千葉市の海浜幕張でミニベロのポジション出し
休養に加えて趣味の自転車を楽しむ時間を増やすことで、随分と心身が楽になってきた。前回のライドにて江戸川の河川敷でミニベロのポジション出しを行い、たくさんの改善点を認めた。そこで、各部のセッティングを調整することにした。自転車という趣味は乗って楽しく、整備も楽しい。
ミニベロのポジション出しにおいては、ステムの長さや高さよりも、サドルのセッティングが重要だということに気付いた。ネット上には様々な情報が溢れているが、ブルーノのミニベロのポジション出しについての情報は限られている。
私の文章は自分が読んでも疲れるくらいに長文で回りくどいので、ブルーノのセッティングについて手っ取り早く知りたい場合には、下記の「◆」のマークまでスキップ。
サドルの調整と言っても、高さと前後位置、傾きといったパラメーターがとても多い。これまでの経験が役立たないのであれば、潔く何度でも自転車に乗って感覚を確かめ、再セッティングして自転車に乗る。現物合わせでポジションを出すことが最適解なのだろう。
今までロードバイクやシクロクロスバイクに乗ってきたが、腰痛や坐骨の痛みに苦しむなんて久しぶりのことだ。では、それらの痛みがどうして生じたのかを考えると理由はたくさんあるが、ブルーノのフレームの特性をあまり良く分かっていなかったことが根本にある。
私なりの印象として、ブルーノのフレームのジオメトリーはホイールベースが短く、同様にC-Tが短いと理解していた。C-Tとは芯-トップの略で、ハンガーシェルの中心からシートチューブの上端までの距離のことだ。
ブルーノのフレームは廉価版から上位モデルまで同じような設計になっていて、私が乗っているスキッパーのC-Tは510mmというワンサイズのみだ。私の体型から考えると上位モデルにラインナップされている540mmの方が適していたのだが、在庫がなかったので510mmのフレームに乗ることになった。
このフレームは自分には小さめだと思い込んでいたので、ステムやサドルのセットバックを長めに調整していた。しかし、スキッパーのトップチューブは思っていたよりも長く、シートチューブが後方に傾いている。つまり、ハンドルとサドルの間隔を広げ過ぎて、真逆のセッティングを施していたわけだ。
実際には深く考え込む必要はなかったらしい。これまでの最適なポジション、それと乗ってみた感覚を頼りに調整した方が手っ取り早い。
何度も何度もステムやサドルのセッティングを見直して答えを見つけることにした。最終的なセッティングは定石通りだった。
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① サドルの上に板を置き、前端と後端を結ぶラインを水平にセットする。
② いつも使っているシューズ(自分の場合はフラットペダル用のトレールライダー)を履いてサドルに座り、母指球ではなくカカトでペダル軸を踏んでも力が入るギリギリの位置を目安としてサドルの高さを調整する。位置確認のためシートポストにビニルテープを貼っておく。
③ 壁の横でサドルに座って走行姿勢をとる。左手でリアブレーキをかけ、クランクを3時の方向にセットして(シューズを履いたまま)右足の母指球でペダル軸に力を入れる。この状態で、膝皿の裏から下の鉛直線がペダル軸の中心を通るようにサドルの前後位置を決める。その際には重りを付けたタコ糸を使う。
④ 上記③を決めた段階で②に戻り、サドルの高さを微調整する。
⑤ レーシングパンツではなく普通の下着を履いてサドルの上に座り、違和感が少ないサドルの傾きを探る。
⑥ 上記⑤が決まったら、実走でサドルのセッティングを確認する。
⑦ 実走から帰ってきたら、その時点でサドルのセッティングを確認する。走る前より走った直後の調整が重要。膝の前に違和感や痛みがある時にはサドルを5mmくらい上げる。膝の後ろに違和感や痛みがある時にはサドルを5mmくらい下げる。シューズを変更するとサドル高が微妙に変わる。サドルの前後は膝皿裏の鉛直線がペダルの中心を通る位置で固定。登り坂のシッティングで腰や尻が安定する感じがある時はサドルを少しだけ前上がりにする。平地走行で尿道付近に違和感や痛みがある時にはサドルを少しだけ前下がりにする。
