2022/02/24

夫婦共働きと中学受験の奇妙な親和性

自らの体験に基づく中学受験の話を録に記してネットで公開していたところ、中学受験について知りたいというネットユーザーなのだろうか、あるいは浦安の行政について思うところがあるネットユーザーなのだろうか、まあとにかく当該ページへのアクセスだけが増えた。たくさんの人たちが「その情報だけ」を閲覧して去って行く。

トップページにアクセスしてこない場合も多いので、URLがどこかのコミュニティで共有されてしまったのかもしれないな。リファラーが見つからないので公開されていないネット上のグループだろうか。父親たちが私の録を読んでいるのか、母親たちが読んでいるのかも分からない。そもそもアクセスが増えて嬉しいという感情は私にはない。


妻が菓子折りを用意して、中学受験が終わった上の子供と一緒に学習塾へ挨拶に向かった。その道すがら、浦安市に対して「公立中学校には入学しない」という旨の手紙も投函するそうだ。

大手の学習塾は、子供だけでなく保護者にも受験の体験談を原稿用紙に書いて提出してくれと要求してくるので、妻も作文に励んでいた。

上の子供としては自分と中学受験という形で体験談を書き、妻としては上の子供と中学受験という形で体験談を書いていた。

妻ではなく私に書かせてくれれば、ジャイアントキリングをテーマにした中二病感あふれるエッセイを用意したはずなのだが、その役目は妻から託されなかった。

その体験談は印刷されて、次の学年の子供たちや保護者に伝えられる。そのようなサイクルの中で情報が口伝されて噂話となり、新浦安で人気がある塾とそうでない塾という温度差が生まれるのかもしれないな。

私自身はブログの片隅に家族全体の体験談という形で書き留めておこうかと思う。

中学受験をテーマとした「二月の勝者」という漫画は、少年誌ではなくてビッグコミックスピリッツにおいて連載され、単行本やドラマにもなり、もはや中学受験のバイブルのようになってしまっている感がある。

そして、この物語がどうしてここまで人気を博したのかという理由は分かる。

この物語はあくまでフィクションだが、実際の首都圏の中学受験の姿を忠実に、そして残酷なまでに描いている。一度でも中学受験を経験した保護者であればよくある話なのだが、経験する前は「マジかよ?」と思う内容だ。

千葉県民の保護者であれば渋幕中学のことを知らない人は少ないことだろう。千葉県ナンバーワンであり、中高一貫で進んだ生徒たちの大学受験においても全国区の合格実績を誇るエリート校だ。

二月の勝者では、その冒頭において渋幕中が登場する。その渋幕中に合格することさえ都内のトップ校のための「前哨戦でしかない」と、主人公であるカリスマ塾講師の黒木先生が子供たちを諫める。

そして、彼は中学受験に挑戦する子供たちの保護者の心にまで突き刺さるフレーズを言い放つ。

君達が合格できたのは、父親の「経済力」 そして、母親の「狂気」

このフレーズは開成中学の入学式で校長が言ったフレーズのオマージュだと言われている。

その校長の発言では、子供たちが開成中に合格することができたのは、「一に母親の狂気、二に父親の経済力、三に子供たちの力」という内容だったそうで、最も始めに「母親の狂気」が子供の合格に関わることを校長自らが認めてしまっている。

「母親の狂気」という表現はなるほどよく分かる。確かに公立小学校から公立中学校というルートであれば発動しえない常軌を逸した精神状態に追い込まれる。

その他にも、二月の勝者は中学受験あるあるを並べただけなのに、それが現実離れした話かのように「未経験者」には伝わって興味深いことだろう。

4年生になった自分の子供を受験塾に通わせようと思った保護者においては、6年生で迎える中学入試で「全落ち」するなんて想像するはずもない。しかし、短期間で勝敗が決まるシーズンの初戦で不合格になった時には一瞬で親子ともに青ざめる。全落ちの恐怖は凄まじい。

6年生の夏をどのように乗り切るのかとか、保護者、とりわけ母親にやってくる精神的なクライシスとか、さらには夫婦が離婚してでも中学受験に挑む異様な光景とか。

では、「母親の狂気」というインパクトのあるフレーズに隠れてしまっている「父親の経済力」は、本当に当を得ていると言えるのだろうか。

公立小学校に子供たちを通わせていると気付くことがある。それは、小学校の教師たちの頭の中の思考が、シングルインカムの世帯をベースに組み上がっているということだ。要は、父親が仕事で働き、母親が主婦として家庭を守っているという形を前提として学校の行事やPTAの活動などが組まれていると私は感じた。

公立小学校における校長や教頭といった管理職は私よりも年上で、団塊世代と団塊ジュニア世代の間くらいの人たちだ。そのような世代においては、母親が主婦として家庭にいるというスタイルは珍しくなかったことだろう。

だが、現在の子育て世代は半数以上が夫婦で共働きを続けている。それは学校の外に限らず、学校の中においても適用しうる。子育てを続けながら働いている女性の教員は珍しくない。夫も働いていたとすれば共働きの生活スタイルになっているはずだ。

