2022/05/14

私立中学に子供が入学した後の意外性

自分で「名門」と呼ぶことはおこがましい話だが、二月の勝者という物語のメインストーリーで堂々と登場するくらいなのだから名門なのだろう。その学校に上の子供が入学してから2ヶ月になろうとしている。この期間で上の子供がどうなったのかというと、とても早いスピードで成長しており、父親として驚いている。さすが多数の子供たちが受験する難関中学だ。その人気に見合うだけの充実した学校生活が待っていたらしい。

自宅近くにある浦安市立の小学校に通っていた時の上の子供は、お世辞にも学校生活を楽しんでいたとは思えなかった。友達付き合い、教師たちの言動、学校全体の行事や雰囲気。この小学校のここが良いというフレーズはなく、面倒臭そうに登校し、とても疲れて帰宅していた。


私が往復3時間もかけて電車通勤に耐えているのは子供たちにより良い環境を用意するためだ。しかし、子供たちが浦安市立小学校を気に入らないのであれば、私は何のために浦安に住んで混み合った住環境や電車通勤に耐えているのだろう。

実際にこの街で生活している経験則から言うと、浦安市内の新町地域にある日の出地区には、良い意味では個性豊かな、その反対の意味では自己愛と承認欲求に充ちて付き合いにくい父親が多い。我が強くてマウンティングが好きというか。

子は親に似るわけで、彼らの子供たちが小学校に集まれば、学級がどのような状態になるのかは容易に想像しうる。

また、中学校のことは知らないが、浦安市立小学校は千葉県というよりも浦安市の教育行政の方針を色濃く映し出している。

浦安市の教育委員会は教育長と4名の教育委員によって構成されている。一般的に、教育長や教育委員については「市議会の同意を得た上で」市長が任命するという仕組みになっている。

これが何を意味するかというと、市長が任命する人物が教育長や教育委員として相応しくないと市議会議員たちが判断した場合には、任命に反対することができるという建前になっている。

とはいえ、教育行政に限った話ではないが、地方議会では色々と都合があって市長と距離が近い市議会議員が多数派を占め、議会が当局の追認機関のようになってしまうことがある。

二元代表制が定義の通りに機能しない責任は必ずしも議員にあるわけではなくて、投票権がある市民の責任でもある。市民自らが街の行政に関心があるのか無関心なのか、自分のことばかり考えるのか全体のことを考えるのか、そういった状態を映し出す鏡が地方議会だったりもするわけだ。

もとい、浦安市教育委員会に関連した資料をチェックした限り、この街では教育長および教育委員会の下部組織である教育総務部というセクションが実際の教育現場を取り仕切っている。検討すべき内容を教育総務部が準備し、教育長からの提議について教育委員が意見を言うという形だと私は理解した。

関連性を遡っていくと、その街の教育行政については市長の意向が反映される。教育行政のトップである教育長は副市長と同じく地方の役所のトップ3という位置でもあり、その人物を任命するのは市長だからだ。

現在の浦安市の教育長はどのような人物なのかというと、市内の小学校や中学校で教員として長年勤めて、この街の学校について知り尽くしている校長経験者だ。

彼は生まれも育ちも浦安市で、教育理念としては学力偏向でもなく、スポーツ偏向でもなく、芸術偏向でもなくバランスが整っていると私なりには感じた。野球部のOBということもあって、野球好きな現市長と話が合うことだろう。

典型的な新町の父親として、浦安市はもっと学力に力を入れてほしいと感じたりもするわけだが、浦安は新町だけにあらず。イジメをどうやって減らすのか、学歴以外の生き方の価値とは何か、人生の真の豊かさとは何か。そういった教育者としての理念を感じる。