⑧ 実走と⑦の調整を繰り返す。その際、個々の実走でのサドルのセッティングと感想を記録しておく。記録がないと沼にハマる。
⑨ ハンドルの高さやステムの長さについては、サドルのセッティングが固まってから調整する。実走後に首に違和感や痛みがある時にはハンドルを上げる。手の平や手首が痛い時にもハンドルを上げる。尻が痛すぎる時には前傾が足りないのでハンドルを下げる。
⑩ 猫背になり過ぎてベルト周りの腰部に違和感や痛みがある時には少しだけ長いステムに交換する。背中が伸び切って腰が痛む場合には、少しだけ短いステムに交換する。肩甲骨の付近に違和感や痛みがある時にもステムを少しだけ短くする。ステムを長くするとハンドリングが安定する(ダルくなる)。ステムを短くするとハンドリングがクイックになる(小回りが利く)。体格やポジション、乗り心地の好みが関係するのでステム長の最適解は人それぞれ。
その他:サドルの種類はBROOKSのカンビウムC17で一択。穴開きの方が柔らかく、穴無しの方が安定する。両者は好みで決める。座骨が痛いからといってコンフォート系のフカフカのサドルに交換しても、長時間のライドでは痛くなり、蒸れて辛くなる。ただし、カンビウムでオジギ乗り(やまめ乗り)を試すと股間を痛めることがあるので注意する。私も痛めた。
あくまで自分なりのセッティングは以上。ロードバイクと比べると、ミニベロは路面からの衝撃が大きく、ハンドル位置もアップライトなので、いくら調整しても完全に尻の痛みを消すことは難しい。逆に首の痛みは少ない。
あくまで私の場合、サドルのセッティングについてはロードバイクと概ね同じ条件で落ち着いた。ただし、サドルの傾きについてはロードバイクよりもシビアだった。
サドルの座面の水平が良いのか、前後端の水平が良いのかはよく分からない。サドルのメーカーの設計や個人の座骨の形にも関係するはずなので、実走で確かめるしかないように思える。
また、ハンドルの高さや前後位置は、サイクリングのスタイルや頻度、強度によっても変わるので、あまり神経質にならずに、サイクリングから帰ってきて調整することにした。ミニベロの場合にはステムの高さや種類が固定されていたりもするので、ある程度は妥協が必要なのだろう。
そして、セッティングが完了し、ようやく満足してサイクリングに出かけることにした。今回のサイクリングルートは千葉市の海浜幕張エリア。
自分でフレームまでバラしてから組み上げたブルーノ・スキッパーは、千葉県北西部に広がる谷津道という農道を走るというコンセプトでカスタムを施した。谷津道はアスファルトで整地された車道もあるし、畦道もある。
これらのコンディションに耐えられるように太めのブロックタイヤを履かせ、重量を度外視してタフに仕上げた。
すると、勢い余ってグラベルを走ることができるミニベロが出来上がってしまったらしい。江戸川河川敷の荒れ地をミニベロで走って確信した。砂利道や草むら、さらには水溜りに突っ込んでも前に進む。どうしても無理な場所はミニベロを担いで進む。パスハンターのミニベロ版だな、これは。
グラベルまで走破しうるミニベロが出来上がったということは、「あの道路」も難なく走ることができるのではないかと思った。その道路が千葉市の海浜幕張にある。
浦安から船橋を抜け、千葉船橋海浜線から海浜大通りを直進して千葉港を往復するルート。河川敷のサイクリングに飽きた千葉県北西部のサイクリストであれば一度は訪れたことがあることだろう。ここから花見川サイクリングロードに入ることができたりもするので、それなりに重宝する。
浦安から南船橋を抜ける時にはどの道を通っても混み合っていて楽しくない。
