神崎川にかかる庄左エ門橋の上で見かけた生き方の鍵
サイクリングの間にひとつの「気付き」があった。五十路近くのオッサンの人生なんて螺旋状に連なったルーティンの繰り返しだと思っていたけれど、ふとしたきっかけで気が付くことがあるものだ。重要なきっかけになるエピソードを「鍵」と呼んだりもする。確かにこれは鍵だな。
私はオッサンだが、別にオッサンになりたくてオッサンになったわけではない。若い頃にはそれなりに髪型や衣装に気を遣ったり、どのような職業に就こうかとか、将来を連れ添う女性はどこだろうかとか、将来はどのような家庭を持ちたいとか、まあそういった淡い期待に胸膨らませながら青年時代を生きた。
そして、適齢期を過ぎて結婚せねばと結婚し、結婚したなら子供をつくらねばと子づくりに励み、「イクメン」というシュプレヒコールが轟く世の中で共働きの子育てに耐え、子育てに入ってから別人のようになってしまった妻との不和に悩み、そしてバーンアウトで感情を失って死にかけた。
本人的には真面目に生きただけなのだが。
自分の心身が崩れても妻や子供たちが大した支えになるはずもなく、ひとりで精神の深い井戸から這い上がり、職場で以前の勢いを取り戻すことができずに苦しんでいる時でさえ義務のように家庭に金を入れ、夫だか父親だかの責任が背中に圧しかかる。
気が付くと髪の毛は白髪が多くなり、筋肉や心肺が衰え、着実に死に向かって進んでいることが分かる。その一方で妻の希望通りに子育てを進めるとやたらに金がかかる。自分が老いていることを実感しながら、自分を削って家族のために生きるわけだ。
それによって自分が幸せになったり、生き甲斐を持つことができたり、妻や子供たちから励ましを受けることがあれば話は分かる。とどのつまり、私は使い捨ての消耗品だ。夫だか父親だかといった「責任」の名の下に。
自分の生き方がどこで間違ったのか、それはすぐに分かる。「結婚」という岐路だ。自分の判断が正しいのか間違っているのかなんて、その時点では分かるはずもない。
しかし、今から思えば間違いだと気付くためのポイントはたくさんあった。それらを見過ごして先に進んだのは自分だ。結婚のタイミングを早めておけば、もしくは遅らせれば幸せな展開があったのかどうか。そんなことを今さら言っても仕方がない。
まあとにかく、気が付くと自分はオッサンになっていた。
この録でよく表現する私なりのオッサンの生き方のイメージがある。
それは、ひとりで大きなリュックサックを背負い、どこまでも続く錆び付いた廃線のレールの上をひとりで歩き続けている姿。
フィーリングが合っている、もしくは恋愛感情がずっと続いているような夫婦であれば、このイメージは違うのかもしれない。子供たちのために離婚せずに父親を演じているような自分だからこそなのか。あるいは、経緯や背景が異なっていたとしても、多くの父親たちが錆び付いたレールのイメージを持つことがあるのだろうか。
延々と地平線まで続く錆び付いたレールの向こう側に何があるのかなんて分からないけれど、たぶん代わり映えのしない同じ風景があるはずだ。終着駅なんてものは最初から存在していないかもしれない。
やがてレールの上で自分は倒れ、そこが自分なりのゴールになる。
ああ、まさにオッサン的な虚無感だな。
この虚無感に抗うかのように、オッサンたちはいつもと違う楽しみを見つけようとしたり、新たな体験を求めたり、醜い内面をネット上に投げつけたり、飲み屋でくだを巻いたり、金を払って風俗に行ったりパパ活に勤しんだりもするのだろう。
とはいえ、私自身に高尚な考えがあるはずもなく、まさにオッサン的な週末のルーティンとしてミニベロに乗り、とりあえず浦安市という嫌な街を出ることにした。
河川敷のサイクリングロードを好むオッサンたちには恐縮だが、荒サイや江戸サイを走って何が楽しいのだろう。
川岸の植物が四季の変化を見せるとか、出会ったことがないサイクリストに追い越され追い越しといった出会いとか。残りの人生が限られているのに、そのようなことを繰り返して楽しいのだろうか。