これだけ多様性がある浦安市において、小中学校の方針が破綻せずに維持されているのは、教育長の存在が大きいと思う。

ここまで持ち上げておいて恐縮だが、小学校はともかく中学校からは市外の私立学校に子供を通わせることにした。浦安市の教育行政の方針に従っていると、過酷な学歴競争に打ち勝つことは難しい。小学校の段階では大きなイジメを受けることもなく子供たちが過ごせたことを感謝したい。

次に、教育委員会の実働部隊である教育総務部の正体について記す。

教育総務部は市役所の中にあるわけだから、そこで働く職員は行政職員、いわゆる事務方の「役人」だと思うかもしれない。市の施設の延長という扱いの仕事には役人が配置されるが、最も教育現場に近いセクションは役人よりも別の人たちが多い。

もっと話を掘り下げると、教育委員会の教育総務部で働いている職員の中には一般的な定義で「先生」と呼ばれる人たちが少なくない。とりわけ指導課と保健体育安全課は現役の教師が多い。どういうことかというと、公立の小中学校の教諭が千葉県から浦安市の教育総務部に出向し、役人と同じくネームカードを首に下げて市庁舎の中で働いている。

市立学校であっても現場については役人ではなく教師が熟知している。役所に教師を連れてきて行政の仕事を担当してもらうと効率的というわけだ。

一方で、教育現場に直結するセクションが出向組の教師たちで構成され、教育長は校長会のOBという形の場合、教育委員会が各学校の都合を理解することもあれば、忖度することもあるだろう。教育委員会が学校現場に対して甘いという指摘は、おそらくこの身内関係から生じるのだろう。

まあとにかく、市役所で働く先生たちは電話の接遇がフレンドリーで役人っぽくないのですぐ分かる。それと、内線電話の保留や転送があまり上手くない。先生たちは普段から声が大きいので会話の内容が聞こえてきたりする。

私は学生時代、その後の人生で全く役に立たない多数の教員免許を取得したので分かるが、現場の教師が公立学校から各自治体の教育委員会に出向することは、その街の学校における校長や教頭といった管理職への出世コースだったりもする。

将来的に管理職に昇格するような人材は、学校の中だけではなくて、その街の行政について慣れておく必要がある。そのために、現場の管理職が認めた有能な教諭を市役所の中で働かせるわけだ。当然だが、教育委員会に出向した職員たちは市長や教育長にも顔や名前を覚えてもらうこともできる。

そのようなチャンスにおいてきちんと働き、教育現場よりも余裕がある生活の中で管理職試験の勉強に励むことができれば、教頭や校長にステップアップする上で有利になるわけだ。

かといって、出世コースに乗った教諭が「教育者として優秀」なのかというと、それはどうなのか分からない。「公立学校の管理職として優秀」なのだろう。もっと踏み込めば、行政にとって扱いやすい教師とも言える。反体制的な思想を持った教師が校長になるとそれはそれで大変だが、学校内でのトラブルについて役人的に自分の責任を回避しようとして対応が悪くなるケースもある。

そのような優等生的な教師たちが出世するという仕組みが出来上がってしまったがために、教育現場での問題は旧態依然として解決されず、教師たちは我慢し、疲弊し、時に倒れ、結果として教師を目指す若者が減ったのではないか。

自分語りはともかく、教育現場を管理する立場の教育委員会や下部組織の教育総務部という存在は、役人と公立学校の教師たちによって構成されている。浦安市立小中学校に浦安市役所のテイストが広がっていたとしても矛盾しない。

それが必ずしも悪だと言っているわけではなくて、子供たちが学校に通っている時に問題が発生すると、少なくとも日の出地区の小学校の場合にはトラブルシューティングがとても速い。これは浦安市役所も同じだ。

とりわけ新浦安では多くの保護者がクレーマーになりうるという心構えが出来上がっている気がしてならない。

実際、うちの下の子供が通う浦安市立小学校の校長として今年度から着任した人物は、浦安市の保健体育安全課で活躍していたはずだ。彼は浦安市役所の職員に匹敵するくらいに行政マンとしても優秀だ。