しかも、船橋は自転車にしても自動車にしてもおかしな人に出くわす頻度が高い。ディーキュー何とかという品のないアルファベットのスラングを使うつもりはないが、接触するかもしれないタイミングで突っ込んでくる人や、オラついてくる人。一言で表現すると粗暴な人が多い。浦安も似たようなものだが。
鬱陶しい船橋市内の道路を抜け、気を取り直して千葉市内に入る。千葉市の美浜区にある海浜幕張は、私が住んでいる浦安市の新町と同じく埋め立て地だ。
浦安市の新町には狭い土地にマンションやディズニー客のためのホテルが建ち並び、過密な人口密度の下で自動車や歩行者が道に溢れ、もはやサイクリングを楽しんでいるような状態ではない。市内にあるサイクルショップが客を集めて浦安一周のサイクリング企画を催していたりもするが、あのようなコースを自転車で走って何が楽しいのかと私は疑問に思う。
海浜幕張の場合にはどうなのかというと、県道15号や海浜大通りといった海沿いの車道はとても混み合っている。その混み方は国道14号のような渋滞の状態ではなくて、国道357号のような状態だ。多くの自動車が速いスピードで突っ走っていく。
ロードバイクに乗っていた頃は、海浜幕張の車道で自動車に煽られながら必死にペダルを回していた。交差点で無理に左折してくる自動車に巻き込まれかけたことだって何度もある。
運転免許の更新で担当の警官だか嘱託のスタッフだかが嘆いていたが、千葉県民は自動車の運転が荒い。それは死亡事故等の統計においても明かな特徴があり、せっかちで我が強い海沿いの千葉県民の性質を反映しているとも思える。
とても興味深いことに、千葉県内であっても海に面していない自治体の住民は自動車の運転が穏やかで、サイクリングに出かけても配慮してくれることが多い。海の有無でどうして地域の人々の性格が違うのかは分からない。
市川市民の場合には、行徳エリアの人たちの自動車の運転はとても荒く感じるが、北部の鎌ケ谷市に近づくにつれて人々が優しくなる。
まあとにかく、最近の私は余程のことがない限り海浜幕張までサイクリングに出かけることはない。ミニベロに乗って車道で煽られたらとても危険だ。だが、オールロード仕様のミニベロであれば、海浜幕張のあのルートを走ることができるかもしれないと思った。
そのルートとは、県道15号から海浜大通りに続く幅の広い歩道。
行政の仕事、いわゆる「お役所仕事」においては、明らかにニーズが少ないにも関わらず道路や施設を作って失敗するというパターンがある。浦安市内にも閑古鳥がけたたましく鳴いている施設がたくさんある。
私が住んでいる浦安市内の日の出地区には、海岸の野鳥などを観察するための施設が作られたのだが、野鳥よりも閑古鳥の方が目立つ。一体、誰が必要としたのか分からない。建設費や維持費だけでも大変な金額になる。
一方、あまりニーズがないかもしれないけれど、そのエリアの環境や可能性を考えると「作らざるをえない」ために作ってしまい、結果として利用者が少ないという道路や施設もある。海浜幕張のエリアはその典型かもしれない。
埋め立て地に広い車道を整備し、その横に広い歩道を用意したわけだが、千葉県や千葉市としてはより大規模に地域を開発したかったのだろう。
千葉市内のバイパス道路は確かに需要に見合ったもので、多くの自動車が通行するようになった。大型ショッピング施設へのアクセスも良好だ。
しかし、エリアの面積が広すぎたからなのか、企業の誘致が想定よりも少なかったからなのか、理由はよく分からないが施設が点在している。それぞれの施設の周辺を離れると歩行者や自転車の往来が一気に減る。徒歩や自転車に乗って施設の間を移動するには距離があるので、マイカーやバスに乗って移動した方が楽だ。
その結果、幅が広い歩道を通行する人の数はまばらで、自転車レーンは閑古鳥が鳴いている。かといって、完成した後の歩道の幅を拡張することは難しい。最初から広めに歩道を整備しておけば潰しが利く。ゆえにこうなったのだろう。
とはいえ、海浜幕張を自転車で走る人のパターンとしては、海沿いの施設等を利用している地域住民、あるいはトレーニングやサイクリングとしてスポーツ自転車に乗っている人たちに分けられるはずだ。