とはいえ、自分に革新的なアイデアがあるはずもなく、とりあえず市川市内の鬱陶しい車道を抜け、船橋市内の鬱陶しい車道を抜け、鎌ケ谷市に入って元気を取り戻し、海上自衛隊の「下総航空基地」の近くまでやってきた。
下総航空基地の西側を北上すると手賀沼に続く大津川沿いの谷津道に入ることができる。また、この基地の東側を北上すると下手賀沼に続く金山落とし沿いの谷津道、そして東の方角に進むと神崎川沿いの谷津道に入ることができる。
金山落としや神崎川といった水路沿いの谷津道は白井市という千葉県内の自治体に広がっている。初めて白井市を訪れた時には独特の街並みに面食らったが、最近では慣れてきた。
田園風景が広がる農村地帯においてニュータウン構想による都市化が展開され、両者が混ざった状態で留まっているのが白井市の現状ではないだろうか。
寂れた漁師町というオリジナルの状態が分からないくらいに都市化され、近未来的なスペースコロニーの内部のようになってしまっている浦安市に住んでいる自分が白井市を訪れると、田舎と都市がモザイク状になった模様に戸惑う。しかし、何度も訪れているうちに慣れた。面白い街だ。
それと、これは断言できることだけれど、白井市はサイクリストにとってパラダイスのような街だ。
街中に張り巡らされた谷津道だけでなく、一般的な車道でさえ自転車で快適に走行することができる。谷津道にはグラベルがあり、一般道の路面は整っていて凸凹が少ない。様々な走り方が可能になる。
加えて、白井市の周辺には手賀沼と印旛沼、そして利根川というサイクリングスポットがある。そこから霞ヶ浦までのルートを引くこともできる。
首都圏で生活する人たちは自然に飢えている。豊かな自然の中でペダルを漕ぐような贅沢は間違いなくウケる。そして、サイクリングの場としての白井市の魅力に気付いた人たちがアクションを起こしつつある。
なるほど、首都圏から輪行して白井市を訪れ、ツアーガイドとなるサイクリストがいればとても楽しいアトラクションになる。初めて走る街であっても絶景スポットやグルメスポットにアクセスすることができる。
けれど、残念なことがふたつある。ひとつは、首都圏のサイクリストの多くが白井市の存在に気付いていないこと。
もうひとつは、白井市の行政がサイクリングに適した街であるという事実に気付いていない、あるいはそれを真面目に検討しているとは思えないこと。
下総航空基地から東の方角に進むと、神崎川という小さな川にたどり着く。この付近には田畑が広がっていて、谷津道を探す必要もない。この付近にある道の多くが谷津道だからだ。
アスファルトの道路を走るようなスペックのブルーノの小径車に、どうして幅40mmもあるブロックタイヤを履かせたのかというと、谷津道を走るためだ。
ロードバイクのタイヤは25Cとか28Cで、ロードタイプのミニベロも28Cくらいのタイヤが用いられる。このブルーノスキッパーのタイヤは42Cと同じくらいの太さだ。シクロクロスどころかグラベルロードと同じくらいの太いタイヤをミニベロに取り付けると、砂利道でも泥道でもハンドルを取られることなく走ることが出来る。
首都圏で生活していると未舗装路を自転車で走る機会がほとんどない。しかし、谷津道に来るとグラベルがたくさんあって実に楽しい。
オッサンのサイクリストのブログによくあるのが、地元のスイーツだとかラーメンだとか、そういったグルメを紹介するコンテンツ。私は食に興味がないので、腹が空けばバックパックに入っている補給食で十分に用が足りる。
目の前に見えた神崎川にかかる橋の上でカロリーメイトをかじることにした。
淡水魚を狙っている釣り人にとっては心躍る光景かもしれないが、この付近の神崎川は川幅が狭く、小川といった印象だろうか。とても長閑だ。
そして、この環境の中で佇んでいると、普段の自分が生き物としていかに不自然な状態で生活しているのかを実感する。
コンクリートで作られた蜂の巣のような家の中に住み、その家は海を埋め立ててアスファルトで覆った土地に建てられている。
そして、多数の人々が鉄の箱に詰め込まれて鉄のレールの上で運ばれ、再びアスファルトで覆われた道を歩き、コンクリートで作られた建物の中で働く。
