2022/04/25

ゴールデンウィークが明けるまでは焦らずに

五十路近くまで生きてくると、1年間の調子の浮き沈みでさえルーティン化してくる。年間ベースの出来事を「ルーティン」と表現するのは気が長く感じはする。しかし、時の流れがとても早く感じるオッサンの感覚の中ではルーティンと表現して妥当かなと感じもする。

3~4月に調子を崩し、強い目眩や倦怠感、吐き気、動悸、頭痛といった症状に苦しむのは毎年のことだ。気温だけでなく、職場の人事、家族との人間関係、さらには春先に活発になる人たちの波に疲れてしまう。私は変化にとても弱い。その変化が一気に押し寄せる春先に大きなストレスを感じ取ってしまうわけだ。


それにしても、今年の木の芽時の不調はとても厳しい。目眩によって倒れたり吐き気を催したりと、ここまで心身が沈み込むのは何年ぶりだろう。バーンアウトから回復しかけた2019年頃よりも酷い状態だ。

とはいえ、オッサンになってくると自らの不調さえも適当にごまかして職場や家庭でやり過ごし、どこかで適当に全体の達成度を調整するという老獪さを身につけてきたりもする。元気な若者が元気をなくすと目立つが、くたびれたオッサンが普段よりもくたびれていたところで大して目立ちもしない。

いきなり仕事を休むとか家庭で寝込むとか、まあそういった明かな不調でない限り、同僚も家族も気にしないといったところだろう。

人生の軌道がほぼ固定され、自らの評価の基準が他者ではなく自分自身に移行し、残りの人生をどのように生きるのかと自問自答してしまうオッサンのお年頃。そのような思秋期において調子を崩すと、もはや諦めにも似た暗霧のような思考が頭の中を覆う。

このような時には焦らずに沈んだまま回復の時を待つ。そして、無理に行動せずに禅やマインドフルネスによって脳内のストレスを緩和し、少しでも気が向けば自転車のペダルを回す。

クリニックを受診することもなく、何かの薬を飲むわけでもなく、自分自身を苦しめている要素を整理して考え、地に足を付けるどころか地に伏せたままで回復を待つ。それらがバーンアウトの井戸から這い上がってきた自分なりのやり方だ。もはやルーティンと呼んで構わないかもしれない。

ところが、今年の木の芽時は自室でスピンバイクのペダルを回すことさえ億劫になるほどの倦怠感を覚えた。休日になると溜まりに溜まった洗濯物を干し、荒れ放題の自宅の中を片付け、水回りを掃除し、それらが終われば自室でぐったりと横になる週末が多かった。

うちの妻はADHD傾向があって、整理したり片付けることが苦手。いわゆる「片付けられない女性」というタイプだ。男女は同棲というお試し期間の後に結婚した方がいいと思う。結婚前の妻は実家暮らしだったので、おそらく義母が家庭の掃除をやっていたのだろう。

油断すると玄関先に妻子が脱ぎ散らかした靴が放置され、カバンや上着が廊下を塞ぎ、洗面台に髪の毛がまき散り、思い出すだけで気分を害するくらいに荒れた状態になる。

残念なことに、整理や片付けが得意な私の遺伝子は子供たちに伝わらなかった。妻から子供たちへの躾は期待できない。結果、子供たちの部屋も荒れ放題になり、子供たちは掃除や洗濯といった家事を全く手伝わない。こんな状態で大人になって家庭を持ったら配偶者が苦しむことだろう。私のように。

週に1回は私が片付けたり掃除しているが、それ以外はできるだけ自室から出ず、荒れた状態を視界に入れないようにしている。キッチンのシンクで食器と残飯がミルフィーユのように多層を形成し、排水溝のゴム製の蓋が皿の上に乗っている状況を目にした時には気を失いそうになるが、もう仕方がない。

木の芽時の私はとても弱っているので、それらをこまめに掃除するだけの余裕が残っていない。週末に辛うじて片付けているが、この家庭から私がいなくなったら数週間で家の中はゴミ屋敷になってしまうことだろう。

