サイクルライフは次のステージへ
人は自身にとって都合が良ければ寄ってきて、価値がないと判断すれば去っていく。そのターンオーバーは当然の成り行きでもあるし、残酷でもある。
人の善し悪しに関わらずメリットがあれば手を結び、デメリットがあれば切り捨てることが多くはないだろうか。とどのつまり人は自らを優先する。
上り調子の時に声をかけてくる人を信用しない。下り調子の時に支えてくれた人に感謝する。他者に期待するから失望が生まれる。期待せずに自らの力で地道に生きる。
できるだけ多くの人たちと繋がり、できるだけ多くの人たちに自らを理解してもらいたいという気持ちは間違っていなくて、昨今のSNSの普及にもそれがあるのだろう。
しかし、人はどこまで生きても一人だ。他者から理解してもらうどころか、自分自身を理解することさえ難しい。
さて、私は趣味として10年近くロードバイクに乗っている。妻の出産を機に浦安という街に引っ越してきて良かったことと言えば、この趣味に出会えたことだろうか。
活気があって便利な街だが、ストレスが溜まる。どこかに逃げたくなってママチャリで葛西臨海公園に行ったら、白髪頭の中年ローディたちの姿が格好良くて、ロードバイクを衝動買いした。
当時はヨチヨチ歩きだった上の子供はすっかり一丁前な口を利くようになり、中学受験に向かってわが人生の歩を進めている。
一方の私としては、長時間の通勤に苦しみながら夫婦共働きの子育て。数年前、家庭と長時間の電車通勤であまりに疲れてバーンアウトしかけた時に私を救ってくれたのは職場の上司や同僚たち、そして趣味でしかなかったロードバイクだった。
辛い電車通勤を回避するためにロードバイクに乗って職場に通い、ペダルを回しながら様々なことを考えた。雨が降っても風が吹いても走る毎日のライドの中で、自らが必要としていたフレームを用意し、カスタムを加えた。
辛いことがあっても「今度はこのホイールを買おう」と、忙しくても「乗り切ったら、あのルートを走ろう」と。
共働きの子育てで苛立っている妻と大喧嘩して離婚の寸前まで行った時も、ロードバイクで夜の荒川沿いを走り、子供たちの将来を考えて我慢した。
この10年、私の人生は常にロードバイクと共にあった。
時が経ってバーンアウトの兆候がなくなって安堵するとともに、気が付くと五十路が見えてきた。残りの職業人生は20年もない。
ロードバイクに乗り続けた時間の2倍にも充たない時間で私は定年だ。人生とはあまりに短い。大切に生きよう。
30代で結婚して子供たちが生まれて、そこからが早かった。じっくりと腰を落ち着けて考える余裕もなく、気が付くと1年、また1年と過ぎ去ってしまう。
職業人生の残りの短さを感じて、私が心がけるようになったことが二つある。その一つはネットからの情報を制限すること。
ツイッターやアフィブログ、フェイスブック、大手ニュースサイトなどはブラウザでブロック。その理由は、あまりに情報が多すぎて疲れることと、それらを知っても私の人生が良くなるとは思えなかったから。
もう一つは、歳を取って背負うことが多くなったことを整理して軽くすること。一人の人の時間や労力には限りがある。あれこれと手を出して学ぶことは大切だが、そろそろ落ち着く必要がある。身体も気力も衰えるのでカバーしうる範囲も狭まる。
では、長年続けてきたロードバイクによるサイクルライフはどのように整理していくのだろう。安いロードバイクを買って新しい世界の扉が開いた初心者のステージ。
河川敷で見知らぬロードバイク乗りを意識したり、カーボンロードバイクに乗り換え、コンポやホイールのグレードを上げて満足するステージ。
ロードバイクチームに参加して脚力を他者と競ったり、レースやイベントに参加したり、自らチームを立ち上げて満足するステージ。
その間に仕事や家庭の状況は変わり続け、多くの人たちはロードバイクを降りてしまう。
海外本社もしくは代理店の方針かもしれないが、ファッション業界のように新しい流行を起こして消費を活性化させようと気を張る自転車業界。真に受けてフラッグシップに乗る意識が高い人たち。
あまり深く考えずにレースの順位に集中する人たちは素晴らしい。そのまま人生を進んで振り返っても、深く考えることはないだろうし、何かに気づいても時はすでに遅い。
私はこれからどのようなステージに進むのか。ロードバイク歴20年以上のベテランの多くは乗り込んだ愛車で一人で走り、たまに懐かしい仲間と走るそうだ。そこまでのトラックが見えずにいるが、何かを感じる。
結局のところ、ロードバイクに乗っていて心地良く感じることを残して、重く感じる部分を取り去ることにした。
サークルを立ち上げてみたが、その活動にも重さを感じるようになった。どうして他者に気遣って走り続けねばならないのか。どうして仲間を集め続けなくてはならないのか。苦しんでいても気にしてくれる人は数人だ。
沈黙している人が如何に多いことか。私は何のために力を使ってきたのか。必要ないなら消すだけのこと。
そういった仲間が人生通じて付き合える存在になると信じた時もあった。しかし、ライドに行かなくなれば会うこともなくなる。これまで多くのロードバイク乗りに出会い、今、どれだけのロードバイク乗りが一緒に走ってくれるのか。
愛車は一台で十分。ホイールもお気に入りをいくつか。落車して職場や家族に迷惑をかけないようにレースには出ない。
普段はソロでいつものルーティンコースを走る。たまに一緒に走るロードバイク仲間は数人だけでいい。気に入らない人とは走らない。
コツコツと職場で働き、金を稼ぎ、子供を育て、時間を見つけてロードバイクに乗って趣味を楽しむ。地味な人生ではあるが、長年大切にすることができる趣味が見つかっただけでも幸運なことだ。
明日は内房にソロでライドに行こう。次のサイクルライフが始まった。