2022/05/29

老後は大網白里市に住んでドーベルマンを飼うぞ

いつも土日になると自宅で怒鳴り散らしている妻だが、今週末は機嫌が良い。上の子供とダイニングで楽しそうに会話していたり、珍しく声を出して笑っている。そして、夕食が終わると、妻はスマホを取り出して「大網白里...大網白里...うーん...思いっきり外房にあるのね...」と検索結果に対して千葉育ちとは思えない感想をつぶやいている。間違いなく信じ込んでいる。

土曜の昼頃、私は妻に「自分がリタイアした後は、千葉県内の大網白里市の辺りに家を買って住み、ドーベルマンを飼う。私が家事を主に担当して、今度は君が長時間通勤に耐える番だ」と話した。私としては冗談だったのだが、妻としてはそれを真に受けて喜んでいるらしい。理由は後述する。


自分が職業人として生きる期間は65歳が限界だと考えている。早いもので残りの時間が20年を切った。そろそろリタイア後の人生について考えておく必要がある。

世の中にはいつまでも職にしがみつく爺がいたり、リタイアした後で真っ白になってしまう翁がいる。人の生き方は人それぞれなので他人がとやかく言う筋合いはない。

しかし、家族や親戚に対して「生き甲斐がなくなった」と嘆いたり、あえて構ってほしそうに不平不満を並べるような老人にはなりたくない。

私の場合には、郷里の実父がその典型だ。職業人として懸命に生きてきたことは理解するし感謝もする。けれど、リタイアしてからの生き方が無様だと言わざるをえない。それは実父に限った話ではなくて、現時点で70歳付近の団塊世代の男性によくあるパターンではなかろうか。

団塊世代が日本の繁栄の礎を築いたことは間違いなく、現役時代の彼らは必死に働いた。

彼らの中には「男は世帯を持って、仕事に精を出すべきだ」という教条的な価値観が根付いているようにも思える。家庭のことは妻に任せ、夫は働いて家庭を支える。それが昭和までの典型的な夫婦像だったわけだ。

団塊世代のさらに親の世代は戦争を経験している。戦争が終わってベビーブームが到来し、その勢いで生まれたのが団塊世代。

昔ながらの世代に育てられ、若い頃に高度成長期を体感したのだから無理もない。

日本の経済が低迷し続けても、少子高齢化の直撃を受けずに世を去ることが試算されている彼らの世代は「逃げ切り世代」と呼ばれていたりもする。

ところが、職業人生をリタイアすると、そのドグマティズムに近い考えは逆に団塊世代の男性を虚無感の中に引きずり込んでしまうらしい。

現役時代に仕事に精を出しすぎて趣味らしい趣味を持たず、現役時代からリタイア後について具体的なビジョンを持たず、結果として真っ白になるという予定調和なのだろう。

興味深いことに、リタイアした彼らがいきなり真っ白になるのではなく、それまでに5年から10年程度のエクリプスの期間があるようだ。

リタイアした男たちは本人なりに今後の生き方を考え、趣味を探したり、家庭菜園を始めたり、地域活動に参加したり、妻に任せきりだった家事の一部を担当したり、一生物と呼べる高価な品物を奮発して買ってみたりと、それなりに頑張る。自宅をリフォームしたり、終の棲家を確保するのもこの時期だ。

しかし、そのモチベーションは長くは続かず、やはり仕事以上の生き甲斐も見つからない。自分の居場所がなく、生きる意味を失うような感覚なのだろう。

老後に始めた趣味や人付き合いが楽しく感じられることもなく、現役時代にイメージしていた目標は思ったよりも早く達成される。忙しい仕事の合間に楽しんでいた趣味と、時間に余裕がある老後の趣味は違うらしい。

妻から夫への当たりも厳しくなる。団塊世代の女性たちにとって、仕事という柱を失った夫に気を遣う必要はなく、現役時代の夫の労働に対する感謝もリセットされる。熟年離婚で困るのは夫の方だ。時にカチンとくる妻からのセリフを飲み込んで夫は耐える。