すなわち、鋭い指摘を飛ばしうる保護者が多い日の出地区の小学校の校長として、浦安市内のエース級の教員を配置したというわけだな。

浦安市がここまで配慮してくれているのに申し訳ないが、父親に似たからなのだろうか、うちの子供たちは浦安という街をあまり気に入っていない。将来的に市外に引っ越すことにも何ら抵抗がない。

下の子供は浦安を郷土として理解しているようだが、上の子供は市外の中学に通うことで他の街の姿を知ってしまい、今すぐにでも落ち着いてのんびりした街に引っ越したいという気持ちになった。

上の子供は朝早くから電車に乗って時間をかけて通学しているわけだが、浦安市立小学校に通っていた時よりもずっと元気にドアを開けて出発している。

「今日はこんなに楽しいことがあった!」とか、「あの先生の授業はとても面白い!」とか、「うちの学校はこんなに素敵なんだよ!」と喜んでいる。

上の子供としては入試の前の見学説明会でこの学校をとても気に入り、第一志望校として受験した。その学校に合格して入学したわけだが、「こんなはずじゃなかった...」という展開にならなくて安堵した。

また、親としても決して少なくない金を出して私立学校に子供を通わせているので、学校生活がより楽しく、より充実していることは父親としても喜ばしい。

私立中学に子供が合格すると、あくまで「任意」という形ではあるけれど寄付金を求められることが多い。一口で10万円くらいの金額で給食費やPTA会費どころの話ではない。寄付を拒否することで子供の扱いが変わるという話ではないと明記されているが、突っぱねることは難しい。

その分、施設は充実しているし、図書館には膨大な数の本が並んでいる。自分が贅沢するよりも子供の教育に金をかける気持ちにはなる。

それにしても、「授業が楽しい」という上の子供の感想は、私にとって意外に感じられた。「授業が楽しい」という感想の背景には、担当する教員の授業研究が関係するのか、あるいは学校として自由な授業が認められているのか。

私自身は中学校において楽しいと感じた授業を経験したことがほとんどない。

遠い昔の記憶なのであまり正確ではないけれど、公立中学校に通っていた頃の私にとって、学校の授業はとても面倒でつまらないものだった。教科書を読むだけで理解しうるような内容をわざわざ教師が板書し、生徒が描き写し、この作業に何の意味があるのだろうかと思った。

ということで、深夜ラジオで夜更かしを楽しみ、授業中は居眠りを続け、部活でスポーツを楽しみ、定期テストの前だけ頑張って満点近い点数を取り、再び深夜ラジオで夜更かしするという生活だったな。

結局のところ、公立中学校という場はその地域に住んでいるという枠だけで子供たちが集められ、まるで社会に見合った規格品を作るかのような教育がなされていると子供ながらに思った。

大人になった今では、それが義務教育として仕方のないシステムだと感じはするし、私のように規格品になれない人物は規格外の場で生きていくしかないことを身をもって学んだ。

そういえば、楽しかった授業を思い出してみると、体育の時間に担当の教師が「今日は川で泳ぐぞ」と言い出して、同学年の男子たちが水泳パンツのまま近くの川に行き、そこで川遊びを楽しんだことがあったな。数十年前だから許されたことかもしれないな。今の公立中学校で同じことをやったら大問題になることだろう。

それ以外のエピソードは何だろう。美術の授業中に絵を描いていて、隣の教室で不良の番長と担任の教師が殴り合いの喧嘩を繰り広げ、机だか椅子だかが窓ガラスを破って飛んで行ったことがあったな。

その番長は、今では立派に成長して郷里の地方議会の議員になり、今度は首長や当局とやり合っている。そのうち首長になることだろう。

ああそういえば、これは間違いないエピソードだが、30代くらいの独身のセクシーな国語の先生がいて、いつもレビンに乗って登校して、黒いミニスカートを履いて歩いていた。栗毛に染められた綺麗な髪と薄い色の瞳。とても美しい女性がどうして独身なのだろうかと思ったが、おそらく職員室で浮いてしまっていたのだろう。

