻繁に怒鳴り散らしている女性の場合には、ヤクザ映画のように怒声に深みがある。
私は思った。これはアラサーのカップルが結婚というラインに踏み込むかどうかという瞬間だなと。
そして、ブチ切れた女性の方が愛想を尽かしたのか、どこかに向かって歩いて行った。その後を男性は追わなかった。
私の価値観であれば、女性と契を交わしておきながら、いざ夫婦として連れ添うかどうかという時点で踏み留まるなんて、男として実に情けない。その先に地獄の針の山が待っていたとしても、相手が長身スレンダーの美人なのだから二人で手を取って潔く進むべきだ。
このカップルの場合、おそらく女性の地元が浦安なのだろう。
デートの帰り道に男性が女性を新浦安まで送ってきて、女性の実家から男性を連れてきなさいという話になったことが推察される。もちろんだが、結婚適齢期と思しき女性としても、ハナからその算段があったのかもしれない。
私がこの男性と同じ立場ならば、彼女に対して「分かった」と二つ返事で答え、その場で何らかの手土産を用意し、父親とサシ飲みになっても構わないくらいの覚悟で彼女の実家に向かうことだろう。
ところが、結婚までのステップにおいて、その男性が一歩を踏み留まってしまった。女性としてはプライドを傷つけられることだろうし、その家族としても何だかなという話になる。
しかし、ここで彼女の実家に挨拶に向かって結婚に至ると、子育ての時期には高い確率で浦安に引っ張り込まれる。私と同じように浦安に引っ張り込まれた父親をたくさん見てきた。もはや子育てを人質に取られた蟻地獄のようなトラップと表現して差し支えない。
私の場合には、まさか浦安に義実家があることがここまで干渉を受けてストレスを蓄積させ、ここまで死にたくなるくらいに辛いのかと後悔している。だが、それは私個人のケースに過ぎない。妻の実家の近くに住むかどうかは「ギャンブル」だ。
新浦安で出会った同世代の父親たちの中には、浦安に住む義父母から手厚い支援や住居費についての心遣いをもらって幸せに生活している男たちがいる。私の場合は引越し当日の焼肉弁当だけだった。
浦安出身の女性と結婚して浦安に引っ越してきて、結果として幸せになるのか不幸になるのかなんて、くどいようだがギャンブルでしかない。
ルーレットで赤を選択して、赤が出れば当たり、黒が出れば外れ。ルーレットが回る前、あるいは回っている最中に結果は分からない。
「あれ...自転車の鍵をどこに入れたかな...」と惚けながら、目の前で激しくキレている女性をしげしげと眺めながら思った。
早々とレスになって久しい欲求不満のオッサンである私なので思考がアクセラレートされているかもしれないが、この女性は四十路になっても五十路になっても美しさを保つタイプだと思った。マスクを着用していても美人のオーラが沸き立っている。
そして、今の彼女は結婚に進むための岐路に差し掛かっていて、ガチで将来を考えていることが分かる。
それなのに、なんだこの男性は。夫婦になる覚悟も決めずに長身スレンダーの前で褌を脱いだのか。男の風上にも置けない。
レスで苦しむオッサンたちの悲しみが分かるか。このような輩は地獄の鬼たちによって釜の中で以下略。
結局、その女性はブチ切れたままどこかに行ってしまった。残された男性が、「待ってくれ、俺には君が必要なんだ!」という展開には至らず、この二人の時間は限られていることを悟った。
この程度のことで揉めているようでは、子育てという苛烈なステージを乗り越えられずに離婚するかもしれない。サンドバッグ状態で死にかけながら父親という「苦行」に耐えるための覚悟は、この男性から感じられない。
虚しい気持ちでミニベロに乗って自宅に向けてペダルを回した。
ひねり揚げを買って帰っている時にブチ切れていた女性、ならびにタコのぶつ切りを買って帰る時にブチ切れていた女性に共通するのは、おそらく初対面の男性が胸をときめかせてしまうくらいに美しい容姿だな。官能的な美しさもある。
その一方で、そのように美しい相方が公の場で感情を爆発させてブチ切れた時の男性たちのリアクションも共通している。凍ったように動かずに、思考そのものが停止しているように思えた。
どうしてこの男性たちは身動きができないくらいに凍っているのだろう。
おそらく、論理的な思考を巡らせた上で発言や行動を抑制したというよりも、本能的に何らかのプログラムが作動して凍ったと解釈した方が矛盾がない。
では、そのプログラムとは何だろうか。
とても重要だと思ったのは、その二組のカップルが未だ子育てに入っていないということだ。共働きの子育てに入った際の男女のストレスやフラストレーションは半端ない。
もしもそのようなカップルが子育てに入ったならば、女性から男性への当たりは間違いなく厳しくなる。
妻が夫に対して怒鳴るだけではなくて、物を投げつけるとか、ドアを叩きつけるとか、絶対に言ってはならない罵詈雑言を吐くとか、殴る蹴るとか。
そして、夫の我慢が限界に達してと精神疾患とアルコール依存をこじらせ、離婚や自死を覚悟するとか。
まるで私自身が経験したかのような物言いだな。あはは。
そう考えると、まだ子育てに入っていない段階において、公共のエリアでブチ切れて怒声を挙げる女性が、果たして何の波乱もなく夫婦として連れ添うことができるだろうか。
おそらくだが、彼らが思考や行動を停止して凍ってしまった背景には、将来にやってくるかもしれない「絶望」があったのではないだろうか。
大丈夫だ。案ずるよりも何とかで、実際の絶望は頭の中で想像しているよりもずっと厳しい。耳鳴りと目眩がやってきて、もがき苦しみながら精神の淵に飲み込まれるレベルの絶望の場合には、その脅威を恐れる必要はない。恐れたところで逃げることができないのだから。
私なりの結論としては、人の好みは様々ではあるけれど、男としては美人な女性と連れ添った方が幸せだと思う。「美人は正義」という言葉があったりもするが、確かにその通りだ。
しかし、いくら美人であっても気性が激しくて、道端で突然ブチ切れて怒るような女性と連れ添うことが幸せなのだろうか。
家の中でブチ切れる妻と連れ添っているだけでもこれだけ大変なのだから、場所に関係なくブチ切れるのはさらに大変だろう。
それは、妻に限った話ではなくて、夫についても同じことだ。
生涯の伴侶については容姿ではなくて、価値観や性格を重視した方がいいという教訓は正論かもしれないな。
ただし、その価値観や性格が単なるペルソナであって、連れ添っている間に本性が露呈して状況が急変することがある。結局のところ、結婚とは「ギャンブル」でしかない。
本人の性格や親兄弟や親戚のことまで調べられた上で縁談がやってきた昭和の初期とは異なり、男女が確率論で出会うしかない時代では、くどいようだがルーレットを回すようなものだ。
無関係な私から見ると呆然と凍っていた男性たちの姿は他人事だけれど、彼らとしては生き方に影響しうる大きな事象だ。それでも、同じ男としては微妙な感情があったりもする。
容姿に関わらず、いきなり感情を突沸させてキレる女性はどこにでもいる。
キレる美女とキレる普通の人ならば、前者の方がいいだろう。家庭内で妻が暴れて夫が蹴り飛ばされる際、大根足で足蹴にされるよりもモデル足で足蹴にされた方が以下略。
しかし、美人な妻とレスになったら、それはそれで地獄だな。私にはそのリスクを具体的に推察するすべはないが、凄まじい煩悩の淵に落ちる気がする。