結局のところ、これでは生け簀や水槽の中で生きている魚の生活とあまり変わらない。利便性を追求した結果が不自然さであったとしても、自分たちはそれを日常だと思い込んで生きている。
だから疲れる。
たまには水槽から自分の力で飛び出して、こうやって地面の感触を味わい、木々の緑を眺め、川の音を聞く。自分でもおかしいくらいに谷津道を走りたくなるのは、つまりはそういうことだろう。
神崎川にかかる小さな橋の上で、私はとても奇妙なことに気付いた。
よくもまあそのような小さなことに気が付くなと言われそうだが、そのような小さなことに気が付かないとやってられない仕事もある。
まず、自分が休憩しているこの橋の名前は何だろうと思って確認した。この橋は「庄左エ門橋」という名前が付けられているらしい。庄左エ門という人がつくった橋なのか、資金を提供したのか、近くに家があったのか、その由来は分からない。ネットで検索しても白井市の庄左エ門さんがヒットしない。
そのプレートの横に何やら見かけないものがぶらさがっていた。
橋に結ばれていたのは2つの鍵だ。それぞれが錆び付いている。
ひとつは家の鍵だろう。戸建てなのかマンションなのかは分からない。そして、もうひとつはロッカーあるいは引き出しの鍵だろうか。それらの鍵には普段の生活で持ち運ぶにしては大きいキーホルダーが取り付けられていて、キーホルダーは欄干に結ばれている。
例えばこの付近で大きなキーホルダーが付けられた鍵が落ちていて、善意ある拾得者がそのキーホルダーを橋に結んだとする。そんなことがあるだろうか。
普通に考えると警察に届けた方が話が早い。
だとすると、これらの鍵は遺失物ではなくて、あえて誰かが橋の欄干に取り付けたと解釈した方がよいのだろう。
道の真ん中で鍵が落ちていれば私は警察に届けるが、明らかに錆び付いた鍵が橋に結ばれていて、これが遺失物に相当するのだろうか。そもそも、白井警察署...という警察署はなくて...「印西警察署 白井分庁舎」の警官がパトロール中に見つけていなければおかしい話だ。このような違和感に気付けないようでは街の違和感を察しえない。
転生系のアニメであれば、その鍵を私が拾った瞬間に異世界に呼び込まれ、大きな扉の鍵を開けた時点で「勇者様」になってしまうのだろう。こんなオッサンが転生したところで何の意味もないが、異世界に引っ張り込まれたところで大して後悔もない人生のステージだなと思ったりもする。
ホラー系の映画であれば、その鍵を見つめている私の背後にすでに誰かが立っている、あるいは橋の下に人間ではない何かが潜んでいて、今度は私が消されて所持していた鍵が橋に取り付けられるという展開になるのだろう。
さて、補給が済んだので再び走り始めた。季節はすでに初夏。梅雨前の日差しは強く、気温は25℃程度。本格的な夏に向けて身体を慣らしていく時期だ。
汗が滴り落ち、ボトルの中の飲料の減りが激しい。
「地球の歩き方」ではないが「白井市の走り方」について言及すると、私が大好きな鎌ケ谷市と比べて白井市では飲料の自販機がとても少ない。そして、自販機の近くにゴミ箱がないことが多い。しかも、飲料が定価だったりもする。
何が言いたいのかというと、私が大好きな鎌ケ谷市内の自販機では多くが「100円均一」というステッカーが貼られていて、ペットボトルのスポーツドリンクであっても100円だったり110円だったりする。しかも、その場でドリンクボトルに飲料を詰め替えると、自販機の隣にゴミ箱が設置されている。つまり、私が望む動線上にデザインがなされているわけだ。
ところが、白井市の場合にはこの常識が通用しないことがある。自販機のスポーツドリンクが140円とか150円といったコンビニ価格。それは別にこだわる必要がないのだが、自販機の隣にゴミ箱が設置されていないことが多い。
そこで飲料を飲み干した場合には、手に持ったまま自宅に帰るのが白井市の住民のセンスなのだろうか。
それと、私は何度も白井市を訪れているのだが、白井市民と会話を交わしたことが一度もない。