それにしても浦安という嫌な街での生活は凄まじい。確実に精神を蝕んでいく。

あまりに症状が酷い時には仕事を休んで自室で倒れていたこともあった。職場の同僚たちには、「年甲斐もなく自転車で100kmくらい走ったので疲れただけ」と説明したのだが、それを信じてもらえるくらいに自分はくたびれたオッサンになっているということだろう。

今年の木の芽時において、どうしてここまで重いストレスを受けたのか。その理由を察することは難くない。

ひとつは、2020年から2021年にかけてコロナ禍で制限されていた人の流れが、2022年になって一気に活性化したこと。あまりに人口密度が高い住環境だけでなく、大きなキャリーバッグを引きながらディズニーに押し寄せる若者や家族連れの姿、そして長時間の電車通勤といった様々な場面で自分の脳に情報が入力される。

感覚過敏を有している私にとっては、大波に巻き込まれるようなストレスを感じ取ってしまうわけだ。

加えて、自宅においては妻が大声を上げて怒鳴り、子供たちが母親に反抗して大声を上げて怒鳴り、私は耳栓を付けて自室に閉じこもるような日々が続いた。

春先において妻の精神が不安定になって暴れるのは毎年のことで、私がそれをルーティンとして受け入れることは今でも抵抗がある。私の実母は激しい癇癪持ちだったので、家の中で毎日のように怒って暴れていた。妻はそのようなタイプではないと思って結婚したら、そのようなタイプだった。

では、どうして例年にも増して妻のボルテージが上がっているのかというと、ひとつは子供の入学時期のストレス。上の子供が市立小学校に入学する際にも同じように激しく暴れた。

今年の場合には上の子供が私立中学校に入学した。思考の容量があまり大きくない割に自分で仕切ろうとする妻の頭の中はすぐに限界に達し、その感情を怒りとして家族に投げつける。

加えて、すでに話が決まった後で妻から伝えられたのだが、今年が始まってから妻は私に相談せずに転職活動を続けていた。現在の職場の待遇や内容に不満があり、愛想が尽きたので転職することにしたらしい。

子供が生まれてからも離職せずに職業人として生き続けてきたわけだから、実務年数やスキルについては問題ないことだろう。むしろ、子育てが一段落した中年女性の方が、同世代の中年男性よりも戦力になると思う。表現は乱暴かもしれないが、オバサンは歳を重ねるごとに経験と要領を積み重ねるだけでなく活力が落ちにくい。一方で、オッサンは歳を重ねるごとに説教臭くなるだけで活力は落ち続ける。

しかし、全てが決まった後で夫に報告するところがアレだな。まるで、いきなり脱サラして店を開くと言い出す昭和のオッサンのようだ。夫にも色々なタイプがいる。世帯収入が減らないのであれば私は気にしないが、亭主関白な夫であれば激昂するかもしれない。

さらに、最近になって妻の妹、私にとっての義妹が結婚することになったのだが、どうやら一般的なルートではなくて、先に子供を授かったらしい。若者たちであればデキちゃったという表現になるが、すでにアラフォーの義妹としては幸いにも授かったと表現した方が適切だろう。

妻や義父母がそのことを内緒にしていても、話を聞きつけた我が子たちが「イトコが産まれるのだ!」と大喜びして、自宅で意気揚々と私に伝えてしまう。

何度も録に記しているが、妻と両親と妹という一家は精神的に共依存の関係を固めてしまっており、妻は自分の家庭ができた後でさえ夫よりも義実家を優先する。

とりわけ、私から見ると受け入れがたい義母との間で思考が癒着してしまっている妻の実家依存はとても強固だ。

妻が義母と長時間の会話を続けた後には、地方出身の義母が話す独特の訛りのある話し方が妻に移っているのでよく分かる。

地方出身であっても首都圏で長年生活すれば方言を控えて当然だと私は考えている。妻が義母の方言を「我が家において」得意気に話すたびに、私はとても大きな嫌悪感を覚えて吐き気を催し、すぐに自室に入って耳栓を付けることにしている。もはや適応障害のレベルなので致し方ない。

