住宅価格の暴落と終の棲家とコンパクトシティ
近年では住宅価格が高騰しており、浦安市の場合にはずっと前からマンションも戸建ても高い値が付いている。海沿いの戸建ては中古でも1億円くらい、マンションでも6千万円程度の価格になっている。しかしながら、そのような不動産価格はいつまで続くのだろう。
この動向が長い期間をかけて形成されたバブルであり、いつか弾けて暴落したらエキサイティングな展開になるわけだが、どうやらその可能性があるらしい。
浦安に限らず、25年とか35年といった長期間のローンを組んで住宅を購入する人たちは多い。
20年後の日本において現在の相場が保たれているのだろうか。住宅価格が暴落した状態でも高いローンを払い続けるのだろうか。売りに出しても買い叩かれるのであれば住み続けるしかないのか。
戸建てやマンションを買ってもらいたい業者にとってバブルの崩壊は不都合な情報なので、せいぜい5年くらいのビジョンでセールストークを繰り広げる。
これからも住宅価格が上がり続けるので、今が買い時ですよと。第三者ではなく売り手が言う話は信用に足らず、住宅系のメディアにも業界の力学が働いている。
それらの情報を信じた人たちが長期間のローンを組んで我が家を手に入れるわけだ。
「そんなことはない!浦安の不動産の価格は液状化の後でも落ちていないではないか!」と鼻息荒く反論する人たちが出てくるかもしれないが、それは団塊世代の後に団塊ジュニア世代が家を買うというステージがあったからだ。
浦安はどうなのか分からないが、あと20年もすれば地域によっては住宅価格が半額以下、あるいは実質ゼロ円の投げ売り状態になるなんて、ほとんどの人が信じないことだろう。
人の思考は現時点の状況がそのまま続くと錯覚しやすい。自分にとって都合がいい話についてはなおさらだ。
日本経済の長期低迷の引き金になった1990年代のバブル崩壊だって、その前までは日本の好景気がずっと続くと信じ込んでいた人が多かった。日本は世界第二位の経済大国だと。
また、投資目的で不動産を購入した人たちの中には、バブルの存在に気付いている人もいることだろう。その場合には下落する前に高値で売却するタイミングを虎視眈々と見つめているはずだ。
不動産に限らず、日本国内のネットやメディアの情報はあまり役に立たず、海外からの情報が有用だったりもする。かつての日本のバブル崩壊においてもその危険性は海外から指摘されていた。
世界には日本を含めたアジアの不動産価格について解析している研究者がいる。英語ではあるが情報は公開されている。
日本に少子高齢化がやってくると言っても、それらを深刻視している人は少ないことだろう。自分が住んでいる社会だけでなく政治や行政について関心がない人たちが多い。
しかし、これからやってくる日本社会の変化は想像以上に大きい。
人口分布のピークにあたる団塊世代は現時点で70歳半ば。私のような団塊ジュニア世代は40歳半ば。
団塊ジュニア世代が職業人としてリタイアするのは長くても20年後といったところだな。その時には団塊世代は100歳近い年齢になり、自然なことだがほとんどの人たちが世を去る。
では、その団塊世代が住んでいた住居はどうなるのだろうか。
遺族が処分のために住居を売りに出すと、中古の戸建てやマンションがマーケットに流れることになる。築年数が経った戸建ての場合には建て替え、マンションの場合には全体の修繕費用がかかってくる。固定資産税や他の費用を考えてマイナスになるのであれば、投げ売りで処分したいという気持ちも分かる。
地方のリゾートマンションでは、すでに温泉付きの物件が実質ゼロ円になっていて驚いた。人口減少について対策を講じていなかった街、もしくは対策を講じていた街であっても空き家が目立つ状態になったり、多数の限界集落が消滅する可能性があるかもしれない。
最近になって住宅ローンを組んだ人たちは、そのような時代がやってきたとしても定年近くまでせっせと高い金を払い続けるわけだな。
「これはマズい」と察した時にはすでに値崩れの波がやってきて、中古物件として売りに出しても希望価格での買い手が見つからないとか。
では、あと20年もすれば不動産価格が暴落して、「全ての」中古物件が激安になるのだろうか。いや、それは違うな。首都圏かつコンパクトシティの場合には、少子高齢化が訪れても物件が投げ売りになることはないように思える。
日本政府がコンパクトシティ構想について本格的に取り組み始めたのは今から8年くらい前のことだ。今では下火になった感があるが、共働きの子育てを推進するキャンペーンが行われたのも同じ時期だな。
