木の芽時には無理をしない
満開の桜を見て盛り上がっている人たちは多い。しかし、私にとっての桜の花は地獄の苦しみの指標のようなものだ。この時期は寒暖差が大きくて自律神経に負荷がかかり、長時間の通勤時におかしな人たちがたくさん出現し、家庭はさらに荒れ、職場の人事も色々とある。心身共に不調が生じて生きることが辛くて仕方がなくなり、桜が散った時期には復調する。
我が家において夫婦仲が最も緊迫して破断寸前になるのもこの時期だ。
その傾向は単なる私の思い込みではないかと思って昨年の録を確認してみた。1年前の木の芽時の私も酷く疲れていた。長時間通勤中の電車や駅においてはおかしな人たちが増え、家庭においては妻が普段にも増して家庭内で暴れ、それらのストレスで私が倒れたという録が残っている。
私自身の結婚について考え直している録も散見される。
この時期に心身の不調を訴える人が増えるので注意せよという内容は口伝として現在にも残されており、昔の書物にも記載されている。しかし、木の芽時における人の状態は様々だ。それらのパターンを大まかに区分すると三つになる。
① 春が来ても調子があまり変わらない人
② 気温や環境によって過度に活性化する人
③ たくさんの変化に疲れてしまって沈む人
私が住んでいる浦安市の海側の新浦安という場所では、妻や義実家を含めて②のタイプの人がとても多いように感じる。
私を含めた③のタイプはそもそも活動が停滞するので街中に出ないということもあるのだろうけれど。
それでは、なぜ新浦安に②のタイプが多いのかというと、そもそも新浦安には活動的な人がとても多く住んでいることに関係がある気がする。
せっかちで我が強くて衝動性が高いと表現するとマイナスのイメージになってしまうが、それらを裏返して解釈すると職業人として高い意識と思考を維持しうるプラスのイメージになる。
より露骨に思考を展開すれば、せっかちな人は面倒なことを嫌って効率性を求める。我が強い人は自らのメリットを優先して他者を蹴落としてでも利益を求める。そして、衝動性が高い人はチャンスだと思えば躊躇せずに行動に移す。
このような人たちは競争社会で生き抜いたり、より多くの収入を得ることができる蓋然性が高いことだろう。結果、そのようなタイプのアッパーミドル層が新浦安に多く住むようになり、自治体の税収が増えたというギミックではないか。
妻の実家があるので仕方なく引っ越したが、このように人口密度が高くて鬱陶しい街に自らの意思で住みたがる人たちというのは、そもそもそのような人口密度の高さを気にしないというわけだろう。それは社会生活を営む上で「強さ」に繋がる。
加えて、暇になることが嫌でじっとしていられない衝動性の強い人たちにとっては、常に住環境から刺激を受けることを欲するのだろう。新浦安はコンパクトシティなのでそれらの刺激を容易に得ることができる。
しかし、新浦安民が春になって活発になることはあまり気にならない。普段から我が強くてせっかちな住民が多いので、鬱陶しさはいつものことだ。
むしろ、春休み、あるいは自分で休暇を取ってディズニーに押し寄せる若者たちのテンションに疲れてしまう。まあこのディズニーマニアたちのテンションも季節に関係ないが、さすがに極暑や極寒では少し温和しくなる。春先は狂ったようなテンションでキャリーバックを引いて頭にネズミの耳を付けた人たちが浦安市にやってくる。
浦安市に住みたくないというよりも、東京に職場がある限りは千葉県に住まない方が良いという私なりの理解になる。なぜなら、東京の真横に浦安市があるからだ。鉄道によって都内に通勤している限り、ディズニー客は常にストレスの要因になる。少なくとも私にとっては。
加えて、木の芽時のJR京葉線や武蔵野線では明らかに行動がおかしくなった上記の②の人たちが増える。この人たちはディズニー客よりもタチが悪い。
職場や大学の顔ぶれが変わって歓迎会などで酒が入っているのかもしれないが、電車の座席で足を投げ出す人、コロナ禍でもマスクを外して堂々としている人、意味不明の言葉をずっとつぶやいている人、大声を上げて騒いでいる人。
毎日3時間も、そのようにおかしな人たちと同じ空間で耐えなくてはならないわけで、これで疲れない方がおかしいと私は思う。
通勤ではなくて家庭においてはどうかというと、寒さに弱い妻が春の訪れとともに活性化して、普段から甲高い大声がさらに大きくなり、さらに激しく暴れるようになる。
一方で、木の芽時の私は疲れが蓄積して気力が枯渇しかけている。
この時期になると私自身の結婚について反省することが多いという理由は、すなわち夫婦のタイプの相違が一年で最も大きく感じられる時期だからなのだろう。