もとい、妻を含めて異様なまでの共依存な関係を形成している義実家において、いつも上から目線で偉そうに指摘してマウントを取ろうとする義妹が授かり婚というイレギュラーな婚姻を経ることになった。義父も義母も地方出身だ。そのような婚姻形態が出身地の親戚たちからどのように思われるのかはすぐに分かることだろう。

神経が細くてすぐに感情的になる義母は、義妹の妊娠を知って言葉を失うくらいに驚き、ほぼ錯乱状態になったことは容易に想像しうる。

義妹の相方と義実家の挨拶においても絶妙な空気が流れていたことだろう。義母としては大手企業で優秀な営業マンだった義父に調整を全乗せしたはずだ。

しかし、婿養子の義父としては、この状況が父親として怒る場面だったのか、あるいは歓迎する場面だったのか。論理的に考えると後者だな。本人を含めて義妹が結婚するとは誰も予想していなかったはずだ。我が家としても、将来的に子供たちが老いた義妹を世話する必要がなくなったのでとても助かる。

加えて、義父としても自分に続く婿養子が見つかったのだから喜ぶべき状況だ。家系が途絶える危機を回避することができる。

私は拒否したが、義妹の夫の場合には婿養子になることを拒否することは難しい。彼の実家としても相応の責任を取ることになるわけで、義実家の一族としても相応の対応を要求することだろう。昭和の時代であれば土下座するような状況だ。もはや全方向から包囲されている。

しかし、義実家はそれなりの資産があるので、彼が婿養子になって相続すれば経済的には楽になり、老後の蓄えに苦労する必要もなくなる。婿養子に入って少し待てば浦安市内の戸建住宅が自分のものになる。土地や建物だけでなく義母まで付いてくる。

義妹が家事全般に長けているとは思えないが、義母の料理は正直なところ何を作っても美味い。また、うちの妻のように義妹が癇癪を起こして自宅で暴れても義母が止めてくれる。それはとても有り難いことだ。私のように自宅にシェルターを作って避難する必要もない。

私は婿養子を拒否したこともあって義実家から他人として扱われているが、義妹の夫は大切にされることだろう。

知らんけど。

そして、義実家における情報については外に出さないように対応し、とにかく時間が過ぎることを待ち、私を含めた親戚に対しては慎重に事の経緯を話すことにしたのだろう。

義実家と親戚との関係が良好であれば何事もない慶事だが、妻の父方にしても母方にしても親戚との間でテンションが張っている。娘の配偶者である私との間でもテンションが張っているくらいなのだから、まあそうなるだろう。

そして、義母と共依存の関係になっている妻は義妹のエピソードに巻き込まれたわけだ。なるほど、3月から4月にかけて妻が塞ぎ込んだり暴れたりとおかしくなっていたのは、そのような理由があったということか。

仲の良い夫婦であれば、そのような出来事があれば情報を共有して相談するのだろう。けれど、そもそもうちの夫婦はあまり会話がない。いつも思うのだが、妻にとっての家庭はどこなのだろう。未だに義実家がホームであるという考えが貫かれているように私は思える。

では、私になりに今回のエピソードをどのように思うのかというと、まあ確かに一般的なスキームとしては交際、婚約、入籍、妊娠、出産というステップがある。それは日本の社会の道理でもあり、踏み外すとよろしくない。

だが、それらのステップを正しく歩んだところで夫婦が幸せになるとは限らないし、私の従兄弟の中には授かり婚で世帯を持って今でも幸せに生活している夫婦が何組もいる。そもそも生物の生殖機能はそのようにプログラムされているのだから、そのプログラムに従って行動した後で次世代ができたと驚く必要はない。

また、女性の出産には年齢的な制約があり、高齢出産は母子ともにリスクを伴う。結納とか入籍といったステップに時間を費やす場合ではなく、1年でも2年でも先に進めた方がいいという状況はありうる。欧州においては妊娠してから結婚を考えるという考えが普及している国もある。