多感な思春期の私はもちろんだが空想の中で大変お世話になっていて、彼女の授業をどうしても受けたくて仕方がなかったわけだが、不幸なことに別のクラスの担当だった。

頼まれてもいないのに私がいるクラスにやってくる熟年の国語教師が体調を崩して、その先生がクラスにやってきた時、私は居眠りもせずにきちんと授業を受けて、黒板も見ずに腰と美脚だけを見つめていたという記憶が残っている。

そうか、私が深層心理の中で思い描いているセクシーな女性像のプロトタイプは、公立中学校に通っていた時に強烈に焼き付いた国語の先生の姿だったわけか。妻のタイプとずいぶん違う。

さて、真面目な話に戻ると、現在の公立学校の現状はどうなのか。

公立小中学校において教員不足が深刻化しているそうだ。かつては公務員として経済的に安定し、社会的地位もあるとして若者たちから人気があった公立学校の教員という職業。しかし今では辛くて厳しいブラックな仕事として若者たちから敬遠されるようになってきたらしい。

教員採用試験の倍率は大きく落ち込み、あまり競争率が高くない公務員の典型になってきた感がある。その原因はシステムの問題点を放置し続けた教育行政にあることは間違いない。教育現場について真剣に考えて意見する教師が出世せず、現状のシステムに従順な教師が出世して校長なり教育長になったならば、それは当然の結果とも言える。

このままでは教員がさらに足りないということもあって、実務経験はないけれど免許を有している人たちを教壇に立たせようという状況になっていたりもする。そのベースとなっている変化は、批判が多い教員免許の更新制度だ。私を含めて免許を更新せずに教員免許が失効した人であっても、所定の研修を受けることで有資格者に戻ることができるそうだ。

これが何を意味するのか。大型車の免許を持っているペーパードライバーがトラックを運転するようなものだろうか。あるいは閉鎖的な学校の「外の」社会を知っている人が学校の中に新しい風を入れてくれるのか。その結果は分からない。

まあとにかく、公立学校において子供や親が求めるニーズを求めたところで、現状では教員たちには余裕がない。私が眺めた限り、現場の教師たちは疲れ切っている。その内面は子供たちにも影響する。

他方、上の子供が通っている私立の中高一貫校は教師たちが元気だ。人手が不足すれば有資格者を引き抜いてきたり、勤務する上でも相応の条件を用意しているのだろう。苛烈な残業もなく、保護者からの不条理なクレームもなく、教師としての仕事に専念することができる。

私の友人の中に私立中高一貫校の教師になった人がいるが、条件が良くない学校に勤めて我慢ができなくなると、さっさと転職して別の学校に移ることにしているらしい。その度に引っ越しするので年賀状の宛先が変更になる。

公立小中学校の先生たちは、パワハラに近いプレッシャーをかけてくる管理職や保護者がいても異動を待ちわびながら耐えることがあるかもしれないが、私立学校で同じことをやると学校が傾く。裏を返せば、公立学校から私立学校に教員を引き抜くというスキームが存在しうるということだな。

それにしても、上の子供が通う学校は首都圏で人気がある名門というだけのことはある。授業のカリキュラムの進行がとても速く、内容が深い。中学三年生で高校一年生の内容を完了させるのだから、速くて当然かもしれないが、詰め込みというスタイルではなくて「何を学ぶか」という焦点に基づいて教材の内容が整理されている。これは凄い。

それ以上に私が最も驚いたのは、上の子供が家庭で自学自習に取り組むようになったこと。

中学受験の時には数え切れないくらいに妻から叱責され、塾講師からプレッシャーをかけられても学習をサボっていた上の子供が、自分で机に張り付いてカリカリと鉛筆の音を立てながら勉強している。