そこから先は「老い」というプロセスと「死」というゴールを感じながら生きる。

幸いにも孫が生まれた場合には、子供夫婦がたまに帰省してくれることを楽しみにして、孫たちの写真を眺めることだろう。

私のような団塊ジュニア世代は、当然ながら団塊世代の価値観によって大きく影響を受けている。少しは相違があるかもしれないが、自分たちの世代が職業人生をリタイアした後もよく似たパターンになることだろう。

団塊ジュニア世代の男性の場合には、激しい競争社会に耐えられずに無職になって引きこもっている世代が数万どころか数十万のレベルで存在している。彼らとしてはすでに職業人生をリタイアした状態のまま生きているわけだ。あと20年もしない時間だが、これから先にどのような老世代の社会が構成されるのだろうか。

とまあ偉そうなことを考えてみたところで、いざ自分が職業人生をリタイアした後のことなんて想像することが難しい。

とどのつまり、老後の生き甲斐を得ようとするからしんどいわけで、暇つぶしになるくらいの趣味を「現役の頃から」続けておくことが有用だと思う。また、趣味で知り合った人間関係は年老いても続くことだろう。職場での人間関係は退職すればそこで終わりだ。

さて、最近、ロードバイクという趣味をやめて小径自転車、いわゆるミニベロに乗り換えた。ミニベロという乗り物は自分なりにカスタムした方が楽しく、そのカスタムがほぼ完了した。

少し不思議なことでもあるのだが、ロードバイクの場合にはホイールやタイヤ、コンポーネントなどを新調したり、ウェアを増やしたりと、物欲が先行することが多かった。一方、ミニベロの場合にはシティサイクルの延長のようなものなので、とりわけ高価なパーツは必要ない。

ロードバイク用品と比べれば、ミニベロの場合にはタイヤやホイール、コンポは低価格帯で十分だ。軽量化なんて考えていない分、とてもタフなので交換の頻度も少ないことだろう。サイクルウェアなんて普段着や一般用の運動着でも構わない気がしている。

サイクル人生が新たなステージに移行し、一段落した実感はとても強い。その他に取り組むようなことはないだろうかとふと感じた。職業人生が残り20年を切ったので、そろそろ老後の資金について考えてみようかと思った。このテーマについては別の録で記したい。

その他のテーマといえば、職業人生をリタイアした後でどこに住むのかという話になる。いつ大地震がやってきて崩壊するのか分からないような埋め立て地に住み続けるなんて気持ちは毛頭ない。東日本大震災の時には、ドミノのように倒れた自宅の前で呆然としている多くの老人の姿を見かけた。自分はあのような状態になりたくない。

とはいえ、千葉県での生活が長すぎたからだろうか、例えば都内や埼玉県、神奈川県などにある自治体で生活するイメージが湧いてこない。

その一方で、ダテに自転車に乗って千葉県内を走り回っているわけではなくて、千葉県内のそれぞれの街についてリアルな姿を知っている。

千葉県北西部であれば、私なりには鎌ケ谷市がとても気に入っている。一部に混み合った新興住宅地があって滅入ることがあるけれど、総じて住民の皆さんが穏やかで街が静かだ。

実際に自転車に乗って鎌ケ谷市内の様々な場所を走ってみると、鎌ケ谷市のまちづくりの基本設計がよく分かる。

おそらく、市内に複数存在している駅をピボットとして病院、商業施設、および行政施設などを集めた「コンパクトシティ」を形成するという発想なのだろう。足腰が弱ってくる老人になると、買物や通院、役所の手続きなどを近距離で済ませることができると助かる。

鎌ケ谷市内にも自然が残されているけれど、市域の多くが都市化されている。ところが、実際に鎌ケ谷市を訪れてみると地図上の情報よりも圧倒的に緑が多いように感じる。鎌ケ谷市を訪れた際に感じる豊かな緑の多くは、鎌ケ谷市内ではなくて市川市や船橋市、白井市といった隣接する自治体の市域にある。

それぞれの周辺自治体には緑が豊かなエリアがあり、それらが鎌ケ谷市を取り囲んでいるような地理的状況だ。

とりわけ森や林の場合には自治体の境目が明示されているわけでもないので、どこからどこまでが鎌ケ谷市なのか分かりにくい。しかし、住心地としてはコンパクトシティなのに自然があふれているという感覚になることだろう。