この街では他者への関心が薄いらしく、気軽に話しかけられるような雰囲気がない。まるでネット上のメタバースを行き交うかのような独特の冷たい空気がある。
田舎町だからといって必ずしも人懐っこいわけではない。このような傾向は千葉県の房総半島でも認められる。千葉県民は他所者に対して冷たい、もしくは警戒しやすい性質があるのかもしれない。
まあ確かに他所者の臭いがプンプンしているサイクリストではあるけれど、そこまで警戒される面構えでもない。いや、マスクとサングラスを付けているから顔が見えないか。
そして、これはサイクリストにとって重大なことではあるのだけれど、田舎道あるいはコンビニが少ない白井市内を自転車で走っていて、ドリンクボトルが空になって補給水がなくなった時、あるいはトイレに行きたい時にどこに行くのかという話になる。
どの街であっても、ゲームで例えると「セーブポイント」のような場所があるはずなのだが、白井市にはそれがなかなか見当たらない。
農道を走っていて見かける民家で休憩させてくれと言えるはずもなく、立ち寄りやすい公園が見当たらない。これだけ豊かな自然があるので、わざわざ公園やトイレを用意する必要がないということか。自分が所有する山や畑ならともかく、林や茂みの中で用を足していて捕まったら無様すぎる。
他方、白井市内では片道2車線の大きな道路に出ることはできるのだか、延々と走っても公園などの公共施設が見当たらない。
一般的な千葉県北西部の街であれば、この辺りに休憩所があるという大まかな予想が付く。しかし、白井市ではその予想が外れる。ナビを起動しないと分からないくらいだ。
この街のシティデザインにおいて街の外からやってくる人たちの利便性を無視しているというわけではなくて、この街の行政には直感性のズレと解釈しうる独特のパターンがあるように思える。
その行政のパターンが街並みに影響しており、元をたどればこの街の市民性が行政に反映されていることだろう。
細かなことは実際に自転車で出かけてみるといい。
おそらくだが、千葉県内における白井市の影の薄さの原因は、この街の設計や行政に関係していると思う。かつて白井市の行政が周辺自治体の市民を対象として白井市の知名度を調査したことがあり、その残酷な結果に驚いたらしい。
白井市と近隣している船橋市の市民でさえ、白井市がどこにあるのか、あるいは白井市という自治体の名前すら知らないことが多かったそうだ。市川市の場合には市民のほとんどが白井市の存在を知らないという結果だった。浦安市の場合も同じような結果になることだろう。
その理由は実際に訪れてみるとよく分かる。この街にはシティデザインにおいて独特のスタイルが形成されていて、街の魅力が外部に向かって閉じてしまっている。
周辺自治体の人たちは交通網の一部として白井市の道路を通過するけれど、その人たちを街の中に呼び込むような都市設計になっていないように思える。
街の外の人たちが白井市を訪れたならばどこに立ち寄るだろうかとか、その後でどこに行くだろうかとか、何を思い出にするだろうかとか、そのような発想はあまりないらしい。
そして、「一体、どこで向こう側に渡ればいいんだよ」と突っ込みたくなるくらいに横断歩道が少ない幹線道路を横切り、白井市役所を目指す。少し不思議な表現だが、この市役所が神崎川沿いの谷津道のランドマークになる。
一般道から市役所の裏手に回ると、その付近から谷津道にアプローチすることが可能だ。
しかし、今回はドリンクボトルの残量が心許ない。白井市内の谷津道には近くにコンビニが少ないのでトイレにも行っておきたい。
市役所の裏手に回ると、駐車場から次々と市民がどこかの方向に歩いて行く。案内板を見渡してもその先に何があるのか見当たらない。何度も言うが、この辺の直感性のズレが以下略。
そして、田舎町によくありそうな建物にたどりついた。
白井市の文化センターという複合施設なのだそうだ。この文化センターには図書館や文化会館だけではなくて、「プラネタリウム」が設置されているらしい。