私のように変化に弱い③のタイプの人間は、変化があってもイーブンな①のタイプの人間と連れ添うことで幸せになれたということだ。変化によってさらに活性化する②のような人間と連れ添うと疲れが増大する。
私は妻が①のタイプの人だと信じて結婚したのだが、それは演技でしかなくて、実際は②のタイプだった。木の芽時になると癇癪持ちの性質がさらに激しくなり、見境なく感情を噴火させる。
今年から成人の年齢が20歳から18歳に引き下げられた。私と妻が同居する期間は下の子供が成人するまでと決めているので、その期間が2年短くなった。その期間の妻の言動に応じてその後を考える。
別居や離婚によって、妻や義実家が利益を得るようなパターンは絶対に許せない。それらによって妻や義実家が大損を被るストラテジーを考えている。もちろんだが、私は弁護士などの専門家のサポートも受ける。
このような夫婦問題において、かつての弁護士たちは妻をクライアントとして夫から金をむしり取ることに熱心だった。夫がメンタルを壊して働けなくなろうが何だろうが、妻が家庭で夫に対してどれだけ暴力をふるっていようが何だろうが、男は金を稼いでナンボだという感じで養育費を請求し、財産を妻に分けろと追い込んできた。その方が弁護士の取り分が多かったからだろう。
もちろんだが、家庭内で暴れる夫が離婚して養育費も払わないというパターンもある。それによって女性のひとり親世帯の貧困が生まれ、子供たちが苦しむという構図になっている。そのような男たちについては議論に値しない。行政が介入するような話だ。
だが、家庭で妻が暴れて夫が苦しむというパターンの場合、なぜに夫が法的に追い込まれなくてはならんのだ。まあそれは結婚した時の夫の判断が甘かったという話に過ぎないかもしれないが。
そして、弁護士の供給が過多になり、夫を追い込むスタイルだけではクライアントや実際の利益が減ってきたと考えたのだろう。最近では夫をクライアントとして夫婦問題に対処する弁護士が増えてきた。
まあそうやってイキるだけの気力も私にはあまり残っていないが。五十路になって別居したと仮定して、その後に女性のパートナーと知り合ったところでどうにもならないだろう。
ならば離婚せねばと離婚して財産を分けて、新たな伴侶と幸せな余生を過ごすというのは何だか虚しくも感じるな。かといって、四十路に入って妻が家庭内で暴れた始めた時期に、私が子供たちを含めて家庭を見限る気にもなれなかったのは確かだ。
そこから別のパートナーを見つけ、子供たちの養育費を支払い続け、とかく複雑なことが山積した状態で生き続けることが幸せなのか。
世の中には、元妻の経済状況なんて無視して養育費も払わず、自らの生活だけを考えて生きている元夫が珍しくない。本能的あるいは動物的とも言える。
私が以前、妻に話したことがあるのだが、離婚すると元妻にメリットがあると考えるのはあまり正しくない。
最初に教育費。元妻が親権を持っている場合、元夫は養育費を支払う必要がある。しかし、子供たちが私立学校に通う場合に養育費を上乗せするかどうかは協議する形になる。私が支払いを拒否すれば、互いに弁護士を雇うことになって金が減り、私が支払わない場合には財産を分割した範囲で元妻が支払うことになる。
子供たちが成人した後の大学の費用についても同様。離婚後に元妻が支払うのであれば、おそらく義実家の資産までを取り崩しながら費用を捻出することになるだろう。現段階でも妻の年収は私の半分にも充たない。
妻が離婚後に子供たちを連れて浦安市内の義実家の戸建てに住めば、少しの間は住居費や光熱費等が折半あるいは無料になるかもしれないが、おそらく義父は長く生きられないはずだし、すでに定年退職している。あまり豊かな生活が待っているとは思えない。
他方、家庭内別居の形で私が住居費や光熱費、通信費などを用意し、狭い自室で私自身が生活し、その他のスペースは家族の共用という形で生き続けるのであれば、経済的なコストが最も少ない。
その場合には、私が子供たちの大学費用までを負担して当然なので、妻としても義実家としても金に苦しむ必要がない。
さらに、うちの夫婦の場合には私が先に他界するはずなので、妻には遺族年金が支給される。職業人生をリタイアしてから年金が加算されるのは大きい。
私が家庭内で暴れて妻が苦しんでいるという形であれば異なるが、家庭内で妻が暴れている形なのだから、要は私を家の中で同居させて「飼っておく」というスタイルが、妻の経済状況を考えると最もメリットがあるわけだ。長らくレスが続いて男女としての愛情が冷め切っていたとしても、民法に基づくと違うことない夫婦という関係だ。
もちろんだが、これでは私にとって幸せでないし、私が倒れたら家庭も傾く。したがって、妻の家庭での言動を映像や音声として記録した上で離婚に至り、妻や義実家を経済的に追い込んでやろうかと思った時もあった。