それなのに、公立小学校の教師たちはどうして「夫が仕事、妻が家庭」というスタイルを前提にしているのか、私には理解が難しい。

加えて、先述の「父親の経済力」というフレーズが現在の中学受験において当てはまるのかというと、私には必ずしも当てはまらないと思う。

私もオッサンなのでオッサンと表現するが、世の中には中学受験について否定的なオッサンがたくさんいる。彼らの中にはツイッターで居丈高に意見を発信し、学校の外で親が費やす教育費のことを「重課金」と揶揄する人がいる。

若い人たちから老害ジュニアと指摘されることもあるオッサンたちは、ツイッター上で誰からも相手にされなかったりもするわけだが、なるほど重課金だなと思った。

重課金とは、ネットゲームでユーザーがたくさんの金を支払ってキャラクターの装備やスキルをグレードアップさせる際に使われるフレーズだと私なりに理解している。

そう言われてみると確かにそうだ。中学受験に挑む我が子のために塾の特別講習などを受けさせる際には金が要る。塾に通うだけでもたくさんの金が要る。その後の私立学校の学費もかなりの出費だ。

金をかけて子供の学力を高めるわけだから、課金でキャラクターを強化させているように見えるかもしれないな。

だが、実際に我が子が中学受験を経験した上での感想だが、それらの課金で得られるスキルは中学に入学した後でも役に立つと私は感じている。学歴というレッテルを金で買っているわけではなく、金をかけるだけの意義がある。

例えば、受験を「釣り」に例えると、大人が子供たちを連れて魚がたくさん集まっている場所に連れて行くから親に金を払えという形であれば私は良しとしない。しかし、大人が子供たちに釣りの仕掛けや魚影の探し方、釣り上げた魚の調理法などを教えるから金を払えという形であれば歓迎する。後者は生きるための力になるからだ。

塾にもよるだろうけれど、我が家がお世話になった学習塾は、各学校の出題傾向を徹底的に分析し、合格のための学習を子供たちに詰め込むタイプではなかった。地道に積み重ねる内容については地道に積み重ね、出題傾向を分析するための方法論を指導するようなスタイルだった。

そのようなスキルは、大学受験であっても就職試験であっても、社会人になってからでも役に立つと思う。

親が金をかけて家や車を買っても、長い目で見れば子供には引き継がれない。莫大な金を貯めておけば子孫のためになるかもしれないが、子孫が努力するかどうかは分からない。先祖が得た資産に胡座をかいて、努力もせずに生活している人たちがこの街にはたくさんいる。

それ以前の話として私が感じていることがある。

中学受験を「重課金」と揶揄しているオッサンたちの子供の多くは、おそらく中学受験に挑戦していないはずだ。

なぜ挑戦していないのかというと、おそらく経済的な理由が含まれていると思う。早い話が男の嫉妬ではないのか。だとすれば醜くも感じる。

収入が少なくて中学受験に必要な「父親の経済力」がないというわけではなくて、日本のように傾きの大きい累進課税がなされる国では、シングルインカムの世帯での中学受験あるいは私立中学への進学は経済的に大変だと思う。

夫婦共働きの世帯と比べて、妻が専業主婦の世帯では母親が子供たちの勉強を指導する時間は多いと思う。しかし、世帯収入を考えた場合には夫婦共働きの方が楽に違いない。

夫の年収が1500万円で妻の収入がないという世帯と、夫の年収が1000万円で妻の年収が500万円という世帯を比べると分かる。

夫だけで高収入を得たとしても税金としてゴッソリと引かれてしまうわけで、さらに住宅のローンがあるような状態のまま私立中学に子供を入学させることは大変だ。それら全てを経済的にフォローしうるのであれば、確かに「父親の経済力」に該当する。

自分の子供は公立中学に進むにも関わらず、他の父親の子供が塾に通って私立中学に進んだりすると、自己愛が強いオッサンの場合には嫉妬して、「重課金が!」と言い出したりもするのかもしれないな。

そのようなことをネット上でツイートしても自身の教育方針を正当化するものではない。他の世帯の子供がどのような生き方を歩もうと、他の世帯のオッサンがとやかく言う話でもない。

他方、夫婦共働きの世帯の場合には、中学受験の「父親の経済力」というものが必ずしも当てはまらないように私は感じる。

中学受験における「母親の狂気」については全く賛同するところだが、「父親の経済力」については、むしろ「夫婦の経済力」の方がこの時代にはマッチしている気がしてならない。

夫婦共働きで未就学児を育てていた頃と、夫婦共働きで中学受験に挑戦した頃。父親である私として、どちらが大変だったかというと、どちらも大変だったという印象がある。

我が家のように妻が子供たちの学習を管理して受験に進むような家庭の場合、平日は夫も妻も仕事で手一杯だ。休日になると子供たちの勉強を妻が見て、夫である私は洗濯や掃除に追われる。夫婦共働きの子育てとはこのようなものだと自分自身が理解して実践している節がある。