その旗振り役となったのは国土交通省。
コンパクトシティとは何かというと、ザックリと言うと街のデザインのこと。街そのものを表現する場合にも用いられる。
その名の通り、コンパクトシティは「医療機関や福祉施設、ショッピング施設、そして人々が生活する住宅をできるだけ近くに集め、それに伴って交通網も再構築する」というコンセプトに基づいている。
しかも、国交省の旗振りの中には「高齢者が安心して暮らせる」という文言が明確に記載されていたりもする。
その法的な根拠となっているのは、平成26年8月に施行された「都市再生特別措置法の一部改正法」および同年11月に施行された「地域公共交通活性化再生法の一部改正法」。
日本政府には全国にコンパクトシティを次々に作るだけの力はない。その主体は地方公共団体が中心となって取り組むことになっている。
コンパクトシティの先進都市としては富山市や青森市といった自治体があり、前者は成功例、後者は失敗例という評価がなされていたりもする。ただし、本格的な少子高齢化が訪れていない段階では安易に成功だ失敗だと判断せず、それぞれの街の取り組みを学ぶ必要がある。
加えて、コンパクトシティは攻めの対応ではなくて、人口減少と高齢化への守りの対応だと私なりに理解している。「コンパクトシティに取り組んだが、地域が活性化しないではないか!」と批判することは近視眼的で、そもそものベクトルがずれている。厳しい状況が訪れた時に街がどうやって生き残るかという策になることだろう。
コンパクトシティという考えであれば、浦安市の中でも新浦安の中町地域はその状態を達成していると思う。新浦安駅の周辺に住宅とショッピング施設があり、医療機関もある。埋め立てに伴う都市計画に従って街を作るとコンパクトシティになるのだろうな。
だが、「浦安市はコンパクトシティ」と一括して表現するのは違う。例えば、中古でも1億円の値が付いている海沿いの戸建てに高齢者が住んでいたとして、そこからショッピング施設や医療機関までどうやって通うのだろう。
新浦安の中町地域であったとしても、美浜地区や今川地区にはコンパクトシティとは言えないエリアがある。
若い頃は自家用車や自転車で通行することができるかもしれないが、足腰が弱ると本数が少ないバスに乗るだけでも苦労するはずだ。最寄りの新浦安駅まで歩くと数十分以上かかる。
政府のコンパクトシティ構想に交通網の再構築が含まれているのは、そのような意味なのだろう。
しかも、いくらコンパクトシティ化に成功したところで、働き盛りの世代が稼ぐことができないエリアでは住民の多くが高齢者ばかりになる可能性がある。
先述の通り住宅の価格が大きく値崩れし、私が職業人生をリタイアした頃には戸建てでもマンションでも容易に購入することができたとしても、その街が老いた私にとって住みよいかどうか。
働き盛りの世代が減ると自治体の税収が落ち込むことは分かりきっているし、財源が傾いている街の行政や利便性を考えると、そこで安心して住むことができるかどうかは分からない。より良い環境を求めるとマーケットが反応して住宅の価格が釣り上がり、以下略。
20年後に人口が減少して高齢化した社会が訪れても、それなりに働き盛りの世代が住み、それなりに住宅の価格が下がり、コンパクトシティ化も達成されるような街はどこなのか。20年後のことを想像することは難しい。
例えば、新浦安駅の周辺に広がる古い団地群が生まれ変わり、そこに新築物件が並んだ場合には20年後も高い値が付くかもしれない。その時には海沿いの高級住宅は大きく値崩れして高齢者がたくさん住んでいるような状態になっているかもしれない。その一方で、これらの予想が覆されるケースもありうる。
コンパクトシティのど真ん中は住宅価格が下がりにくいだろうから、その辺縁の穴場的なエリアが見つかればよいのだが。
その時が来た場合にアクションを起こすことができるように、今は蓄えておくステージなのかもしれないな。「かもしれない」ばかりの考察だ。
そうか、何の目的もなく節倹や長期投資というゲームを楽しむだけでは途中で飽きる。
つるピカハゲ丸ゲームで貯まった金と退職金の一部を足して終の棲家を手に入れるという目的を設定することにしよう。
もちろんだが、妻にはこのゲームについて内緒にしておく。
また、子供たちが大学受験に失敗して浪人を繰り返し、私立大学に進むようなことになるとゲームオーバーだ。そうならないことを祈る。