前者は主にシティサイクルで施設と自宅との最短距離を行き交うので、わざわざ回り道で長い自転車レーンを通行しないことだろう。
後者はそもそも歩道を走らずに車道を走ることがほとんどだ。歩道の段差をロードバイクで乗り越えるたびにストレスがかかる。
つまり、立派な歩道を整備して自転車レーンまで用意したけれど、実際にはあまり使用されずに放置されてしまっている。これだけ長い道路の管理費はかなりの金額だろう。もったいないので、貸し切りのような自転車レーンをミニベロで走ることにした。
しかも、この歩道沿いには何軒かのコンビニがあったり、利用者が少なくて汚れていない公衆トイレがあったり、海沿いに自販機コーナーがあったりと、河川敷のサイクリングコースよりも恵まれた環境だったりもする。
前回のライドと異なる点として、フロントフォークにライトホルダーを取り付けてみた。
スキッパーのフロントフォークにキャットアイ純正のライトホルダーとサイクルベースあさひのワンタッチフェンダーを取り付ける場合、55mmの長さのM6ボルト、ステンレス製の幅広ワッシャー、厚めのナイロンナットで無理なく固定することができる。ボルトの長さはスペーサーの厚みに応じて調整する必要がある。
ただし、ブルーノはカンチブレーキが標準仕様なので、その場合にキャットアイのライトホルダーが取り付けられるのかどうかは分からない。私はコンパクトVブレーキを使っているが、ノーマルアームのVブレーキの場合にはホルダーとワイヤーが接触するかもしれない。ブルーノに乗っていない人には無用のマニアックな知識だな。
それにしても、ゴールデンウィーク中にも関わらず、海浜幕張の車道を走るロードバイク乗りがとても少ないことに驚いた。先日に江戸川の河川敷を走った時も同じ感想を持った。
コロナ禍がどの程度の影響を及ぼしているのか分からない。しかし、ロードバイク乗りが明らかに減っているように思える。趣味としては金がかかりすぎるからなのか。単に飽きてしまったのか。
ロードバイクを降りた中年男性が次の趣味としてカメラに移行することがよくある。以前はカメラを趣味にしている人がもっと多かったが、機材の高機能化と値上げが繰り返された結果として一部のマニアックなファンのための趣味になったと思う。おそらく、ロードバイクについても趣味人口はさらに減り、新規に始める人が少ない状態になることだろう。
貸し切り状態で延々と続く自転車レーンを快適に走りながら、これまで煮詰めてきたポジションを検討する。ステムの高さや長さについてはこれで十分だ。もはや調整する必要はない。
サドルの高さや前後位置も問題なし。ただし、サドルの傾きについては要検討。水平よりも前下がりに調整したサドルの座面のフィッティングが今ひとつだ。この自転車のフレームに身体が慣れてきたという変数もあるのだろう。帰宅したら座面を水平にしよう。
海浜幕張を抜けて千葉港の付近を走り、気が付くと市原市の近辺まで走っていた。時間があれば100kmライドが可能なくらいに負担が少ない。ミニベロの場合にはロードバイクに乗っていた時よりも路面の振動や衝撃が気になるが、上手くポジションが出てくると身体がどこも痛くならないという状態になってくる。
往復80km程度で引き返して浦安に戻ることにした。
今回のサイクリングにおいて頭の中に浮かんできたテーマは、「成功体験」と「失敗体験」だった。
仕事であっても家庭であっても、様々な失敗を重ね、たまに成功し、全体としてまあそんなものだと生きている。しかし、失敗だけが続くと心が疲れ、再び失敗するのではないかという恐れが生まれる。
バーンアウトにしても、パニック障害にしても、うつ病にしても、心が疲れた時には何かを実行する気力が萎えて鎖で縛られたようになってしまうと思う。
その鎖を断ち切るためには、些細なことであっても成功の体験を積み重ねることが大切なのだなと思った。
