2022/04/17

木の芽時の不調は峠を越えたか

例年、3~4月は気温や人間関係を含めた様々な環境の変化があってとても疲れる。その変化に打ち負かされるようになったのは40代に入ってからだ。今年の木の芽時の不調はさらに厳しい。目眩と吐き気によって数日間の休養を要した。

皮肉なことに、2020~2021年にかけての木の芽時はコロナ禍の影響で疲れが軽かった。人口密度が高い街を出歩く住民が減り、電車の利用者が減り、夜の店が閉まっているので酔っ払いも減った。


ディズニーについても入場者数の制限などが行われていたので、浦安という街に押し寄せるハイテンションなネズミ頭の集団をほとんど見かけなかった。

つまり、私が苦手としている対人によるストレスが大幅に軽減されていたということだ。

ところが、今年の木の芽時は違う。アッパー系の人たちが弾けるように活性化している。まさに抑圧からの解放だ。勢いが凄まじい。

何を入れればそこまでの容量が必要なのかと思うくらいに大きなキャリーバッグを引いたディズニー客がJR京葉線に乗って自分が住む街に押し寄せ、その他にもレジ袋の有料化なんて全く関係ないと言わんばかりに派手な買い物袋を下げた若者たちの群れが駅や街中に押し寄せる。

何年も我慢していたわけだから弾けて当然かもしれないが、あのような遊園地の中で濃厚なデザインのキャラクターを見て興奮し、ご当地価格が付加された高値の軽食を買い、短時間のアトラクションのために長時間並ぶという、企業側の思惑や誘導に全乗りして心の底から喜ぶことができる人たちはとても幸せだな。シンプルで分かりやすい価値観の中で生きているのだろう。

人の好みは人それぞれだ。私はディズニー大好きな人たちを嫌悪しているけれど、それならばお前は自転車に乗ってペダルを回して喜んでいるオッサンではないかという指摘に私は反論することができない。

加えて、この時期の通勤電車における苦痛はディズニー客だけではない。どうしてそこまで酔っ払わないといけないのかというくらいに酒を飲んで電車に乗り込んでくる中高年のオッサンたち。

帰宅時の都内の鉄道ではあまりおかしなオッサンがいない気がする。おかしな人たちの密度の問題だろう。江東区や江戸川区を通過する頃にはおかしなオッサンが濃縮されてきて、千葉県内に入ると間違いなくおかしなオッサンが車両に必ずいるという状態になる。つまり、千葉都民の中におかしな人が多いということだ。

マスクを外して安酒の缶を握り、優先席で足を投げ出すような彼らの姿に対して、私は駅構内の吐瀉物を見かけた時のような視線を投げつける。

電車内の迷惑行為の大半は、自分と同世代あるいはそれ以上のオッサンたちが撒き散らしていると私なりには理解している。

しかし、彼らの醜態は、家庭を持って千葉に住み、長時間の通勤に耐えることになった男たちの苦しみを反映しているだけかもしれないな。出勤時は我慢できても、帰宅時にはあまりに辛くてモラルやマナー、恥さえ壊れてしまうのだろう。

往復3時間を超える通勤、そして浦安という鬱陶しい街での生活。木の芽時にはそれら全てにおいて人間が放り出すストレスが充満しているように感じる。それらに加えて第6波が収まった後のアッパー系の人たちからのストレス。これでは倒れても仕方がない。

あと数年で浦安住まいという心身の健康を害する街での生活が終わる。次に引っ越す場所は千葉県を外す。

とにかくディズニーの前を通らずに通勤が可能な街に住む。これは絶対条件だ。

そういえば、生まれてから今までずっと義実家に住んでいた妻の妹が近々結婚することになった。

妻の話では義妹と夫の世帯は義実家がある浦安市ではなくて、東京都内に新居を構えるそうだ。その話を聞いて、「うん...まあ...そうだよな」と私は思った。

妻の実家がある浦安に引っ越すことになり、ストレスによって心身を壊した私の状態を、義妹夫婦はきちんと参考にしたらしい。

浦安から都内への道路や鉄道のアクセスは良くない。車道も電車も混み合っている。「千葉県内の街としては」都内へのアクセスが良いというだけの話。23区に住んだ方が都内の職場への通勤が楽だ。むしろ千葉都民の生活が辛すぎる。

さらに、浦安には妻の実家がある。義妹の夫になる男性はすでに気付いているのかもしれないが、妻の両親が近くに住んでいると、世帯によっては老人たちが頻繁に自宅に突撃してくる。妻や義妹にとっては両親なので気を遣わないかもしれないが、私や義妹の夫にとっては他人でしかない。