妻の転職話にしても、義妹の授かり婚にしても、子供たちが我が家で何のためらいもなく暴露してしまう。これはこれで風通しの良い関係が生まれているということか。

湿り気を帯びた地方の論理に基づくと、妻を含めた義実家としては強固な殻を形成し情報を制限したいのだろう。しかし子供たちによって情報がダダ漏れになってしまっている。

妻としては、私に言い出せない話が蓄積して、それらを抱え込んでフラストレーションになっていたらしい。また、それらの話を私に伝えて、色々と指摘されることを危惧していたらしい。義母との間で共依存になっていると、妻までが湿気を帯びた義母のような考え方になってしまうのだろうか。

ことあるごとに義実家は私の家庭に干渉を繰り返し、LINEグループで妻を巻き込み、我が家の出来事まで把握したがり、なおかつ上から目線で我が家に対して色々と言い、私の精神を削り取ってきた。

体調不良によって自宅で倒れて寝ていても、この義父母は気にせずに自宅に突撃し、私をさらに疲れさせた。

あまつさえ、今回の場合には、義妹のエピソードにまで妻が参入し、結果として妻がストレスを溜めて自宅で怒鳴って暴れるという結果になった。

この人たちは私の家庭についてとやかく言えるほど立派ではない。ただでさえ心身が厳しい時に間接的に私を巻き込むなよという気持ちは確かにある。

しかし、色々とネガティブなことを考えたところで口に出さなければ妻には分からない。なので、私は口に出さないことにした。

話を聞いた翌日に私は銀行に行き、10枚の1万円札を新札に替え、まずは結婚祝として義妹に渡すように妻に伝えた。

その際、半返しになる内祝は必要ないとも伝えた。今回は話が早く、新しい世帯を構えるには金が要る。だから支援する。私の郷里では、このように親戚同士が助け合って生きてきた。それは正しい意味での義理だ。

いくら仲が悪かったとしても私は義妹や配偶者に対して義理を通しておく必要がある。義妹に喜ばしいことがあるのだから、私は親戚として祝いを贈る。誰だって祝ってもらった方が嬉しいわけで、このようなタイミングを逸すると、ずっと記憶に刻まれる。

その一方で私は他の世帯について干渉しない。義実家は私の世帯に干渉を繰り返すから関係が悪化する。

恨み節はさておき、最近の妻は少し落ち着き、家の中で甲高い大声を上げる頻度が減った。私の場合にはストレスを自らで受け止めて沈むタイプだが、妻は義母や義妹と同じでストレスを周りに投げつけるタイプだ。分かりやすいと言えば分かりやすい。

また、妻が義実家と共依存になっているので、私が義実家に気を遣うと妻本人が気を遣ってもらったと感じるらしい。

念のため妻に確認を取った後で、私は郷里の実父に義妹のことをメールで伝えた。親戚や近所付き合いにて冠婚葬祭の義理を欠かさない実父は、やはりその日のうちに結婚祝を浦安に向かって発送してくれた。その際のメールの返信には余計な言葉はなく、「おめでとう」という短いフレーズが添えられていた。

さて、近年希なくらいに春先の変化で疲れ切っている私だが、妻が家庭で暴れることが減れば自然と回復してくる。それって夫婦関係としてどうなのかという話ではあるけれど、まあとにかく現実なのでやり過ごそう。

そして、桜の花びらが完全に散り、確実に初夏を感じられる時期には調子を取り戻してくることを願いたい。これが毎年のルーティンであれば、ゴールデンウィークのサイクリングで真っ赤に日焼けして、そこから夏にかけて精神的な疲れが減ってくる。

春先に街中や電車、駅構内で見かけるアッパー系の人たちは真夏の暑さにはあまり強くないらしく、おかしな人たちが一気に減る。より本能的あるいは動物的なモチベーションなのだろうか。

他方、私にとっては対人関係こそがストレスの元凶なわけで、おかしな人たちが少ない真夏や真冬の方が調子が良い。このようなことまでが一年のルーテインになっていることに気付いて笑ってしまう。