当然だが、あの義実家のことだから私から金をむしり取ろうとすることだろう。しかし、私は義実家よりも頭がいい。
最も手っ取り早いのは、離婚後にひとり親世帯の母親と再婚すること。若くて優しくて美しいシングルマザーはたくさんいる。そのような女性に限って、大して稼ぎもないのに家庭で威張って暴力を振るう男性と結婚し、苦しみ抜いて離婚して頑張って生きていたりもする。
私の場合には、仕事から疲れて帰ってきた時に「いつもありがとう」と妻が感謝してくれたり、家の中で妻が毎日のように怒鳴り声を上げずに静かにしてくれれば満足してしまう人なので、ハードルはとても低い。
飲む打つ買うの類いには全く関心がないし、地道に働いてきちんと家庭に金を持ち帰っている。もちろんだが浮気もしないし、家の中で暴れることもない。
見た目も悪くないし、銀杏の紋章を持っているし、職場だって知らない人はいない。
うちの妻は理解していないんだ。自分がどれだけ恵まれたスペックの男性と連れ添っているのかを。
私がシングルマザーと再婚した場合、元妻が育てている子供たちの養育費の支払いについては法的に減額される。連れ子であったとしても現状に感謝し、地道に努力を続け、他者を助ける人材になりうるのであれば、私は実子よりもその子供の将来に投資する。私の性格ならば当然だ。
翻って、シングルマザーではなくて婚期が過ぎて独身で生活している女性とDINKSの形で生きる選択肢もあった。週末に顔をしかめて怒鳴り声に耐えることがなく、穏やかで優美な時間を過ごす。長らくレスが続くストイックな生活ともおさらばだ。
そして、私の退職金や遺族年金については元妻ではなく新たに連れ添う妻に渡ることになる。元妻との間で互いに弁護士を立てて金について争っている人がいたりもするが、その場合には互いの資産が減り、元夫が無視して踏み倒すことはよくある。
加えて、老人になってさえも娘の家族に対して口を出す義母や義父との関係もなくなる。そこまで娘に対して執着しても、一家は確実に老いている。どこまでも自分の家族を保とうとしても、それは無理な話なんだ。全員で同じ墓に入ることが目的なのだろうか。ああ気持ち悪い。
しかしながら、この形では私の遺伝子を渡した子供たちを巻き込んでしまう。それは生物としてどうなのかという話だ。
老いて死んでしまえば私の記憶もなくなる。妻と結婚して私がどれだけ苦しんだのかなんて、死んでしまえば誰にも分からない。他方、潔く婚姻関係を解消し、別の女性と一緒に毎日笑顔で生活するというのも男として間違っていない生き方だとは思う。
しかしながら、これは苦しいと私が逃げてしまうと、将来的には我が子たちだけではなくて、孫の世代まで苦しむことになる。より高いポジションで生きるためには教育が必要で、教育のためには金が要る。
私や妻の父親たちは祖父として立派だとは思えない。昭和のやり方を引きずり、現役時代に活躍したとも思えず、職業人生が終われば無能扱いされている。孫育てにも消極的で頼りない爺さんたちだ。
しかし、私は私なりに格好良い祖父になりたい。
とんでもない癇癪持ちで気性が荒い婆さんに連れ添って生き抜いた爺さんというのも、それはそれで格好いいじゃないか。自分の判断の誤りとはいえ、苦しみながらも次の世代にバトンを繋いだのだから。そのような男の判断ミスの連続でこの世が成り立っているとも言える。
ということで、家庭で暴れる妻については子供たちに危害を加えないように監視し、ストレスに耐え、自分なりに細やかな楽しみを見つけ、子供たちが大人になるまでは家庭内で別居してでも生きていこうと思った。
併せて、子供たちが成人するまでの期間は私の心身が崩壊することを避けねばならない。崩壊した時に薄情な妻や義実家が助けてくれるとは到底思えないわけで、自分のことは自分で守らねばならない。
では、この苦しい木の芽時を乗り越えるためにはどうすればよいのか。必勝法があれば伝授してもらいたい話だが、そのヒントは過去の自分の録に残されていた。
ひとつは、余計な情報を頭の中に入れないこと。もう一つは、疲れたら休んで眠ること。
最後に、自然があふれる谷津道までサイクリングに出かけて、リアルな木の芽時を体感すること。
それらによって気分が楽になったという自分自身のログが残っていた。そうか、久しぶりに谷津道に行って自然の姿を眺めよう。
新浦安のような埋め立て地で生活している場合、木の芽時とは名ばかりだ。埋め立て地に植えられた木々が芽吹くことは確かだが、この時期の多くの変化は、そこに住む、あるいはそこにやってくる人間が引き起こす。
それらの人工的な要素を取り去って、自然の変化を感じることで癒やされるのだろう。
延々と思考を回しても大した効果はない。これからミニベロをチェックして、明日は谷津道に向かって走ってみよう。