船橋市や松戸市は色々な意味で荒っぽい感じがするので好まない。千葉市は老後に生活するにはエリアの密度が薄く感じ、マイカーがないと生活が不便だと思う。移動を考えるとコンパクトな街がいい。

習志野市も悪くない気がするけれど、近隣のサイクリングコースにアクセスするためには千葉市や船橋市、市川市を通過する必要があるので住みたくない。今でも苦労している。

意外なことに、老後を過ごすのであれば浦安市の隣の市川市も悪くないと感じるようになってきた。場所にもよるが、必要な施設などがコンパクトにまとまった地域があり、思ったよりも生活しやすいかもしれない。だが、趣味のサイクリングを続ける上では、市川市から近郊に移動する際に不便にも思える。

鎌ケ谷市の場合には、南下すれば都市部の湾岸エリアを走ることができ、北東に向かえば手賀沼や利根川沿いのサイクリングコース、東に向かえば白井市や八千代市の谷津道が広がっている。私は谷津道のサイクリングをとても気に入っている。

ならば、潔く白井市や八千代市で生活するのはどうかという話になる。白井市や八千代市の場合にはサイクリングコースが豊富に存在しているけれど、実際に住むとなると気が引ける。様々な施設が点在しており、マイカーがないと生活が不便になることだろう。

また、地元民の雰囲気が強くてネイティブとの間で色々と気を遣うことがあるかもない。20年後の日本は少子高齢化がより深刻になる。そうなると、現在の街並みが維持されるかどうかも分からない。

だとすれば、話が戻って鎌ケ谷市で終の棲家を探すというイメージが湧いてくる。気に入って何度も出かけているので、イメージ自体があまりにリアルだ。

鎌ケ谷市の場合には、便利なコンパクトシティで生活し、サイクリングやアウトドアについては近隣自治体の自然環境をアウトソースすることが可能性だな。

そこで考えつくのは、どの程度の規模の住宅を手に入れるかということ。

子育てに入って言動が荒くなった妻との間では、「夫婦でずっと連れ添うかどうかは、子供たちが成人した後で考える」という暫定的なビジョンの下で家庭が維持されている。共働きの子育てによるストレスで私がバーンアウトを起こしたことは事実で、その時の辛い記憶を消し去ることも難しい。

また、うちの子供たちがきちんと独立して家を出ることができるのかどうかも気になる。私としては就職して家を出てくれることを想像しているのだが、しばらくは実家から職場に通いたいという話になったりすると、それなりに広い物件が必要になる。

私が妻と別居してひとりで生活するのであれば、2DK程度の分譲マンションで十分なわけだが、妻だけでなく子供も生活する場合には築浅の中古の戸建てをリフォームすることになるのだろうか。新婚さんであれば新築もいいが、長く生きられるわけでもないのだから、あまりこだわりがない。

そもそも、私の老後のプランを妻に対して真面目に話したら、妻と共依存している義実家のLINEグループに投稿されて、ああでもないこうでもないと上から目線でとやかく言われることだろう。その時には義父も義母も他界しているだろうから関係ない話だが。いや...老いた義母が同居を希望してくるような気がしなくもない。それだけは拒否する。

そこで、現実的にはありえない老後のプランを妻に話してレスポンスを観察してみることにした。

職業人生をリタイアした場合ではなくて、全く現実味がないけれど現時点でアーリーリタイアを迎えた場合、私ならばどこに住むかというテーマで千葉県内の街を考えてみた。都内への通勤を全く考慮せず、サイクリストの視点として考えた場合には、大網白里市がいいなと思った。

自宅の周りは谷津道のサイクリングコースばかりだ。長柄の方面に向かえばヒルクライムを楽しめるコースがあり、九十九里浜で海を眺めることができ、白子町の方面に行けば温泉もある。