生活自体は大変だが、金がかかる中学受験や私立中学への進学において経済的に切迫しているわけでもない。貯金も続けている。

これはダブルインカムだからこその状況であり、父親の経済力というよりも夫婦の経済力だと思う。シングルインカムでこの状態を作り出すことは難しい。いわゆる専業旦那において、どれだけの年収が必要になるのだろうか。

そういえば、妻が主婦という家庭で複数の子供たちを私立中学に通わせているサイクリストの父親と出会ったことがあるのだが、彼の生活がとてもカツカツだったので驚いた。

彼自身は大手企業の社員なのだが、それでも複数の子供たちを私立学校に通わせることは厳しいらしい。

サイクリングの途中で彼の自転車がパンクしたのだが、ホイールから取り出したチューブは100均のパッチで継ぎ接ぎだらけだった。

そして、サドルバッグから取り出したチューブも新品ではなく、所々にパッチによる補修がなされた中古チューブだった。

その中古チューブも破れてしまい、一緒に走っていたサイクリストからチューブを借りる始末。新品のチューブは千円程度だが、その出費さえ厳しいのだろうかと。

中学受験や私立進学における夫婦共働きのメリットは経済力だけではない。多くの父親たちが家庭における家事の負担だけでなく、「母親の狂気」に慣れてしまっている。

シングルインカム世帯の父親たちは、ダブルインカム世帯のような時に緊迫した夫婦関係をあまり経験していないと思う。

世帯にもよるが、仕事と家庭で追い詰まった妻がキレて暴れるなんてことは珍しくもない。

我が家の場合には妻が狂気を発動し続けて、私のメンタルが破壊され、バーンアウトの寛解まで数年を要した。

もちろんだが、すべての父親が母親の狂気に耐えられるわけではなく、幼い子供たちを残して離婚し、父親が家を出てしまうケースはよくある。

我が子の同級生の両親が離婚して、その子供たちが保育園や小学校から姿を消すタイミングは他の世帯から見ると突然のことだ。

家族が離散して引っ越し、まるでこの街に存在していなかったかのような感覚が残る。実にシュールだ。

母親が狂気を発動しても耐えることにした父親たちにも苦難の道が続く。イクメンなんて言葉が流行ったりもしたが、夫婦共働きの子育てにおいてそのような甘いイメージは通用しない。

雨の日であっても出勤時間ギリギリで子供乗せ自転車からグズる子供を抱えて保育園に駆け込み、そこから駅まで傘も差さずに親が走って行くとか。

仕事でボロボロに疲れて、時間外保育で預けている我が子を迎えに行き、たったひとりで待っている子供の姿を見て涙ぐんでしまうとか。

夫婦共働きの子育てを経験した父親から見ると、専業主婦の妻が家庭を守ってくれている状態で子育てというステージを過ごした父親は楽だなと思う。

しかし、そのようなシングルインカムの家庭において中学受験に挑むことになり、妻が子供の勉強に付きっきりになり、夫の家事の負担が増えたりするとどうなるのだろう。

今まで子育てや家事を妻に頼っていた父親としては、仕事と家庭という負荷が増えて厳しいかもしれない。そもそも、中学受験や私立学校の学費という経済的な負荷に耐えかねて最初から公立中学に子供を進ませるかもしれないが。

他方、ダブルインカムの世帯の場合、父親に圧しかかる家庭での負荷については、育児の段階ですでに経験している。仕事で疲れていても妻から突っ込みを受けることもあるし、まあとにかく生きていること自体が辛くなることもある。

中学受験における母親の狂気というフレーズは、夫婦共働きの夫についてはオーバーな表現だと思う。中学受験の前の未就学児の段階から妻が狂気を発動していると解釈しうるからだ。

未就学児の子育ての頃の妻の狂気と、中学受験の妻の狂気のどちらが凄いのかというと、どちらも凄い。結婚したことを後悔するくらいに凄い。

共働きの育児を始めたばかりの父親には絶望的な経験論かもしれないが、中学受験で急激に妻の性格が荒くなったり、自宅で暴れるわけではない。妻からのハードヒットが少しだけ激しくなるだけだ。そう、少しだけだ。新婚時代の妻の面影が消え去って、ドスの利いた声で詰められたりもするが、離婚せずに共働きの育児を耐えたのならば、たぶん大丈夫だ。

むしろ、共働きの育児を経験したからこそ、中学受験における家庭の大変さを耐えることができているのかもしれないなと感じる。経済的な側面においても、妻が職を中断せずに継続してきたことの意味は大きい。

夫婦共働きが増えてきたとはいえ、夫や妻の負荷が減ったとはいえない状況だ。夫婦ともに苦しさを耐えていることが多いはずだ。

しかし、中学受験について考えると、(世帯収入による補助の有無という無慈悲な制度はともかく)苦しさだけではないと思う。

親になった自分の人生のアウトカムが何かというと、そろそろ自分自身の生き方だけではなくて子供の生き方という話になってくる。親が苦しんでも子供がより良いルートに進むことができれば、それでいいじゃないか。

その取り組みを「重課金」と揶揄するような人たちは無視していい。金をかけるだけの意味があるから、金をかけている。学歴を得るためだけではない。