妻の両親がアポなしで自宅にやってきて、インターホンのチャイムと同時にドアを開け、挨拶と同時に靴を脱いで家の中に上がり込んでくるのだから、配偶者としては恐怖でしかない。

自分だって飼い犬を抱えて義父母と共に我が家に突撃してきた義妹であっても、やはり「自分の家庭においては」そのような突撃を回避したかったようだ。

しかし、義妹の夫になる男性に一言だけアドバイスすることがあるとすれば、義実家がある浦安市から離れて東京都内に新居を構えたところで、この義実家は突撃してくる。正確には、我が強くてせっかちな浦安市民の権化のような義母に婿養子の義父が引っ張られて突っ込んでくる。

頼んでもいないのに自宅にやってきて、「茶の一杯も出さないのか」と文句を付けてきたり、まあとにかく鬱陶しい。

さらに、東京都内に娘夫婦が住んでいると、過干渉な義母が毎日夜9時に妻に電話をかけてくる。これが夫としての精神を蝕んでいく。

新婚世帯の夜9時というのはとても甘い時間だが、そこに義母が長電話をかけてきて、家庭の状態について逐一報告させるのだ。ありえないだろ。私もありえないと思った。その後で新婚夫婦の甘い時間を過ごそうにも、ベッドの上であの老婆の姿と声が頭に浮かんで苦しむことになる。

まあそれでも他人の家庭についてはその人たちが考えればいいことだ。しかし、バーンアウトを起こしてまで夫婦関係を維持した私としては、その男性においてここまでの忍耐がなしえるものか、今のところはよく分からない。

さて、木の芽時の不調にて自宅で静養している間も、この街はとかく喧しい。窓の外からは自動車や住民が発する様々な音が響き、心が安らぐ時がない。

高性能な耳栓を付け、布団に寝そべって惰眠をむさぼり、ネットにもアクセスせず、とにかく頭に情報を入力しないように努めた。

まだ大丈夫だと無理を重ねて出勤するのは、足の骨が折れているのに歩くようなものだ。私の脳には浦安住まいそのものが多大なストレスになっていて、街に出るだけでも精神を削り取ってしまう。

まあそれでもしばらくは無理をして通勤していたのだが、朝に目を覚まして酷い目眩で吐き気を覚え、おそらく往復3時間の電車通勤の途中で確実に嘔吐すると思った時、これは休養が必要だと判断した。

かといって、妻や子供たちが私に気遣ってくれるということもなく、ただひたすら自室にこもって心身の疲れを癒やした。疲れているのは頭であって身体については問題ないはずだが、目眩や吐き気に耐える時に身体が硬直する時間が多かったからなのか、激しい運動をしているわけでもないのに全身が筋肉痛になっていた。

子供たちの学校生活が軌道に乗ってきたので、ようやく我が家が一定のリズムを刻むようになってきた。だが、うちの子供たちは妻によく似て衝動性と多動性が高く、それらのリズムをすぐに崩してしまう。私はその状態を変化と認識して疲れてしまう。

とどのつまり、私は結婚だとか子育てだとか、そのような典型的な男の生き方に向いていなかったのだと思いはする。今さらそれを察したところで何の意義もない。

仕事が辛くて仕事に行けないのであれば、まあそれは仕方がない。しかし、浦安という劣悪な住環境によって目眩が生じて仕事に行くことができないというのは何とも無様だ。

しばらく自室で休んでいたところ、ゼロになっていたHPが少しずつ回復し、週半ばからは職場に通うことができるようになった。仕事の遅れは否めないが、吐き気を催すほどの激しい目眩は治まった。

あと数年の我慢ではあるけれど、浦安から脱出するのが先か、私の精神が崩壊するのが先か。個人的にはそれくらいに切羽詰まっている。

自分が苦しんでいても妻や子供たちが助けてくれるはずもなく、自分で何とかして夫や父親の役割を果たすだけ。それがオッサンの余生だと言われるとそれまでで、おそらく多くのオッサンたちが自分と同じように大きな荷物を背中に乗せて、たったひとりでレールの上を歩いているのだろう。

そのような生き方の中で疲れてしまったら、無理をして先に進まずに休めばいい。かつての私はそのことに気付かずに無理を続けてバーンアウトを起こしてしまった。妻や子供たちは何の頼りにもならなかった。

自分の理想像を追うことは大切だけれど、自分の我慢や努力だけではどうにもならないことだってたくさんある。

たった数日の休養でも、自分にとっては大きな意味があったらしい。以前よりも仕事のペースが上がり、その週のノルマを達成することができた。普段から疲れていてペースが上がらなかったという解釈もできるが。