館内は空調が整っていて、清潔なトイレや飲料の自販機もある。日曜日にも利用できる点がとてもありがたい。
白井市の凄いところは市の中心部であろう市役所のすぐ裏に谷津道が広がっていることだ。
細かすぎて分からないはずだが、浦安市役所であれば近くの消防署やオーケーストアくらいの距離に谷津道がある。しかも、四方八方に谷津道が伸びている。
トラクターが落としていったであろう黒い泥の塊を避けて走りながら農道を走り、これから伸びる若い稲を眺めて私は何かを感じた。
私自身には、五十路が近いオッサンの人生がまるで錆び付いたレールの上をひとりで歩き続けているかのような感覚がある。
確かに日々の変化はあるけれど、螺旋階段を上っているかのような既視感というか、まあそういった実感が毎日の生活をよりルーティン化させてしまうようにも思える。
例えば私が白井市の谷津道に向かってサイクリングに出かけたとして、その際のゴールとはどこなのかというと、ゴールやランドマークなんてものはない。
どこを経由してどこを走ったのかという過去は残るけれど、どの地点にたどり着いたから目的が達成されたという話ではない。
オッサンの余生とはこれによく似たもので、人生のクライマックスが過ぎ去ってしまって、もはやどこがゴールなのか、あるいはどこがランドマークなのかも分からなくなる。
だからこそ、どこまでも続く錆び付いたレールの上を歩いているような気がするのだろう。
しかし、冒頭の神崎川にかかる橋の上で見かけた鍵のことを思い出して、そのエピソードをとても意義深く感じた。
自転車に乗って家を出て、向かった先の場所で鍵を見つけた。しかし、これが「白井市で鍵を見つける」というクエストだったとしたら、その時点で目標が達成されたということになる。
つまり、どこまでも続く道程の中で目標を設定するのではなくて、キリがよいところで小刻みに目標を設定し、それらをゲームのクエストのように達成し続けることで自分に成功体験をフィードバックすることができる。
そのイメージは自己肯定感を増やし、生きることの疲労を軽減するかもしれない。
仕事にしろ、家庭にしろ、非常に長いスパンで目標を設定して生きるから疲れる。オッサンになると、その目標さえよく分からなくなる。自分は職業人として何を残すのか、家庭を持つことの意義とは何か、そもそも生きるということに意味はあるのか。
しかし、もっと短期間で達成しうる小さなクエストを自分なりに設定して、それらを連続して次々にクリアするようなイメージを持つと、疲れが軽くなる気がする。
仕事について言えば、五十路になると出世コースも明確になり、勝ち組と負け組の色合いは鮮明になる。これ以上は出世が望めないと割り切って転職したり独立するオッサンが増えるのもこの時期だ。
何をもって勝ったのか負けたのかも分からない。職場のルールで上か下かが決められるだけの話で、その外に出れば何の意味もない。
家庭について言えば、忙しくも刺激的だった育児というステージが過ぎて時間に余裕が生まれても、何かが足りない。
子育てとはもっと意義深い取り組みではなかったのかと、思春期を迎えた子供を見ながら思ったり、夫婦とはなんだろうかと、すでに性的な魅力の対象から外れてしまった妻を見ながら思ったり。
だが、そうやってオッサンらしく遠視眼的に見渡すと、残りの時間を生き続けることが虚しくなる。
自宅からサイクリングに出かけて、どこかの橋の上で鍵を見つけたというエピソードは、まるでゲームの中の「クエスト」のようだ。最終目標は別にあるけれど、まずは小目標を設定してそれを達成する。
オッサンになると、そういった小目標をすっ飛ばして大目標が何だろうかと考え、全体を見渡して虚しくなることがないか。それぞれのキーポイントは分かるけれど、それらを全てを達成するためのモチベーションが維持しえないというか。
しかし、たとえ小さな事柄であったとしても、目の前の小さなクエストを地道にこなすことで前に進むことができる。そうか、残りの人生を虚しく感じることも辛く感じることもなく、クエストに臨む気持ちでコツコツと地道に進めばいいという話だな。