上の子供が通う学校では、朝早くから夕方遅くまで授業がずっと続くというわけではなくて、思ったよりも早い時間に授業が終わり、その後は帰宅したり部活動に参加するらしい。

その反面、学校から提出を求められる宿題や予習復習を処理しないと、その後の授業に付いて行けずに困るということもあるのだろう。この学校に限らず進学校ではよくある話で、先生や親から言われなくても自分で勉強するような集団心理が生徒たちの中に生まれる。

そして、生徒が自学自習を積み重ねることを前提として授業計画が立てられ、ハイスピードかつハイレベルな授業が展開されるわけだ。公立中学校でこのような授業を展開すると学習内容に付いて行けなくなる生徒が増え、保護者からもクレームが飛んでくる。

私としても妻としても、上の子供が同級生と切磋琢磨してトップグループに入ることを求めていない。名門中学には、それぞれの公立小学校でトップクラスの学力だった子供たちが集まる。その中でさらにトップ集団に入るなんてかなり厳しい。なので、我が子は深海魚にならない程度に頑張ってくれればいいと思う。

上の子供の話を聞いてみると、授業だけでなく学校生活全体がとても楽しいらしい。中高一貫校の場合には中学一年生と高校三年生が同じキャンパスに通っている。子供は年上の姿を見て学ぶことが多く、先輩たちとの交流が精神的な成長に繋がるのかもしれない。

加えて、私は中高一貫校に通ったことがないのでよく分からないが、その学校に通うことで自分たちの連帯意識やアイデンティティが形成されるらしい。

具体的に言えば、自分が通っている学校の同級生や先輩および後輩、さらには教師の先生を加えてひとつのプライドや存在証明が生まれるそうだ。学校の校風を学び、自ら入学試験を受験して入学するわけだから、個性はあったとしても価値観が大きく違わないことが関係するのだろうか。

公立中学の場合には、その地域に通っているから集まっただけのことで、学校全体のアイデンティティというよりも、部活レベルのアイデンティティが精一杯ではないだろうか。むしろ、その学校の中で自我同一性を主張し、勉強やスポーツに取り組んでみたり、何か目立つことをしようとしたり。

上の子供が学校に通っている姿を眺めてみると、かなり個性的な同級生が集まっていることは分かるが、それぞれの個性が軋轢を生んでいない。その学校を基軸に集団としてのアイデンティティが形成され、その一員になることを心地よく、あるいは頼もしく感じているようにも思える。

そういえば、昭和初期の大学生たちは、自分が通う学校に誇りや連帯感を持っていたらしい。

あえて表現するのであれば、その姿に似ている気がする。子供の頃に6年間も同じ中高一貫校に通った同級生たちは、大人になっても気心が知れた仲として付き合っていけるかもしれないな。

さて、もう少しすると私立中学校でも定期試験が行われる。入学していない段階では学校のスタイルが分からないので、学校以外の補助的なサポートをどうするのかについては、定期試験の結果を見てから考えることにした。

中高一貫の進学校の場合には授業だけでも精一杯で、塾あるいはオンラインの家庭教師を追加すると学習内容が破綻するリスクがある。公立中学と違ってカリキュラムが速いので、学外の教育サービスについては授業で取りこぼした内容をフォローするという位置付けになることだろう。

中学の段階で落ちこぼれないこと、そして最終的なゴールは「将来の職業」をきちんと考えた上で大学受験に挑むことだな。とはいえ、将来の職業なんて私自身がよく分からないままたどり着いた感があったりもするし、親が考えたところで子供が満足するとも思えない。

父親としてのアドバイスとしては、将来的に潰しが利く資格を取得する方向を勧めることが第一選択になる。しかし、子供の希望や適性を踏まえると分からないことばかりだ。

ああ、そういえば、私立中学校においても保護者会が組織されているが、公立学校のPTAのような旧態依然とした組織ではなく、無理に役員を担当させられたり、保護者活動を強いられるわけではないことを知って安心した。