自己愛が異様に強い人たちは、現実的に失敗を繰り返しても、それを失敗だと認識しないのだろう。たとえそれが失敗だったとしても自分に非があるとは決して認めず、他者のせいだと考える。
自己愛モンスターの中に強靱なメンタルを有している人が多いのは、失敗経験によるダメージが効かないからではないか。自分は正しい、1ミリも間違っていないと自己を肯定し続けるわけだから。
他方、現実を真正面から受け止めてしまう人たちは、失敗の経験を反省し、その経験を次に活かそうとする。だが、その経験をあまりに多く蓄積させてしまうと、自己否定によって雁字搦めになり、モチベーションが枯渇して前に進めなくなることがある。
長時間の電車通勤に苦しんだり、家庭で妻が大声を上げて暴れたり、子供たちが親の言うことを聞かなかったり、義父母が自宅に突撃してきたり。辛いことが連続すると、私は自分の人生がどこで失敗したのかと何度も振り返る癖がある。
それらの苦しみは全てが失敗によるもので、自分の生き方そのものが失敗だったと感じ、もはや生きることが嫌になってうずくまるような絶望感に襲われることがある。
だが、そのような負の思考の淵の中で、ささやかな成功体験さえも無視して生きてはいないか。
「大丈夫、これくらいならば何とかなる」と考えて行動し、実際に何とかなった経験についてもきちんと受け止めることで、それらが正しい意味での「自信」に繋がる。すると不思議なことに身体や心が思った通りに動く。自分を信じてやることはモチベーションの維持において重要だな。
廉価なミニベロを手に入れて、フレームだけになった姿を眺めて呆然としていたが、少しずつ手を加えてまともに走るような状態になった。それだって立派な成功体験なのだろう。
仕事にしても家庭にしても、自分なりに努力したところで上手く進まないことはよくある。上手く進むことの方がずっと少ない。それでも心折れることなく生き続けるためには、身近なところで自分を信じて行動し、上手くいった経験を忘れずに蓄積すること。それが心の疲れを減らしてくれる。
帰りの海浜幕張から眺めた海は、今までと何も変わらないように思えた。しかし、海辺を歩く人たちの姿はどこかリラックスしているように感じた。マスクを外して談笑しながら歩いているカップルや家族連れも散見された。コロナ禍が落ち着いてきたという社会的な状況もあるのだろう。
私が海を眺めている横で、強面の若い男性も海を眺めていた。筋骨隆々な身体は服の上からでも分かるくらい。後頭部で長い茶髪を束ね、側頭部を刈り上げている。世紀末覇者というイメージだ。この状況で突然に熊が出没したら、彼は素手で戦うことだろう。
千葉県は広いので、未だにヤンキーや暴走族がいたりもする。彼らはヤンチャだけれど、都内の本当に危ない人たちよりも純粋で、性根は曲がっていなかったりもする。しかし、彼の本業がプロレスラーだったとしたら、私の思考はとても失礼な内容ということになる。いくらおかしなことを考えていても、黙っていれば分からない。
その後、マリンスタジアムから膨大な数の人々が歩道に溢れ出てきて驚いた。デイゲームを観戦した野球ファンたちだ。貴重なゴールデンウィークに野球を観戦するという行動は、野球に何の興味も関心もない私には不思議に思える。しかし、趣味は人それぞれだ。私がサイクリングを楽しんでいるように、彼ら彼女らも野球を観戦することでリフレッシュするというわけだな。
派手なウェアを着た千葉ロッテファンのテンションにも圧倒されたが、対戦相手のソフトバンクホークスのファンを見かけてさらに驚いた。わざわざ福岡から千葉まで野球を見るためにやってきたのだろうか。近くで会話を聞いてみたところ、非常にコアな九州弁だった。間違いない。
福岡からはるばるやってきたのだから、おそらく観戦の前もしくは後にディズニーに立ち寄ることだろう。
なるほどそうか、社会は感染症の脅威を乗り越えようとしている。このような気付きも変化の一端に他ならない。平凡だと感じていた日常がようやく戻ってきたことを実感して、少し気持ちが楽になった。それだって社会レベルの成功体験という解釈になる。