私はドラマの医龍の大ファンだ。市内には坂口憲二氏のコーヒー店がある。間違いなく通い詰めることだろう。

都会が恋しくなればミニベロを外房線に乗せて都内までアクセスすることも難しくない。退職金でブロンプトンを買おう。

ということで、大網白里市内の戸建て住宅を購入し、ペットとして3匹程度のドーベルマンを飼うという計画を妻に話した。たまに義実家がやかましい小型犬を連れて我が家に突撃してくることがある。ドーベルマンを飼っておけば近寄って来ないだろうという私の深層心理なのだろうな、これは。

すると、思ったよりも妻のレスポンスが大きすぎて若干引いた。スマホでネット検索して大網白里市のことを調べ始めた。しかも、妻の表情が穏やかになっている。

どうやら、妻としては子供たちが独立した時点で夫婦が別居すると考えていたらしい。妻が激高して自宅で暴れた時、私は「子供たちが成人するまでは夫婦として連れ添うが、その後は知らないぞ」と言うことにしている。

それは脅しでも何でもなくて、子供がいなかったらすでに離婚している。子育てで気が立っているのは理解できるが、子供が巣立った後も自宅で暴れるような妻と死ぬまで一緒に住むことができないという私の本心だ。

かといって癇癪持ちの妻が自制できるわけでもなく、このままでは別居コースなのだろうと考えていたようだ。

しかしながら、私が妻に伝えた老後のプランには「今度は君が長時間通勤で職場に通ってもらう」という内容が含まれていた。ということは、子供たちが独立しても夫婦で連れ添う気が私にあると妻は思ったらしい。

正直なところ、妻は子育てに入ってから言動が荒くなったが、その子育てが一段落すればこだわりが減って穏和になるような気がしなくもない。妻は犬が大好きなので、自宅に数頭飼っておけば幸せに過ごすことができることだろう。

家事についても私が担当するという生活スタイルになれば、妻としては片付けなどの面倒な家事もなくなる。なるほど悪くないアイデアだと妻なりに理解したらしい。

現実的には、老後を房総半島で過ごすというプランは私には存在しない。先祖代々住んでいたのなら抵抗がないかもしれないが、慣れていない環境で生活し続けると疲れる。Iターンのような形で都市部から地方に移住するにしても、それはもっと若い時期に行うことだろう。

その土地の人たちから考えても、いきなり近所に老夫婦が引っ越してきたら気を遣うかもしれない。

その点、鎌ケ谷市の場合には毎月のように自転車に乗って訪れているので、もはや生活圏の一部になっている。

浦安市で生活していると人口密度が高すぎて酸欠のような精神状態になり、実際に心拍数が上がって苦しい時がある。ディズニー客が我が物顔で地域住民に迷惑をかけてくる時にはなおさらだ。

そして、ミニベロに乗ってペダルを回し、鎌ケ谷市内に入ったところで急に気持ちが楽になり、冷たい飲み物を喉に流し、大きく深呼吸してストレスを解放している。この街に来るとどうしてリラックスするのだろう。

自然があり、便利な施設が集まっていて、かつ鉄道を使えば多方向にアクセスすることができる。それ以上に、その街に住んでいる人々の雰囲気が穏やかで落ち着く。隣の松戸市はもっと荒い感じがあり、白井市は冷たい感じがある。あくまで自分自身の印象によるものだが、実際に訪れているので大きく外れていないはず。それでも我が強くてせっかちなどこかの市民よりもずっと楽だが。

何より、鎌ケ谷市にはディズニーがなく、ネズミの耳を付けてキャリーバッグを引く人たちが駅や街中に押し寄せることもない。民度が控えめな京葉線が走っていないし、大きな地震がやってきて地面から泥が吹き出して街が崩壊するリスクもない。

そうか、次回のサイクリングでは谷津道に向かわずに鎌ケ谷市内をポタリングでのんびり走ってみようか。実際の老後まで20年を切ったとはいえ、そこまでアグレッシブに老後を考える必要はないのか、あるいは真っ白になった団塊世代の轍を踏まないように老後のプランを考えておいた方がいいのか。

妻は老後のビジョンなんて考えていないけれど、飼犬としてはドーベルマンではなくてパグを希望している。

私が終の棲家を見つけてパグを飼い始めれば、頼んでもいないのに妻が家に居着いてパグと楽しく生活することだろう。妻との会話や精神安定についてはパグたちに任せて、私は自転車に乗る。